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Binaco  作者: 水瀬いちか
9/20

9 裏切り者

 翌朝、俺は珍しく一番に目が覚めた。

 ――ルイ、ヴァロア、ロマーノの事、昨日の老いぼれの事、リノの事、気になることが沢山ある。特に三人の事は、長く引きずりたくはない問題だ。

「……ヴァロアだったら、何か話してくれるかな」

 今日こそは、ヴァロアと二人の時間を取って、昨日の態度の真意を聞こう。

「おはようございます」

――その時、早朝にも関わらず、黒服の男達が部屋に入ってきた。

男達の足音で、眠っていた皆も目を覚ます。

「こんな朝っぱらから、何の用だ……」

「本日の奉仕活動についてです。――現在、回収の結果が良好な為、Colpevoleの全体数が5%を下回っています。本日の奉仕においては、ModelloへのID操作を許可します」

「ID操作……」

「各二名ずつ、参加形式をID操作か回収か、よく話し合って登録してください。話は以上になります」

「――ちょっと待て! ID操作の説明を受けていない!」

「……説明でしたら、前回申し上げたはずです。あなた方が裁けばいいと……」

「そうじゃない! あのブレスレットを使えば、自動的にIDが操作されるのか……?」

 ――こんな聞き方じゃ、すっかりこの異常な組織に染まってしまったみたいだ。

……悉く、醜い自分が嫌になる。

「使い方の説明ですね。あなた方に配布したブレスレットは、特殊なプラス光波を組み込んでいます。まずは、操作対象のブレスレットより情報を抜き取り、その情報からIDを操作するか返却するかはあなた方の判断にお任せします。罪人に値すると判断した場合、その情報をメインPCへ転送してください。こちらで自動的にIDを操作し、情報を返却します。そして、返却されたIDを、持ち主のIDブレスに転送する、それだけの作業です。全ての作業が問題なく終了すると、あなた方へ成功ポイントが加算されます。――もちろん、全ての作業は誰にも気付かれないように行う事。また、特殊光波を使用できるのは、一回につき一分以内です。それ以上の使用は、認証カメラが同系統のプラス光波に反応して錯綜状態になる為、その行為を禁止しています。時間内に終了しなかった場合、ペナルティが課せられますので注意するように」

 ――ダメだ……。

朝っぱらからこんな話されても、脳がついていかない。

「説明は以上になります。各自よく話し合って、ID登録を行うように」

「各二名って……リノは?」

「リノ・パルヴィスは参加メンバーではないと、前回も説明したはずです。――加えて、彼はID操作を行った事がありません。連れて行く必要はないと、上から指示を受けていますので」

「……した事がない?」

「はい。彼は、模範生のID操作を嫌がり、回収に徹してきましたので」

 男は淡々と用件のみを伝え、部下達を引き連れて部屋を去って行った。――まるで、上から指示された事だけを伝える、造られた機械のようだ。

「参加メンバーじゃない……」

 ――更に気がかりな事が増えてしまった。 確かに、ここ数日で稼いできたポイントは、リノには加算されていない。

一緒に出るって言ったって、リノにポイントが付かないんじゃ話にならない。

これも、一度ヴァロアに相談してみるか……。

「ごめん、俺寝ぼけてて……。全然話聞いてなかった。ゼノ、分かった?」

 ルイは、重そうな瞼を擦りながら、俺の言を見た。

「いや、あんまり……」

「俺も、何の事だかさっぱりだ……」

 ロマーノも、ルイの後に続く。

「俺は、一応は理解できた。……参加形態だが、ID操作が俺とゼノン、回収がロマーノとルイ、……でいいだろうか? まだゼノンに無理させたくない」

 ルイとロマーノは、顔を見合わせ、げっという顔をしていたが……未だ包帯を巻いている俺の足を見て、ヴァロアの意見に同意した。

「……ごめん。いつまでも気使わせて。足なら、もう大丈夫だ。普通に歩けるし!」

「いや、話したい事もあるんだ。出来れば一緒に行動したい」

 俺は、ヴァロアの目が、一瞬ルイを捕えたのを見逃さなかった。

「……俺も。話したい事がある」

「あー、何それ。二人で俺の話とかはよしてよね」

「ルイっ……」

 ――動揺を隠せず、声が上ずってしまう。

 ルイは、冗談っぽく笑っているが、自分の話だという事を分かっている様子だ。

「まさか……。ルイが心配するような話ではないさ。安心してくれ」

「……」

 いつもなら冷やかすはずのロマーノは、俺達のやりとりを聞きながら険しい顔をしている。

「……」

――正直俺は、二人の態度に腹を立てていた。何があったかは知らないけど、ここまで態度に出すと、ルイが気にするのも当然だ。 だが、まずは話を聞かないと、ルイを擁護してやる事も出来ない。


