5 絶望の元
誰も口を開こうとしないその部屋では、重苦しい空気と、咽返るような悪臭だけが漂っていた。
「清掃班を向かわせます。それと、負傷者の治療も……。あの火傷では、次の奉仕に支障をきたすかと……」
━構わん。好きにしろ━
「……はい」
『清掃班』と呼ばれた男達は、部屋の外で待機していたのだろうか……。通信が終わると同時に、白衣を着た白ずくめの男達が部屋に入ってきた。
「清掃って……あの子の?」
俺とヴァロアは、再びスクリーンに目を移した。
「あの透明の……、掃除機みたいなでっかい機械は……?」
「ちょうど、人間一人収まる大きさだ」
「じゃあ、あの中に……?」
「おそらくな。……まるで、ゴミ掃除だ」
冷静に答えるヴァロアの声音に、わずかに動揺が滲む。
『U30583の清掃を開始します』
彼等は、何の確認も行わず、手早く少年の死体処理と負傷した男の治療を始めた。
そして、その機械の使い方は、……俺達の予想通りだった。
清掃班の一人が、掃除機で言うダストボックス中に、死体を投げ込んだのだ。
乱暴に投げ込まれた死体は、骨が砕けて真っ二つに折れていた。
「……っ! 酷い……っ」
『U30583を設置しました。最終的な清掃に取り掛かります』
「……設置?」
スクリーンに目を戻すと、ボックスの中で二つ折りになっている死体と、まるで目が合うかのようだった。
俺は、込み上げてくる吐き気を抑え、白衣の男達の動きに集中した。一人の男がボックスの蓋を閉め、もう一人の男が、ノズルの調整を行っている。
「一体、何を……」
――その時だった。
大きなエンジン音が唸りを上げ、死体の入ったボックスが高速に回転を始めた。
「うわっ……!」
「う……っ!」
回転し出したボックスの中で、死体が粉々になっていく……。辛うじて原型を留めていた頭部は、一瞬にしてバラバラに砕け散っていった。
「何っ……?」
顔を伏せていたルイは、俺達の悲鳴に驚き、顔を上げようとした。
俺は、すぐさまルイの体を引き寄せ、頭を抑えつける。
「見なくていい!」
「何……? この音……」
「何でも……なっ――」
「ちょっ、大丈夫?」
「あぁ……大丈夫……」
正直、喉元まで胃酸が上がってきていた。
回転し出した瞬間の、眼球や、歯や、耳が、遠心力でバラバラになっていくあの映像が……瞼の奥で何度も再生される。
『全ての清掃が完了しました。我々の仕事は終了です』
「終わったの、か……?」
俺は、恐る恐るスクリーンに目を戻す。
「あぁ……」
ヴァロアの答え通り、白衣の男達は仕事を終え、部屋を去ろうと機械を移動させている所だった。
機械のノズルからは、蒸気が上がり、さっきまで床にこびり付いていた血も、黒く焼け焦げていた跡も、綺麗さっぱり元に戻っていた。
まるで、そこに死体など無かったかのように、綺麗さっぱり……。
『今回の清掃内容は、第一に、U30583を粉末化処理。第二に、高圧蒸気による現場洗浄。第三に、負傷者へのステロイド投与。以上の内容に問題ありませんでしょうか?』
━ああ、問題ない━
『それでは、我々は失礼します』
『ちょっと待てよ。……ポイント。……あいつのポイント、くれよ』
男の一人がぽつりと声を上げた。
『……そうだ。成功報酬は、60ポイントだったよな? あいつの所持ポイントと合わせて63ポイントだ……! ――三人で分けると、21ポイントずつ、だろ……?』
『ふざけるな! 見殺しにしておいて……開口一番がそれか!』
さっきまで少年をかばっていた男が、勢いよく掴みかかる。
『じゃあお前はいい。俺達二人で山分けだ! 二人で32ポイントずつ! まじかよっ、これで……これで希望が見えて……っ!』
『希望……だと? ――ふざけるなっ! 仲間の死の後の、どこに希望がある! 狂ってるよ……お前等全員! 俺は、ポイント譲渡は受けない! それはセルティのポイントだ! 俺やお前等が受けていいものじゃない!』
掴みかかる男の手は、怒りで震えていた。
『ポイントの譲渡に関しては、我々の管轄ではありません。その件に関しては、監察班に一存しておりますので。……それでは、我々はここで引き揚げます』
そう言い残し、白衣の男達は部屋を揃って部屋を後にした。
━ご苦労様です。ポイント譲渡の件に関しては、我々が引き受けます━
「……って事は、この人達が……監察班?」
「そういう事になるよな……。ルイ、もう大丈夫なのか?」
「うん、もう平気……。臭いが、さ……」
ルイがヨロヨロと立ち上がる。
「本当だ、消えてる……」
「ヤツらの使っていた、高圧蒸気のおかげだ。空気中の化学物質……におい分子を分解したんだろう」
「血も、消えてる……。ねぇ、あの子は……? 粉末処理って……?」
「それは……」
俺もヴァロアも、ルイの質問には答える事が出来なかった。……あの光景を思い出すだけで、今でも吐き気が込み上げてくる。
ルイは、沈黙する俺達を見て悟ったのか、それ以上は聞こうとはしなかった。
「それより、ポイントの移行って……」
「何て卑劣な……。仲間が死んだ後でも、ポイントポイントって……。馬鹿げてる!」
ヴァロアの言う通り、本当に馬鹿げた、卑劣な話だ。
だが、今三人が考えている事は、きっと同じだった……。
――もし、俺達の中で誰かが死んだら……?
