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Binaco  作者: 水瀬いちか
20/20

20 運命

運命の朝……。

俺達は全員、9時少し前にルイ達の部屋の前に集合した。皆の顔を見れば、すぐに分かる。――誰もが、緊張で顔を強張らせていた。

リノは、犬のアルドを見捨てていく事は出来ないと言って、アルドを抱いて待っていた。

「……ルイ、場所覚えてる?」

「もちろん、俺の記憶は完璧だよ。案内する」

「……頼む」

 そして、俺達はなるべく足音を立てず、ルイの後を続いた。

「釣りじゃ無かったらだけど、今日は儀礼祭の対策会議が行われてるはずだから……。職員は、総出でそっちに出席してるはずだよ」

「釣りじゃ無かったら……、有難いんだけどね。こんな所まで来て、皆一斉に捕まったりしたら、……シャレにならないよ」

「でも、もし俺達をおびき寄せる為だったら……」

 ――俺の一言で、皆に緊張が走る。

全員の息を呑む声が、静かな廊下に響き渡った。

「その時は……、俺の出番だよ」

 ヴァロアは、胸ポケットの膨らみに手を当てて、頼りなく笑って見せた。

「……もちろん、使わなくていい結末が最良の結果だ」

「そう、だな……」

 ――俺達が小声でやり取りをする中、黙って先頭を歩いていたルイが足を止めた。

「……機密情報管理室……。この奥で間違いないよ……」

「……機密情報? ID管理室じゃないけど……」

「正式には、ID管理室って部屋は存在しないんだよ。この部屋の奥が、そのID管理室に当たる場所みたい。……ゼノン、ブレスレット、あるよね?」

「あぁ……」

 俺は、ポケットの中に入れていたブレスレットを取り出して、先頭に立った。

「開けるぞ……」

「うん……」

 ――頭の中では、最悪の状況が……あの、甲高い警報音が再生される。

「……っ」

「頼む……」

━IDを認識中……IDを認識中……――同系統の光波が確認されました。引き続きIDの検索を続けます。同系統の光波が確認さ……━

「……ダメだった……って事?」

「……いや、認証システムが光波の認識が出来なくて、錯綜している。多分、今なら……」

 ヴァロアは、恐る恐る扉へと手を伸ばした。 ゆっくりと、扉を押してみる……。

「ロックが……外れてる……」

「やっぱりだ。少なくとも、しばらくの間は認証システムが混乱状態だ。今のうちに急ごう!」

「あぁ……!」

 俺達は、ヴァロア、ルイ、俺、リノの順で、部屋の中へ侵入した。

部屋に入った瞬間――不快な青白い光が目に飛び込んできて、俺達は一瞬足を止める。

「何だ……、この大量のスクリーン……」

「何か、気味悪い部屋……」

 部屋の全面は、360度――幾つものスクリーンに覆われており、各々のスクリーンが青白い光を放ち、部屋全体を不気味に光らせていた。

「……回収候補者……? これって、これから俺達みたいな運命を背負わされるかもしれない人達ってこと……?」

 ルイの見ているスクリーンの中では、無数の人間の顔写真やナンバーが浮遊していた。

一人の情報がスクリーン一杯に浮き上がっては、意味の無い記号羅列して、再び沢山の情報の中へ消えていく。写真の横に出る記号に何の意味があるのかは分からないが、永遠にその繰り返しだった。

「何なの、これ……」

「こんなに沢山の人が、候補者に選ばれてるのかよ……。子供から大人まで……中に、はmodelloの人達だっているじゃねーか……」

「……逆に言えば、こんなに沢山の候補者の中から選ばれた俺達は、よっぽどの悪運を持っていたみたいだな……」 

 だだっ広い部屋の中では、俺達の声や足音、全ての音が煩いほど反響する。反響した自分達の声は、まるで別人のように高く聞こえ……一瞬、背筋がゾッとする。

「こっちは……、uccisole……」

「俺達の顔がいる……」

 隣のスクリーンでは、俺達を含む約三十人ほどの顔やナンバーが、忙しそうにスクリーンの中を泳ぎ回っていた。――回収候補者の時とは違い、浮き上がってきた時に、簡単な情報も表示されるようになっている。

「ゼノ、見て……!」

「俺……だ……」

 スクリーンの奥から、俺の写真が引き寄せられるように浮き上がってくる。

「ゼノン・バリオーニ……母親は出産時に他界……父親は旧職員、規約違反にて処分済み……十年前、回収対象者に選ばれるも……リノ・パルヴィスの失態により回収失敗……二番区にて生存確認……通過気儀礼祭前にIDを剥奪予定……。……って、何だよ……これ……。俺が捕まる事は、決まってたって事かよ……」

 ――表示された情報に、背筋が凍る。

 これが、人々の理想の都市BIANCOの本当の姿……。掲げられた理想の裏には、嘘と欺瞞に満ちた、絶対管理の体制がこびり付いている。

決して表には出さず、奥の奥で、ひっそりと……確実に……。

「理想の街を造り上げるには……、当然犠牲も必要だった。……この街に住んでいるのは、規約通りに一生を終えてくれるロボットじゃない、人間なんだ。裏でこの位操作しないと、理想の都市なんて造れるわけがない。……いや、そもそも、こんな都市計画プロジェクト自体が間違いだったんだ。……BIANCOのメッキが剥がれてみろ。それこそ、次はこの街が計画本部から振り落とされる。そしたらこの街を待っているのは、混乱と崩壊しかない……」

「それでもさ……、理想の都市なんかじゃなくても……、そっちの方がいいよ……。今のBIANCOは、理想の仮面を被っただけの化け物みたいな都市だ……。俺、聞いたことがあるんだ。この街は、世界中の国から羨ましがられてるけど……、他の国には、認証カメラもIDブレスも無いんだって……。そんな生活って、どんな感じなんだろう、って……ずっと思ってた」

「うん……、俺も、昔父さんから聞いた」

「……でも、俺達はこの街から出られない。俺の家族も、俺の学校の人達も、この街から出ようだなんて考えてもいない。自分達がこの街に生まれた事は、この上ない幸せだって……。もちろん俺もそういう風に育てられてきたから、口に出したことはないけどさ……。でも……いつか、ナンバーで管理されない生活がしてみたい……。ポイントに縛られない生活がしてみたい……」

「ルイ……」

「……いつか、出来るさ。例え十年先になっても二十年先になっても……俺達がここで見た事を、伝えていけばいい。例え信じて貰えなくても、この街の本当の姿を訴え続けるんだ……。そしたら……、いつかきっと……」