それから奉仕の合図までの数時間、部屋には気まずい空気が流れたままだった。

ルイは相変わらずパズルに専念しているし、ヴァロアとロマーノは、そんなルイを監視するような目で見ている。

俺も、ルイの事が気になって、何度もルイの様子を確認していたのだが……。

そんな視線に気付いたのか、ルイは振り返り、笑顔で俺に手招きをした。

「……何?」

「俺の気持ちー」

 ルイの手元を見ると、パズルの切れ端で文字を作っている。

「L・O・V・E……」

「どう?」

 ――ルイは、嬉しそうに俺の顔を覗き込む。

「……いらね」

「ああ……! せっかく並べたのに!」

「何かと思えば……」

 ――正直、いつも通りのルイで安心していた。

「ねぇゼノ、膝貸してよ」

「え?」

 ルイは、俺の答えを待たず、俺の膝の上に横たわった。――正面にいるロマーノが、ぎょっとした顔で俺達を見る。

「固い……」

「筋肉だよ」

「俺の為にお肉つけてよ」

「肉かぁ……! 二番区のソーセージ食いてーなー!」

 ――あの味を思い出すだけで、唾液溢れ出してくる。ここでは、毎日パサパサの味気ないバゲットしか食べていない。

「それはダメ。俺が料理作ってあげる」

「それはもっとダメだろ、ルイの料理とか未知の領域だし」

「そんな事ないよ。料理もパズルと一緒、分量とタイミングを叩き込めば、本通りの物が作れるよ」

「……やっぱ頂こうかな」

「ゼノの為なら、何でも作ってあげるよ」

「はは……期待してるよ」

 その時、ルイが俺の頬に手を当て、物悲しそうな目で質問した。

「ねぇ、ゼノは……俺の事好き?」

「は……っ?」

「好き? 嫌い?」

「い、いや……、嫌いじゃねーけど……」

 ――真面目な顔で、何て事聞くんだ!

「あ、その答え方。女の子だったら泣いてるよー?」

「……何なんだよ、お前。……どうした?」

「ゼノも、俺の事嫌いになったのかと思って」

「……どういう意味?」

「白々しい態度取ってる」

「そっ……そんな事ねーだろ」

 ――ルイは、真剣な顔で俺の目をじっと見つめ、やがてニッコリ笑った。

「そう? それならいーんだけど」

「うん……」

「……疑わないでね、俺の事」

「え?」

「俺は、探さなきゃいけないからさ」

「何の話?」

「……パズルの話。……見つかったらちゃんと見せるから、それまでは疑わないで」

「……パズルの話なんだよな?」

「そうだよ? 他に何かある?」

「いや……」

 やっぱり、何処か様子が変だ。

パズルの話にしては、話の内容がどうもチグハグで…噛み合わない。

「あのさ、ルイ……」

「ルイ! いつまで甘えてやがる! 固いなら俺が変わってやる! いい感じに筋肉が落ちてきて最高の寝心地だぜ!」

 ――ところが、俺達の様子をじっと見ていたロマーノが、強引に割って入ってきた。

「……いいよ。おじさんの膝で眠る趣味は無い。ゼノがいいのー」

 ルイは、ゴロゴロと俺の膝の上で寝転がる。

「おじっ……! てめぇ……、まだ二十六の俺を捕まえて、おじさんってどういう事だ!」

 ――話を聞いていたヴァロアも、笑いながら入ってきた。

「おじさんで悪かったよ、ルイ」

「ヴァロアはいいんだよ。頼れるお兄さんって感じだから」

「じゃあ俺は何なんだよ!」

「……ネジの外れたおじさん。ゼノンゼノンって、煩くて仕方ないよ」

「なっ……!」

「ははっ、よく言ったルイ!」

「ゼノン!」

 少し、雰囲気良くなったか……? 

