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Binaco  作者: 水瀬いちか
4/20

4 虚像の街

 ――回収者、Ucissore……。

 混乱した頭で事態を把握するには、無理がありすぎた。

 冷静に考えれば、車のナンバーを確認したり、走っている道を覚えたり……最悪な状況の中でも、何かしらの善後策を講じる事も出来たかもしれない。

 だが、俺はまるでおもちゃの人形の様に、ただ座っているだけだった。

━IDを確認しました。地下ゲートを開放します━

「U10775、こちらへ」

 ――Cじゃない。

もう罪人ナンバーですらない。おまけに、これは悪い夢でもなく、もちろん都合良く消える事も出来ず、俺は何処かの地下に連れて行かれるみたいだ。

 この異常事態が、紛れもない俺の現実。

――何て不条理なんだろう……。

 俺は、両手に手枷をはめられ、地下へ続く階段へと促された。

一歩一歩降りる度に、冷たい足音が響く。 その足音で、少しずつ目が覚めていくようだった。

 ――俺と、黒服の男三人の足音。

護衛らしき男が二人と、もう一人は公安局の――

「公……安局……?」

 ――違う……!

車は見落とした可能性があるにしても、こいつらのスーツ、ブレスレット――何処にも公安局のエンブレムが見当たらない。

……何度も厄介になってるんだ、忘れるはずがない。

 特に、ブレスレットには、公安局特別IDの証――ホノグラフィーによって、常時エンブレムが浮き出る仕様になっている。

「それじゃ……こいつらは一体……」

 程なくして、小部屋が並ぶ薄暗い通路に出た。普通の木の扉の部屋や、鉄格子の扉が並んでいる。

「何だよ、此処……。これじゃ、まるで収容施設じゃないか……」

 公安局の人間でもないのに、一体何の権限があってこんな事が出来るんだ。それに、この施設……。

情報センターに登録されている国営施設の中に、収容施設の登録はないはずだ。このBIANCOに、罪人に関する施設は奉仕センター以外存在しない。

「なぁ! いい加減、説明の一つくらい――」

「西棟№00129。ここで間違いないな?」

「はい。既に二名の候補者を収容しています」

━ID認証中……――IDを確認しました。№00129への入室を許可します━

 認証終了の電子音と同時に、重そうな鍵が解かれる音がした。

「――お、おいって! うわっ……!」

 ふいに背中を押され、俺は、部屋の中へと倒れ込んだ。

「何だ……? ここ……」

 部屋の中は、打放しコンクリートの……無駄に広い造りの部屋だった。

 天井からは、沢山のモニターが吊るされ、全面は鉄格子で覆われている。

通路には、さっきと同じ服装をした黒服の男達が数人……こっちに向かって綺麗に整列していた。

 これじゃ、まるで囚人……。いや、柵越しに閲覧されている動物園の猿気分だ。

「何なんだよ……この部屋……」

 そいつらの後ろには、同じ様な部屋がいくつも並んでいる。多分、この両隣も、そのまた隣も、こんな部屋が続いているのだろう。

 

それと、部屋の中に先客が2人。

 ――一人は、俺より年上だろう。胡坐をかいて座っているが、体格の良さと落ち着いた雰囲気から、優に成人を超えている事が分かる。 

 鋭い目つきで男達を睨んでいる目は、冷静で、聡明で……。

だが、紙一重で危なさを感じる目をしていた。

 ――もう一人は……、俺と同じくらいか、少し下か? 

この異常事態の中、まるで他人事のように眠たそうな目で……、と言うか、この短時間で何度か夢と現を往復している。

「……あれ、寝てた……? ――いや、ギリギリセーフ……かな」

よほど図太い神経の持ち主か、単に緊張さに欠けているのか、そいつは、再び夢の中へと入っていった。

 ちょうど二人の観察が終わった時、黒服の男が通信を始めた。

「候補者の数が一人足りていませんが、いかがなさいますか?」

━構わん、始めろ━

 ……この中では、こいつが一番の権力者か。

 俺は、通信をしていた男に詰め寄った。

「おい、何勝手に話進めてんだよ。その前に、説明が先だろーが」

「『説明』は、我々の仕事ではありません。IDブレスが警告した通り、本日AM10時53分を以って、Colpevole称号を破棄、新たにUccisoleへと変更になった為――」

「それはさっき聞いた! どうして称号が破棄されたのかと、それでどうしてこんな監獄みたいな場所に連れて来られたのかを説明しろっつってんだよ!」

「候補者の一名が、二度の説明を要求しています。……彼を、回収しますか?」

━不毛な話を……。我々が必要なのは、回収者と忠誠だ。これ以上数を減らすな━

 どこからともなく冷淡な男の声が響く。

「説明の許可が下りました。説明を始めます」

 ――回収? さっきから、一体何の事だ。

「それと、『回収』についても、だ……」

 俺は、そう一言付け加え、男を睨み付けた。

「Colpevoleの称号を破棄した理由は、Uccisole=回収候補者の数が、規定値を下回っていたためです。我々は新たな回収候補者を確保する必要があった。コンピューターによる自動選別の結果、あなた方にはID保護がかからなかった。――それだけの話です。……つまり、回収候補者が不足している今、新たにUccisoleとなったあなた方は、非常に貴重な存在という事になります。……分かりますね?」

 ――ダメだ。全然理解出来ん……。

「『どうしてこんな監獄みたいな場所』、に関してですが、あくまで候補者の段階であるあなた方を厚遇するわけにはいきません。我々に忠誠を使い、奉仕活動へ従順な者へは、相応の恩遇を施します。この施設内における全ては、BIANCOでのシステムと同様に考えていただいて構いません。忠誠を誓うことが、己の身を守る一番の選択……と。――次に、回収についてですが」