「うん……」

 この街が築き上げてきた信頼を前に、俺達の言葉なんて、何の意味も成さない事は分かっていた。

……それでも、ほんの少しの僅かな希望に、俺達の未来を賭けてみたかったんだ。

俺達はきっと、まだ神から見放されていないはずだ。

「その為にも、今は先へ進もう……。ルイ、ID管理室は、この奥でいいんだな?」

「……うん、多分この扉の向こう……」

「うわ……っ!」

 ――扉の向こうに広がっていたのは、さっきとは打って変わって、壁一面が真っ白なBOXで埋め尽くされ部屋だった。

「このBOX……、何か書いてあるけど……」

「全部、IDナンバーだ……。NO・00001から始まってる」

「全部って……。一体何個あるんだ……」

「ざっと……八万……くらい……」

「八万……っ?」

 ――リノの言う通り、NO・80000番台のBOXが存在しているって事は……、八万個以上のBOXが用意されているのだろう。

「でも、何のBOXなのかな……」

「見当もつかないよ……。ゼノン、この部屋に着いてからは、何か指示を受けてる?」

「……それが、直観で動けとしか……」


『……いいか? これでID管理室へ行け。そして、その――』

『――U20459、時間です。戻ってください』

『何じゃ……、また盗み聞きとは、お前も懲りんな、ルイス』


「U20459……20459……。じじぃのIDナンバー……?」


『――いいかゼノン。その後は……直観で動け。わしが言ってやれるのは、どうやらここまでらしい』


「直観で……動け……」

 ――少なくとも……、直観で動くと言ったら、俺にはこれくらいしか思い付かない。

「20459のBOXを探してくれ! 何か答えがあるかもしれない……!」

「20459のBOX……。何か思い当たる事が? ……まぁいい、とりあえず探そう!」

「……20240……20349……20……459! あった、これだよ、ゼノ!」

「……頼む、何かヒントだけでも……」

 俺は、全ての望みを託して、そのBOXに手を伸ばした。

「開か……ない……」

「ゼノンの持ってるIDブレス! それをかざしてみればどうだ?」

「待って……っ」

━……IDを確認しました。IDブレスレットの持ち出しを許可します━

「開いたっ!」

 ビクとも動かなかったBOXは、カチッという音と共に、スライドして飛び出してきた。

「何これ……、IDブレスレット……?」

「それも、五つって……」

「他には……他には何か入ってないか!」

「他……、えっと……」

 IDブレスレットを取り出して中を確認すると、一番奥から、痛んだ古いノートが出てきた。

「ノートだ!」

「何て書いてあるの?」

「待って……! ――2024年 12月6日・これが……一番初めのページじゃ。まずは、このIDブレスレットの使い方から書いてやらねばいかんな……。……って、これ……じじぃのノートだ!」

「2024年って……十年も前だよ……」

 ――一目見れば分かる。

慌ただしく、走るようにかかれた文字達……。それに、この口調……。間違いなく、老いぼれが書いた文字だ。

「それで、何だって?」

「……まずはゼノン、ブレスレットの数を確認してくれ。数は、ちゃんと合っておるだろうか? ……だって」

「ロマーノの分まで……ちゃんとあるね……」

「……」

「……続けてくれ」

「……お前さん達のIDは、一時預かり状態になっておる。そのままこの施設を出たら、すぐにID未登録者として捕まってしまうだろう。……いいか? このブレスレットは、まだ何の情報も登録されていない、新品のブレスレットじゃ。そこに、自分達のID情報を戻せ。――……新品のブレスレット……? もしかして、この莫大なBOXの中は全部、新品のブレスレットが入ってるのか……?」

「……おそらく、次が待ってるんだろう。この街に存在する約8万人の人間には、常に次に入ってくる人間が存在している」

「……どういう事?」

「それは事故かもしれないし、寿命かもしれない。もしくは、この街の人為的な何かかもしれない……。要は、次に生まれる人間が、死んだ人間のナンバーを頂くわけだ。……このBOXは、棺桶みたいな物だ……」

「棺桶……? これが、全部……?」

「俺が死んだら……、俺のBOXから新しいIDブレスを取り出して、そこに新しい人の情報を入れるって事……? じゃあ……死んだ人間より、生まれてきた人間の数が上回ったら、どうなるの……?」

「その為の……ID管理室なんだろう……」

「……っ」

 ――『NO・10775』……。

ふっと、自分のナンバーのBOXが目に飛び込んでくる。

もしも、俺が死んだら……、俺が生きてきた一切の情報が、この世から消されてしまう……。俺という人間なんて存在していなかったかのように、違う人間に差し替わってしまうんだ……。

「……それで、どうやってID情報を戻せばいいんだ?」

「あ、あぁ……ちょっと待って……」

 俺は、最悪の想像から、慌てて意識をノートに戻した。

「……ID情報を戻すのは、簡単な操作じゃ。その部屋に、メインPCがあるじゃろう?――……メインPC?」

「これだ……」

 ヴァロアは、部屋に設置された巨大なパソコンの前に座り、躊躇いもせずに電源を入れた。

「どうすればいい?」

「えっと……、――いいか? まずは、メインPCの中から、抜き取られた自分達のID情報を探すんじゃ。何処かのフォルダに、uccisoleのID情報をまとめて保管しているはずじゃ。見つかったら、赤外線ポートを通して新しいブレスレットに送る。な? いたって簡単な作業じゃろ? ――って……。そんな簡単にいくのかよ……。ほら、セキュリティとか……」

「その心配はいらないよ。……もう、抜けそうだ」

 俺の心配をよそに、ヴァロアは忙しそうにキーボードを弾き、スクリーンは俺達には解読できない記号でギッシリと埋め尽くされていた。

「外部から入り込む場合と、内部からアクセスブロックを解く場合は、難易度が桁違いだからね。ここの人間は、内部の人間を信用しすぎのようだ。……これがメインPCのセキュリティとは、聞いて呆れるな。面白い程に穴だらけだよ」

「そうなのか……」

 セキュリティに侵入しているとは思えない程、よく喋る……。だが、喋りながらも決して手の動きは止めず、食い入るように画面を睨んでいた。

「これで……、完璧だ」

「出来たのか……っ?」

 ヴァロアは、溜息を吐きながらイスにもたれかかり、俺達にウィンクを飛ばした。

「やった……」

「それで、まずは俺達のIDの保管場所だな……。――ははっ、まぁご丁寧な事に……、隠しフォルダーの中に綺麗に収められてるよ。不可視にするだなんて、何て安直な……」

「まじ……? こんな簡単に見つかるなんて……、怖い位だ……」

「簡単に見つかってくれないと困るよ」

 ヴァロアは、眉を下げて笑いながら、俺に向かって片手を出した。

俺は、BOXに入れたままのブレスレットを急いで集める。

「特にゼノンは、儀礼祭まで時間が無いんだ。例え、どんなハードなセキュリティを設定されていたとしても、何としても見つけてたよ」

「儀礼祭……、間に合うかな……」

 冷静な素振りを装いながらも、やはり不安は隠せない。どうしても、ブレスレットを持つ手が震えてしまう。

ヴァロアは、そんな俺の手に一瞬視線を落とし、ブレスレットを受け取って、再び作業を続けた。

「ありがとう。……間に合うさ。間に合ってみせるよ。これは、ゼノンだけの願いじゃないんだ。ここにいる俺達全員と、……ロマーノの願いだ。もちろん、ゼノンの為に何としても儀礼祭に間に合わすつもりだよ。でも、ロマーノの為でもある。ちゃんと安心させてやらないと……、きっとまだ心配してる」