――ルイがロマーノに憎まれ口を叩き、そんな二人をヴァロアが仲裁する。

……いつも通りだ。

だが、どこかお互いを探り合っている違和感は、完全には抜けないままだった。


それからしばらくして、奉仕の開始を知らせる警報音が鳴り響いた。

俺達は、午前中に話した通りの組み合わせでID登録をし、奉仕へ向かった。

ID操作の俺とヴァロアが降ろされた場所は、旧市街地の十四番区。――IDブレスに通信が入るまでの間に、ID操作を行うようにと告げられた。

「……旧市街地か。裏道以外をちゃんと通るのは、初めてだ」

「裏道?」

 俺達は、あてもなく歩きながら話をした。

「ああ。二番区から十五番区に行く時は、最速で到着できる裏道を使うんだ。俺達罪人は、バス使えねーからさ……。昔、ロマーノに教えてもらったよ」

「ロマーノとは、古い付き合いなのか?」

「そうだな。俺が二番区で暮らすようになってからだから、もう十年の付き合いだ。――初めは右も左も分からねー状態でさ。二番区で生きていく術は、ほとんどロマーノから教わったよ」

 ――もう十年の付き合いか……懐かしいな。

小等教育の途中でC落ちした俺は、普通の人達に比べて一般教養は低いが、上手く生きていく術は全てロマーノから教えて貰った。

「……そうだったのか。――でも、意外だな」

「何が?」

「ゼノンは、仲間を作らず一人で生きていくように見えるが。ロマーノは特別なのか?」

「特別……かな。――でも、本当はそれが一番いいと思ってる」

「それが、とは――?」

「一人で生きていく事だ。……ロマーノは、俺の為なら命も捨てようって思ってる。ここへ乗り込んできた事もそうだ。――十年前、右も左も分からない幼い俺を拾った時から、変な使命感を持っちまってるんだ。そのせいで、ロマーノは何でも俺を最優先する。口を開けば『守ってやる』しか言わねー……」

「拾った……?」

「……ああ。前も話したろ? 父さんが死んで、あても無く十五番区を彷徨った後、いろいろあって二番区へ辿り着いたんだ。雨の中、ガクガク震えてた俺を拾ったのが、ロマーノだ」

 ――あの時、ロマーノが俺を拾ってくれていなければ、俺は確実に生きていない。

「そうだったのか……。ロマーノは、ゼノンの事が可愛くて仕方ないんだろう」

「もうそんな年じゃない。充分一人で生きていける。……それなのに、ロマーノはいつまでも俺から離れようとしない。ロマーノは、とっくに模範生に戻れてるはずなんだ……。それなのに、出来が悪い俺に合わせて、罪人のままでいようとする。……それに気付いてからは、ロマーノの事を素直に受け入れなれなくて、突き放しちまう……」

 ――自分の為の人生を生きて欲しい。

ロマーノの優しさに気付いてからの数年は、この感情が増すばかりだった。

「ロマーノにとっては、いつまでも心配な弟なんだよ。親や兄貴なんてものは、いつまでたっても子離れ兄弟離れ出来ないものさ。それと同じじゃないか? ……だが、ゼノンの気持ちも、ちゃんと伝えればいい。きっと分かってくれるさ。ゼノンが自分の事を考えてくれてると知って、ロマーノも喜ぶだろう」

「……だから、俺は何としても儀礼祭に出たい。父さんが楽しみにしてたからっていうのもあるけど、ロマーノを解放してやりたいんだ。俺が成人ナンバーを貰えば、きっとロマーノも少しは安心すると思うんだ」

 ヴァロアは、そんな俺を見て、優しい顔で微笑んだ。

「昨日……ルイと何かあった?」

「……何か、とは?」

 ヴァロアも、真剣な表情に変わる。

「昨日帰ってきてから、明らかに様子がおかしかった。特にヴァロアとロマーノ……。ルイを監視するような態度取ってたろ? あれじゃ、ルイが可哀想だ。……俺だって、三人の違和感に気付いてるんだ。ルイだって、絶対に気付いてる」

「……ゼノンが話したかった事は、ルイの事か?」

「……ああ」

「そうか。それなら、丁度いい。――俺も、ルイの事で話したいことがあったんだ」

「やっぱり、昨日何かあったのか?」

 ヴァロアは、思い詰めたような顔で切り出した。

「……ああ。――実は昨日、回収対象者を見つけ出すまでに随分てこずってな。時間がかかった分、緊張が続いたんだろう……。ルイは、相当まいってたよ。肝心な回収は、俺とロマーノが、ルイには後方で見張り役をしてもらった。――だがその時……前方から、他のグループの奴等が襲ってきたんだ」

「他のグループの……? 回収対象者は、各ルームに割り振られるって言ってたよな?」

「だが、他のグループの対象者を狙ってはいけないルールは無い。……恐らく、ポイント狙いで襲ってきたんだろう」

 ――失敗するだとか、人に見られるだとか以外に、そんな危険もあるなんて全く考えていなかった。

「――だが、幸い奴等が脅してきたのはナイフだ。弾を放たれたわけではない」

「それで……?」

「対象者を前に、大きく動くわけにもいかない。俺達も、奴等も、両者睨み合いの状態だったよ。……第一、すぐ傍には認証カメラが設置してあった。それを、お互い分かっていたからな」

「うん……」

 ヴァロアは、真剣な目で俺を見つめたまま、大きな溜息を吐いて話を続けた。

「はぁ……。俺も、認めたくはない。――だがな……、撃たれたんだ。……弾は、丁度ルイが隠れていた場所からだった」

「え……?」

「俺達は、ルイに何かあったんじゃないかと思った。……だが、振り返った時、俺達に銃を向けて立っていたのは、……ルイだった」

「ルイ、が……?」

 ――ルイが、仲間に向けて銃を……?

