102 縛られないで
火曜日は学院の都合で午後の授業が早く終わった。
そこで私はネイサンの馬車に乗り、ゼイスレード侯爵家の練習塔で魔法を教えることになった。
「コランダムよりも大きいわね」
びっくりするほど巨大な練習塔だった。
「地上五階地下五階分だ」
「浮遊魔法でないと、階段を上り下りするだけで時間がかかりそう」
ネイサンは浮遊魔法も移動魔法も使えるので、練習塔の底に降りるのも簡単とのこと。
それを聞くと私よりも優秀そうなのに、なぜか火魔法はイマイチだと聞いて驚くしかない。
「俺の母親は風の系譜だ。子どもの頃から浮遊魔法や移動魔法が使えたが、火魔法は得意じゃない。だが、ゼイスレード侯爵家は火の家系だ。火魔法を習うしかない」
貴族は重要な決定を当主が行う。
ゼイスレード侯爵家は火の系譜なだけに、ネイサンに風魔法の才能があるとしても火魔法の才能を開花させるための勉強させているのだろうと思った。
「それで、どうすればいい?」
「とりあえず、初級魔法をいくつか使ってみて」
ネイサンは初級魔法を使った。
普通にできる。
「一年生の時も特級じゃなかったわよね?」
「座学が悪かった」
納得。
「このままだと特級クラスになれないまま卒業することになりそうだ。兄も姉も特級クラスだった。一回だけでもいい。特級クラスになりたい」
「二学期はチャンスがあるかもしれないわ。魔法陣のテストがあるでしょう?」
「そうだが、魔法陣以外のテストもある。結局、火魔法の実践がよくないと無理だ。魔法陣だけでは特級にはなれない。魔法陣よりも魔法を直接使う能力のほうが重要だ」
「中級を使って見て」
ネイサンは中級魔法を使った。
「どうして?」
私は驚くしかない。
ネイサンの魔法陣であらわれた魔法は荒々しく激しい炎が燃え盛っていて、とても立派に見えた。
それこそ英雄を輩出しているゼイスレード侯爵家の者だと言うように。
だけど、直接使ったほうの魔法は全然威力がない。
「魔法陣とは全然違うわね」
「それで困っている。どうすればいい?」
私は考え込んだ。
「魔法の発動は問題なさそうだったわ。問題があるとすればイメージか呪文のほうね」
「どちらもしっかりとしているつもりでいる」
「もう一回呪文を唱えてみて」
ネイサンが呪文を唱える。
「呪文に迫力がないわね?」
「呪文に迫力なんているのか?」
「必要だと思うわ。だって、誰もが同じ声ではないし、アクセントもイントネーションも違うでしょう?」
「そうだな」
「ネイサンは……火魔法よりも風魔法のほうが得意で自分に向いていると思っていない?」
「思っている」
やっぱり。
「風魔法を使えるなら使ってみて」
ネイサンは中級の風魔法を使った。
「火属性ではなく風属性を選択したほうが良さそうな気がするわ」
「俺もそう思う。だが、できない。ゼイスレードは火の系譜だ。火魔法の使い手を育てなくてはいけない」
「もったいないわ。せっかく風の才能があるのに」
「俺もそう思う。独学でこれだけできるのは才能がある証拠だ。だが、火属性以外の選択は許されない」
ネイサンはため息をついた。
「魔法学院を卒業したら騎士団に入る。そこで風魔法の実力を磨こうと思っている」
騎士団に入る時は成人している。騎士団の寮に入れるので、家の干渉を受けることなく風魔法を磨くことができる。
わかってしまうからこそ、私は悲しかった。
「わかるわ。だけど、複属性の使い手は便利よ。風魔法を使える騎士はたくさんいるでしょうし、火魔法も使えるほうがいいと思うわ」
「俺もそう思う。だからこそ、火魔法も勉強している」
「魔力量は……多そうね」
「多いと思う」
「だったら、魔力量を伸ばす努力は必要ないし、技能だけね」
「そうだな」
「私に魔法を教えてくれる人が言っていたの。人間には全ての属性の魔法を使える可能性があるって」
「夢物語だ」
「そう思う人がいるのは当然よ。だって、一つの属性の魔法しか使えない人が一番多いでしょうから。でも、私やネイサンのように火と風を使える人だっている。王宮には複数の属性の使い手が普通にいるって聞いたし、反属性の魔法を使える人もいるそうよ」
「才能がある者だけだ。全員ではない」
「ネイサンにも才能があるわ。火魔法だけしか使えない人も、上級クラスになれない人もたくさんいるでしょう? ネイサンは風魔法のほうが得意なのに、火魔法であっても上級クラスのレベルなの。すごいことだわ」
「下を見ればいくらでもいるのはわかっている。だが、俺が見ているのは上だ。兄や姉と比べられる。ゼイスレードで俺が一番下だ」
「まだまだこれからよ。苦手意識を持ったらダメ。火も風も向上していけるわ。可能性を否定しないで。まだ若いでしょう? 諦めるのはもっと先でいいわ」