「……だと思う。俺も…、…ロマーノに見せてやりたかった……」

「見てるんじゃない? ロマーノだもん!」

 ルイは、俺の体の横からひょこっと顔を出し、ニッコリ笑って見せた。

「うん……」

「あぁ、見てるさ。きっと見てる」

 ヴァロアも、後に続いて俺に笑顔を向ける。

そして、すぐに真剣な顔に戻り、PCに向き直った。

「5分……いや、3分だな。全員分のIDを移行するまで、3分時間をくれ」

「……分かった」

「後は……、これを転送するだけだ……」

 ――ヴァロアがPCを弄ると、すぐにIDブレスレット全体が赤く点滅しだした。

「よし、良い子だ……」

後は、転送が完了されるのを待つだけ……。

「ねぇ、そのノートだけどさ、続きあるんじゃないかな?」

「え?」

 突然、隣にいたルイが、俺の手に握られているノートを指差して言った。

「だって、それかなり痛んでるでしょ? 1ページ書いただけじゃ、そこまでにはならないと思うんだけど」

 ――確かに……。

言われてみれば、どう見てもこのノートには使い古された形跡がある。それも、かなりの年月を感じる。

……老いぼれが、このノートに何かを記していた?

「……2024年12月7日……――本当だ、続きがある……!」

「何て?」

 ――それは、黄ばんでクタクタになったノートの二ページ目……。決して綺麗とは言えない文字で、何かが記されていた。

「……アルドよ。お前さんの言う通り、本当にお前さんの息子はここへやって来るのじゃろうな……」

「アルド……、リノの犬?……」

 ルイは、アルドの頭を撫でながら不思議そうな顔をした。

「俺の父さんだ……」

「え……?」

「……お前さんも、何とも厄介な願いを押し付けて逝ってしまうのじゃな……」

『――自分のもう一人の息子が、いずれここへ捕えられる日が来る。その時は、このブレスレットを息子達に渡してやってくれんか。息子達を必ずここから出して、本当の兄弟にしてやりたい……――だなんて、お前さんはどこまでも甘い男じゃ。そんな、起こるか起こらんかも分からん不確かな事を一方的に押し付けて、自分はさっさと逝くなんてな……。言っとくが、わしも何年もは付きやってやれんぞ。せめて二年。二年が限度じゃ。お前さんの言う通り、残された息子が二年以内にここに捕えられた時は、お前さんの願いを叶えてやろう。……その間の二年の人生は、もう一人の自分勝手な息子の為に使うとするわ』

『2025年2月9日……新しく入った人間の中に、バリオーニ姓の人間はおらんようじゃ。リノの声も、……しばらく聞いておらん。ちゃんと生きておるのか……リノ……』

『2025年4月26日……始めにああは言ったがな、アルド。わしはお前さんの事を信じておる。……今日、久しぶりにルイスがわしの元へやって来たぞ。変わっとるようで、全然変わっとらんかったわ。きっと、変わりたかったんじゃろうな……。お前さんの死を乗り越えられず、未だ苦しんでおるようじゃったわ。……そして、ルイスとある契約を結んだ。何、お前さんの息子達を救う為の最善の契約じゃ。……アルドよ。お前さんの望みを叶えるという事は、わしの望みも叶うという事じゃ。お前さんの息子とわしの息子、一度に二人の息子が救われるのじゃ。人生をかけるだけの価値はあるじゃろう?』

『2025年12月24日……なんと、あの頼りなかったルイスが幹部に昇格したそうじゃ。昔は、ジュイドさんジュイドさんって可愛かったルイスが、今や何人もの部下を抱えて、重役を任せれておるらしい。……人は、変わっていくるのかの……アルド。わしも、変わっていくのじゃろうか……』

「これ……、全部じじぃが……」

「アルドって、ゼノのパパ……? じゃあ、この息子ってゼノの事……? ジュイドは、ゼノが捕まる事を分かってて、ずっとここで待ってたの……? だって、十年もだよ……」

「そんな……」

 ――記されているのは、父さんと俺とリノの事ばかりだった。

そして、その内の一ページ……。他のページよりも、明らかに紙がふやけて痛んでいるページがあった。

「……2029年12月6日……――ちょうど、始めのページから五年後のページだ……」

『このノートに記し始めて、丁度五年が経ったわ。……長かったようで、あっと言う間じゃった気がするな。約束の二年は過ぎたが、安心せい。ちゃんと最後まで付きやってやるわ。……なぁ、アルド。わしは、人は変わるのじゃろうか……と聞いたな。……きっと、その答えは、この五年の月日が答えてくれる。あぁ、人は変わる。……わしはな、お前さんの息子が何処かで幸せに暮らしておれば、それはそれでいいと思っておった。あのスクリーンの中の情報が、ガセだったらいいと思った。……何も、こんな所に捕まる必要はない。今から五年後の儀礼祭までに息子が現れなければ、あの情報はただのガセじゃ。お前さんの心配も、ただの取り越し苦労。この約束も時効じゃ。……じゃがな、年を取るのは怖い事じゃ。こうしている間も、わしはどんどん死に向かっている。あと五年、お前さんを信じて待つ事が、こんなに怖いと思っておるのじゃ。お前さんの息子が現れて、わしの待ち続けた五年に早く答えを出したい。少しずつ大人になっていく前に、早くリノをここから出してやりたい。そう思ってしまうのじゃ。……わしは、お前さんの息子が、ここに捕えられる事を願ってしまっておる。例え、何処かで幸せに暮らしておってもじゃ。……こんな罪深い人間を、神は決して赦さんじゃろう。――アルドよ、年を取ると、まったく敵わんな。ただ待つという事さえ、こんなに難しくなるのか。……すまんな、老いぼれのただのボヤキじゃ。……忘れてくれ』

「俺を待って……十年間もこんな所で……? 本当かどうかも分からない情報なのに、俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ……」