一体、何の為にそんな事をする必要がある。

「ああ……。その音で、対象者が騒ぎ出してな。奴等もヤバイと思ったのか、散り散りに逃げて行ったよ。――ルイも、一緒にだ……」

「そんなっ……」

 ――ルイが他のグループの人間と……?

「ロマーノはその場に残って、俺はルイの後を追った。――だが、ルイを見付ける事は出来なかったよ。俺がロマーノの元へ戻った時は、既にロマーノが回収した後だった」

「それで……?」

 俺は、ヴァロアの話の中に、少しでも矛盾している点を探そうと必死だった。

ルイが二人に向けて銃を撃つ……? 

そんな事、考えられない。

……何かの間違いであって欲しい。

「……その後、奴等が逃げて行った方向から、ルイが一人で戻ってきた」

「……ルイは何て?」

「何も喋らないんだ。……もちろん、俺達も何かの間違いだと思ったよ。敵を狙おうとして誤射してしまったのか……、とか。――でも、ルイは何一つ弁解しようとしなかった。それどころか、目を合わそうとすらしないんだ。それから、やっとルイが口を開いたのは、ゼノンに言った『ただいま』が最初だ」

「……でも! 誤射っていう可能性もあるだろ! 申し訳ない事したって思って、上手く喋れなかったのかもしれねーじゃねーか! あいつ、生意気な事ばっか言ってるけど、肝心な所では口下手そうだし!」

「誤射……の割には、しっかり狙っていたよ。ロマーノのズボンに付いていた血……。あれは対象者の血じゃない。ルイに撃たれた時の血だよ」

「そんなっ……! そんな事、ロマーノは一言も――」

「――ゼノンには言わないでくれ、だそうだ。治療は受けたって言っても、普通に立っているだけでも精一杯なはずだ」

「でも、そんな風には見えなかったのに……」

「……ゼノン。俺達も、ルイの口から何も聞いていないのに、あんな態度を取って悪かった……。だが、蟠りを残したまま、今まで通りという訳にもいかない。……俺達は仲間だ。最初の夜に、そう誓ったよな? 仲間を撃つなんて事は、言語道断だ。――ルイの真意を聞きたいとは思っているんだが、ルイはゼノンにベッタリだ。ロマーノの怪我に関しても、口止めされている。……それで、無理矢理ゼノンとの時間を取ったんだ。……ちゃんと話が出来なくて、すまなかったよ」

「そんな……っ」

 ――俺は、ヴァロアの言った事を整理する事が精一杯で、何も返すことが出来なかった。

 ルイの擁護をしてやるつもりが、ヴァロアの話した内容に矛盾点は何一つ無く、俺自身、ルイの言動を理解できないでいる。

……だけど――

『……ゼノは、信じててね。俺の事……』

 ――俺はどうしたい? 何を信じればいい?

「俺は……」

 ――こういう時、一番に信じてきたものはいつだって、……自分の目で見たものだ。

疑う事は、それからだって出来る。

「……ヴァロア。俺達は仲間だって誓った夜、ヴァロアが言ったよな? 『人間なんてものは、疑おうと思えばいくらでも疑える。信じ合うことが、一番難しい』……って。……俺は、ヴァロアの言った事を信じてる。ヴァロア達が見たものが、真実なのかもしれない。……だけど、ヴァロア達の事を信じるのと同じように、ルイの事も信じていたい」

