18 賭け
「奉仕っ……!」
「鳴ってないよ。……おはよう、ゼノン」
目が覚めた俺を、優しい声が迎えた。
「おは……よう」
ソファに腰かけたヴァロアが、ニッコリ微笑んで俺を見ている。一晩経ってヴァロアも随分落ち着きを取り戻したようだった。
「眠れた?」
「うん……まぁ……」
ベッドから出ようとして、腰に手を当てた瞬間――ポケットから硬い違和感を感じた。
。
「え、何……?」
「なんだ?」
「……これ、手に当たった」
「俺のブレスレットも外れてないし、……ID操作用のブレスレットはルイが持っているし……。これは……?」
「……?」
「ゼノン、心当たりある?」
「心当たりって……」
『……それと、じじぃベファナからもう一つプレゼントじゃ』
「……っ!」
俺は、慌ててズボンの中を確認した。
いろんな事があって、すっかり忘れてしまっていた。あの時老いぼれから貰ったブレスレット……、ずっとポケットに入れたままだったんだ……。
「……じじぃから……貰ったんだ」
「ジュイド・パルヴィスから……?」
ヴァロアは、乱れた俺の服を直しながら、真剣な目で質問した。
「何の為のブレスレットだ?」
「……これで、ID管理室に入れるって……。一回きりだとか何とか言ってたけど……」
「ID管理室……」
ヴァロアは、眉間にシワを寄せ、質問を続けた。
「ID管理室に行って……、何だって?」
「それが……直観で動けって……。それしか聞いてないんだ……」
「ID管理室……」
「何か気になる事が……?」
ヴァロアは、何かを確信したように、ブレスレットを眺めていた。
「俺がこの施設にアクセスした時、……唯一入り込めなかったのが、ID管理室のPCだ……」
「え……?」
――そうか……。
ヴァロアは、本当はこの施設の事を知っていて、自ら捕まったって……。
「……こんな施設知らないだなんて、嘘を吐いていて悪かった。……あぁ、この施設の事は知っていたよ。……だが、この施設の目的や構成――核心に触れる事実は、本当に知らなかったんだ。……十四番区出のエリートを何人雇い入れても、このID管理室のPCにだけはアクセス出来なかった。きっと、ID管理室のPCが、この施設の要の情報を担っている……と、考えてもいいだろう」
「要の情報って……?」
「覚えているか? 俺達のIDは、ここの職員に引き抜かれて、一時預かりになっている……って言ってただろう? 多分、ここに収監されている人たちのID、回収対象者のID、ID操作対象者のID、……それから、俺達がここを出る際も、何らかのID操作が行われるはずだ。それを管理・実行しているメインPCがあるはずなんだ」
「それが……ID管理室に?」
「推測にすぎないがな。多分、九割方BINGOと考えてもいい」
「そこに入るブレスレットを……、何で俺に……」
――老いぼれに確かめようと思っても、もうそれは出来ない。
「……分からない。それに、ID管理室に入った後の事も、俺達には何一つ情報がない」
「……直観で動け、って言われても……」
ヴァロアは、少しの間考え込み、ブレスレットを眺めながら、こう切り出した。
「これは、賭け……だな」
「賭け……?」
「俺達には、二つの道がある」
「……これを使うか使わないかって事?」
「……一つは、稼いできた奉仕の回収率を100にする事だ。……ジュイド・パルヴィスのポイント譲渡のおかげで、回収率は80を超している。加算されるポイントがその度違う事は大きなリスクだが、運が良ければ儀礼祭までに100になるかもしれない。……だが、もう一つリスクがある。100になったからって、本当に出してくれるとは限らない。俺達は、この施設の職員共が死んでも隠したい情報を持っているんだ。そう簡単に出してくれるとは……、思い難い」