『あいつのポイントは、俺達に移行されるんだよな? ……そういうルールだろ?』
━もちろんです。ですが、ポイント移行時は必ず全員にポイントを割り当てる事。そういうルールですので、三名に21ポイントずつ移行致します━
『俺はいらないっ!』
━それがルールです。それでも、拒否されますか?━
『……っ!』
――拒否する、という言葉の意味は、誰よりも彼が分かっているはずだ。
━U30583の所有ポイント63を、U59621、U80356、U56331の三名へ移行します━
『へへっ、来るぞ……!』
『やった……! 一気に21ポイントも!』
『くっ……』
項垂れる男をよそに、各々のブレスレットが赤く光り、ガイダンスが流れ始めた。
━ポイント移行の要請が一件。――現在処理を行っています。ポイント移行の……━
『来たぞっ!』
━データを確認しました。U30583、セルティ・オスカーナより、21ポイントのポイント移行が正常に行われました。現在の総ポイント数は……━
『おいっ、見ろよ! 達成率24%だってよ! 信じらんねーよ! こんな数字見た事ねーよ!』
『……へへっ、セルティ様様だなぁ? ただの役立たずだと思ってけど、思わぬプレゼントを残して死んでくれたぜ。これでお荷物も居なくなったし、まさに一石二鳥ってやつか?』
読み上げられたポイント数に、満足した様子で盛り上がる。――あの少年が、命と引き換えに残したポイントを、まるで隣人から御裾分けでも貰ったかのような話し方で……。
『く……っ。すまない……セルティ……』
━醜いと思うか? こいつらの姿を。――だが、これが人間の真の姿だ。極限まで追い詰められた時、本当に守りたいものは、本当に愛したいものは、己のみだ。家族だの仲間だのと、綺麗ごとを吐く余裕さえ無くなった時、人間は本当の姿を現す。……強欲で虚飾に満ちた、罪の姿を━
「俺達は違う……!」
そうであって欲しいという、望みに近かった。この先どんなに追い込まれたとしても、仲間の命をポイントで計算し、更にはその命さえ喰らう、罪そのものの姿には……。
━一日時間をやろう。その間に決めるといい。……個人戦で参加するか、奴等のようにポイントを共有するか……。この選択が、貴様等の生死を大きく左右することになる━
「生死を……?」
━そうだ。例えばセルティ・オスカーナ。ヤツは、団体戦で参加したが故、生への純粋さと、死への能力の低さを疎まれ、チームのお荷物とされていた。――だが、ヤツが元より個人戦で参加していたらどうだっただろう。処分対象には入らなかったかもしれん。……だが同時に、他の奴等は、セルティ・オスカーナの死のおかげで、巨額なポイントを手に入れた。それが無ければ、万年監獄暮らしの最下層チームだ。個々の能力は、お荷物とされていたセルティ・オスカーナと、そう大差はない━
「つまり、個人でポイントを集める場合、その分多く人を殺さ……回収する必要がある。複数人で共有する場合、個人の負担は少なくなるけど、状況によっては共食いを始める可能性もあるってことか……」
「どちらにせよ、メリットとデメリットがあるわけだ」
「……やめてよ。共食い、とかさ……」
━期限は一日だ。明日、再度意思確認を行う。その瞬間から、貴様等の奉仕活動を始めるとする━
「でしたら、奉仕活動についての詳しい説明は、我々が引き受けます。そろそろ、計画本部との定例会議の時間かと……」
━分かっている。後の説明は任せるとしよう━
「了解しました」
━それから、明日の奉仕にはヤツを連れていけ━
「リノ・パルヴィスですか……?」
━そうだ。……面白い物が見られるだろう━
「ですが……、彼は……」
━構わん、ヤツにはもう感情も残っておらん。まさしく、人の姿を留めただけの死人だ。――連れていけ━
「……了解しました」
その言葉を最後に、通信が途絶えた。
そして、通信を行っていた男はこちらへ向き直り、俺達の監獄の中に鍵を二つ投げ入れた。
「緑の鍵は、好きに使ってくださって構いません。赤いほうの鍵は、右手側の扉の鍵です。開けて、中身の確認を……」
「……扉?」
「これじゃないか?」
「え、これ、扉だったの?……同化してて分んなかった」
振り返ると、確かに壁に扉らしきものが埋め込まれている。――壁の色とほぼ同色のせいで、よく見ないと気付かないほどだった。
「はい、それで間違いありません。中身の確認を行います」
「確認って……、寝具セットとか食料とか?」
「さすがに違うだろ。合宿じゃないんだし」
「とりあえず開けよう。……悪い、鍵取ってくれるか?」
「あぁ、赤……だったよな? ――ほらよっ」 俺は、赤い方の鍵をヴァロアに鍵を投げ渡した。
――言われるがまま扉を開け、言われるがまま奉仕に参加し、言われるがまま人殺す。 本当にそれでいいのか……?
ルイの後ろ姿を眺めながらそんな事を考えていると、ルイは何かに足を取られ、後ろにバランスを崩した。
「うわっ!」
――間一髪、俺は、倒れてきたルイの体を受け止める。
「あっ……ぶねー……」
「おい、大丈夫か?」
「痛い……」
「『痛い……』じゃなくて! 激突してたら、俺、鼻折れてたっつーの!」
「何かに当たったんだもん」
「何かぁ……?」
「そう、何か。お化けかもだよね……。怖いんだけど!」
「お化けではないから……抱きつくなっ!」
「ちゃんと見てよ……何かいるもん!」
「あぁ? 何もねー……だ……」
「おい、この子……」
――リノ・パルヴィス……。
彼の姿こそ、この薄暗い室内と同化していて、またしても気付かなかった。
彼は、やはり身動き一つ取らず、ただ虚ろな目をして座っているだけだ。
「ねぇ、ちょっとどいてくれる? 後ろの扉……開けたいんだけど?」
「おいおい、先に謝ってやれ」
「あぁ、そっか。ごめんね、痛くなかった?」
「……」
「痛かったよね? 俺は痛かったよ!」
「……」
「……俺、ちゃんと謝ったよね?」
「……だな」
虚ろな目をしてという表現は、間違いだと思った。
……正しくは、何も映っていない。
覗き込むルイの姿も、隣に立っている俺の姿も……。
「あのさ……」
「いいよ、話したくないんだから、放っておけば?」
「でも……」
――年を推測するなら、俺と同じくらいだろうか。
その相手に、どうして俺は、ここまで恐怖を感じている……。どうして俺は、ここまで魅かれているんだ……。この目に……。
「もしかして、何処か痛むのか?」
「……」
ヴァロアの声にも、全く反応しない。
ヴァロアは、少し困った顔で溜息をついた。
「はぁ……。とりあえず、俺達は貴方の後ろの扉に用があるんだ。悪いが、少しずれて貰えるか? 何処か痛むのなら肩を貸すが……」
「……」
「あまり顔色も良くないみたいだ」
「……」
「はは、言葉っつーのは……ここまで伝わらないと、ただの無意味な道具だな」
「はは……」
俺はヴァロアに合わせて笑ってみせたが、未だ彼から目を離せないままだった。
「無理やりどかせば? 口で言ったって答えないんじゃ、きりがないよ」
「……まあ、あの映像の後じゃあ、話す気にもなれないよな。……まだ気分悪いか?」
「だからさぁ、懲りない人だね、あんたも」
ルイが呆れた様子で一瞥する。
「……」
「ね? 話さないでしょ?」
「はぁ……。まあ、話したくないなら構わないさ。手を貸すから、少し左へ移動しよう。ほら、手――」
「……っ」
ヴァロアが、彼の手に触れようとしたその時、想像もつかない速さで、彼の腕が動いた。
「うわ……っ!」
「ナイフ……ッ!」
――それは一瞬の出来事で、ナイフを取り出した瞬間も見えなかった。
「ヴァロア! あぶな……っ」
――切られる!