「……だが、ゼノン」

「矛盾している事は分かってるんだ。……だけど、俺の目で見たわけじゃない。誰も、ルイの話を聞いていない。俺まで疑ったら、ルイは本当に孤立してしまう……」

「ゼノン……」

「……あいつ、まだ十八だろ? ヴァロアやロマーノのように大人じゃない。そのくせ、俺みたいに思った事を全部口にするわけでもない」

『……疑わないでね、俺の事』

 ――ルイの切実に訴える目が、頭から離れなかった。

「そりゃ、ルイの全部を分かってるわけではないけど……。でも、器用に人を騙せるようなやつじゃないと思うんだ。――だから……」

「だから……?」

「――だから、時間が欲しい」

「どうするつもりだ?」

「タイミングをみて、ルイと話がしたい。……気になる事もあるんだ。それまでの間は、ルイが裏切ったとは決めないで欲しい」

こんな大口を叩いて、もしルイがあっさり認めたら、俺はどう責任取るつもりだろう。 ――『……誰の手でも掴むと、後で後悔するかもしんねーぞ』。

……そうルイに釘を刺したのは、俺自身なのに……。

「……負けたよ、ゼノン。――ああ、その通りだ。自分の言った言葉を、忘れかけてたよ。あの夜、俺達を束ねてくれたのは、ルイだったな……。――大丈夫だ。ロマーノだって、昨日の一件があっても、ルイとの奉仕を受け入れたんだ。きっとロマーノも、間違いであって欲しいと思ってる。……俺だってそうだ」

「……そうだ、足! ロマーノ、大丈夫なのか?」

 ――昨日と今日の様子では、全く辛そうに見えなかった。

「それは正直……、心配だ。昨日、戻るまでは支えてやらないと歩けない程だったのに、戻ってからはそんな様子はこれっぽっちも見せない。ゼノンの前だから隠そうとしているが、そんな軽い傷ではないはずだ」

――くそっ、ロマーノのやつ! 

何でそんな大事な事まで隠そうとするんだ。 怪我してる時くらい、弱った所見せたっていいじゃないか……。

「さぁゼノン。二人に回収に向かわせておいて、お喋りばっかりはしていられない。俺達も――」

だがその時、俺達のブレスレットが同時に鳴り始めた。

━奉仕は終了です。戻ってください━

「そんなっ、まだ何も……!」

━終了です。速やかに戻りなさい━

「でも……」

「……戻ろう、ゼノン」

「……うん」

 ――結局、俺達は何も出来なかった。

話をしながら随分歩いたのに、奉仕に関する事は何もしていない。

車へ戻る途中、俺は、このまま手ぶらで帰る事への罪悪感で苛まれていた。

――ロマーノは、痛めた足で回収へ向かっている。それも、いろいろ思う事があるであろうルイと……。

ルイだって、自分が疑われている立場だって事を分かりつつ、回収側に回ったのに……。 俺達は、ただ喋って歩き回っただけだ……。

「ゼノン、どうした?」

「いや……、会わす顔がねーなって……」

 ――罪悪感……。

模範生を罪人に引きずり落とす事が出来なかったから、罪悪感を感じるのか? 自分達のポイントを稼ぐことが出来なかったから?