 ――俺の言葉に答えるかのように、いつかの老いぼれの言葉が頭を過る。

『さっきの質問の答えじゃ。わしにも信じとるやつがおる。――だが、十年じゃ。そいつが、本当に信じるに値する人間かどうかの答えが出るまで、十年も待ったわ。……だがな、ゼノン。わしは待ち続けてよかった。迷い続けた十年間の自分に、やっと答えを出してやれた』

「バカじゃねぇのか……。だって、十年だぞ……! いくら信じてても……っ」

 ――十年もの時間は、重すぎる……。

それからの日記も、書かれている事は未だ見ぬ俺の事、リノの事、父さんの事ばかりだった。

どんな気持ちでこの日記に想い綴っていたかと考えると、老いぼれが待ち続けた十年という時間が、重くのしかかってくる。

一体……どんな気持ちで俺を待ち、リノが喋ってくれる日を望み、自分の犯した罪と戦ってきたのだろう……。十年間も……。

「まだ続きが……――2034年12月……俺達がここに来た日だ……!」

『2012年12月16日……アルドよ、ついに来たぞ……。あれから10年、10年もの月日が流れたがな……。10年の答えが、今日やっと出た。お前さんとの約束を破り、早まってリノだけをここから出さんで本当によかったと思う。報告は、それだけではないぞ。……リノが喋ったのじゃ。あやつ、知らん間に声変わりまでしとったわ。はは、どうりでわしも年を取るわけじゃ。……それとな、ヴァロア・ドルチェが一緒じゃ。ここがまだ旧刑務所だった頃、監視員だったお前さんにも話した事があるな? ……どうやら、ここが清算の時らしい。無事にブレスレットを渡し終えたら、残りの人生は好きなように使わせてもらうぞ……。その為に、ルイスとも計画を結んだのだからな……』

 ――ルイスとの計画……。

それは、俺達を救う為に、自らの命をポイント譲渡と引き換えにする事。

「父さんとの約束は、俺にブレスレットを渡までだったのに……どうして……」

『2034年12月17日……――なんと……もう一人増えよったわ……。わしは四人分のブレスレットしか用意しとらんぞ! ……これは、忙しくなりそうじゃ……!』

 ――時間じゃ時間じゃ……っていつも言っていたのは、ロマーノの分のブレスレットを用意しようと……?

『2034年12月22日……ヴァロアはまだ一度も回収を行っておらんのか……。じゃが、出来ればその運命は避けて通らせてやりたい。これ以上、人の生死に関する苦しみを与えたくないのじゃ……。わしは、何が出来るじゃろうか……』

『2034年12月24日……今日、お前さんから預かっていたブレスレットを、ゼノンに渡してきたぞ。……十年越しの願いが叶った気持ちはどうじゃ? ちょうど明日は聖夜じゃ。良いプレゼントになったじゃろう? ……後は、渡したブレスレットと、わしが用意したブレスレットを使って、奴等が無事にここから出るだけじゃ。いいか? 言っておくが、ここから先の事は知らんからな。わしの役目は、ここで終わりじゃ。もうこのノートに記す事もない。ここから先のわしの人生は、わしの好きなように使うぞ。……ちょうど、ルイスとの話も決着がついた所じゃ。これで、ヴァロアが罪を犯さずともここから出られるようになる。それに……、万が一、このブレスレットを上手く使えなかったとしても、わしの貯めてきたポイントがある……。……何、その為に己の未来を差し出すくらい、安い物さ……。さぁアルドよ、この続きはそっちで話そう。うまい酒でも飲ませてくれんと、割に合わんからな……』

「このページで最後みたいだね……」

「じじぃ……」

 この続きがどうなったか、俺達は良く知っている。老いぼれは…、…俺達を救う契約と引き換えに、自分の命を……。

「待って、最後のページ……! 何か書いてなかった?」

「え……?」

 ノートを閉じようとした俺を、ルイが制止した。

「最後のページ……?」

 俺は、置きかけていたノートを急いで開いた。飛び込んできた文字に、鼓動が跳ね上がる。

「――ゼノンへ……って、俺宛に……?」

『ゼノンへ。――ゼノン、この日記を読んでおるという事は、ブレスレットを上手く使えたという事じゃな。……まずは、わしの勝手な最後を許してくれるか……。お前さんには、酷な思いをさせてしまったかもしれんな。……じゃが、これは十年前、アルドからお前さんを任された時に決めた事なんじゃ。……わしはな、いつかお前さんとリノにブレスレットを渡した後、自分の人生をどう使おうかと考えた。ここを出て、もう一度人生をやり直すか……。それとも、このままここで生涯を終えるか……。じゃが、どちらの選択を選んでも、わしの犯した罪の償いにはならない。……わしは、身勝手で弱い人間なのじゃ。『赦されたい』と願ってしまった。せめて、誰かを救う為にこの命を使えば、少しでも赦されるんではないか……。初めは、そんな気持ちだった。儀礼祭までにお前さんがここへ来て、万が一このブレスレットが命を果たさんかった時、お前さんとリノが確実にここから出られる為の契約を結んだ。お前さん達を救う為、アルドとの約束を果たす為……。そんなものは、口実でしかなかったのじゃ。……じゃがな、『変化』とは恐ろしいもんじゃ。お前さんがここに来てからは、わしの中で新しい感情が芽生えだした。お前さん達を待つ明日を、ここじゃない場所で待っている明日を、どうにか守ってやりたいと願いだしたのじゃ。その為に捧げる己の未来など、この願いを叶える為なら、いくらだって差し出そうと……。お前さんは、老いぼれのくだらないエゴじゃと呆れるか……? ゼノン、お前さん達がここを出て行くのを、この目で見届けてやれんくてすまんな……。じゃが、お前さんの事だ。わしの事も救おうとするじゃろう。お前さんと出会えた事だけでも充分じゃというのに、アルドから聞いていた通り、お前さんは優しい人間じゃからな……。わしは、どうやら待ち続ける人生の方が性に合っているのかもしれん。……また、お前さんの事を待っておるぞ。いいか、決して急いでは来るなよ。アルドと二人で、のんびり待つとするさ。……もう一度会えた時は、お前さん達の見た罪のない世界の話を聞かせてくれ……。ゼノンよ、ここが終わりじゃない。――ここから始まるのじゃ。息子達よ……必ず、また会おう』