そう思った瞬間、黒服の男がすかさず口を開いた。
「命令です。静止しなさい」
「命……令……」
その言葉で、彼は動きを止め、ヴァロアの喉元まで届いていたナイフを放した。
「いや……さすがに、驚いた……」
「ちょっと、大丈夫!? どこも切れてない?」
ルイは、ヴァロアの元に駆け寄り、首元を確認している。
「……ああ、大丈夫だ。ただの未遂だ」
「ちょっと……! いきなり切りつけるとか、趣味悪過ぎ……」
「いや、いいんだ。俺の方こそ、失礼な態度を取ってすまなかった。――触れられるのは嫌だったか?」
「触れられるのも、でしょ。喋るのもイヤ、触れられるのもイヤ、おまけにナイフまで取り出して、あんたワガママ過ぎるよ」
「……触らない方が……いい……」
「ああ、そうみたい……だな。いきなりすまなかったよ」
「甘過ぎ……」
「はは、まあ本当に切られたわけじゃないんだ。そう目くじら立てる必要もないよ。有難うな」
「別に、あんたがそれでいいなら……。――で、あんたは何ぼーっと突っ立ってるのかな」
「……」
――気のせいじゃなければ、ヴァロアが手に触れようとした瞬間、あの空虚な目に、一瞬だけ光が戻った。
それは、恐れでも拒絶でもなく……期待のような光……。
俺は、彼を見つめたまま、恐る恐る近付いた。
「あのさ……」
「……」
「辞めなよ、危ないって!」
「分かってる……」
「……」
だけど、多分俺は……確かめてみたかったんだと思う。
――彼の瞳に、俺が映るかどうか……。
もし映ったなら、その瞳はどんな色を持っているのか……。もし彼に触れられたなら、その身体はどんな温度を持っているのか……。
「……ねえ」
俺には、変な自信のようなものがあった。
「……俺のこと見て」
まるで意思の疎通が不可能な彼と、心を通わせる事が出来るんじゃないか……、と。
「無駄だって!」
「……」
それが自信なのか、期待なのか願望なのかは分からない。
だけど、今にも消えてしまいそうなこの瞳の奥は、本当に空虚なものなのか。
俺は、確かめてみたかった。
本当の姿は、そうじゃない気がして……。
「……何で、触らない方がいいの……? 俺は、触れてみたい……」
「ねえ、今のどういう意味だと思う?」
「お前が考えてるような意味では無いと思うが……」
「……」
「切るなよ……。俺も、……絶対に傷付けないから……っ」
俺は壊れ物に触れるように静かにそっと手を伸ばす。
「バカっ! 切られる!」
「大丈夫……だから」
「……っ」
――彼の身体が、僅かにビクついた。
一瞬、ナイフを握ろうとしたのかと思ったが、その手は膝を抱えたまま動かす様子はなかった。
そして、恐る恐る伸ばした手が、彼に触れようとした時――
「命令です。彼から離れなさい」
黒服の男が、またしてもそれを阻止した。
「――っ!」
「はい……」
「そのまま、反対側へ」
「……はい……」
「何でっ……!」
――もう少しで触れる事が出来たのに……。
俺は、振り返り、黒服の男を睨み付けた。
「……どういうつもりだ。命令された事以外、喋らねんじゃねーのかよ」
「危険だからです」
「……」
俺の疑うような目に、更に一言付け加えた「他意はありません」
「くそっ……」
「……あちらへ」
「……はい……」
彼は、床に落ちたナイフを拾い、部屋の反対側へと歩いて行った。
「救われたな」
「そうだよ。止めてくれないと、絶対切られてた。危険だよ、あの子」
そう言って、二人は扉の鍵を回し始めた。
「危険……か」
俺には、どうしても彼が危険な存在だとは思えなかった。
……確かに、恐れはある。
彼の心の中も、瞳の奥も、彼の前に立つ俺自身さえ……無に飲み込まれてしまうような感覚。恐ろしいその感覚に、俺は覚えがあるような気がしたんだ。
「あっ! 開いた開いた。中なんだった?」
「……何だろうな。――袋?」
「うっ、うわっ!」
ルイの叫び声で、俺はやっと彼から目を離した。
「どうした?」
「これって……! 本、物……?」
「だから、何が!」
「これ……」
俺の方を振り返ったルイの手には、鉛色に光る……拳銃が握られていた。
「――っ!」
「おもちゃ……だよね? こんなの、映画の中でしか見たことないし」
「当たり前だ! BIANCOでは、一切の銃刀所持を禁止してる!」
「そう、だよね……。何だ、よかった……。じゃあ他には……ほら! これなんてすごくない? 昔、映画の中で見た、ダダダダーンって連続で撃つ……機関銃ってやつ! それから、こっちは――」
「おい、あんまり触るなよ」
「大丈夫だよ、どうせ偽物なんだし」
ルイはそう言って、袋の中の武器をあれやこれやと取り出していく。
一方ヴァロアは、一つ一つの武器を丁寧に確認しては、独り言を繰り返していた。
「……リボルバーに、オートマチック……、それから、アラサルトライフルと……コートン社のM4カービン? アメリカの銃器メーカーなんて、二番区でも滅多にお目にかからないが……」
「やっぱり……か」
俺は、再びルイへと視線を戻した。
楽しそうに袋を漁るルイの後姿に、嫌な予感を感じる。――こいつが、次に言い出しそうな言葉……。
俺の予感が正しければ、『試しに一発』とか言いかねない。そして、こういう予感は有難くも的中するものだ。
「ねえ、おもちゃならさ、試しに一発――」
――ほら見ろ!