「また忠誠かよ! 第一、そん――」

「――そんな説明じゃ分からないよ。ここから出られるの? 出られないの?」

 口を開いたのは、さっきまでウトウトしていた男だった。

「……出られます」

「どうやって?」

「我々が命じる奉仕活動を終えるごとに、ポイントが付与されます。一定のポイントに達すると、あなた方はModelloとして生まれ変わり、ここからも解放されます。それどころか……」

「それどころか?」

「BIANCOへ貢献した者として、CLASS3以上の特別称号を。生涯、罪人ナンバーなどとは無関係な暮らしを約束しましょう。……謂わば、これは我々が与える罰であり、チャンスでもあります。――もちろん、これを『罰』と捉え抗うか、それとも、『チャンス』と捉え忠誠を誓うかは、あなた方の一存にお任せしますが」

「おい、ちょっと待――」

 反論しようと叫んだ矢先、再び居眠り男に遮られた。

「シッ! ちょっと黙っててよ」

「何でだよ!」

「だってあんた、さっきから『何でどうして』しか言わないんだもん。話が進まなくて、眠くなっちゃうよ」

「お前は初端からコックリコックリしてただろ!」

 ――くそっ、腹立つ奴だ……!

「それで、どうやったらそのポイント貰えるの? ボーナスとかもあるの? 寝る子は育つルールがあれば助かるんだけど」

 男は肩をすくめる仕草をして飄々と質問する。

「Ucissoreの奉仕活動は、『ゴミの回収』です。特に質問がなければ、このまま詳しい説明に移りますが」

「……ちょっと待ってくれるか」

 次に口を開いたのは、もう一人の男だった。

落ち着いた雰囲気通り、穏やかな口調だ。

 ――だが、その言葉は、どこかアンバランスさを含んでいる。まるで、生の裏に死があるように、彼の冷静さの裏には、不安定で冷ややかな感情が隠れているようだった。雰囲気や口調が穏やかなのは、対照的な感情のバランスを保つ為か、ただのフェイクか……。

「言いたい事は何となく分かった。――要は、何かを回収する人間が必要で、俺たちはその為に集められた。忠誠を誓い、ポイントを稼げば、ここからも解放される。そうだな?」

「はい、その通りです」

「だが、説明が略述的すぎる。要点は分かったが、肝心な『事情』が分からない。あなた方の言う選別の基準は? 何故俺達には保護かかからなかった? ――彼の質問の、『どうしてこんな監獄みたいな場所』も、扱いの問題では無く、経緯を聞いている。……と、俺は思うんだが。違うか?」

「え……? ……あ、あぁ、そうだ。俺はあんなバカみたいなペナルティ与えられて、こんな所に連れて来られるような事はしてないぞ! せいぜいペナルティ2って所だったはずだ。ID保護とか称号破棄とか回収者とか、一体何の事だよ!」

「……だ、そうだ。俺も彼の意見に同調する。話を進める前に、そっちの言う『回収者』がどういう者か、それが俺達にどう関係あって拘束されたのかを聞かせて欲しい。――三名中二名が説明を要求している、と上に取り合ってくれるか?」

「……じゃあ、俺も」

 居眠り野郎がすっと手を上げる。

「三名中三名だ」

 ……大人な対応に、キャンキャン吠えてた自分が恥ずかくなる。

「……。三名中全員が説明を要求しています。いかがなさいますか?」

━既に五分が経過するというのに、何をてこずっておる。――このまま通信を。私が説明しよう━

「ですが……」

━構わん。相手はゴミと変わらん輩だ。これ以上時間をかける必要が何処にある━

 居眠り野郎が、重たい瞼を数回瞬かせて、俺の方を見た。

「ゴミ……だって。いいの?」

「お前の事もだよ!」

「うそ。俺は臭くないもん」

「俺だって! いや……、昨日はタダ風呂逃したから……」

「……おめでとう。よしよし」

「触るなよっ!」

「……だめだ。眠くなってきちゃった」

 ――何が『おめでとう』だ!

 そいつは、再び重い目を擦りながら、部屋の隅の方へ移動していった。

壁にもたれていたもう一人の男が、手招きをする。

「まぁ、今からお偉いさんが直々に説明してくれるんだ。――居眠りは、その後だ」

 俺も、後に続いて二人の方へ移動した。

三人を収容するには広すぎるその部屋は、内装もまぁまぁ、……二番区の俺の寝床よりは断然良い。前面が鉄格子じゃなければ、住みたいくらいだ。

━ヴァロア・ドルチェ。さすが、BIANCOの情報を嗅ぎまわる『情報屋』なだけあるな。情報の整理から要点に結び付けるまでの能力は、買いたいくらいだ━

「……」

 ――情報屋? 何だ、それ……。

━それに、ゼノン・バリオーニ。両親は既に他界。二番区育ちのゴミ……か。さすが、生命力の強いやつだ。十年前の死に損ないが━

「……っ!」

 ――こいつ、何でそんな事まで……。

━ルイ・ザネッティ。――これはこれは、育ちの良いお坊ちゃまが遥々ご苦労な事だ。まさに、生き写しだな。呪われた運命というのは歌劇の様だ、実に興味深い━

「あれ、何で知ってるの? 俺はそっちの方が興味深いけど」

━そして、リノ・パルヴィス━

「えっ……?」

 ヴァロアという男が、俺の方を見た。

その表情からして、思ったことは恐らく同じだろう。

「お、おい……。居たか? もう一人……」

 ――その時だった。

さっきまで、俺の立っていた場所で微かな光が動いた。

 薄暗い部屋の隅で、膝を抱えて座っている少年が、俯いたままの顔を少しだけ上げた。

「に……んげん……?」

 ――その子の顔からは、全く生気が感じられない。白くて、繊細で、綺麗な顔立ちは……まるで蝋人形だ。人間の温度が存在するようには思えない。

僅かに動いた目の中には、今にも消えそうな光が二つ……。それは、少し揺れ、再び暗闇に溶け込んでしまう。

 ――気付かなかった?

