40 水鏡
午後。
「怖いですか?」
ヴァン様は私が落ちないように抱きしめたあと、浮遊魔法で一気に上昇した。
「大丈夫です。真下をみなければ」
エレベーターと同だと思えばいい。
ただ、足元に何もないのはわかっているので、真下を見るのは怖い。
「では、このまま飛んでみましょう」
ヴァン様は気を遣ってくれていて、飛行速度はゆっくりだった。
「どうですか?」
「大丈夫です」
「では、スピードを上げましょう」
そういった瞬間、急に速度が上がった。
全身に当たる風の強さに驚かされる。
「まだまだです。もっと速くなります」
さすがにそれは怖そうだと思ったけれど、ヴァン様がしっかりと抱きしめてくれている。
守られている。落ちることはない。
絶対的な安心感のおかげで、私は飛行への恐怖を感じなかった。
「あれが別館です」
別荘のようなイメージをしていたけれど、実際は湖のほとりにあるお城だった。
「素敵なお城ですね」
「降りましょうか」
地上に降りるのではなく、屋根の上に降りた。
「ここからの景色を楽しむには浮遊魔法が必要です。特別な風景を楽しみましょう」
私は周囲を見回した。
高いけれど、飛行していた時よりも低い。
足が屋根についているのもあって安心。
私は怖がることなく、雄大な自然の風景を楽しむことができた。
「湖があります。見ても大丈夫ですか?」
ドキッとした。
「離れているので……」
「今日で水泳の授業は最後です。女子はずっとプールでしたが、午前中は湖で授業を受けました。男子はプールです」
「場所を交代したのですね」
「午後は男子が湖になります。女子はワンピースに着替え、男子のところへいきます。応援することになっています」
「応援?」
「授業で学んだ成果を見るため、勝負をするのです」
なるほど。
「ルクレシアは水が苦手なので、遠くから見ましょうか」
「こっそり見るのですか?」
「良い場所があります」
浮遊魔法がかかった。
「移動します」
ゆっくりと空から降りていく。
「飛んでいかないのですか?」
「目立ちます」
確かに。
「地上に降りたら移動魔法をかけます。早く走れます」
「でも、ヴァン様よりは絶対に遅いです。置いていかれそうです」
「手をつなげばいいだけです」
その通りだった。
手をつないだあと、ヴァン様は魔法をかけ、ものすごい速度で走り出した。
私は手を引っ張られるがまま。
でも、手は痛くない。体が浮いたまま横向きになっている。
風になびく旗になったような気分だった。
「この辺でいいでしょう。もっとよく見えるように魔法を使います」
私の目の前に大きな鏡のようなものが出現した。
「これは水鏡という魔法です」
魔法の鏡に映るのは、上半身が裸の男子たち。ひざ丈のズボンを履いている。
これがこの世界の水着なのね、と思った。
「意外と大丈夫ですね」
「何がでしょうか?」
「男性の体を見ることです」
急に恥ずかしくなった。
赤くなったかどうかはわからないけれど、思わず顔を手で隠してしまった。
「言わないでください! 意識してしまいます!」
「すでに見たあとです。今更では?」
そうだけど。
「普段は服を着ているせいで見えませんからね。ですが、夏は男性の体つきについて勉強するのに丁度良くもあります」
見方を変えればなんでも勉強になりそう。
「一番体を鍛えているのはカーライトです。見てみなさい」
私は顔を覆った手をはずすと水鏡に視線を戻した。
「騎士になるのを目指していると聞きました。確かに体を鍛えていそうです」
「父親がそうなので、息子もそうあるべきだと思われています」
「そうですね」
「次はイアンです。双子なので顔はレアンと同じですが、体つきが違います。服を脱げば、どちらかわかります」
そんな判別方法があるとは!