「ダメだ! 止め……」
「え? なんでよ」
ヴァロアが制止しようと叫んだ時、ルイは既に拳銃を構え、スライドを引こうと手を動かしていた。――瞬間的に俺の体も動く。
「――ス! ……トップ!」
後ろから覆いかぶさるようにして、間一髪……ルイの腕を掴む。
「痛っ! ちょっと、何!」
「お前……今、バーンとかしようとした?」
「だから何! 試しに一発って言ったでしょ! 何ムキになってんの! あと、重いんだけど、ものすごく!」
「お前なぁ……。試しに一発……じゃ、済まされないんだよ、それ!」
「え……?」
「だから! 手に握ってるそれ、本物!」
「え……?」
「そうやって青ざめていくだろうーから言わなかったんだよ! お前、ホラーとかマフィア系の映画とか絶対無理なタイプだろ! 分かったらさっさと置け!」
「知ってたの……?」
「ああ……。俺も初めは模造品かと思ったがな。このオートマグ、CLINTのシリアルナンバーが入ってるのを見て、確信したよ。……どれも正真正銘、本物の武器だ」
「な?」
「危なかった……。俺、まじで撃つところだった……」
「今後は、撃って頂くことになります」
扉の外で待機していた男が何でもないことのように呟く。
「……っ!」
「これを使えって事か?」
「往生際が悪いですね、ゼノン・バリオーニ。貴方は一番に参加を決意したのでは?」
「分かってる……」
「武器を見て怯みましたか?」
「……」
「奉仕活動は、明日の夜。――参加形態の最終確認を行った時点から開始されます。それまでに、余計な考えは捨てておくことです」
「……余計な考えって何だよ」
「逃げ出す、外部と接触する、奉仕の拒否……などという余計な考えの事です。例えどんなに不条理な状況でも、それを受け入れ、奉仕に従事する事が己を身を守る唯一の方法です」
「そんな考え……今更持つかよ……」
「あぁ……」
「ね……」
……嘘だった。
――多分、それは俺だけじゃない。皆、心のどこかで捨てきれずにいたはずだ。
心の内を見透かされているようで、胸糞悪い……。
「……それより、武器の使い方なんて知らねーぞ。握ったことはおろか、生で見るのも初めてなんだ。……こんなもん、いきなり使えるわけねーだろ」
「それでは、素手で人を殺める自信でも?」
「それはっ……」
「これから学べばいい事です。――いえ、嫌でも学ぶことになります」
「へぇー……。それは、本当に嫌だね……」
ルイがまだ手に待っていた銃に目を落とす。
「大丈夫です。先ほどの様に、回収者に銃を向ければいいだけの話です」
「……お前等みたいに冷酷な人間と一緒にするな。人を殺すんだぞ……。まともな精神の人間が出来る事じゃねーんだよ」
俺は絞り出すような声で反論した。
「いいえ、人間とは性悪なものです。善や良心を求める心さえ捨ててしまえば、人間の内には、偽善と不法しか残りません」
「……それは性悪説を前提とした話だ」
ヴァロアは、きっぱりと否定した。
「人間は、生まれながらにして罪と悪を宿しています。――善とは、そんな人間が、善である神の姿に理想を抱き、身の程を弁えず追い求めている幻想にすぎません。それを追い求める姿さえ、罪なのです」
「人を殺める罪くらい、どってことないって言いたいのか?」
「あなた方の様な罪人が生きている罪に比べれば、どってことありません」
「……随分よく喋るじゃねーか。……いいのか? 不毛な話をダラダラしてたら、まーた叱責をくらうんじゃねーか」
ヴァロアが外の男を睨みつけながら言う。
「……」
「それともあれか? お前にも、自由に発言する意思があるってか?」
「……」
「それじゃあ、こんな所にぶち込まれた可哀想な俺達に、何か助言の一つでもしてくれよ」
「……鍵を預かります」
「……鍵を? 何故だ」
「奪い合いを防ぐためです。そうされているグループがほとんどです」
「……奪い合う? 鍵をか?」
俺は手にもっている鍵に視線を落としながら言う。
「いいえ。武器や所持品、もしくは……お互いの命です」
「……っ!」
「あなた方は、いつ敵になるか分からない関係だという事を忘れないように。例え個人戦を選んでも、団体戦を選んでも、助け合いや仲間などといったくだらない考えは求めないことです」
「……仲間なんて求めてねーよ。最初から……」
「そう……なんだ……」
ルイがガッカリしたように肩をすくめる。
「そうだ……。罪人が群れあって生きる必要なんてないだろ。……それは、ここでだって同じだ」
「へー……寂しい事言うんだね……」
「寂しいとか、何言ってんだよ……」
ルイは罪人として生活したことがないのだろうか。
「寂しいよ。俺は一緒に居たいと思うし」
「そういう事言うな。お前は一人が不安なだけだ。……誰の手でも掴むと、後で後悔するかもしんねーぞ」
「……あんた達は違うよ。多分俺は、後悔しない」
「俺達は、お互いの事を知らない」
「そうかもしれないけど……」
「いや、彼の言う事は正しい。この短時間で、情が湧いたか? そんな感情は、捨てたほうがいい。お互いの為に、な……」
「そっか……」
「そうだ……」
ルイの反応を見て、正直少し心が痛んだ。 助け合って参加出来たら……と、俺だって心のどこかで望んでいる。何より、同じ状況下に置かれて、仲間意識が全くないと言ったら嘘になる。
だが、よく知らないまま容易に群れあうほど、ぬくぬくとした環境で育ってきたわけではない。
模範生へ戻った時の妬みや裏切り、騙されて闇取引の足に使われる事や、認証カメラに売られる事もざらだった。
人間は、窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、人を陥れてでも利己を求めようとするんだ。……それは、二番区で嫌と言う程思い知らされた。
「とりあえず、鍵の事も含め、話し合う時間が必要だ。その間位、監視を外してくれるよな?」
「監視は常に置くようにと言われています。表に一人、裏の扉に一人、24時間駐在させています」
「話くらい自由にさせてよ」
「自由などといった権利は主張しないように」
「……じゃあ、外に出ていい? 外って言っても本当の外じゃなくていいから」
「それは、さすがに無謀じゃないか……?」
「だって、あの映像の後だし……。ここでいろいろ話す気にはならないしさ……。――いいよね? どうせ逃げ出せないようになってるんでしょ」
「可能です」
「え……っ?」
俺は思わず声に出していた。
「へー。聞いてみるもんだね」
「逃げる……わけじゃねーけど、そういう心配はしねーの? 外に出ようもんなら、殺されるかと思った……」
「これはあくまで奉仕活動です。あなた方を監禁する目的ではありません。奉仕に従事し、我々に忠誠を誓えば、相応の待遇を施します」
「奉仕……ね」
「ぬけぬけと……」
「この施設は、BIANCO発足前の旧収容所を、表向き機密情報管理施設として登録しています」
「収容所って何?」
ルイの質問にヴァロアが答える。
「まあ、刑務所みたいなもんだ。施設の警備によってレベル分けされているが、……この施設のIDチェック、ゲートのセキュリティからして、恐らく最高レベルのレベル4だ」