 ――さっきまであそこに立っていたのに?

 あの反応を見る限り、ヴァロアという奴も気付かなかったみたいだ。

━リノ・パルヴィス。……限りなく戦力外。生きる事を投げ出した奴とは、哀れなものだな、リノ・パルヴィス。……老いぼれの様になりたいか? ――忠誠を誓わず、命すら放棄した人間の哀れな末路を、嫌という程見てきたはずだろう。……それとも、あの男の罪を背負ったつもりか?━

 ――『あの男』という言葉に反応して、微かに光が動いた。……だがそれは、またすにぐ闇に戻ってしまう。

「リノ……パルヴィス……」

 俺はその名前をなぞるように呟いた。

 こっちは、ヴァロアとはまた別の危うさを持っている。彼以外の全ての物質が、あの小さな火を消す危険因子になってしまうような……。

きっと、俺が近付いた足音で、俺が話しかける吐息ですら、簡単に消えてしまう。

 俺は、彼の火が消える瞬間を想像して、言いようのない虚無感を感じた。

━それで、説明が必要だと言ったな━

「……あぁ。あなた程のお方なら、ゴミでも分かる説明くらい片手間で行えるでしょう。残念ながら、こちちからあなたは見えないんでね。ブランデー片手に話してくれても構わない」

 ヴァロアは、さっきとは打って変わって、挑発的な目をしている。

 そんなに癪に触ったのだろうか? 

あの、『情報屋』って言葉が……。

━そうさせてもらおう。……まずはBIANCOについて━

「……」

 ――何となく……だ。

 俺は、聞いてはいけない事を聞こうとしている気がした。いや、聞かせたくなかったんだと思う。

――昔の自分に……。

 この街を『理想』と信じていた昔の自分が、今もまだ、俺の中で生き続けていた。

 俺は、過去のゼノンを捨て切ることも、この街を虚像と認める事も出来ないまま、心の何処かで、もう一度、BIANCOに受け入れてもらう事を望み続けていたのかもしれない。

 俺は、汗ばんだ手に力を入れ、ブレスレットの声に集中した。

━この街は、都市計画最後の参加国にして、今や誰もが口を揃える『理想の都市』となった。……当然だ。この街には模範生が住み、罪人は自発的に奉仕を行い、死刑も存在しない。それも、市民の約95%が模範生としてこの街に忠誠を誓っている。これを『理想』以外の何と呼べよう━

「100%が理想なんじゃないの? やっぱり」

「お前、いつの間に起きたんだ……?」

━95%だ━

「……頑固だね。今、高等プログラムまでの量子的論を引っくり返されちゃったよ」

「おいっ……!」

 俺は、肘で居眠り野郎の脇腹を小突いた。

「何?」

「お前こそ、何頑固になってんだよ! そんな所に食いつき出したら話が進まねえだろ!」

「……そっか。続けていいよ、100は譲れないけど、お気になさらず」

━ふっ構わん。当然だ。たかだが市民の、それもUccisoleの分際で、容易く我々の意図を理解されても困る━

「……だって」

 居眠り野郎が無邪気な顔で俺の方を見る。

「お前に言ったんだよ」

「ふーん……」

━この街が……聖都市計画に参加し、BIANCOとして発足する前は、ごく一般的な法律のみで統制されていた。統制と言っても、今とは比べ物にならん程治安は悪く、法律を犯すものも溢れていたがな━

 ――発足……。俺がまだ七歳の頃だ。

━BIANCOとして新しく生まれ変わり、新たな規約事項を制定した所で、市民の意識は早々変わらん。――善悪の基準などとは、それこそ十人十色だ。平気で破るものもいれば、従順に従う者もいる。……だが、従わんとする者の存在……、それこそが新しく生まれ変わったBIANCOには必要だった━

「反面教師……」

━さすがだな、ヴァロア・ドルチェ。貴様、一体、どこまでこの都市の情報を嗅ぎまわっていた。――ふっ。まぁ、構わん。さすがの貴様でも、この施設の存在は予想外だったようだからな━

「……」

━反面教師……その通りだ。新しく生まれたこの都市を聖なるものとする為、理想とする為、従わんとする者を残しておく必要があった。――それが一体、この街でどの様な扱いを受けるか。どちらが異常で、どちらが普通か。何が『罪』で、何が『模範』か……。無法者の身を以って、市民に知らしめる為に━

 ブレスレットからは淡々とした冷淡な声が響く。

「……それで、模範生と罪人なんて称号を作ったのか」

━……そうだ。『規約に従順な者こそが普通、違反者こそが異常』という念を植え付ける為、まずは違反者の取締りを徹底した。違反者を迫害する事で、道を外れる事への恐怖心を、従順な者へは相応以上の待遇を施す事で、従事する事への価値を教える。――完全に二分化した結果、この都市は完全な理想都市へと生まれ変わったのだ。当初、異常とされた我々の政策も、今や普通となった。――疑う事も無く皆が忠誠を誓い、模範生として生き、口を揃えて歌う。『BIANCOこそ理想の街だ』、と……━

「だったら……、それで終わらせれば良かったじゃねーか。BIANCOは、理想の都市に生まれ変わったんだろ? お前らの計画通り、この街を治める事が出来たんだろ? だったら、何で残しておく必要があるんだよ、罪人なんてふざけた称号を!」