――確かに……。
ここでの事をリークされれば、この施設は終わるだろう。いや、それどころか、BIANCOの基盤が崩れてもおかしくない。
「でも、じじぃは……、ここから出たやつは、全てを忘れて、modelloとして幸せに暮らしてるって……」
「全てを忘れて……?」
「……って、言ってたけど……」
「……全てを、忘れて……。そんな事、可能なのか……? 記憶の操作まで行っているとは……、思い難いな。本当にそんな事が行われているとしたら、この組織は本当に狂っている。都市計画本部にばれたら、間違いなくこの組織は消されるだろう。……それどころか、BINACOは都市計画から外される」
淡々と独言を繰り返すヴァロアを見ると、出会った当初のヴァロアを思い出す。
「ゼノン、ぼーっとして、大丈夫か?」
「あっ、ごめんっ大丈夫。……それで、二つ目の選択っていうのは?」
俺は、慌てて記憶巡りを終わらせて、話を進めた。
「……二つ目は、このブレスレットに全てを賭ける。ID管理室に侵入して、ここを出る為の操作を全て自分達でやってしまう。……上手くいけば、何の介入も受けずにここから出る事が出来るし、儀礼祭にも間に合う。わざわざこのブレスレットをゼノンに預けるくらいだ、それなりのメリットがあるんだろう。……だが、当然リスクもある。ID管理室の場所、侵入した後の事、ここを脱走する事、俺達には何の情報も無い。もし、途中で見つかったら……、それこそ終わりだろうな」
「儀礼祭前で見つかったりしたら……、本当に終わる……な」
ここまで耐えてきたんだ。ゴール目前で失敗するわけにはいかない、……絶対に。
「ゼノンは、どうしたい?」
「え……?」
「ゼノンは、どっちの賭けに出たい?」
「俺は……っ」
――どっちを選んでもリスクがある。
儀礼祭は二日後だ……。
何より、今の俺は儀礼祭の事で頭が一杯で……、冷静な判断をするには焦り過ぎている。
「俺は……、正直焦ってる。儀礼祭には絶対に間に合いたいんだ……。出来るなら、老いぼれのブレスレットに賭けて。今すぐにでもここを出たいと思ってる。……でも、これは俺だけの問題じゃない。今まで集めてきたポイントは、皆で集めてきたものだ。……だから、焦った俺の判断で、道を間違えたくない……」
「はぁ……、俺も同じだよ。思いがけず舞い込んできたもう一つの選択肢に、正直戸惑ってる。正しい判断が出来るかって言ったら、……自信が無い。……こういう時、意外と頼りになるって言ったら……」
「……ルイ」
「――だな。……決まりだ、すぐに部屋に行こう」
ヴァロアは、そう言うなり立ち上がり、ドアの方へと歩き出した。
俺達は老いぼれから預かったブレスレットを持って、ルイとリノの部屋へ移動した。
リノは、落ち込んだ素振りを全く見せない……というか、ごくごく通常営業で……。
ルイは、俺達の顔を見るなり、涙を浮かべて喜んだ。どれ程心配をかけていたかと思うと、報告が遅くなった事に後ろめたさを感じる。
「顔色も良くなったね! 本当に……本当に良かった! ……でも、何で二人で部屋に来るの? 二人で会ってたの? 何してたの?」
「えっ……と」
――うっ……、さすがルイだ……。一緒に寝ていたのはさすがに気恥ずかしさがある。
「……実は、ゼノンが気になる物を持っていてな」
ヴァロアは、すかさず握りしめていたブレスレットを差し出した。
「……気になる物? そのブレスレット?」
ナイス、ヴァロア……。
ヴァロアは、これを得た経緯、俺達が選ぶ事が出来る選択肢、互いのメリット・デメリットの話を掻い摘んで行った。
ルイは、特に質問をする事も無く、ただ黙って話を聞く。
そして――
「ゼノンは、どうしたい?」
「ヴァロアと同じ事聞くんだ……」
「え? そうなんだ?」