「重犯罪者が収容されるってこと?」
「まさに俺達の為の施設じゃねーか」
「レベル四は、アルコールやドラッグ中毒で殺人を犯した者、他には終身刑を処された受刑者達が収容されている。……間違いなく、脱出は不可能な作りになってるだろうな」
「この施設は、機密情報保護の目的で、当初のセキュリティをそのまま生かしています。施設を取り囲む外壁は、5メートル以上の有刺鉄線を。尚且つ、敷地内は区画ごとに区切られているので、容易に行き来はできません」
「……ほら来た」
「あなた方を収容している施設は、旧収容所の中でも特別警戒棟の一つ。ここから行き来できる場所は、職員休憩所から売店までの約五百メートルです。その間にあるグラウンド、屋上庭園にも行き来可能ですが、もちろん周囲には有刺鉄線を張り巡らせています」
「……とりあえず、その中だったら自由にしていいんだな?」
「構いません」
「盗聴とかは?」
ヴァロアが間髪入れずに質問をする。
「必要ありません。奉仕の結果が全てです」
「じゃあ、とりあえず出ようよ。ここの造りも知っておきたいし」
ルイがぱっと立ちあがり言った。
「ああ……そうだな。それじゃあ、一旦出させてもらうぞ」
「……これ、持ってく?」
「いや、それは必要ないだろう。何よりお前が誤射しかねないからな。出来れば触らないでくれ」
「ひど……」
ルイとヴァロアが武器を持っていくかどうかの話をしている時、黒服の男が俺を引き留めた。
「ゼノン・バリオーニ」
「何だ……」
「彼にあまり近付かないように」
「……どうして」
「それは、危――」
「『危険だからです』だろ?」
「……」
「それは、俺が判断する事だ。人間関係にまで制限を設けるのか?」
「……無駄ですよ」
「――は?」
「彼に近づいたところで、あなたの望むものは何一つ返ってきません。……いえ、彼にはそれを返すことが出来ません」
「俺が、何を望んでるって?」
「あなたは、『彼と心を通わすことが出来るんじゃないか』と、期待している。――そうですね?」
「そんな事……っ」
「無駄ですよ。彼の心の中には、何も残っていません。――意思も、感情も、あなたの事…――いえ、あなた方の心に、当たり前に備わっているもの全てです」
「わざわざ俺を引き留めて、何が言いたい?」
「彼との接触は控えてください」
「……断る」
「……何故ですか」
「気になるからだ、あいつの事が」
自分でも何でこんなに拘っているのか分からなかった。
「……。皮肉なものですね。絶望の元が、気まぐれに希望の光を与え、再び彼を絶望させる気ですか?」
「何だって……?」
「全てを捨て、死人同然の生き方を選んだ彼に、生きる光をチラつかせて再び絶望させたいですか? と、言っているのです」
「……そんな生き方を選ばせたのは、誰だ?」
「彼自身です」
「チッ……ごちゃごちゃ訳分かんねー事並べられてもな、俺はあいつの事何一つ知らねーんだよ! だけど、俺は知りてーとか思ってるし、お前の言う通り期待もしてる! だから、断るっつってんだ。それに……奉仕の結果が全てなんだろ? 奉仕以外で、俺があいつに何しようが、お前にどうこう言われる覚えはねーよ」
「後悔する事になりますよ。彼に手を差し伸べた、己の愚かさに……」
「望むところだね。つーか、他意は無いんじゃなかったのかよ」
「いずれにせよ、危険だという事には変わりありません」
「へー。……じゃあその時は、労いの言葉でもかけてやるよ、絶賛後悔中の自分にな」
「……」
俺達は、無言のまま互いを睨み合った。
――絶望の元?
何の事だ……。
俺が関係しているとでも言いたいのか?
その答えを隠すように男は目を逸らし、彼の方へと視線を移す。
「何やってるの? 行くよ」
「……ああ」
ルイに急かされながら、俺も彼へと視線を移す。
「死人同然……」
「――え? 何?」
「あ、ああ……何でもない」
「あっ! そうだ、死人で思い出した!」
「……ルイ?」
ルイは、突然思い出したかのように彼の方へと歩き出す。
「何だ? どうしたんだ?」
「いや、分かんねー……」
「まあ、ただでさえあいつの行動は読めないからな……」
するとルイは、彼の腕を引き上げ、座ったままの彼を強引に立たせた。
「ちょっ……!」
「ほら、あんたも行くよ」
「……っ」
「ルイ! 触ると……っ」
「いいの! 大事な話し合いなんだから、参加しないってワガママは無しでしょ! ほら、手! 繋いで!」
「……っ」
そう言って、ルイは彼の手を握り、ズカズカと歩き出す。
ルイの突飛押しもない行動に、俺達は顔を見合わせ、呆然とその様子を見つめるしか出来なかった。
「あ、ナイフは出さないように! これ、命令! 分かった?」
「……命、令……」
「そう、命令! ご主人の命令は聞くの! いい?」
「……はい……」」
「ご主人って……、いつからご主人になったんだ?」
「さぁ……」
「ほら、そこもぼさっとしてないで付いてくる!」
「……はい」
「ははっ、あいつは強いな」
俺が触れられなかったあの子の手に、ああも簡単に触れるとは……。
いろいろと注文をつけながら歩いて行く姿は、青ざめた顔で抱き付いてきていたルイとは別人のようだった。
「ほんと、強いよな……」
そして俺達は、外に繋がる扉を探して歩き回り、やっと地上に繋がる階段を見付ることが出来た。
「外の空気だ……」
「……あぁ、気持ちいいな」
「もう真っ暗だね。……さっきまではお昼前だったのに」
――さっきまで……。
そうだ。ここに連れて来られるまでは、普通に外を歩けてたんだ。最悪だと思っていた二番区の暮らしも、今から強いられる生活と比べたら、幾分マシだったのかもしれない。
そんな事を考えながら歩いていると、広い廊下と小さな建物が見えてきた。
それは、二番区でお世話になった……――
「ヒュッテ?」
「ヒュッテ……。――あぁ、マーケットによくある出店屋みたいなやつか?」
「出店屋ってなに?」
「露店のことだ。ルイ、見たことないのか?」
「ないよ。十五番区に露店は出てないから」
「あぁー、『BIANCOの景観に大きな害を与える行為』は、ペナルティ対象だからな。二番区ではセーフだけど、十五番区ではアウトだろうな」
「え、二番区ってそんなに汚いの?」
「いや、そんなことはねーよ。BIANCOは街一体の建物を統一してるから、二番区の造りもそう変わらない。……けど、あいつの言う通り、二番区はゴミみたいな奴等が集まってくる場所だ。十五番区ほど洗練されちゃいねーかな」
「へー。そう言われると、この建物も綺麗だよね。元刑務所とは思えないくらい……。このヒュッテって小屋も、なんかお洒落だし」
「……お洒落か?」
「お洒落だよ。ちょっと寒そうだけど」
「いや、中は意外と寒くねーんだ」
「店を持ってたのか?」
「いや、バイト。店番のバイト。ヒュッテの仕事は、正式な登録をしなくていいから、Cナンバーの時にはいい小遣い稼ぎになるんだ。楽しかったぜー店番の仕事! ホットワイン飲み放題で!」