でも、確かに比べてみるとわかる。
レアンのほうは体を鍛えているという感じがしなかった。
「第二王子はもう少し鍛えてもいいのですが、時間がありません。まあ、問題ないでしょう」
普通に鍛えているように見えるけれど。
「ベルサスは元々が細く、座学が好きなのであまり運動はしません」
「そんな感じがします」
「ですが、レイピアの腕はかなりのものです。強いですよ」
意外。
「体力はありません。他の者に比べるとですが」
「比べるレベルが高そうです。というか、全員泳いでいませんね?」
「午後は船を漕ぐレースをします」
なるほど。
「女子が来ました」
ひざ下ぐらいのワンピースを着た女性たちの姿が見えた。
貴族の女性としては短いけれど、平民の女性にとっては普通の長さ。
「今日は最終日なので、女子を船に乗せます」
「男子は五人、女子は四人です。人数差がありますが?」
「第二王子は乗せません」
「他の四人が女子を乗せるのですね」
「そうです。王子と一緒にボートに乗ったと吹聴されないようにするためです」
「王族の大変さを感じます」
やがて、男子たちが女子の手を取ってボートに乗せた。
紳士だわ……。
ボートを押していき、ある程度水深がある場所まで移動すると男子も乗り込んだ。
「木の棒のようなものを持っています」
「オールです。あれでボートを漕ぎます」
「なんとなくですが、小さいボートですね?」
「二人用です。漕ぎやすいように軽量化されています」
「あれは……競争なのでしょうか?」
思った以上にゆっくりと船が進んでいて、競争しているようには見えない。
「今は準備です。レースのコースを確認しながら、女子を船に乗せる経験を積んでいます。女子は男子と一緒に船に乗ることを体験します」
「あの船で競争するのでしょうか?」
「ボートとカヌーでそれぞれ競争します。女性は岸で観戦です」
「私は水鏡で観戦ですね」
「そうなります。では、誰が一番速いでしょうか?」
「えっ?」
「コースを確認している間に予想しなさい。ボートの一着、カヌーの一着が誰かを」
「カーライト様では?」
一番体を鍛えている。力強く漕ぎそうだった。
「どちらもですか? それとも、船のタイプを指定しますか?」
「どちらもです」
「二着は?」
「イアンです。カーライト様の次に鍛えているのがイアンだとヴァン様が言っていたので」
「三着は?」
「アルード様です」
「予想が当たるか楽しみにしましょう」
そして、レースが始まった。
まずはボート。
「驚きの結果です!」
一着はアルード様だった。
二着はイアン。三着はカーライト様。
「さすが王子です!」
「そうですね」
次はカヌー。やはりアルード様が一着。二着はイアン。三着はレアン。
ボートよりもカヌーのほうが細く軽量なので、カートライト様よりも力がない人でも上位になれることをレアンが証明した。
「なぜあのような順位になったと思いますか?」
「体を鍛えているだけではダメだからです」
「そうです。体を鍛えている者のほうが有利というのはあります。ですが、船を漕ぐには力だけではダメなのです。技能が極めて重要になります。もちろん、頭も使います」
波があるので、水の抵抗を考えて漕ぐ必要がある。
コース取りも重要。できるだけ短距離がいい。
曲がる時の角度や速度に気を付け、大回りにならないようにする。
状況に合わせて考え、自らの技能を適切に行使することが必要だとヴァン様は説明してくれた。
「魔法も同じです。魔力が豊富な者が有利でしょう。ですが、魔力が多いだけでは魔法を使えません。魔法を使う技能が必要です」
その通りだと私は思った。
「ルクレシアは魔力が豊富です。自ら魔力を増やす努力は必要ありません。技能を磨くことに努力しなさい。それから頭を使うことにもね」
「わかります。でも、頭を使うというのが……もう少し具体的な例はないでしょうか?」
「苦手意識を持たないようにするのです。火魔法でなければ使えない、できないと思う必要はありません。他の魔法もすぐにできるかもしれません。どんな魔法でも使えるようになる可能性があるのです。それを信じなさい」
「わかりました」
レースが終わった男子たちを女子が出迎え、拍手と笑顔で讃えていた。
水鏡は見えるだけで音声はない。でも、全員が楽しそうだった。
「とても楽しそうです。良い思い出になりますね」
「そうでしょう。ですが、ルクレシアはあの中に入れません」
私は寂しくなった。
「仕方がありません。水が怖いのですからね」
その通りだという気持ちと、それに反発する気持ちがあった。
水が怖いのはルクレシア・コランダム。私ではないという気持ちが。
「ヴァン様、苦手意識を持たないようにと言いましたよね?」
「そうですね」
「頑張ります! それをこれから証明します!」
私は決意した。