「必ず……また……」

 ――気が付くと、静かに涙が零れ落ちていた。

俺の知らなかった十年間が、老いぼれの想いが、父さんの願いが、このノートに詰まっていた。

無知だったのは、この街に対してだけでは無かった。――知らない何処かで、知らない想いが、こうやって生き続けていたんだ……。

俺は、老いぼれのノートを抱きしめ、ゆっくりと目を閉じた。

――懐かしい老いぼれとの記憶が、瞼の奥にじんわりと溶け込んでくる。最後に見た老いぼれの微笑んだ顔が、俺の記憶に優しく寄り添ってくる。

「守ってくれて、ありがとうな……。老いぼれが繋いでくれた明日を、一生大切にする……。だから、約束だ……。必ず……、必ずまた会おうな……」

「きっと叶うよ……、ゼノ」

「あぁ……」

「……その為には、まずはここを出る事が最優先だ」

 ヴァロアは、PCの電源を落としながら、話に割って入った。

「――中断して悪いな、ゼノン。……IDの奪還は、無事成功した。いつでもここを出られるよ」

「……ヴァロア!」

「ありがとう、ヴァロア! でも、どうやってここを出よう……。有刺鉄線で囲われてるんじゃ、ここから脱出する術がないよね……」

「……それなら……穴……」

「穴……?」

 リノは、抱いているアルドに視線を落とし、再び俺達を見て言った。

「アルドの……」

――穴……アルド……。

「まさか……!」

「アルドは……自由に行き来しています……」

「それだ! アルドが掘った穴! 助かったよ、リノ! 案内してくれるか?」

「はい……っ」

 リノは、顔を赤くして上ずった声で答えた。 自分の発言が役に立った事が、嬉しくてたまらないといった様子だった。

 俺達は、来た道を急いで引き換えし、アルドの穴があるという場所へと急いだ。

――静かな廊下に、俺達四人の足音が響く。

「お願い……! どうか、このまま…何事もなく上手く行って……! お願い……」

 廊下を走りながら、ルイが祈るようなポーズをして呟いた。

「大丈夫だ……」

「ゼノ……?」

「大丈夫な気がするんだ……」

 先を走るリノとヴァロアの背中を見ながら、俺の中には変な確信が生まれていた。

老いぼれが十年も待って繋いでくれた道――父さんと同じ名前のアルドが作ってくれた出口……。

その二つが揃った今、何事もそれを阻止する事なんて、……出来るはずがない。

「俺達が出来る事は……、この道を突っ切っていくだけだ……! きっと、大丈夫……!」

「うん……っ!」

「もうすぐ外に出る! 職員はこの中で会議なんだろ? ここさえ出てしまえば……っ」

「……やはり来ましたか」

「――っ!」

突然の声に、全員が一斉に足を止める。

「呆れる程に、筋書き通り……という事ですね……」

「ルイ……ス……」

 外に繋がる出口の向こうから、ルイスがゆっくりと近付いてきた。

「嘘……だろ……? こんな所まで来て……」

「くっ……」

 ヴァロアは、ガリッという音が聞こえる程強く歯を噛みしめ、すかさず銃を取り出した。

 その銃は、確実にルイスを捕えている。

「ハメたのか……っ」

「ルイ・ザネッティのIQの高さは、我々のデータの中にもしっかりと記されています。……特に、記憶力の良さに関しては、誰よりも長けている――と……」

 ルイスは、怯む様子も無く、一歩一歩俺達との距離を縮めていく。

「ルイの前で書類を落としたのは、俺達をおびき寄せる為の計画か……っ!」

「……さすがに、あの一瞬で本当に全てを記憶するとは思っていませんでしたが。データに追加しておく必要がありますね」

「くそ……っ!」

 ――銃を持つ手が、震えている……。

ヴァロアは、誰が見ても分かるくらい、人を殺める恐怖に臆していた。

「……俺達を見逃せ」

 もう一度銃を強く握り返し、両肩に力を込める。

「……私を殺しますか?」

「止まれ……っ」

「……仮にあなた方が正規の手段でここから出る場合でも、ヴァロア・ドルチェの回収率0%に関しては一切ペナルティを与えない……。そういう契約が結ばれています。貴方は誰も殺さなくとも自由になれるというのに、ここで私を撃ち抜くのですか?」

「黙れ……! お前が目を瞑れないと言うなら、同時に、お前を殺す以外の選択肢は無くなる……!」

「そうですか……。……見ていますか? どうやらこの契約は、少し過保護すぎだったようですよ……。彼には、罪を背負ってでも守りたいものがあるようです……」

 ルイスと銃口の距離は、わずか五十センチ程しかない。もしこの距離から狙ったら、いくら銃を使った事がないヴァロアといっても、ルイスは完全に即死するだろう。 

「……この街の規則は、よくご存知のはずです。この街では、認証カメラが全てです。認証カメラに映った不正は、何人であっても見逃される事はありません。……何しろ、相手は感情を持たない機械ですから……。情や情けなどといった感情で、不正を犯した人間を見逃すことがないよう、電子管理の体制を設けているのです」

「だから何だ……っ! ご丁寧にカメラの死角まで書いておいて……! 俺達は、認証カメラには写っていないはずだ!」

「ええ……そうでしょうね。……ですが、私の目には映ってしまいました。機械同様の、私の目に……」

「だから……っ、見逃……」

「残念ですが、私は情や情けなどの甘さは持ち合わせていません。……よって、あなた方を見逃す事は……、出来ません」

 そう言い終わると同時に、胸元から瞬時に銃を取り出し、真っ直ぐ俺達に向けて引き金を引いた。

一瞬の出来事に、俺達は身動きすら取れず、ただ飛んでくる弾を前に動けずにいた。

「……っ!」

 ――放たれた弾は、俺とヴァロアの間を勢いよく抜けていく。

そして、その弾は真っ直ぐ突き抜けて行き――何かが壊れる大きな音と共に、すぐにそれを掻き消すほどの轟音が鳴り響いた。

――ウォーーーーーーン!!

━全館へ警告します。収監棟にて、緊急閉鎖装置の作動を確認致しました。繰り返します。収監棟にて……━

「何だ……っ」

「緊急閉鎖装置って何……っ」

 響き渡る轟音の中、ルイスは顔色一つ変えず、話の続きに戻った。

「……ですが、機械とは、この街が信じる程正確な物ではありません。単調な機械程、裏切る可能性を持っていると、この街は疑うべきでだったのです」

 立ちすくむ俺達の間を、ゆっくりと抜けていく。

鳴り止まない警報音と、爆音で繰り返す警告の声、そして、単調に話すルイスの声……。

 全ての音が、俺達の中に『絶望』を落としていく。

「……例えば、不正を行おうとした四人の重犯罪者を捕えるつもりが……」

「わっ……!」

「……狙いを誤って、緊急閉鎖装置を壊してしまったり……」

「何を……っ!」

 ルイスは、立ち尽くす俺達の背中を順々に突き、施設の外へ押し出した。

――ウォーーーーーーン!!