「ホットワインか、いいな。酒が恋しくなる」
「『ホットワイン一杯一ルーニー! 体はポカポカ、お財布にも優しいホットワインはいかがですかー!』って! 次に店番する時は来いよ! 何杯でも出してやる!」
「ああ、いいな。是非伺わせてもらうよ。――ここから出られた時は……な」
「あ……」
俺達の中に、再び沈黙が落ちる。
ヒュッテを見てつい盛り上がってしまったが、自分達の置かれている状況は絶望的なものだった。ここから出た後の話なんて、まるで絵空事のように思える。
それよりも、話さなきゃいけない事があるというのに……、誰もその話には触れようとしなかった。
「あれ、あいつが言ってた売店じゃない? 後ろは、有刺鉄線でこれ以上行けないようになってる。……多分、ここまでしか行けない」
「本当だな。最後まで来ちまったか」
「……これもヒュッテ?」
「……ああ。ちょっと小さいけど、ヒュッテだ」
「この樽は?」
「なんだろう……。――酒か?」
「いや、匂いがしない。フリーって書いてあるし、無料の水だと思うが……」
「こっちはバゲットみたいだ! 多分、明日搬入予定の食料だ!」
「……そういえば、お腹すいたよね」
「ああ……。ここに来てから何も食ってないからな……」
俺達は、積まれてある箱の中からバゲットを一個ずつ取り、樽の上に腰を下ろした。
「ほら、あんたも座るの。――ここ!」
「……はい……」
ルイは、彼のバゲットも取ってあげていて、面倒見の良い兄のようだ。
「あと、これバゲットね。そんな細っこい体して、ちゃんと食べてるの?」
「……」
「……お前が言うなよ」
「俺はいいの。ちゃんとカロリー計算された食事取ってるから」
「俺も、毎日違う味のソーセージ食べてたぜ」
「……カロリー高過ぎ」
「俺はいいの。ちゃんとお財布計算された食事取ってたから」
「ははっ!」
「……」
「……」
何度目の沈黙か……。
誰もが、核心に触れる話を避けていた。
――だが、いつまでも避け続けるわけにはいかない事も分かっている。
緊迫した雰囲気の中、その沈黙を破ったのはヴァロアだった。
「――聞いていいか?」
「……ああ」
「さっき、ヒュッテの話をしたが……。酒売りをしてたって事は、成人ナンバーは取得済みなのか?」
「いや、俺はまだ十九だ。今年、貰う予定だ」
「今年……。儀礼祭までは、あと二週間もないが……。――それでか。やけに焦っているように感じたのは」
「……父さんとの約束なんだ。俺が成人ナンバーを貰う日を、ずっと楽しみにしてた」
「……してた?」
「死んだよ。仕事上の事故で――とか聞かされたけど、詳しい事は分からない。俺はまだガキだったから、父さんが何の仕事してたかもよく知らねーんだ。……それから、住んでた家はすぐに立ち退きになって、頼れる身内もいなかったから行く場も無くて、二番区に拾ってもらったよ」
「それからは、ずっと二番区で?」
「ああ……。多分、俺が九歳の頃だ」
――忘れもしない。十年前、父さんが死んで、家も立ち退きになって、十五番区で行き場を失っていたあの日……。
一人の少年に出会ったあの日から、俺の人生は一変した。
「二番区って、どんな所?」
バケッドをかじりながら、ルイが身を乗り出して質問してきた。
「どうしようもない所さ。BIANCOに捨てられた奴等が集まってきてさ。十五番区に比べたら無法地帯だぜ。――裏道に行けば、銃や麻薬の取引が当たり前に行われてるし、奉仕活動に追わておかしくなった奴等が、毎晩ホットワイン片手にお祭り騒ぎだ。ほんと、どうしようもねー所だけど、それはそれで楽しかった。自由だったしな……」
「へー。行ってみたいな、二番区!」
「一度も来た事ないのか?」
「……ないよ。十五番区から出た事ないんだ、俺」
「出る必要もないだろ。一生十五番区で暮らせる事が、何よりの幸せだと思うぜ」
「本当にそうかな……。俺は、出てみたいよ。自分の家と、自分の学校以外の世界、何も知らない……」
「知らなくても生きていける。――いや、知る必要のない生活こそが、この街の勝ち組だ」
「そうだけど……」
ルイは、寂しそうに俯き、手元のバゲットを見つめた。
――一体何が不満なんだ?
BIANCOの一等地、十五番区で生涯を全うするだなんて、世界中の人が羨む理想の人生じゃないか。
「ルイも、まだ未成年か?」
ヴァロアの質問に、ルイは再び顔を上げる。
――ナイス、ヴァロア!
「うん、俺は来年。高等教育プログラムが終わって、年明けから十四番区のユニバーシティへの進学が決まってる」
「旧市街地へ? ハイレベルの大学ばかりが集まってる区域じゃないか。偏差値なんて、余裕で七十超えばかりだ」
「すっげ……」
「そんな事ないよ。特にする事が無いから勉強してたら、学力だけはまぁ並以上。でもそれ以外の事は全くだから、プラスマイナスゼロ。つまり、普通だよ……」
「それが普通だったら、俺なんてどーなるんだよ」
「あんたはあんたで、俺の知らない事いっぱい知ってるでしょ。そういうの、羨ましい」
「はぁ……。思う事って、人それぞれなんだな」
「あんたは? 結構年上に見えるけど」
「俺は……ここでは最年長だな、二十七だ」
「そんな上なのか!」
「ああ。ユニバーシティも儀礼祭も、懐かしいよ」
「今は、どうしてたの?」
――情報屋……。
俺は、あの男がそう言った時の、ヴァロアの反応が気になっていた。
「二番区を中心とした情報を、金にしていた」
「人探しとかか?」
「ああ……。人探しも含め、闇取引や株券の取引話、非登録の仕事の斡旋……。表向き禁止されている事柄、全ての情報だ」
「人探しは、情報センターで手続き取れば出来るんじゃないの?」
「中には、それが出来ないやつもいるんだ。犯罪絡みの失踪や、何故かID情報が抹消されていた……なんて案件もあってな」
「それって……」
「……ああ。帰ったら、忙しくなりそうだ」
「ここの事は、知らなかったのか?」
「いや、さすがにこんな組織があるとは……」
そう言ったヴァロアの言葉に、何処か違和感を感じる。
二番区で情報屋をしていて、ID情報抹消の案件もあって、それなのに、この施設の存在を疑った事もない……? 頭がきれるヴァロアなら、機密利に働いている組織が存在するんじゃないかと、一番に探りそうだが……。
こうやってすぐに相手を勘ぐる癖も、二番区で上手く生きていく為に備わった知恵の一つだ。
だが、この状況で相手を疑ってかかれば、更に事をややこしくするだろう。
「……そっか。俺も、二番区へ職探しに行った帰り、急に捕まって……」
俺は、とりあえず思いついた事を話した。
「俺も似たような感じ。――大学に書類の提出に行こうと思って、十四番区へ向かう途中で、急に大きな警報音が鳴って……」
「ヴァロアは?」
「……え? ああ、俺も……。同じような感じだ」
――曖昧な返し方……。
「ふーん。……で、あんたは?」
「……」
「一番にここにいたよね? どうやって連れて来られたの?」
「……僕は……」
「うん」
「ここで……生まれた……」
「え……?」
予想外の答えに、俺とヴァロアは顔を見合わせた。
ここで生まれた?