ヴァロアが、ニッコリ微笑んで返す。
「俺は、これを使えるなら、……使いたい。奉仕が無い日だってあるんだ、加算されるポイントだって毎回違う。それに賭けるには、あまりにもリスクが高い。……それに、それだけじゃない……。この手で誰かの命を奪うのは……、これ以上犠牲を生むのは……」
「……」
部屋に、沈黙が流れる。
自分がおかしな事を言ったわけじゃない。 きっと、誰もが同じ事を思っている。俺達は、この奉仕に参加すると決めた時点で、同じ罪を背負っている……。
「……それじゃあ、せめてID管理室の場所だけでも調べようよ。本当は中に侵入して、その後の事も調べたいけどさ……、一回しか使えないんだったら、それも出来ないし。その後の事は、俺達の運に賭けるしかないよね」
ルイは、妙に明るく提案した。
「……ゼノ?」
「いや、思ってたよりあっさりだなって……」
「んー、だって……、思い詰めても仕方ないでしょ? それに、俺もヴァロアと同じ。ポイントを稼ぐしかここから出る術が無いと思ってたけどさ、他にも選択肢があるなら、それに賭けてみたいじゃん? この方法なら、もう誰も傷付かない……。誰も傷付けなくていいんだからさ……」
「うん……」
「それで、日にちなんだが……、明後日の早朝でどうだろう。つまり、儀礼祭の朝だ」
「儀礼祭の……当日?」
――言い様のない焦りを感じる。
いや、焦っても仕方がないのは分かってるんだけど……。
「儀礼祭当日には、計画本部の幹部共がこぞって参加する。ここの重役共も、表向きは真面目な役職なんだ。接待やら会議やらで、当日は職員の数が減ってもおかしくない」
「……確かに」
「それまでは、ID管理室の場所を探す事に集中しよう。……で、どうかな?」
「うん、俺もその意見に賛成。リノも、いい?」
「……はい」
「ゼノは?」
「……うん、俺も」
「決まりだな。それじゃあ、決行は明後日の朝。……もう、迷ってられない。ここを出るぞ、必ずだ……」
――その言葉に、身が引き締まる思いだった。ただ漠然と思い描いていた、儀礼祭と言う日と、ここを出るという日が、すぐ目の前にある。
……大きなリスクと共に。
進むべき道と、実行の日が決まると、今やるべき事は必然と限られた。
俺達は、二手に分かれて施設内を隈なく探す事にした。……だが、いざ動き出すと、当然それを阻む問題にもぶち当たる。
まず一つ目の問題は、忠誠を誓っていないuccisoleの監獄の外には監視員がついている。いくら扱いが変わったからと言っても、あまり不審な行動は取れない。
もう一つの問題は、それらしき場所を見付けたとしても、ブレスレットを使って中に入る事は出来ないのだ。……このブレスレットは、一回きりしか使えない。
――結論、八方塞だった。
この日は、ただ闇雲に施設内をウロウロしただけで、目ぼしい部屋を見付ける事すら出来なかった。
「まぁ、明日一日あるんだ……。明日中に、どうにか突破口を見付けよう」
「あぁ……」
実行の日までには、もう明日しかない。……そう考えるだけで、言い様の無い焦燥感に襲われる。
俺達は、明日の集合時間を決め、それぞれの部屋へ戻った。
「出られるの……かな。……本当に」
ここに来て以来、穏やかに眠れた日なんて一日も存在しなかった。――罪を重ね、縛られ、失い……。自分の弱さを、醜さを、嫌と言う程感じてきた。自分が今まで、どんな日々を過ごしてきたかも分からなくなるほど……。
それでも、良くも悪くもあと二日なんだ。「逃すわけにはいかない……」
与えられた一度きりのチャンス……。俺達は、もう何一つ、誰一人……失う訳にはいかない。
俺は、老いぼれから預かったブレスレットを握りしめ、戒めるように目を閉じた。
――必ず、明日中に見つけ出す……。