━施設内の機密情報秘匿を第一優先とし、これより全施設内の全ての避難経路を封鎖します━

「全職員が集まった会議中にも関わらず、施設内の出入り口を強制封鎖して……」

「お前……っ!」

「……結果的に、重犯罪者を見逃すという形になってしまったという、取り返しのつかない失態を犯す危険性もあるのです……」

「……っ!」

 ――全員が外に押し出されたと同時に、出口の天井から、大きなモーター音が響いた。

「何の音……?」

「出口が……封鎖されていく……!」

重い低音を響かせながら、分厚い鉄の壁が、少しずつ下がってくる。

「ルイス……お前……!」

「……行きなさい。私の部下と、車を用意させています」

「捕まえるんじゃないのか……!」

「……この装置は、一度起動すると二時間は修復できません。少なくとも、貴方が儀礼祭に到着するまでは、誰もこの施設から出られないはずです」

「でもっ! そんな事したら、お前の立場は……! 殺されるかもしれない!」

「……私には、まだやるべき事があります」

「でも……っ!」

 ――こんな事をして、ただで済むわけがない。父さんの時のように、規約違反に課せられて、殺されるしか……!

「……いいですか、時間がありません。よく聞いてください」

 ルイスの言う通り、その鉄の壁は、少しずつ床に迫ってきていた。

「十五番区へ着くまでに、最後に大きな選択をする事になります。通常は、ここを出ていく人達に選択権は無く、強制的に行っている事です。……ですが、あなた達は選びなさい。その選択によっては、あなた達は全ての罪をここに置いて行けます」

「選ぶって……何をっ!」

 そうこうしている間に、鉄の壁は、俺達のすぐ頭上まで下りてきていた。

「……全ては、あなた達の意思に委ねます。消し去るも良し、背負うも良し……。ですが、もしあなた達が十五番区に着いても私の言葉を覚えていた場合……、儀礼祭が行われる中心塔の前に、必ず姿を現してください。……いいですね? これは、私とあなた方との、最初で最後の約束です」

「ルイス……ッ!」

 鉄の壁が半分以上降りてきて、ルイスの顔はほぼ見えなくなっていた。

「……っ! こっちへ来い! 下を潜れ!」

「……いいえ」

 ――もう既に、腰より下しか見えない。

「その中にいたんじゃ、殺される!」

「……殺されるわけにはいきません。まだ私には、仕事が残っていますから……」

「でも……っ!」

「……これで私も、いつか胸を張ってアルドに会えます。――ゼノン・バリオーニ……。貴方にも、ずっとお会いしたいと思っていました。……アルドの代わりに言わせてください」

 ――ウォーーーーーーン!!

━完全封鎖まで約10秒……9……8……━

「……成人、おめでとうございます。貴方の未来と、この街の未来に……永久のご加護がありますように……」

「ルイ……ッ」

━全館の封鎖が完了しました。これより、自動ロックシステムを発動します━

「ルイス……ッ!」

 重たそうな鍵が閉まる音と共に、完全に中へ繋がる出口が閉鎖された。

「これじゃ……、犠牲ばっかりだ……」

「ゼノ……」

 冷たいこの分厚い扉の向こうで起きる未来を想像すると、やりきれない思いに頭の中が真っ暗になる。

「ゼノン……行こう。儀礼祭に間に合わなくなる」

「でも……っ」

「忘れたのか。ゼノンの父親の想い、アルドとロマーノの想いを! 俺達全員の願いもだ!」

「分かってる……っ!」

「それなら、今できる事をするのみだ。儀礼祭は、俺達の到着を待ってくれない。……急ごう」

 俺達は、振り返る事なく施設を後にし、奉仕の時いつも車が停車していた場所に急いだ。

ルイスの言う通り、車が一台……、それとルイスの部下が一人、俺達の到着を待っていた。

「お待ちしておりました。……急いで車へ。十五番区までお送りします」

 広い車内に、順番に乗り込んでいく。

――まるで、奉仕に向かった一番最初の日のように、口の中に唾液が溜まっていくのを感じた。緊張で、飲み込むタイミングが分からない……。

「……本当に、これで終わりなのか……?」

 ――どんどん遠くなっていく施設を見ても、未だ信じられなかった。

「俺達……、本当に出られたのか……? 本当にこれで、自由になれる……?」

「――悪夢は、終わりです」

「本当に……?」

「施設に残った職員は皆、施設内から出られません。ルイスさん以外の重役職員は、儀礼祭の現場で計画本部の重役達のお相手をされているので、誰も貴方達を狙う事は出来ません」

「じゃあ……、これで俺達は……っ」

「……その前に、貴方達はご自分の未来を選ばなくてはいけません」

「未来を選ぶ……? さっきルイスが言っていた……」

「時に人間は、全てを忘れてしまった方がいいのかもしれません……」

 男はそう言って、車に埋め込まれているボタンの一つを押した。

「うっ……!」

「何だ……この音……っ!」

 ――それは、今まで聞いたことがない……、甲高い叫び声のような機械音が、脳の中で響きだした。細胞を伝って、次から次へと不快な音が広がっていく。

「痛い……っ……頭、が……!」

「やめ……て……っ」

 鋭い痛みが全身を襲い、息を吸う事も出来ない……。

広がっていく音が、脳の中で更に反響を繰り返し、完全に支配されていくようだった。

「……苦しいですか?」

 男が再びボタンに手を伸ばしたと同時に、音も痛みもピタリと止んだ。

「お前……何をした……っ!」

「……人間の、可聴域外の周波です。普通の状態だと、何の影響もないただの波にすぎませんが、一定値以上の恐怖を抱いている人間は、この周波を無意識で拾ってしまいます」

「何のつもりだ……!」

「……あなた方が望むのであれば、あなた方が味わった一切の恐怖の記憶を消す事が出来ます。……つまり、あの施設に捕まる前、警報音を聞いてからの全ての記憶を、消し去る事が出来るという事です」

「何だって……?」

 ――記憶を、消す……?

ここで起きた全ての記憶が、無くなる……?