俺は、行き交う人達を横目に見ながら、昨日の老いぼれの言葉を思い出していた。

――『皮肉なもんだと思わんか? 善を訴え、手を汚さんとする者は一生地獄の中だ。……逆に、己の命を選び、悪行を働いた者は日の目を見る』……。

「……すっかり染まっちまったな」

「――え?」

「ID操作なんて、一人の人生を狂わそうとしてるのに、出来なっかた方がいいのに、何もしなかった事に罪悪感とか感じちまってる」

「……」

「あいつの言った通り、人間は性悪なものなのかな。自分の命と他人の命を天秤にかけて、俺が迷わず選んでいるのは、自分の命だ……」

「……ゼノンだけじゃないさ。――俺だって、多分、ルイもロマーノも、同じ事を思ってるよ。――リノも、そうやって自分を責め続けてきたかもしれない」

「……」

 ――それでも、自分の醜さが憎い……。

この弱さのせいで、誰かの人生を狂わせる。

「ゼノン、そんな顔はよしてくれ。――誓っただろ? 生きてここから出て、互いの成したい事をしようって。……ほら、もう着く。そんな顔で、ロマーノ達に会うつもりか?」

「……分かってる」

 ――結局俺達は、ポイント0のまま、戻る事になった。

……二人の方は、どうだったんだろう。ロマーノの足の状態も気になる。

「……ただいま」

 俺は、重たい気持ちのまま扉を開けた。

「悪い、俺達……」

「ロマーノ……!」

「え……?」

 ヴァロアの声で、とっさにロマーノを見ると、肩から血を流し、床にへたり込んでいるロマーノがいた。

「おいっ、ロマーノ! どうしたんだよ!」

「……っ」

「……ルイ。一体何があった」

 ルイは、ロマーノの横に突っ立たまま、俺達と目を合わそうとしない。

「ロマーノ、この傷……。ナイフ……?」

「……」

「誰に刺された……?」

「……」

「何で何も言わないんだよ! お前の口から説明してくれないと、分かんねーだろ!」

「――ルイ、説明してくれ。一緒に居たルイなら、分かるはずだ」

 ヴァロアは、険しい顔でルイに要求した。

――口にはしていないが、ヴァロアが考えている事は分かる。昨日の今日で、またしてもロマーノが傷を負った。それも、ルイと一緒の奉仕の時に。

……状況から考えて、行きつく先は一つしかない。

「……」

「ルイ、黙り込むのはよしてくれ。大事な事だ。――仲間が傷付けられたんだ、黙って無かった事には出来ない」

「俺は……」

「――俺は?」

「……」

 ルイは、再び俯いて黙りこくってしまう。

「くそっ……!」

「――ゼノン、落ち着け」

「何で黙るんだよ! 無関係なら、一言そう言えばいいじゃねーか!」

「……」

ルイが何も言わないなら、何か絶対的な裏付けさえ見つければ――

「……ルイ、今日は何を持って行った? 銃か? ナイフか?」

 ルイが初めて武器を見付けた時、銃にしか目がいってなかった。

「銃だよな……? ナイフなんて、確認した時になかったろ? 不可能だよな? 銃であの傷はつけられない、そうだろ?」

「……」

「……ルイ、服脱いで」

「……っ!」

「――ゼノン!」

 俺は、どうしても確かめたい。どうしても、拭い去りたい。

その気持ちばかりが焦って、呆然と立ち尽くすルイを壁に押し付けていた。

「ゼノ……ッ!」

「脱げっ!」

「ゼノ、やめて……!」

「おいゼノン! 落ち着け!」

「どうして拒否するんだよ! 見せて、それで終わりじゃねーか!」

「痛いよっ……、ゼノ……」

「いいから脱げ! 見せろ!」

「嫌……だっ!」

「ゼノン! ちょっと冷静になれ! 自分の言った事を忘れたか!」

「でもっ――」

 ヴァロアが俺を引き離したと同時に、ルイの上着が肩からずり落ち、床に落ちた。

「カランって……、この音……」

「……」

 俺は、恐る恐るルイの上着に手を伸ばす。 ――細長い嫌な感触に、心臓が跳ね上がる。

「銃じゃ、ない……」

「それは、シースナイフか……」

 ――嘘だろ……。

どうして今日に限って、ナイフを……?

ルイは、呆然とナイフを握りしめる俺の手からナイフを奪い、鞘を投げ捨てた。

――握られたナイフの刃先は、真っ直ぐ俺達に向けられている。

「そうだよ。俺はナイフを持って行った。そして、ロマーノは誰かに切りつけられた。……その先は、何だと思う?」

「ルイ……、お前……」

「やっぱり疑うんだね」

「違っ――!」

「違わないよ。そんな強張った顔で俺の事見てさ、疑ってないって言うの? 二人とも、俺の事が怖いって顔に書いてあるよ」

「違うんだ! ロマーノの傷に関して、ルイは何か知ってるのか知らないのか……ただその一言が聞きたいだけだ!」

「それと、このナイフを使ったか使ってないか?」

「ルイ……」

「使ったよ」

「……っ!」

「でも、ロマーノにじゃない」

「じゃあ……誰に?」

「……ドッペルゲンガー」

「え……?」

 ルイは、物悲しそうな顔で俺達を見て、やがて、ニッコリ笑った。

……この顔、前にも一度……。

「やーめた。さすがに、ドッベルゲンガーはないよね。自分でも、説得力無さすぎって思ったし」

「ルイ……」

 ルイは、俺達に向けていたナイフから手を放し、扉の方へと歩き出した。

――床に落ちたナイフの音が、静寂の中に響き渡る。

「ルイ! 何処へ……っ」

「探しに行くんだよ」

「誰を!」

 その答えを拒むように、重い扉が大きな音を立てて閉まった。

――部屋に残されたのは、ナイフの前で呆然と立ち尽くす俺とヴァロア、肩を抱えて座り込むロマーノ、部屋の隅でじっと蹲っているリノ……。そして、ルイが捨てて行ったナイフ……。

捨てられたナイフが、部屋一体を絶望感で覆っていた。


 それから、ヴァロアはロマーノの止血をし、話をしてくれるのを待った。

「なぁ、ロマーノ……」

「……」

だが、ロマーノは唇を噛んだまま一向に喋ろうとしない。

やがて、黙っていたヴァロアが口を開いた。

「ロマーノ。……昨日の状況と同じか?」

 ――ヴァロアの言う『昨日と同じ状況』。 それは、ルイが裏切り者かどうかを問いていた。

「ああ……」

「それじゃあ、この傷はルイが?」

「……」

 核心に触れる質問に、ロマーノは口を噤む。

俺は落ち着かず、部屋の中をグルグル歩き回っていた。

――このナイフで、ルイがロマーノを切りつけた? そんなルイの姿、とてもじゃないけど想像出来ない。

その時、俺はある事に気付いた。

「これ、リノの……?」

「――ゼノン?」

 自分の名前に反応して、リノが顔を上げる。

「リノ! これ、リノのナイフだよな?」

 ――リノは、黙って頷く。

「どうして……?」

「……貸してって……」

 ――わざわざ、リノにナイフを借りた?

