17 心のあった場所
「……ノ……」
「……ゼノ、……して……」
――懐かしい……声……。
「ゼノ……お願い、目覚まして……」
――俺の……名前を……。
「ロ……マ……」
「ゼノッ! 良かったっ……」
白く霞む視界の中に、青ざめた顔のルイの姿が映った。
「ど……こ……?」
「……部屋だよ。……あの人が、ここまで……」
ルイの目線の先を追うと、部屋の隅でルイスが安堵の溜息を吐いていた。
「……余計なお世話かと思いましたが、他の方にも状況をお伝えしました。……意識を失っていたようなので……」
「……昨日の夜中……、ゼノを抱えて俺達の部屋に来て……」
――違う……。
「そうじゃ……ない」
「え……?」
「ど……こ……?」
――俺が聞きたい事は……、そうじゃない。
「だから……ゼノの、部屋……」
「ロマーノは……どこ?」
「……っ」
「……昨日、酷い事言った……俺、謝らなきゃ……」
「ゼノ……」
ルイは、俺の手を強く握り、俺から目を伏せて呟いた。
「……いない……よ」
「いな、い……?」
「もう……会えない……」
「……何、で……?」
そして、俺の手を開き、手の上にそっと黒い革の時計を置いた。
「分かる……よね……?」
――冷たい……滴を含んだ、革の時計……。 ポタポタと、俺の手を濡らしていく。
「ルイ、何で……泣く……?」
「お願い、泣かないで……ゼノッ」
――俺、が……?
「ゼノッ……お願い……」
涙を零すルイが、だんだん歪んでいく。
「何で……俺が……泣く……?」
自分の頬に手を当てると、冷たい滴が指先に溜まっていく。それは、枯れる事なく……次々と溢れ出ては、流れ落ちる……。
『……出会ってくれて、ありがとう……』
――ロマーノ……?
『……聞かせてくれ、ゼノン……俺への、卒業祝い……だ』
――卒業祝いって……何だっけ……?
『おい、U29572を早く機械へ』
『止めろっ、止めてくれ!』
「俺の……声……」
――何だったけ……何を止めてるんだっけ……。
『見なさい。この私が、死を選んでまで遂行した任務ですよ?』
『――止めなさいっ!』
「俺は、何か見た……何か……ロマーノの……顔を……」
「ゼノッ……」
『はい。……ですが、IDブレス以外の金属反応があります』
『ふっ、こんなボロボロの物。貰って喜ぶ人はいるんでしょうかね?』
「……ボロボロの……喜ぶ……、そうだっ……時計! ……ロマーノが、俺に時計をくれたんだ! ルイ、ロマーノが成人の祝いにって……!」
「……っ……これ……だよ」
「え……?」
「ちゃんと、見て……ゼノ」
ルイは、俯いたまま目を真っ赤にして、俺の手に力を込めた。
――泥がこびり付き……涙で湿った……傷だらけの時計……。
「……お礼、は……?」
「言えない……」
「次は、いつ……」
「会えない……」
「ロマーノは、どこ……?」
「……もう、居な――」
「――止めろっ!」
「……っ」
――ルイの真っ赤な目が、大きな粒を流して揺れる。
「ゼノッ……」
「……ごめん……分かっ……た……」
――まるで、一秒前の世界が嘘のように、全ての感覚が消えていく。……色も、空気も、痛みも、涙も、全ての意味が失われていく。
「じゃあ……ロマーノは……もう……」
……俺が出会った一度きりの奇跡は、あまりにも突然に、この腕の中で消えていった。
「……っ……は、ぁっ……」
――呼吸が……息を吸うタイミングが分からない……。
「……ゼノッ!」
「救護班を……」
「……っ、大丈……夫っ、だからっ……!」
「でもっ……!」
「……一人っ……にっ、……して……っ」
「……やだよ、嫌だっ! こんな状況で、もし何かあったら……ゼノにまでもしもの事があったら……」
「……部屋にお送りします」
「嫌だっ……傍に居たい! 勝手な事しないで!」
「救護班に、呼吸器を広げる薬を持ってこさせます。……後は、一人で整理する事が一番の薬になるかと……」
「……っ」
「ルイッ……大、丈夫……だからっ……お、願い……っ」
「ゼノ……」
「今は言う通りに……」
「……」
薄れていく意識の中、部屋に戻ってきた静寂に、少しだけ心が静まる気がした。
「は……っ、苦し、いっ……」
正しく働いていた呼吸が、1コマ先走ってしまったかのように、息を吸うタイミングが合わない……。
俺は、ベッドから降りて、フラフラと窓際のカーテンに寄り掛かる。
――このまま、治まらなければ……俺はロマーノと老いぼれに会える……?
