24 水曜日
水曜日。
王宮へ行くために廊下を早歩きしていると、後ろから名前を呼ばれた。
「ルクレシア!」
アルード様だった。
「何か?」
「話がある。私の馬車に乗れ。行先は同じだ」
「わかりました」
私はアルード様の馬車で王宮に向かうことになった。
「どのようなお話でしょうか?」
「魔導士と会うだろう?」
「そうですね」
「確認しておく。本当に魔法の講義を受けたくて行くのか?」
「そうです」
「他に理由はあるのか?」
「ないです」
きっぱり。
「本当はあの魔導士に会いたいからではないのか? ルクレシアは私の婚約者候補だが、婚約者ではない。他の男性が気になってしまうこともあるだろう」
「ああ……なるほど」
いかに自分が抜けていたのかに気づかされた。
「魔導士に個人的興味があって行くのだと勘違いする人もいそうですね」
「当たり前だ。王宮の魔導士に見初められたい女性は大勢いる」
「私は大丈夫です。アルード様の婚約者候補ですし、私にとってあの魔導士は先生のようなものですから!」
大事なことなので力説した。
「魔導士のほうもわかっています。それで水曜日にしたのでは? 学院の帰りであれば、時間がないので長居することはありません。一時間ほど講義を受けて帰ることを想定しているのだと思います」
「魔導士は忙しい。だというのに、講義をするというのはかなりのことだ。勉強したいのはわかるが、何かあれば遠慮なく断れ。魔導士が怒っても私のほうで話をつける」
「わかりました。ありがとうございます!」
「一応は婚約者候補だからな。それから、来週の水曜日も私の馬車で王宮に行け。どんなことを学んだのか詳しく知りたい」
「もしかして、アルード様も一緒に講義を受けたいのでしょうか?」
「違う!」
アルード様は即答した。
「これ以上、勉強時間を増やしてたまるか!」
どう見ても本音。
もしかして、勉強嫌い?
「帰りは騎士団の馬車になる」
「わかりました。ご配慮いただきありがとうございます」
「どうせすぐ夏休みだ」
アルード様はつぶやいた。
「期末テストもある。講義を受けるとしても数回程度だろう」
「一回でも構いません。魔導士になるために知っておくべきことを教えていただきたいです!」
「ルクレシアは魔導士になりたいのか?」
「そうです」
「本気でそう思っているのか?」
「そうです。才能がないかもしれませんし、能力を向上させることができないかもしれません。でも、まだまだ時間はあります。魔法学院で学びながら、魔導士になる夢に向かって努力してもいいですよね?」
「夢か」
「アルード様の夢は何ですか?」
何気なく聞いただけだった。
なのに、アルード様は黙ったまま。
何かを堪えているような表情だった。
「申し訳ありません。立派な王族になることですよね。当たり前なのに聞いてしまうなんて」
私としては無難な落としどころだと思った。
それで流せると。
なのに。
「違う」
アルード様は否定した。
「それは義務だ。夢ではない」
断固たる口調。それはアルード様の本心から出た言葉であることをあらわしていた。
「私は王子だ。夢を見ている暇はない」
アルード様から漂う空気が重い。
でも、わかる。
私もまた自分の状況に対して重いと感じているから。
考えれば考えるほどたくさんの義務、役目、すべきことがあるような気がする。
もっと楽に、自由になりたいと感じてしまうこともある。
「私だって公爵令嬢です。重い現実だらけですよ? でも、夢を持つことで救われている気がします」
私の夢は幸せになることだった。
素敵な男性を見つけて結婚して子どもを産んで温かい家庭を作る。
学歴はないし、仕事は大変なのにお給料は少ないし、嫌なことがたくさんあるけれど、きっと幸せになれると信じていた。
でも、それはかつての話。
私の望んだ幸せは一人だけでは叶わないことで、相手の男性とその協力が必要だった。
だから、私は彼のためにできる限りのことをしたつもりだった。
いずれ家族になる人だから大事にしたい。私が大事にすれば、相手も私を大事にしてくれると思っていたのに、相手は同じようには思っていなかった。
結婚はできない女性、一時的な相手としか見ていなかった。
思い出すと、悔しくて憎くて苦しくなってしまう。
だから、もうやめる。
全部捨てて、新しい人生を生きていく。
ゲームの世界に転生するとは思っていなかったけれど、私はもう一度スタートラインに立った。
同じ過ちを繰り返さないように生きていこうと心に決めた。
「魔法は特別な力です。この力を自在に使いこなせれば、私は強くなれるし自信だって持てます。公爵令嬢や王子の婚約者候補としてのものではありません。ただ一人の人間としてのです。私は自分のために頑張ります!」
私はアルード様ににっこりと微笑んだ。
「アルード様は王子として幼少より英才教育を受けています。成績は非公表ですが、特別クラスの授業についていくことができる優秀さをお持ちなのはわかっています」
成績が非公表であれば、優秀でなくても誤魔化すことができそうに思える。
でも、実践的な授業では無理。
特に魔法は。
アルード様が本当に優秀な方なのは明らか
「私が魔法を得意としていることはご存じですよね? 負けません。アルード様は隠れライバルですから!」
アルード様はため息をついた。
「意味がない。属性が違う」
「いずれはそうですけれど、今は関係ありません。属性に関係ない魔法を習っていますし、初級程度であれば属性の影響を非常に受けにくいです」
「理論上ではそうだが、実際にはかなりの影響がある。ルクレシアは水魔法が使えるのか?」
「全く使えません」
「その上、水が嫌いだろう?」
水が嫌い?
そんなことはない。水は好きとも言いにくいけれど、嫌いではない。
なのに、なぜ、そんなことを言うのだろうかと不思議に思った。
「別に嫌いではないですよ?」
「嘘を言うな」
「嘘ではありません。毎日、水をゴクゴク飲んでいますよ?」
アルード様は呆れるような表情になった。
「お前は……魔法学院に入学してから変わったのはわかる。変わりたい気持ちが強いことも。だが、やせ我慢は禁物だ。嘘をつくとレベッカのように痛い目に合う。覚えておけ」
「わかりました。覚えておきます」
そこで会話が止まった。
アルード様が口を発したのは、馬車が王宮に着いて止まった時だった。
「念のために言っておく。あの魔導士は水魔法も使う。火魔法とは相性が悪い。好きになっても無駄だ」
「大丈夫です。そういった感情は全くありません!」
「優しい態度や甘い言葉であっても、愛情はない。相手の反応を見たいだけだ。本気にするな」
アルード様はそう言うと内鍵を開けた。
ドアが開く。
アルード様のあとに降りたけれど、アルード様は一人でさっさと行ってしまった。
「以前アルード様に同行した魔導士と面会することになっています。どこに行けば会えるでしょうか?」
「そのことについては聞いております。ご案内いたします」
侍従がそういってくれたので、王宮内で迷子にならずに済んだ。
そして、案内されたのは豪華な応接間。
待つことしばし。
突然、窓が開いた。
驚いて顔を向けると、外に魔導士がいた。
「来ましたね」
「本日はよろしくお願いいたします」
魔導士は浮遊魔法をかけているのか、窓から飛んで入るとソファの前に着地。
何事もなかったかのようにソファに座った
「緊張していそうですね? 起立しませんでした」
「申し訳ありません。突然窓が開いたことに驚いてしまって……体が動きませんでした」
「この程度は常識です。慣れなさい」
魔導士の講義では、風魔法の使い手の常識を教わることになりそうだった。