「若くなんてない! 来年には成人する! それまでになんとかするしかない!」
ネイサンは自分で自分を追い詰めているような気がした。
「実を言うと私、移動魔法を練習しているのよ。だけど、全然ダメなの。コランダム公爵家の長女なのに使えないのよ?」
「コランダムは火の系譜だ。使えなくてもおかしくない。むしろ、浮遊魔法が使えるのはすごい」
「皆、そう言ってくれるわ。だけど、浮遊魔法が使えるなら移動魔法だって使えるって思うのが普通じゃない?」
ネイサンは無言。
それは肯定と同じだった。
「私も浮遊魔法が使えるまではそう思っていたわ。浮遊魔法が使える人は移動魔法も使えるって。だけど、実際は違うとわかったのよ。風魔法が得意な人が両方使えるせいで、そう思っているだけ。他の属性の人が両方を習得するのはとても大変だってことが身に染みたわ」
私はネイサンの手を取った。
「大丈夫。ネイサンにはとても大きな才能があるわ。それはネイサンが描いた魔法陣を見ればわかることよ。魔法陣であれほどの炎を出せるのよ? 実際にはもっとすごい炎を出せるわ!」
「出せない」
「出せないって思っているから出せないのよ! 自分を信じて。魔法陣の炎を越える炎を作り出せるって」
「無理だ」
「私が証明するわ。ネイサン、大きな火を出して。自分にできる最大の火をね」
訝し気な表情をしながら、ネイサンは呪文を唱える。
あらわれたのは中級魔法の火。
だけど、弱い。
「この程度だ」
「維持して」
私は自らの魔力に集中する。
そして、風魔法を使った。
それはネイサンの炎を支える風。
風にあおられた炎はどんどん大きくなり、高さを増していく。
「もっと! 天井まで!」
私は必死に風を維持するけれど、全然足りない。
もっと大きくて強い風が必要だった。
すると、隣にいたネイサンが風魔法を唱えた。
力強い風が炎を上昇させていく。
あっという間に天井に届きそうな巨大な炎になった。
「ネイサン、これが貴方の真の実力よ。火魔法なんてただの種火。それを大きくする能力があればいい。風魔法を使えば火を大きくできるわ」
「わかる。だが、これはズルだ。テストでは使えない」
「そうね。でも、魔物討伐では使えるわ」
ネイサンはハッとした。
「魔法学院で学ぶことはとても大事だと思うわ。だけど、本当に重要なのは卒業したあとの人生よ」
学院で学んだこと、それ以外で学んだことを自分の力に変えていければいい。
「特級クラスになれなくても、ネイサンは優秀な騎士になれるわ。ただの通過点なんて気にしなくていいのよ。複属性使いの魔導士を目指すことだってできるわ。自由よ。成人してしまえばこっちのものだわ。そうでしょう?」
「そうだな」
ネイサンの表情がやわらかいそれに変わる。
「俺は……自分で自分を縛り付けていたのかもしれない。特級クラスになることなんて些細なことだ。卒業して立派な騎士になればいい。王太子殿下は複属性使いを優遇している。重用されるかもしれない」
そうなのねと思ったけれど、アレクサンダー様のことを思うと納得でもある。
「ねえ、競争しない?」
「競争?」
「火魔法と風魔法の両方を使ってどっちが高い炎を出せるのかを」
「わかった」
私とネイサンは火魔法を唱えた。
そのサイズを比較すると、私のほうが全然大きい。
だけど、風魔法はネイサンほうが全然上。
風魔法によってあっという間に私よりも大きな炎にした。
私も一生懸命風を起こすけれど、煽り負けてしまった。
「火魔法だけなら負けないけれど、火と風の勝負では負けてしまったわ」
「ルクレシアのおかげだ」
ネイサンが私を見つめた。
「俺に自信を持たせるためだろう?」
「違うわ。私の実力がどの程度か知りたかったのよ。いくら火魔法が得意でも、風魔法で煽る技術がある人に負けてしまう。負けないだけの技能がほしいわ。火魔法も風魔法もね」
「両方なのか」
「当たり前でしょう? どちらか一つだけに絞ったら、複属性使いになれないわ」
「そうだな」
「ネイサン、自分の魔法陣で発動させる魔法を見て練習しなさいよ。自分の魔法に負けるなんてかっこ悪いわ。自分に打ち勝つ者こそ強くなれるのよ」
「そうする。さすがに自分の魔法陣に負けるようでは情けない。同等程度にはなりたい」
「低い目標もよくないわ。どうせ叶うかどうかわからないのであれば、大きな野望を持ちなさいよ!」
「野望なのか」
「そうよ。兄と姉を見返してやりなさいよ! 火では負けても風があるなら負けないってね!」
「そうだな。そうする。俺は複属性使いになる」
ネイサンは自分がなりたい自分を見つけた。
「応援しているわ」
「俺もルクレシアを応援する」
コランダム公爵令嬢とは言わない。
それはネイサンが私を信頼してくれた証だった。