このいかれた塀の中で?
一体、何からつっこんでいいのか……。
「……って事はさ」
「ルイ?」
「ここって、女もいるの?」
「え、何でそこ……」
「……」
「両親は?」
「……」
――駄目だ。これ以上ルイに任せていたら、とんでもない質問をしかねない。
「リノ……だったよな?」
「……」
「名前で呼んでも……?」
「……」
「ちゃんと答えるの! いいの? 嫌なの?」
「……いい……」
「はい、良く出来ました」
「ルイも、あんたじゃなくて、ちゃんと名前で呼べよ、俺達の事」
「嫌だ」
「――は?」
「嫌だね、断る」
「何で!」
「情が湧かない方がいいんでしょ。敵になる相手の事は、名前で呼ばない」
「それはっ……」
「……じゃあ、一緒に居て」
「……」
「……何でそんな渋るの? お互いの事をよく知らないから? ――じゃあ、何でも答えるよ。聞いてよ、俺の事」
「そういう問題じゃなくて……」
「俺は、感謝してるよ。確かに、こんな訳分かんない所で、一人で何かするのは嫌だよ。不安だから一緒に居たいってのも正解。……だけど、一緒にぶち込まれたのが、あんた達で良かったって思ってる」
「……それは、俺も一緒だ。こんな絶望的な状況の中で、普通の話して盛り上がったりさ……。明日から人を殺さなきゃいけないっていうのに、お前達と一緒じゃなきゃ、とっくに気がおかしくなってたと思う……」
「だったら!」
「だけど! これから先、俺達の関係がどうなっていくかなんて分かんねーだろ……。それこそ、さっきの奴等みたいに……」
「……ならないよ」
「どうしてそう言い切れる」
「確証はないよ。――だけど、そんな風にこれから先の事を悲観したくない。それより、皆で協力して、ここから出た時の話がしたい」
「……」
「実は俺さ……、お酒とか飲んだことないんだよね。……ホットワイン、御馳走してくれるんでしょ?」
「――え? ああ……。だけど、それはここから出られた時の話で!」
「だから、それまでは生きてなきゃいけないんだよ。……俺も、ゼノも、ヴァロアも、リノも。……賑わってるヒュッテも見てみたいし、いろんな味のソーセージも教えてよ」
「ルイ……」
もっともらしい事を言われて、正直驚いていた……。
確かに、俺は悲観していたのかもしれない。 誰かが死ぬこと、裏切る事ばかりを考えて、助け合ってここから出る選択肢なんて考えていなかった。
「……ちょっといいか?」
その時、難しい顔で話を聞いていたヴァロアが間を割いた。――ヴァロアの声は、どこか吹っ切れた感じで、落ち着いた音色だ。
「皆、少しでも早くここを出たい。――そうだな?」
「ああ……」
「うん……出たいよ」
「ゼノンは通過儀礼祭、ルイは十四番区への進学、リノだって……いつまでもこんな所に居残る事を、良しとはしていないはずだ」
「……」
「俺も、そうだ。生きて成したい事がある」
「うん……」
「その為に、互いの手を取らないか?」
「ヴァロア……」
「人間なんてものは、疑おうと思えばいくらでも疑えるし、裏切ろうと思えば簡単に裏切れる。信じ合うという事が、一番難しい。……だが、ここでは、人一人の力なんざ無に等しい。奴等にとったら、簡単に握り潰すことが出来る力だ」
「それは、その通りだけど……」
「ルイの言う通り、今から勝手に悲観して、最悪な手札を引いちまうのはごめんだと思ってな。……いや、もう引いちまったのかもしれない。だが、それなら、皆の札を合わせれば――」
「勝てる……とでも?」
「勝つさ。運の強そうな打ち手が四人もいるんだ。――それに、俺も食べてみたいからな」
「何を?」
「ホットワイン片手に、いろんな味のソーセジ」
「――ははっ、ソーセージかよ、決め手は」
「ふっ、ダメか? 充分魅力的な理由だが?」
「……ああ、御馳走するさ、必ず」
「……決まりだな」
ヴァロアは、俺に向けて手を差し出した。 俺は、返事の代わりにその手を握り返す。
「ゼノッ!」
「……まーた抱き付く。好きだな、お前」
「……ありがとう」
「礼ならヴァロアに言え。――あと、ゼノンだから」
「……ゼノ」
「ゼノン!」
「……ゼノ」
「何だよお前! 反抗期か!」
「皆でここ出たら、ちゃんと呼んであげる」
「はぁ? ……何だそれ」
「俺、目標がないと頑張れないタイプなんだ」
「目標って……。俺の名前呼ぶのが目標ってのはお前……志低すぎだろ」
「いいの、結構気に入ってるから」
「名前?」
「違う。ゼノのこと」
「なっ!」
「ははっ、若いっていいな」
「はっ……離れろ! 今すぐに!」
「――痛っ! 何? 顔赤くしちゃって。そんなつもりじゃないよ」
「いーから! 男に抱き付かれるとか、気持ち悪いだろ!」
「……分かったよ、うるさいな」
ルイは、文句を言いながらも明らかに上機嫌だった。
――ポイントを共有して参加する。
つまりは、俺達四人が協力してここを出ようって話だ。だが、それにはもう一つ気がかりな事が……。
「……リノ」
「……」
「お前も一緒だ」
「……っ」
「ここを出る時は、必ず四人一緒だ」
「そうだよ。それとも、ここにいたい? ……わけないよね」
「……僕は……」
「うん?」
「……僕に……意思は……ない……」
「意思がない?」
「……居ろと言われれば……居る。……出ろと言われれば……出る……」
リノは、相変わらず光の存在しない目で、俺達の事を見た。
「何それ……」
「そうやって、ずっとここに居たのか? これからも、ずっとここに居るつもりか?」
「……はい……」
「それじゃあ、リノはどうしたい? リノの意志は?」
「……無い……」
「そこまできっぱり言われると……困ったね」
――何故か……無性にイライラするんだ。
他人の事なのに、彼に意思が無かろうが俺には関係ない事なのに、どうかしてる……。「ふざけるな……」
「ゼノ?」
「ふざけるなっ! 何で全部丸投げして、勝手に諦めてんだよ! 意思が無いなら持て! ここから出るって信じろ! 俺は、お前を引きずってでも一緒に出る!」
「ほら、一緒に出るって、張り切ってるよ?」
「……」
「……じゃあリノ、こうしよう。あまり気は進まないがな……」
「ヴァロア?」
「――命令だ、リノ・パルヴィス。ここを出る時は四人で、決して諦めない。必ず生きて祝杯を飲むこと」