「ドッペルゲンガー……。どういう事だ……」

 ――俺は、どうしてももう一つ確かめておきたい事があった。

「リノ、ちょっと聞きたい事がある。――それと、ヴァロア。鍵貸してくれ、赤い方!」

「鍵……? どうするつもりだ?」

 俺は、ヴァロアから受け取った鍵で、銃を納めてある方の扉を開けた。

「リノ、昨日ルイが持っていた銃、覚えてたりする?」

「……これ。……オートマチックの……32口径……」

「ありがとう、リノ」

 ――リノから銃を受け取り、グリップの中身を確認する。

「一……二……三――」

「何だ?」

「やっぱり……」

 ――残弾の数を確認して確信した。

ルイはやっぱり……――

「おい、ゼノン?」

「……時間をくれ」

「どうするつもりだ?」

「ルイと二人になりたい。――ヴァロア、明日はロマーノと残って欲しい。明日の奉仕は、俺とルイとで行く」

「……それは構わないが、ルイと二人で奉仕へ行くのは危険だ。――ルイを疑いたくはないが、こうも続くと……申し訳ないが、疑わざるを得ない」

「分かってる。ちょっとでいいんだ……一時間、いや二時間でいい! 俺を信じてくれ」

 ただ二人になるんじゃなくて、奉仕へ行かなければ意味がない。同じ状況を作らないと意味が無いんだ。

ヴァロアは、少しの間考え込み、やがて吹っ切れたように俺の頭を撫でた。

「分かったよ、ゼノン。何をするつもりかは分からないが、信じるよ。――その代わり……一時間だ。一時間を過ぎたら、俺もID登録をして二人に合流する。――それでいいか?」

「ああ、充分だ。ありがとう」

 ロマーノを見ると、不安そうな目をして唇を噛みしめている。

「ゼノン……! 一時間過ぎたら、俺も――」

「だーめーだ! ロマーノは留守番だ。怪我してる時くらい、大人しくしてろ」

「くっ……」

「それと……」

 俺は、俯くロマーノの前に座り、ロマーノ手を取った。

「信じてくれよ。いつまでも、お前に守られてばかりの子供じゃない」

「ゼノン……」

「ははっ、何だロマーノ、寂しいか?」

 ヴァロアは、いたずらっぽく笑ってロマーノを見た。

「……ああ。うちのゼノンは、すっかり大人になっちまったみたいだ……」

「そろそろ、子離れの時期じゃないか?」

 ――昼間の話を気に留めてくれているのか、それとなく俺の肩を持ってくれる。

「娘が嫁に行く時って、こんな気持ちなんだろうな……。ヤケ酒したい気分だ」

「なるほど、的確な表現だ」

 ――ヴァロアの大きな手が、再び俺の頭に触れる。

「……?」

「……俺もなんだか、そんな気持ちだよ」

 ヴァロアはそう言って、俺に笑いかけた。

「あぁー何か……、年取るってこえーな……」

「ああ、本当にな」

「――おっさん共が……」

 呆れた顔をした俺を見て、二人は顔を見合わせて吹き出した。

「ははっ、おっさん、……か。言ってくれるじゃないか、ゼノン。成人ナンバーを貰った後は、驚くほど早く年を取るもんだ。ゼノンもすぐに追いつくさ」

「そうだぜ? 俺達だって、つい最近までは同じような事言ってたんだからな!」

「うわぁ……。いかにもおっさんが言う台詞、それ……」

「ロマーノ、ここを出たら二人で大人飲みでもするか」

「ああ、いいな! ゼノン、お前はおー留ー守ー番ーだ! ガキ三人は連れて行かねぇ! 何しろ、大人のみだからな!」

「げっ……、さむ……」

「うるせぇ!」

「――痛っ! おいロマーノ! お前、怪我してるんだから大人しくしろよ!」

 ――さっきまでの緊迫した空気が、嘘のように思えた。こういう状況だからこそ、少しでも明るい話をしたいと思ったのは、皆同じだったのだろう。

……何より、ちゃんとルイが入っている。

それから俺達は、ここから出た時の話、俺とロマーノが出会った後の話をしながら、ルイの帰りを待った。

だが、どれだけ待ってもルイは戻って来ず、ロマーノとヴァロアは先に眠りに就いた。

ルイが出て行ってから、結構な時間が経つ……。

「リノ……、寝た?」

「……」

「寝た、か……」

 ――ルイのやつ……!