 俺は思わず体が熱くなり、柵を掴み声を荒げた。

「……BIANCOの均衡を保つ為。『一歩間違えたら、お前等もこうなる』と知らしめる為に、残しているのか。Colpevoleの枠を。――その理想的な数値が、95対5」

 ヴァロアが静かに答える。

━いかにも。今や規約を犯す者の数は減り、圧倒的に模範生が多い。……だが、いつどんな時でも異常は必要なのだ。異常が放つ恐怖、恐怖が生み出す自己への防衛機制。恐怖心こそが、人間をコントロールする為に必要な感情であり、それによる防衛機制こそが欲望への抑止力となる。――分かるか……? 理想を掲げたこの街に必要な物は、自由でも平和でもない。――罪人こそが、この街に必要なのだ。5%の汚れが、他の95%を純真なものとしてくれる。まさにこの街の名に相応しい、白く汚れの無い、純真なものへと……━

「……それが一体、今の俺達とどう関係してんだよ。俺達はもう、Colpevoleじゃないんだぞ。このUccisoleってやつも、お前の言う反面教師としての……、ゴミとしての仕事の一つか?」

 俺は、自分が震えている事に気付いた。

未だ、心の奥で信じていた理想が、崩れていく。

━そうだな、ゼノン・バリオーニ。貴様は特に、罪人として実に良い働きをしてくれた。……誰も、他人に醜態を晒しながら生きたくはない。誰も、反面教師になどなりたくない。そんな汚職を十年間も引き受けてくれたのだ。感謝している。――出来るなら、特別称号を与えたいくらいだ。はっはっは……━

「クッソ野郎……」

 この怒りを、何処にぶつけていいのか分からなかった。

 俺は、ただ聞こえてくる不愉快な笑い声をシャットアウトしようと、唇を噛みしめ俯いた。

━計画は我々の思惑通りに進み、この街は完成形へと成長した。――だがその反面、我々の計画に歪みが生じだした。……まず一つは、必要な罪人の数が一定値に留まらないという事だ。……まあ当然だろう。相手は人間だ。増えすぎる事も、逆に、減りすぎる事もある━

「人間、ね……」

━だが、この問題は簡単な調整を加えるだけで、そう頭を抱える必要もなかった。……厄介だったのはもう一つの問題。――反面教師として置いておくには、害が在り過ぎる罪人の存在だ━

「まさか……」

 ヴァロアは、苦虫を噛み潰したような顔をして、声の先を睨んでいた。

 ――何が、『まさか』なんだ……。

俺には、次に続く言葉が浮かばなかった。 ある一つを除いては……。

━この都市には、罪人収容所も死刑も存在しない。どれ程その存在を隠したくとも、消してしまいたくとも、都市計画本部がそれを禁じておる。――もっとも、罪人を更生させる為の奉仕センターを創設したのは、都市計画本部だ。ある程度の罪人の存在は認されておる。……だが、あくまで都市計画基準の『ある程度』だ。一般国の法律に反する罪人など、この理想の都市には存在してはならない。仮に、代表幹部視察時に、奴等の存在が明るみになれば、この都市はランク外へと落とされる可能性もある━

 ――大丈夫だ。

俺の予感はきっと……外れている。

━知っているか? 腐敗して悪臭を放つゴミにも、再生してもう一度意をなすものと、腐りきって害しかなさないものの二通りが存在する。――我々はそのゴミ共を一掃し、本部視察対象外地区の二番区へ追いやった。そして、使えるものは奉仕活動を経て、Modelloへと再利用し、使えないものは、……Uccisoreによる『回収』を行った。回収によって穴が空いた罪人の枠には、新たな罪人を用意する。――全ては、我々が導き出した理想的な数値の元、不要な罪人のみを回収し、害の無い5%の罪人どもは、見せしめとして生かし続ける。それこそが、我々の行ってきた政策であり、貴様達がここに集められた理由だ。――ヴァロア・ドルチェ……。秀才な貴様の口から、聞こうじゃないか。我々が何をしたか、何故貴様らがここに集められたか……━

「新たな罪人を用意……? 不要なゴミを回収……?」

 そんな事が出来るのは、やっぱり、一つしか……。

 そして、俺がずっと認められなかった一言を、ヴァロアが口にした。

「ID操作……。禁忌を犯したか、イかれた役人共が」

「ID操作って?」

「重犯罪だ。正式な手続きを経ず、不正にIDにアクセスし、情報を操作する。この街の様に、IDブレスで個人における全情報を管理している街では、絶対に犯してはならない重犯罪だ」

「つまり、俺達がここに連れてこられたのは、IDを操作されたせいってこと?」

 ルイは自分のブレスレットをトントンと叩きながら、ヴァロアの方を振り返る。

「……恐らくな。それも、ID操作は日常的に行われている。罪人の数が増えすぎた時は、積極的に奉仕活動へと促し、更生の余地がある罪人をModelloの称号へ戻す。……同時に、更生の余地が無い罪人は、回収し、不要な罪人の数を減らす。――そして、減りすぎた時は、ModelloのIDを操作し、不正にペナルティをつけ、罪人へと引きずり下ろす。……もちろん、だれかれ構わずって訳じゃないだろうが」

 ――この街が、BIANCOが、市民のIDを操作……?

「だからこの街は、過去15年間にわたって、『世界一罪人の少ない街』であり続けている。……当然だ。この街の罪人は、常に5%に留まるように管理されていたのだから。おまけに、他の国では処罰対象にもならない、素行のいい罪人ばかりだ。それも当然だろうな。それ以外の都合の悪い罪人は、全て『回収』してきたんだ。――本当に、よく出来ているよ、この街は……」

 ……何だよ、それ。

 今まで、奉仕活動を終えても、すぐにColpevoreへ逆戻りしてきたのは、IDを操作されていたって言うのか……?