『……安心せい。ここから出たやつは皆、ここでの事は忘れて、幸せに暮らしておる』

 老いぼれがあの時言った事は、こういう事だったのか……。

「さっきの状態が続けば、やがては脳内で様々に反射した挙げ句、『恐怖』……その一点に、周波が集中します。そして、最終的には……『恐怖』を抱く、全ての細胞を破壊します」

「全部、忘れちまうのか……?」

「もちろんです。ここで起きた事、ここで見た事、出会った人間、……全ての記憶を消し去った後、modelloとして十五番区へ送り届ける。……それが私の任務です」

「全部を忘れて……、modelloとして……」

 ――一瞬、この悪夢を忘れて生きていければ……という思いが、頭を過った。

保身を優先した己の醜さ、他人を犠牲にするしか術が持てなかった己の弱さ……。

全部、この記憶から消し去る事が出来れば、本当に幸せに……modelloとして生きていける……。

「俺の事も忘れるの? ゼノ……」

「え……?」

 ルイは、寂しそうな顔で俺の顔を覗き込む。

「その顔、忘れてもいいかも……って顔してる。十五番区に着いたら、俺の事も忘れて……俺達に背を向けて、儀礼祭に行くの……?」

「そんな事……っ」

「『全てを忘れる』っていう事は、そういう事だよ? 俺達は、十五番区に着いた瞬間から、同じ車に乗ってただけの赤の他人になる。もう一生、思い出す事もない……。忘れちゃうの……? 俺達の事も、ゼノを守ろとした人達の事も……」

「それは……」

「俺は、……断る。……消し去りたい記憶以上に、忘れたくない出会いがあったんだ。その記憶を消さない為に、一生罪を背負けろって言うなら、俺は背負ってもいい」

「僕も……忘れたくない……」

 リノは、アルドを抱きしめながら小さく呟いた。

「ゼノ……」

「……そうだな。どうかしてたよ……。きっと、どの一日だって、忘れていい一日は無かった。自分の弱さも、卑怯さも、醜さも、全部受け入れて、一生背負っていかなきゃいけないんだ。……それと何より、俺も忘れたくないんだ――皆の事……。この出会いだけは、消し去ることも、忘れる事もしたくない」

「……それが、答えですか?」

「あぁ……」

「……それが聞けてよかったです。それと……、どうやら成人ナンバー授与には間に合ったみたいですね。――中心塔の前なら、成人ナンバー受信範囲内です。式典の間は、中心塔の前から離れないように。……それが、ルイスからの最後の指示です」

「ありがとう。……これから、施設に戻るのか?」

 男と、ルイスの此の先が気になっていた。 俺達に協力したことがバレたら、処分は絶対に避けられない。

「……行きなさい。私の任務は、あなた方を中心塔までお連れする事です。この先の事は……、またルイスさんの指示を待つとします」

「……ありがとう。この恩は一生忘れない」

「……光栄です」


━おはようございます、M10775。今日という素晴らしい一日に感謝して、BIANCOに永久の忠誠を━

 

車を降りるや否や、持ち出したブレスレットが自動的に起動された。

「M……、modelloになってる……」

「ルイスが戻してくれたのかな……?」

「こっちのブレスレットは、電源が落ちて使えなくなってる。……これも、ルイスが?」

 俺達が使っていたブレスレットの方は、何の反応もしないただのジャンクになっていた。

「分からない。分からないが……これだけは言える。全部は……終わったんだ」

 笑顔で行き交う人々が、俺達に悪夢の終わりを告げる。

こんなにも、十五番区の人間の笑顔を嬉しく感じた事はあっただろうか……。

「……これが、外の世界……」

 リノとアルドは、落ち着かない様子で、道行く人や景色をキョロキョロと見渡していた。

「ははっ、そうか、リノは外の世界を知らなかったのか!」

「昔……少しだけ……。でも……こんなに綺麗だったなんて……初めて知った……」

「ここから中心塔への一本道は、もっと綺麗だよ! 今日は儀礼祭だから、有志のパレードが見れるはず! 行こう、リノッ!」

 ルイは、リノの手を取って混雑する人の中を掻き分けて行った。

俺とヴァロアも、二人の後に続いて歩き出す。

「どうだ? 今から成人ナンバーを貰う気分は」

「……授与って言っても、正しくはこのブレスレットが受信するだけだからな……。もう式は始まってるから、式典には参加できないし……」

「嬉しくてたまらないって顔してるけど? もう成人になるんだ、嘘の一つも上手く吐けるようにならないとな。ちょうどピエロもいる事だし」

 ピエロや動物の仮装をした大人達が、群がる子供達に飴や風船を配って行進をしている。

街中に流れる陽気な曲や紙吹雪が、未だ夢のように思えてしまう。

「……嬉しいさ。これが本当に夢じゃ無かったら、俺は今から成人ナンバーを貰って、長年の夢を叶える事が出来るんだ。俺の大切な人達の夢も、叶えてやれる」

 笑顔で風船を勧めてくるピエロに、手で断る合図をしながら答えた。

ここの通りで、もう何度断っただろう。

「あぁ……、きっと見てるさ。ゼノンの父も、ロマーノも、ジュイド・パルヴィスも……」

「ヴァロア……」

 ヴァロアの口から、老いぼれの名前が出てくるなんて思わなかった……。

ヴァロアは、相変わらず風船を勧めてくるピエロ達をあしらいながら話を続けた。

「……ジュイド・パルヴィスのデータが残ってた。……まだ探している家族がいるんだろ? せめて、生きていた証だ。渡してやってくれ」

「ヴァロア……、いつの間にじじぃのブレスレットまで用意したんだ……?」

「ゼノン達が日記を読んでいる最中だ。……俺も、許す気持ちを持ちたいと思ってな。……生きている時にそう出来なかったのは、俺の弱さと十年の執着心だ……。たった一言、『許す』の言葉が言ってやれなかった。これは、せめてもの償いだ。彼がどんな十年を過ごして、どんな最後を迎えたか……。残された家族は、一番知りたがっているはずだ」