いつまでも、何処で何やってるんだよ。

「……つーか、ちゃんと戻ってくるのか?」

俺は、もう何度目か分からない溜息を吐いた。

「随分思い詰めておるな、ゼノン」

「じじぃ!」

 ……いつの間に来ていたんだ?

「じじぃとは失礼な! お前さんもあっという間に年を取るわ!」

「……年気にしてるやつは皆そう言うのか」

「何じゃと?」

「いや、何でもない」

 俺は、皆を起こさないように移動して、壁にもたれかかった。――冷たい壁の向こうから、老いぼれの気配を感じる。

「それより、何かあったのか?」

「別に……」

「誤魔化しても無駄じゃ。すぐに分かるわ。空気が張り詰めておる……」

「年取ると、すげー洞察力がつくんだな」

「それに、若者が溜息ばかり吐くのは感心せんな。老けるぞ、ゼノン」

「……それは説得力ある」

「全くお前さんは……、もうちっと可愛げのある事は言えんのか!」

「……」

「……話してみい。わしはお前さんの何倍もいろんな物を見てきたのじゃ。――見るべきものも、見る必要もないものな。助言くらいは出来る」

 ――もう、少しなんだ。

もう少しで、確実な突破口が見える……。

「なぁ、じじぃ……。誰かを疑った事ってある?」

「疑った事? 数えきれん程あるわ」

「……それじゃあ、それでも信じたかったやつっていた?」

「ああ、おるぞ。……今でもおるわ。――何だ、仲間割れでもしたか?」

 またしても俺は、今までの経緯を全て話した。――壁越しの相手に、どうしてここまで話してしまうのか、自分でも分からなかった。

「――ゼノンはどう思っておる?」

「……まだなんだ。まだ少し、足りないんだ。ルイを信じてるけど、もし俺の考えが違ってたらって思うと、本当に信じていいのか分からなくなる。……本当は俺、心の何処かで疑ってるんじゃねーかって……」

「何故、今答えを出す必要があるのじゃ」

「え……?」

「焦らずとも、必ずその答えが出る時が来る。――人が死ぬのと同じじゃ。どんな事にも、必ず終わりが来る。……それまでは、誰だって迷うし、答えなんか出せやせんよ」

「でも……」

「さっきの質問の答えじゃ。わしにも信じとるやつがおる。――じゃが、十年じゃ。そいつが、本当に信じるに値する人間かどうかの答えが出るまで、十年も待ったわ。……じゃがな、ゼノン。わしは待ち続けてよかった。迷い続けた十年間の自分に、やっと答えを出してやれた」

「十年も……?」

「そうじゃ。例え十年かかったとしても、どんな事にも必ず終焉が訪れる。そいつを信じて良かったかどうか、信じるに値しなかったかどうかは、その時にやっと分かる事じゃ。――お前さんの答えも、いずれきっと分かる時が来る。それまで相手を信じ続けるか、疑い続けるかは、お前さんが決めればいい」

「俺は……」

『……ゼノは、信じててね。俺の事――』

「……信じるよ。ルイ……」

「――そうか。……お前さん達が迎える終わりの形が、望んでいる答えであることを願っておる」

「ああ、きっと大丈夫だ……。――有難うな、じじぃ」

「なんの、ほんの少し助言したまでだ。礼を言う程の事でもない」

「そうだ! さっきの、おいぼれが信じてたって人。十年も待ってたってさ……」

「――時間じゃ、ゼノン。話途中で惜しいが、行かねばならん」

 ――壁越しに、老いぼれが立ち上った音が響く。

「……自分の棟へ帰るのか?」

「それもそうじゃが、こう見えてもいろいろ忙しいのじゃ。……また来る。その時は、また話し相手になってくれよ、ゼノン」

「ああ、また……」

 ――扉の閉まる音が、壁を伝って背中に響く。いつも、話途中で勝手に帰っていくんだ。

「ルイも……帰って来なかったな……」

 俺は、膝に顔を埋め、別れた時のルイの言葉を考えていた。

「今日の日替わりゼノンは、ルイの順番なんだけど……」

 畳まれたままのルイの毛布を見ながら考え事をしていると、いつの間にか強烈な睡魔が俺を襲ってくる。

――薄れていく意識の中で、何度も何度も再生される、ルイの言葉……。

『……ドッペルゲンガー』

俺は、見付けられるのか……?

――その答えを……。


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