「そして、このUccisoreという称号。それも、政府が都合の良いように特別に創った称号だ。直訳すると、重犯罪者。――その重犯罪者達に課せられた罰は、奉仕活動と託けた罪人の回収……。つまり、罪人を『殺してこい』という事だ」

「殺す? ……人間を?」

 ――緊張感の無かったルイも、今回ばかりは真剣な表情でヴァロアを見ていた。

「さっき、『回収者の数が不足している』と言ったな?」

 ヴァロアは、さっきまで喋っていた黒服の男に目を移した。――男は、眉一つ動かさず、冷たい表情でこちらを見下ろしている。

「つまり、消してしまいたい罪人を殺す為の人材……。それが、回収候補者=Uccisore。その数が足りなかったって事は、同時に、消してしまいたい罪人も増えているわけだ。――もうすぐ、聖祭とされる通過儀礼祭だ。通過儀礼祭の週は開放期間に入る。視察の目を恐れているのか、それとも聖祭の前の大掃除か……。その為に、俺達のIDを操作し、Uccisoreへと落とし込んだ。……俺の見解は、どうだろう?」

「冗談だよな……? 人を殺せ、とか……。――第一、この街は殺しを禁じている、そうだろっ?」

 俺は、縋るような気持ちだった。

――ヴァロアの言った事が、一つでも外れていて欲しい……、と。

━あぁ、間違いだ━

「そうだよなっ! だって――」

━正しくは、回収するのは人間ではない。この街に蔓延る、汚らわしい『ゴミ』だ。殺すだなんて大げさな事ではなく、この街を綺麗にする奉仕活動の間違いだ━

「何でだよ……。この街は、俺達を守ってくれるんじゃ……」

『BIANCOは僕達を守ってくれる』

 過去の自分の言葉が、頭の中で何度も再生される。

━……守る? 何故守る必要がある? 我々が守るのはBIANCOであって、市民ではない。……そうだな。仮に、我々の守るBIANCOが、市民に優しい街で、結果的に貴様が望む『市民を守る』という形になったとしても……だ。守るのは人間であって、貴様達ゴミではない。――ゴミの分際で、この街に守ってもらうつもりでいたか? 貴様と目を合わした市民はどんな顔をしていた? 貴様に微笑んだか? 言葉を交わしたか? ……分かっているだろう。――貴様の存在は、罪でしかない。悪臭を放ち、その姿は惨たらしく、周りに害を及ぼす……美しい街を汚すゴミと同じだ━

 ――眩暈がする。

地面に打ちつけられたかの様に、頭の中が麻痺して……言葉が消えてしまう。

━だが、貴様達は運がいい。回収される側ではなく、回収する側として選ばれたのだからな。回収者を確保する時、貴様達のIDに保護がかからなかった運の良さに感謝するんだな。はっはっは……━

「何だよ……。それじゃ、やっぱり……、この街を信じていた俺が愚かたっだのかよ……」

「どういうこと……?」

「大丈夫か? 顔色が悪いが――」

 ――二人の声が、どんどん遠くなっていく。

俺の意識は、再び記憶の中へと落ちて行った。


「BIANCOは僕達を守ってくれるんだよね、父さん?」

「……」

「……父さん?」

「……あ? あぁ、どうだろうな。それはBIANCOに聞いてみねーと、父さんには分からないなぁ」

「もうっ!」

「だがな、ゼノン……。いつか、成人を迎えて、年を重ねて――いや、それより前になるかもしれない。再びその答えを問う時が来る。……それはきっと、この街に絶望した時か、この街に捨てられた時だ」

「――?」

「……それでもな、父さんはゼノンのままで居て欲しい。お前は頭の良い奴だ、ゼノン。……決して飲み込まれるなよ。ゼノンが変わっていく姿は、父さん見たくないからな」

「何それ? 意味わかんないよ」

「分かんねーか! ははっ、それでいいんだ! ずっと分かんねーままのガキでいてくれよって事だ、ゼノン!」

「僕、記憶力はクラス1だからね、きっとすぐに分かるよ!」

「おおっ! 出たぞ秀才! かなわねーなゼノン」


「ねぇ、大丈夫なの?」

 ルイの手の感触で、俺の意識は、現実に引き戻される。

「……あぁ、思い出したよ父さん。――答えを求めるなら、まさに今がその時だ。まぁ、もうその必要もないか……」

━何だ? 貴様の思い出話など、誰も聞いておらんわ━

「……それにしても、記憶力はクラス1だなんて、笑えるよな。遅すぎるっつーの」 

俺は、もう一度ルイの手を握り返し、立ち上がった。

「何……? ちょっと――」

「お前の望み通り、聞き分けの良い子になってやるよ」

━……つまりは?━

「――奉仕活動を受ける。さっさと終わらせて、通過儀礼祭までにここを出させてもらう」

「ちょっと! あんた、正気?」

「お前……! 自分の言っている事が分かっているのか? 人を殺すんだぞ!」

 ――分かっている。

人を殺してポイントを稼ぐ……悪趣味な奉仕活動だ。

だけど俺は、父さんとの約束を二つも破るわけにはいかない。通過儀礼祭には必ず参加する。必ず、成人ナンバーを貰う――

━なるほど。聞き分けの良いガキは大歓迎だ。……出られるさ。その意気込みの分、奉仕活動に活かせばいい。ポイントなんざすぐに貯まる。――もっとも、個人戦よりは、ポイントを共有する団体戦の方が早いがな。……ヴァロア・ドルチェ。ルイ・ザネッティ。貴様達にも意思確認を行う。――奉仕活動を、行うか? それとも、拒否するか?━