「……必ず、渡すよ。あの紙はルイが破いちまったけど、ルイの事だから書いてあったID情報を覚えてるはずだ。……リノと一緒に、会いに行く」

「ありがとう、ゼノン……」

 ヴァロアは、穏やかに口元を緩ませて笑った。その笑顔を見ると、何だか涙が溢れそうになって、俺は慌てて下を向いた。

「うん……」

「ゼノッ、ヴァロア!」

 俺達の名前を呼ぶ声で顔を上げると、人混みの向こうで手を振るルイとリノが見えた。

 両手一杯に風船や飴を抱えて、笑顔で手を振っている。

「先に中心塔に行ってるよっ! もうすぐ成人ナンバー授与だって! 急いで来てよね! ――あっ、おじちゃん飴ちょーだい! たっぷりね!」

「僕も……っ! イチゴのやつ……!」

 二人は、飴のカゴを抱えたピエロを見付けるなり、群がる子供達に中に消えていった。

「ははっ、あの二人は……。プレゼント持ったピエロ達が一斉に消えたら、ルイとリノのせいだろうな!」

「はは、そうだね」

「……成人、おめでとうゼノン」

「……ありがと」

「ゼノンと出会えて、俺は自分の弱さを認める事が出来た。もう一度自分の生きる意味を見出すことが出来た」

 ――舞い落ちてくる紙吹雪と、街中に響き渡る陽気な音楽が、俺達を祝福しているようにさえ感じる。

 風船を持つピエロ達が成人の儀に合わせて一斉に風船を空に放つ。

 舞い上がる風船達が、一足先に、俺達を待っている明日に消えていく。

 色とりどりの祝福の中を抜け、俺達はルイとリノが待つ中心塔へ辿り着いた。

中心塔のスクリーンには、スピーチを行っている映像が流され、下の広場には沢山の成人授与者達とその保護者たちが整列していた。

「あ、来た来た! 授与式が始まるよ!」

「本当だ! ホノグラフィーが起動してる!」

 受信範囲内に来た事で、俺のブレスレットのホノグラフィーが立ち上がっていた。

中心塔のスクリーンに映る偉そうな老人のスピーチが、俺のホノグラフィーにも反映される。

「ホノ……ホノグロ……?」

「ホノグラフィーだよ。成人じゃない俺達は、今日は自分で受信しないと立ち上がらないようになってるの。……ほら、ここ押してごらん?」

「わっ……! ……見て、アルド……。手品……」

「あはは、手品って!」

 リノとルイは、行儀正しくお座りをして待つアルドの頭を撫で、楽しそうに話を続けた。

「……いよいよだな」

「あぁ……」

『2034年度の成人を迎える皆様、心より成人おめでとうございます』

 スクリーンを通して、スピーチの声が町中に響き渡る。

パレードを行っていた人々も、それを観ていた見物人達も、スクリーンや各々のフォノグラフィを笑顔で眺めていた。

それ程、この成人ナンバー授与の瞬間は重んじられている。

『今ここで成人を迎える希望溢れる若者達に、そして、人々の理想のシンボルBIANCOに、永久のご加護がありますように……』

 ――皆が一斉に、ブレスレットを胸に掲げて一礼をする。

━M10775。成人おめでとうございます。本日より、貴方は成人として認められ、成人ナンバーを与えられます。BIANCOの名に恥じぬよう、より一層の活躍をお祈りしています━

「来た……成人ナンバーだっ! 叶ったんだ! 本当に……本当に今日と言う日を迎えられた!」

「ゼノ……ッ! おめでとう! 本当におめでとう!」

「おめでとう……ございます」

「ゼノン、おめでとう。本当に良かった」

 ――この言葉が聞けるなんて、本当に儀礼祭に間に合うなんて、……数日前の自分は思ってもいなかった。

「ありがとう……」

 広場から歓喜の声が溢れる中、俺は涙を堪えて皆を見た。

『……無事に着きましたか。改めて、成人おめでとうございます』

 ――その時、突然響き渡った声に、俺達は耳を疑った。

「ルイ、ス……?」

「どうして……」

 さっきまで老人のスピーチが写っていた映像は、施設の中の映像に差し替わっている。

「何だ? 何だ、あの映像?」

「何処かしら……? 見た事が無いわ」

『理想のシンボル・BIANCO……。果たしてこの街が掲げる理想が、どんな犠牲の上に存在しているものか、……国民は知る必要があります』

「映像を止めろ! これは一体どういう事だ! どうなっている! ルイスのやつ……裏切ったのか!」

「はいっ……、すぐに確認を!」

 スピーチをしていた老人の後ろの席では、聞き覚えのある声の男が騒ぎ立てていた。

「あの男、俺達に失礼な事言ってた人だよね……。ほら、始めに説明を引き受けた……」

「あぁ、どう考えてもあの施設の中ではトップの男だったからな、今日はこっちに出席しているとは思ったけど……。見てみろ、あの取り乱し方……!」

 ヴァロアは、腹を抱えて楽しそうに笑い出した。

「まさか……、ルイスは……」

「あぁ、この街の仮面が剥がされる瞬間だ……。BIANCOにとって、まさに記念日になるだろうな」

『まずい! 視察が入るまでに、uccisole達を処分しろ! 二時間はこの施設に誰も入れない! 今すぐ清掃班を呼んで、一人残らず処分しろ!』

『おい、どうなってんだよ……! 不要な人間を殺せば、俺達は自由になるんじゃねーのかよ! 何の為に奉仕に参加してきたと思ってんだ! 人殺しを強要させといて、次は俺達を殺すのか! 話が違うだろ!』

 ――スクリーンの中では、職員やuccisole達が混乱に陥っていた。

「何ですって……! 人殺しって……、このBIANCOで……?」

「何だあの施設……! まるで、監禁じゃないか……! 一体、この街はどうなってるんだ……」

 今までホノグラフィーをつけていなかった人達も、一斉にホノグラフィーを起動する。

次々送られてくる映像に、人々は完全にパニック状態に陥っていた。

「これは一体、……どういう事だね? 詳しく話を聞かせて貰おうか。――場合によっては、このBIANCOを都市計画から外すことになるが、覚悟は出来ているのだろうな?」

「……はい」

 映像を止めろと騒いでいた男は、心ここにあらずという状況だった。

「――ははっ、見ろあの顔! やっと投降する気になったみたいだ」

 ――それは、偽りの理想が崩れていく瞬間だった。

BIANCOの隠し続けた本当の姿が、剥き出しになっていく。理想という皮を破って、虚像の街が生まれる瞬間だった。

「……俺だ。あぁ、当初の計画は変更した。心配かけて悪かったな。無事に生きている……と、部下達に伝えてくれ」

 ヴァロアは、誰かと通信を始めた。

――そうか……。

ヴァロアには、帰る場所がある。ルイにだって、待っている家族がいるんだ……。

「それと、成人の祝いがしたい。四人で騒げる家を用意してくれ。……あぁ、そうだ。出来ればそのまま住みたい。今すぐ契約してくれ」

「……え?」

 ヴァロアは、通信を続けながら、俺達にウィンクを飛ばした。

「……いや、料理はいい。最高のソーセージと酒を調達しに行くからな。十五番区まで車を回してくれ」

「ヴァロア……」

「――と、いう事だ、ルイは学校の事もある。よく考えてから決めればいい」

 通信を切るなり、混乱している広場の人達を見下ろしながら、楽しそうに笑った。

「そんな……っ」

「ご不満か?」

「……最高だ!」

 俺達は、顔を見合わせ、声を出して笑った。

――広場の向こうでは、職員達が顔を真っ青にしてその場に座り込んでいる。

まるで、魂が抜けてしまった抜け殻のようだ。

「これ……もう必要ないな」

「あぁ……」

 俺達は、ジャンクになった方のブレスレットを外し、騒然とする広場を見下ろした。

「投げたら、ペナルティかな?」

「上等だ。力を失ったBIANCOは、もう誰も裁けないよ」

 誰から始めようと言ったわけではないが、俺達は四人揃って、ブレスレットを振り上げた。

「じゃあ……!」

「聖都市BIANCOの更なる繁栄!」

「そして、永久なる愛の祝福と共に!」

「――素晴らしい一日を!」

 

――宙を舞う四つのブレスッレットが、太陽の光と、色とりどりの紙吹雪に照らされる。

それはまるで……、

  俺達四人の未来を照らすように。


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