「……命令……」
「そうだ。――いいな?」
「……はい……」
――命令。
その言葉を与えられないと、リノは物事の決断が出来ないみたいだ。それが、あの男が、リノ自身が言った、意思が無いという事なのだろうか……。
俺は、どうして他人の事でこんなにも腹を立てているのか、自分でも分からなかった。 リノが意思を持たない事も、何の希望を抱こうとしない事も、俺には無関係の事で、知る必要もない。
それなのに、まるで電池が切れて動かなくなってしまったようなリノの姿を見ていると、無性に腹が立つんだ……。
一体、何がそうさせてしまったのかを、知りたくてたまらない……。
それから俺達は、いくつかの約束事をした。
――所持品は全て金庫に保管する事、金は共有し食料の確保をする事、所持金が底をつくまでは忠誠を誓わない事、武器の鍵は皆で管理する事、そして、些細な事でも報告し合う事。
途中、ヴァロアはこんな事も言った。
月の位置から見て、ここは二番区の近くらしい。
「寒い、ね……」
「あぁ、だいぶ冷えてきたな……」
外の気温は既にマイナス域だろうか。僅かに残った体力を、どんどん消耗していく。
一通りの話が済んだところで、俺達は再び無言でバゲットに齧りついていた。
「乾杯しないか?」
その時、ヴァロアが立ち上がり、持っていたバゲットをおもむろに突き出した。
「……え?」
「まだバゲット残ってるか?」
「ああ、一口くらい……」
「俺も、ちょっとだけ……」
「体も冷えてきただろう? これ食ったら、戻った方がいい。ちょっと眠って明日になると、地獄の日々が始まる」
「ああ、そうだな……。想像もつかないけど……」
「その前に、誓おう」
「誓うって、……何を?」
「俺達は、決して運命に追いかけられない」
「運命に追いかけられない? どういう事?」
ヴァロアは、少しの間難しい顔をして、やがって口元を緩めて言った。
「……追いかけられるんじゃなくて、追いかけてやるんだ。明日から始まる、人生で最も最悪な運命にも、決して翻弄されない」
「追いかける、……か。……深いね。でも、どちらにしても翻弄されてる事にならない?」
「いや、違う。追いかけられている内は、いずれ追い越され、振り回されるしかない。……だが、運命を受け入れて追いかけていれば、いずれ追い越して、俺達で道を作っていける」
「明日からの運命を受け入れて、それに臆せず生きれば、ここから出られる……?」
「そうだ。その為に、誓おう。――俺達は、仲間だ」
「……」
俺達も、食べかけのバゲットを突出す。
「必ず皆で……」
「……ここを出る」
「ああ、誓いの乾杯だ」
そして俺達は、残ったバゲットを口に突っ込み、警める様に飲み込んだ。
そうして、それぞれがバゲットを食べ終えたのを確認し、俺達は来た道を引き返した。
監獄へ戻った俺達を待っていたのは、監察班の一人であろう黒服の男。
俺達のIDを登録し、再び監獄の中へ押し込んだ。
「……相変わらず、手荒だね」
「仕方ないさ。ここにいる間は、不当な扱いしか受けないだろう。――ゼノン、鍵持ってるか?」
「ああ……」
俺は、預かっていた鍵を投げ渡した。
緑の鍵は、左手側の扉の鍵。――中には、金庫と薄っぺらい毛布が四つ入っていた。
「荷物は、全部金庫に預けよう。――お互いの信頼の為だ。全部出してくれ」
ヴァロアは、先陣を切って財布と地図を納めた。
「……地図?」
「――ああ。仕事で慣れない街に行く用事があってな。……まあ、使う前に捕まっちまったが」
「じゃあ俺も。財布と、書類。――大学に提出しようと思ってた書類だから、ここでは何の役にも立たないけど……」
「大事な物なんだろ? ここを出るまで、納めておけ」
「ゼノは?」
「俺は……。悪い、紙屑しかねぇ……」
「お金は?」
「……無い。全財産のコイン三枚、ここ来る前に落としちまって……」
――何て情けない話だ……。
「構わないよ。金なら、しばらく食っていける位は持ち合わせてる。その紙屑も、何かの役に立つかもしれないんだ、入れておこう」
「……ああ」
「さっきの話し合いで、体も冷えてる。そうじゃなくても、今日はいろんな事があったんだ。……横になるだけでもいいから、少し休もう」
「そうだな……。このまま明日を迎えるのは、さすがにきつい……」
そうして俺達は、扉の中の薄っぺらい毛布を取り出し、各自一枚ずつ確保した。
「じゃあ俺、ゼノの隣ー!」
「何が、『じゃあ』だよ。こんなに広いんだから、わざわざ隣で寝なくても……」
「嫌だ。寒いもん」
ルイは、さっさと俺の隣に毛布を敷いている。
「……分かったよ」
「やったー! 俺、右ねー」
「リノも、おいで」
「……はい……」
「えー、何で? この浮気者ー二股野郎ー!」
「……黙れ」
「俺は、ここで寝させてもらう。昔からの癖でな、右側に人がいると、落ち着かないんだ」
ヴァロアは、俺達とは離れた部屋の右端で、一人横になった。
「長い一日だったな……」
「そうだね……」
今朝、二番区を出てから、十五番区で職を見付けて、当たり前に二番区へ帰るつもりだった。……それが、こんな所にぶち込まれて、明日からはいかれた奉仕活動に参加するときた……。
俺は、今朝からの出来事を思い返し、その後もなかなか寝付けずにいた。部屋には、三人の静かな寝息が響いている。
「ダメだ……眠れねーな……」
俺は、どうにか少しでも眠りにつこうと、何度も寝返りを繰り返した。
その時、同じく寝返りを打ったルイが、後ろから俺を抱きしめる。
「……んっ……」
「ちょっ、またお前!」
「……」
「寝てる……?」
「……」
「抱き枕かっつーの。あったけーけど……」
ルイの温もりが伝わってきて、だんだん瞼が重くなってくる。男の温もりで安心するとか、俺も相当疲れてたんだろう……。
少しずつ意識が遠くなっていく。
そして、夢か現か……完全に意識が落ちる寸前に、男の声が聞こえた気がした。
「小僧……生きておったのか?」
――小僧……?
誰の……事だ……?
「小僧……そこに……」
きっと、疲れて……いるんだ。
俺は、襲ってきた強烈な睡魔には勝てず、その言葉を聞き終えるか否か深い眠りに落ちていった。
――長い一日が……終わる。