 二人は、苦しそうに顔を歪ませて俯いていた。

「……俺は嫌だよ。争うのとか、殺すのとか、……そういうのは嫌だ。俺は参加しない」

 ルイは、爆弾でも見るような目で俺の方を見た。参加すると言った俺を、恐れている。

一方ヴァロアは、唇を噛み、俯いたまま……やがて、その口を開いた。

「俺はっ……! ……俺も、人は殺さない。絶対に……」

━それが貴様達の答えか? ――良かろう。ヴァロア・ドルチェ、ルイ・ザネッティの二名は奉仕活動を拒否。早急に二名への対応を決定するとしよう。……なに、対応といっても、不要となった貴様達を回収するまでだ。次の回収対象者として登録されるまでそう時間はかからんよ━

「……っ!」

「拒否したら俺達が回収される……か。正しくは、最初から俺達に選択権はなかったわけだ」

━その通りだ━

「だが、俺達は、重犯罪者でもBIANCOの市民だ。このIDブレスをはめている限り、何処で何をしても、BIANCOの規約に則り処罰される。――そして、市民はこのIDブレスを外す事が許されない。……つまり、例えお前達がそれを容認したとしても、このIDブレスをはめている限り、この街で人を殺すなんて不可能だ。この街の全ての認証カメラは、計画本部とリンクしている。すぐに計画本部が嗅ぎつけるはずだ」

━ふっ……、それがお前の切り札か? 少々買い被っていたようだ。……IDブレスを起動してみろ━

「……何だって?」

 ――俺は、嫌な予感がした。

二人も、同時に自分達のブレスレットを起動させる。

━聖都市BIANCOへようこそ。私達は、貴方の訪れを心から歓迎します。――尚、一週間以上の滞在の場合、仮IDの発行が必要となりますので、情報センターへ……━

「何これ……」

「非登録者用のガイダンスだ……」

「じゃあ、俺のIDはどうなっちゃったの? まさか、死んだ事になってるとか……?」

「まさか……。冗談だろ……っ」

 俺は、急いでホノグラフィーを起動した。

━ID登録者情報=BLANK━

「未登録……?」

━ペナルティ=BLANK━

「何で……」

━血縁者情報=BLANK━

「嘘だろ、父さんの……」

「……説明してもらおうか」

 混乱している俺をよそに、ヴァロアが冷静な声で問いた。

━貴様達のIDは抜き取らせてもらった。今は一時的に我々が管理している。――忘れたか? そもそも貴様達は、どうしてここへ来た? ID操作は我々の専売特許だ。貴様達のIDを抜き取るくらい容易い事だ━

「ふざけるな! IDを返せ! お前にとってはただの情報でしかなくてもな、俺にとっては……っ」

━何故貴様が怒る? ゼノン・バリオーニ。貴様には、奉仕さえ終わればIDは返す。非登録者用へと書き換えたのは、認証カメラに裁かれず、柔軟に奉仕を行うためだ。奉仕を終えたら、IDは元に戻す。それも、全てのペナルティは消え、Modelloの特別称号入りで返すんだ。Colpevoleとして生きてきたお前にとって、こんないい話は無いだろう? IDは、それまでの一時預かりだと思えばいい━

「奉仕を拒否した俺達のIDはどうなる?」

 ヴァロアが冷静な声で質問したをする。

━抹消する━

「ははっ、それは……、終わりだな俺達は」

━そうだ。貴様達のIDは、回収対象者として登録された時点で抹消する。仮にここから出たとしても、貴様等が自由にこの街を歩けるのは一週間だ。――それ以降は、ID発行の通告が来る。……だが、貴様等には新規ID発行の許可は下りん。存在しない人間としてこの街を彷徨っている間に、ポイント稼ぎに必死な回収者達に消されるだろうな━

「へーテレビで良くある余命一週間とかって、こんな気持ちなんだね」

「何を呑気な……」

━そもそも、例え貴様達が奉仕を拒否しても、釈放する気などこれっぽっちも無いわ。それでも奉仕を拒否するというのならば……貴様達の行く末を見せてやろう━

「……何だって?」

━№00130の映像を繋げ━

「了解しました」

 男はそう言うと、天井から吊るされていたモニターに、映像を映し出した。

「これって、俺達……? じゃないね……」

 映し出された映像は、俺達が今いる部屋とまったく同じ部屋が映った。

一瞬、自分達の映像だと思ったが、中にいるのは俺達ではない。

「ねえ、何するつもりだろう……?」

 スクリーンを睨んだまま、ルイが隣へ来た。

「……分からない」

そう答えた俺も、スクリーンから目を離せずにいた。

拒否した者の行く末――

「……とりあえず、嫌な予感しかしないな」

「嫌な予感って? ……血生臭い事とかだったら、俺本当に嫌だよ」

「分かんねーけど……。分かんねーけど、とりあえずくっつき過ぎ。もうちょっと離れろ」

ルイと俺の距離はほぼゼロ距離、ぴったりくっつかれていた。

「嫌だ、何か怖いもん。……昔からこういう雰囲気苦手だし、さっきのお風呂の件なら謝るから。いいでしょ、どうせ減る程いい身体してないんだから」

「……謝る件はどうなったんだよ」

「血生臭い事とかだったら嫌だな……。臭い事の次に嫌だ……。あ、ごめんごめん、臭いってあんたの事じゃじゃないんだけど!」

「お前な……」

――何と言うか、こいつと話してたら緊張感とか全部奪われる気がする。

━№10030━

「……っ!」

IDブレスの声に、ルイの身体がビクついた。

「びっ……くりした……。まじで嫌だよ俺……帰りたい……」

「……帰してくれると思うか?」

 俺の一言で、見る見るうちに顔色が悪くなっていく。本当に大丈夫か……?