最悪の選択肢が頭をよぎる。
「ははっ……」
……それでも、俺の意思に反して、体は生きようとする。体が必死で呼吸を合わせだす。
正しく重なった呼吸に、言い様のない絶望感が襲った。
「……ここで……生きてくしかないのか……二人のいない、この世界で……」
それに一体、何の意味があるって言うんだ……。明日を迎える事に、何の意味が……。
『生きる希望さえ失わなければ、何度だって歩むべき道に戻れる』
一度は救われたはずのこの言葉も、今では何の意味も成さない。
「生きる希望なんて……、歩むべき道なんて……、もう、何処にもない……」
ロマーノの居ない世界に、希望なんて存在しない。ロマーノの居ない明日に、歩むべき道なんて……見付ける事が出来ない。
俺は、カーテンを握りしめたままその場に崩れ落ちた。乾いた目元に、再び熱い感覚が込み上げてくる。
「こんな世界なら……、消えればっ……いい……」
――こんな弱い自分なら……、消えればいいんだ……。
大切なものは、いつも突然現れて……、突然この手の中から消えていく。……俺は、ただ泣いて見送るだけで、何一つ守る事が出来なかった。
「何がっ……、俺を待ってる未来の中には……ヴァロアがいる……ロマーノも……ルイも、リノも……、だよ……。とんだ夢物語だ……。守れもしないくせにっ……、偽善者ぶって……」
自分が信じてきた言葉なんて、全てが偽りで……無意味で……綺麗事だ……。
五人でここを出るという約束も、儀礼祭に出てロマーノを安心させるという目標も、今じゃもう叶わない。
誰かが欠けるなら、叶わないなら……――
「もう……、何の意味も……無い……」
そう思った瞬間、今まで自分達が必死でポイントを稼いできた事も、ただの傲慢で理不尽な人殺しのように感じる。……老いぼれがポイントを残して死んでいった事も、ロマーノが俺を守って死んでいった事も、何の為にもならない、ただの無駄死にだったって……。
「そんな訳っ……ないって……、分かってるのにっ……」
確かに俺達は同じ目標を持ち、絶望の中でも僅かな希望を信じ続けてきた。
老いぼれもロマーノも、大切なものを……俺達の明日を守る為に命を落とした。それが、無駄な事ではない事くらい分かっている。
でも、こんな結果になるなら……――
やり場のない想いに、俺は膝を抱えて、声にならない声を上げた。
「ロマー……ノ……」
――苦しい……。
――痛い……。
心があったはずの場所が、まるで空洞になっていく。
ぽっかり穴の開いた心の中で、明日を見失った俺は、ただただ居なくなったものの大きさに、涙を流すばかりだった。
時計のない部屋では、永遠に等しい時間が流れていった。
空が、オレンジから青に……やがて、眩し程の無数の光が夜空を包み込んでいく。俺以外の全ての時間は、こうやって一秒一秒、明日に向かって動いていっている。
まるで、俺の中の時だけが、世界から置き去りにされているみたいだった……。
「……夜……」
ふっと見上げた夜空には、いつの日かロマーノと見上げた空のように、何百もの星がそこで輝いている。……何一つ変わることなく。
俺は、無意識のうちに立ち上がり、窓に手を合わせ、遠い空の星に呟いた。
「……そこに、いる……?」
――何処かで、俺の事見てる……?
「……遠い、よ……届かない……」
――そんなに遠くじゃ、手も握れない……。
「……ロマーノも……、こんな……気持ちだった……?」
――遠くて、儚くて、叶わない……。
変わらずそこにあるのに、決して触れる事が出来ない……。決して交わる事もない……。
「ロマーノ……。お前がいない夜に……、この世界に……、俺が生きる意味なんて……、もう一つも、ないっ……」
――こんなふうに孤独な夜は、ロマーノがそっと手を握ってくれた。泣き出しそうな俺を抱きしめて、夜明けが来ることを教えてくれた。
「眠れないか?」
突然の声に驚いて振り返ると、そこにはヴァロアの姿があった。幾分顔色も戻ったようだ。
「情けない話だが、俺も眠れなくてな」
。そう言って、ヴァロアはソファに腰かけた。
「……俺もだ」
ヴァロアの隣に俺も腰かける。
それから俺は静かにロマーノの最後の話を聞かせた。ヴァロアが優しく相槌してくれるおかげか、不思議と冷静に話せて自分でもびっくりした。
どのくらい話しただろう。
もう外がほんのり色付き始めいてる。
その日俺たちはどっちから言うわけでもなく一緒のベッドで休むことにした。ロマーノと同じくらいの体躯なのに、少し違う感触に、再び目頭が熱くなったが、俺は気付くと眠りに落ちていた