━№10030。チーム戦で奉仕活動に参加しているグループだ。だが、内の一人が未だ忠誠を誓わずにいる。――貴様等同様、人は殺せない、の一点張りだ。おかげで、チーム全体の回収率は3%と最低数値。ヤツが忠誠を拒否しているせいで、未だこの監獄生活……。№10030にとっては、何の役割も果たさないお荷物でしかない━

「……あの子かな?」

ルイの言った『あの子』は、俺も分かっていた。

部屋の角でうずくまっている少年――恐らく、まだ中等プログラムも終えていない年だろう。

「……何をする気だ。あんな幼い子を捕まえて殺しを強要するなんて、いかれている」

━ここでは年齢など関係ない。わずか七歳にして、成人以上にポイントを稼ぐ優秀なUcCisoreもいた。懐かしいなぁ……リノ・パルヴィス? お前がまだ生きていた頃だ━

「えっ……?」

三人が同時に彼を見た。

――暗闇で動かない、まさに死んでしまったような彼を……。

━いいか……? 今一度問う。――奉仕に参加するか? それとも拒否するか?━

「……拒否すると言ったら?」

━無役のヤツに最後の役割を与える。――ヤツの死をもって、貴様等が『拒否する』と言ったその罪深さを教えてやろう━

「……っ! ヴァロア! 頼っ……」

 ――頼むから、奉仕に参加してくれ……とでも言うつもりか? 人殺しに参加しろって?

……馬鹿げてる。

――だけど、このまま拒否したら、あの子はどうなる? 本当に殺されるのか? 俺達は、黙って見ているつもりか……?

「ヴァロア……」

「くっ……」

 ヴァロアは唇を嚙み、足元に目線を落とした。

━なに……憐れむ事は無い。永遠無役な少年に、ヤツにしか果たせない最高の役割を与えるのだ。――何せ今、この監獄に不要なUccisoreはヤツ以外存在しない。不要が為、ヤツは己の命をもってその命を果たす事が出来るのだ。――我々の……貴様等の役に立ち、死ぬ。さぞかし光栄な終わり方だろう━

「……張ったりだ。離れているお前に何が出来る!」

「ヴァロア! 本気だったらどうする!」

━……ヤツに通信を━

「了解しました」

 男は、即座に通信を切り替えた。

━U30583。指令により、臨時任務を命じます━

 スクリーンの中に響く男の声は、目の前で発せられる声より冷酷に聞こえる。

俺達は、スクリーンの映像を食い入るように見た。どうか、ただの脅しであって欲しいと――

『――っ! ……何ですか……? 何度警告を受けても……僕はっ、どうしても……人は殺せません……』

 通信に反応した少年の声は、震えていた。 その顔は恐怖に歪み、泣き出しそうな声で通信に答えている。

━U30583の現在の達成率は3%。――そのうち、Colpevoleの回収成功数0。ModelloのID操作成功数6。……更に、回収候補者を前に、三度の警告無視を行い回収を拒否した為、ペナルティポイント3。U30583のポイント所有数は3です━

『……お願いです……許してください……。僕には、ポイントを奪うしか……人を殺すなんてっ……出来ませんっ……!』

━四度の警告無視。ペナルティポイント1追加。――現在のポイント所有数は2です━

『……はい。……構いません……』

 少年は、消えるような声でそう答えた。

いや、このままじゃ本当に……消えてしまう。

「……ヴァロア、頼むよ……」

「くそっ……」

――その時、通信を行っていた男のブレスレットに、ノイズが混じった。

━……いいか。我々に従わない者の行く末を、その目に焼き付けておけ━

「頼むヴァロア! 参加すると言ってくれ!」

「出来ない……っ!」

━ヤツのリミッターを外せ━

「了解しました」

「ヴァロアっ! 参加すると言え!」

「出来ない! 人を殺すんだぞ! ――何の罪もない人間を!」

「あの子にだって罪は無い! あの子が死ぬ必要なんてないだろ!」

「これから殺さなきゃいけない人間にも罪は無い!」

「それはっ……」

 ――ダメだ……。

言い争っている時間なんて無いのに……!

━U30583。貴方に下された臨時任務は、IDブレスのリミッター解除。なお、今回の臨時任務の成功ポイントは、60ポイントです。……臨時任務を受けますね?━

『いっ……いやだ!』

『……受けろよ。60ポイントだぜ……。今まで、お荷物でしかないお前を置いてやってたんだ。――少しくらい痛い思いする位何だって言うんだよ。……なぁ?』

 少年と一緒に収容されていた男のうちの一人が静かに声を上げた。

『あぁ……そうだよ……。60ポイントもありゃ、ここから出られる日もすぐだ……! ……やれよ。『やります』って言え!』

 最初に発言した男に続いて、もう一人の男も口を開く。

『……リミッターを解除されて……無事だった人なんてっ……! 分かってるじゃ……ないですか……死ぬしかないって! 僕は……ポイントなんか……ポイントなんかいらないから! ……お願いっ……イヤだっ……僕は死にたくないっ!」

 スクリーンからは、悲痛な叫び声が聞こえてくる。部屋の隅で泣き叫ぶ少年を、誰も助けようとしなかった。

――参加する。

その一言で、この少年の命を救えるかもしれない。少年に与えられた理不尽な死を、撤回出来るかもしれない。

だが、その一言は、俺に問われている言葉じゃない。俺の意志では、この状況を何一つ覆す事が出来ない……。

俺は、泣き叫ぶ少年の姿をこれ以上見る事が出来ず、スクリーンから目を伏せた。

━40mAを流せ━

「……ですが、致死量は50mA以上です」

━……楽に逝かせてどうする。これは任務だ。相応の苦しみを与えて殺せ。……もっとも、その方がこいつらへの警めになる━

「ミリ……アンペア……?」

「アンペア……電流。――っ、よせ! それじゃ、本当に……!」

『助けて……っ! 死にたくないっ……死にたくないよ! 誰かっ……!』

『落ち着けセルティ! ブレスレットを外せ!』

 少年の隣にいた男が、少年のブレスレットを外そうとする。

『うっ……、抜けっ……ない……!』

『腕を切り落としてでも外せ! すぐに止血すれば、命だけは助かる!』

『おいっ! ふざけんなよ! 60ポイントだぞ! こいつが死ねば、全部俺達のポイントになるんだ! 大人しく受けさせろ!』

『そうだ! 余計な事を……!』

『――黙れ! ポイントに目がくらんで、気が触れたか! この下愚共が!』

 恐怖で蹲っている少年の周りで大人たちの罵声が行き交う。

 ――だが、それは一瞬の出来事だった。

スクリーンの端で光が走り、割れんばかりの悲鳴が響き渡る。

『うっ……うああぁっ……! あ……熱いっ……! たっ……たすけ……』

 少年のブレスレットは幾度も点滅し、やがて、その腕から煙が上がり始めた。

『セルティ! くそっ……外れ……ろっ! このっ……! ――うっ……!』

『よせっ! お前まで焼け死にたいか!』

『セルティッ……!』

『うっ、あぁっ……! 喉が……っ! 心……臓が……焼けっ……! うぅっ……』

━……見ろ。貴様等の選択のせいで、罪のない人間が、焼け死んでいく姿を。――ここで『意思』を持つという事は、我々に忠誠を誓わないという事は、こういう事だ━

「する……参……加する! ――参加するから、今すぐ止めさせろ!」

 ヴァロアは、檻の手摺を掴み、物凄い気迫で男に詰め寄った。

━もう遅い。直に皮膚の細胞が破壊され、電流が心臓部に届く。――そうなると、心臓が痙攣し、血液を送り出す役割を果たさなくなるだろう。……ヤツはもう、死ぬしかない。往生際の悪い、貴様のおかげでな。――なに、構わんよ。元よりヤツは、近々処分予定だったのだ。最後に相応しい役を得て、幸せな終わり方だっただろう━

「くそっ! ……くそ……っ」

 ――ヴァロア……。

「うっ、気持ち悪……っ」

「ルイ……?」

「臭い……この臭い……。吐きそ……う」

「臭い……?」

 ルイの言葉で、俺もその『臭い』に気付いた。

――人の皮膚が焼ける臭い。

嗅いだことのない……、血が沸騰し、体臭や脂が蒸発していく臭い。……そのおぞましい臭いは、容赦なく呼吸器へと入り込んでくる。

『うぅ……っ! はぁっ……マ、マ! うっ……パパ……っ、兄……さん……っ! うあぁっ……』

「止めてくれ、頼むよ……!」

 ヴァロアの言葉に反して、少年の悲鳴はどんどん増していく。

――『ヤツはもう死ぬしかない』。

その言葉通り、少年の体は黒く焼け焦げ、髪や衣服が燃え上がり始めた。

そして人間は、驚くほど速く燃えていく……。

 スクリーンの中で焼け死んで姿は、まるで、残虐な映画のワンシーンの様に現実離れしているのに……。吐き気を催すこの匂いのせいで、本当に起こっている事なのだと認めざるを得ない。

やがて、その声は壊れたステレオのように聞き取れない音となり……。その焼け死んでいく姿も、もはや見ていられるものでは無かった。

「従うから……。俺も……、参加する……から……。あの子、死んじゃうよ……」

 ――だが、既に遅かった。

やっと出揃った『参加する』の言葉は、あいつの言う通り、もう何の意味も成さない。

さっきまで部屋の隅で泣き叫んでいた少年は、全身が黒く爛れ、眼球は押し出され、もはや人の形を成していなかった。

「うっ、気持ち……」

「もういい……。見なくて……いいから」

 俺は、しゃがみ込むルイの頭に、上着を被せ、背中を擦った。

「死ん……だの……? あの子……」

「多分……」

「ごめん、俺……」

「黙ってろ。……喋ると吸い混む」

「……すまない。俺が……」

ヴァロアは、その場にへたり込み、無言で拳を震わせていた。

……ヴァロアだけじゃない。

俺も、ルイも、あの映像を後に喋る気は起きなかった。

沈黙の部屋には、未だおぞましい臭いがこびり付き、少し気を緩めるだけでも、嘔吐してしまいそうになる。

俺達はそれを抑えるため、出来るだけ呼吸を浅くして、ただ沈黙するしか出来なかった。

━分かるか? 貴様等は意思を持つ必要などない。貴様等の意志や命なんてものは、自由に生かされているものではない。――それが許されているのは、この街に忠誠を誓った模範生のみだ。重犯罪者である貴様等の全ては、我々の手の中にあり、いつでも握りつぶせるいう事を覚えておけ━

「何の権利があって……こんな事……」

━現に貴様等は今、一人の命の犠牲の上に生かされている。ヤツの屍も、この臭いも、よく覚えておくんだな。――次に抗った時は、また別の人間か……、それとも貴様等の内の誰かか……、もしくは、自分自身の姿だと思え━

「自分自身の姿……」

もちろん、彼だったからいいって訳じゃない。彼の死だけで、自分達が置かれている状況は十分すぎる程理解したつもりだ。

だが、自分自身の姿という言葉で、本当は頭の隅で考えていた『逃げ出す』という選択肢を、消さざるを得なかった。

――従うしかない。

どんなに理不尽な内容でも、ここで権利を主張する事は許されない。黙って従わなければ……誰かが見せしめに使われる。

それは、ヴァロアかもしれない。

ルイかもしれない。

もしくは、知らない誰か……。

……そして、俺自身かもしれない。


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