13 優しい嘘
ここ数日、老いぼれを待って夜中まで起きていたせいか、全然疲れが取れていなかった。 ――そんな中、扉の鍵が解除される大きな音で目が覚めた。
「何だ……?」
「――おはようございます、NO10029」
「……またてめーかよ! 何の用だ、朝から難しい話ならお断りだぜ」
ロマーノの睨む先には、いつもの黒服の男が立っていた。
――ルイス。
老いぼれは、この男の事をそう呼んでいた。 名前で呼ぶ程、近しい関係なのだろうか。
「お知らせしておく事がありまして――」
「ああ? ――ったく、お前の不吉な顔を朝から見るなんて、……最悪の聖夜だぜ」
「――本日より、リノ・パルヴィスの奉仕活動参加を許可します」
「……は?」
――今、何て……?
リノは、自分の名前に反応してゆっくり顔を上げた。
「NO10029は、リノ・パルヴィスを含む五人で奉仕活動を行う事」
「リノも、……一緒に? でもリノは、ID放棄を――」
「――ID放棄? なんだそれ?」
――しまった……。
皆は、老いぼれとの会話を一切知らないんだ。
「……話は以上になります」
男は、それだけを伝え部屋を後にした。 残された俺達は、突然の報告に状況が飲み込めないまま呆然としていた。
やがて、ロマーノが立ち上がり、上機嫌でリノの元へ駆け寄る。
「おい、リノッ!」
「……はい……」
そしてロマーノは、リノを強く抱きしめた。
「……っ」
「聞いたか、リノ! お前も参加出来るってよ! 最高のプレゼントだと思わねーか?」
「……はい……」
「ははっ、それ以外にねーのかよ! 俺は嬉しい! めちゃくちゃ嬉しいぞ、リノ!」
ロマーノは、顔をくしゃくしゃにして笑っている。
「ロマーノ、そんな強く抱きしめたらリノが潰れるでしょ。そろそろ離してあげてよ」
「え? ああ、そうか……すまんリノ。――って、ルイ。何でお前まで抱き付いてんだよ」
「いいじゃん、俺だってリノの事ぎゅーってしてみたかったんだよ、可愛いからねリノ」
リノは、ロマーノとルイに抱きしめられて姿が見えなくなっている。
「おい、まずルイが離せよ! リノが苦しいだろ!」
「そっちこそ。リノにおっさん臭が付いちゃうから、離してあげてよ」
「おい、二人とも――」
二人を止めようとした俺をヴァロアが遮った。――ヴァロアは、任せろと言わんばかりにニッコリ笑って、三人の方へ向かう。
「ロマーノ、ルイ? あんまり盛り上がってると、うっかり口を滑らすかもなぁ……」
「……っ!」
その瞬間、二人が一斉にリノから離れた。
「え、何? 何の話?」
「い、いや……何でもねーよなぁ、ルイ?」
「う、うんっ……」
ロマーノとルイは、気まずそうな顔で目を逸らした。
「何? 何か隠してる?」
ヴァロアは、首を傾げている俺に再びいつもの笑顔を向け、固まっているリノの頭を撫でた。
「丁度いい、今日の奉仕は五人で行こう。リノも一緒だ。いいな?」
「……はい……」
「――決まりだな、楽しみだ」
――楽しみ?
奉仕に行くのに楽しみも糞もないだろ……。
その後も、さっきの言葉の意味は誰も教えてくれなかった。とりあえず言える事は、その話をすると、ロマーノとルイが腹立つ程挙動不審になるという事だ。
でも、俺も老いぼれとの会話は皆に言ってないわけだし……。
そんな躍起になって問いただす必要もないのか。
――奉仕の合図は、すっかり日が落ちた後に鳴り響いた。
「……世間がクリスマス一色になってる時も、俺達の現実は変わらねーんだな」
「……」
誰も俺のボヤキに反応しない。
――きっと皆、同じ事を思っているのだろう……。
そして、今回俺達が降ろされた場所は――
「うわ、何か……懐かしいな……」
「ああ、port3は俺達のホームだからな」
このport3は、二番区の中で最も治安のいい地区で、俺とロマーノはこの近くに住んでいた。
――普段は沢山のヒュッテで賑わっているport3も、聖夜の夜は何処も早々に店を閉じる。この日だけは、二番区の人間も贅沢な一日を過ごす為、ヒュッテのような安上がりの飯や酒を求める人はいないからだ。
「ここが二人が住んでる場所? なんか、イメージと違う……」
「今日は聖夜だからな、眠る街になるんだよ」
「何で?」
「聖夜の夜だけは、十五番区の人間みたいな一日を送れる最高に贅沢な日なんだぜ? みんな昼間の内から食料買い込んで、ディナーの準備で忙しいんだ」
その時、ふいに目が合ったロマーノが今にも泣き出しそうな顔で俺を抱きしめた。
「え、何っ何だよ!」
「ゼノン……ゼノンは聖夜の夜をそんな風に思ってたんだな……! 聖夜をそんなに楽しみにしてたなんて……! 俺は十年間も贅沢な聖夜を送らせてやれなくてっ……、ごめんなああぁ!」
「ちょっと……、別にそんな事ねーから、泣くなって!」
「嘘泣きだよ、ゼノン。まったくいい大人がはしたない」
「ルイッ、てめぇ!」
「ほらね?」
二人が手に負えなくなる前に、ヴァロアが話の流れを変えた。
「――よし、行くか」
「え? 行くかって、そっちは――」
ヴァロアは、リノの手を引いて回収場所とは逆方向に進みだす。
「……あの、回収場所はこっちなんだけど?」
「まぁいいから、着いてきてよ」
ルイとロマーノも、ヴァロアに続く。
「……何だっつーんだよ」
朝から、皆の様子がおかしい……。明らかに、俺だけが何かを知らないみたいだ。
俺達は、片付けられたヒュッテの並びを抜け、酒屋が密集している通りに出た。
――当然、どの店にもcloseの看板がぶら下がっている。
「なぁ、こっちは酒屋しかねーぞ。……それに、今日はどの店も閉まってる。――って、そんな問題じゃなくて! 回収対象は、西側の通りの……」
その時、俺の前を歩いていたロマーノが突然足を止め、俺は派手にぶつかった。
「う……っ!」
「よし! 着いたぜ!」
「……痛ぇ。何で急に止まるんだよ……」
ロマーノ達は、俺の質問を無視して、小さな店の中へ入っていく。
「何なんだよ、さっきから……。鼻痛ぇ……」
ジンジン痛む鼻を擦りながら、俺も後を追って中に入った。
――そこは、むき出しの電球が一本吊るされているだけの、小さなナイトショップ。ウィスキーやブランデーの酒類が山程、……それに、いかにも安そうなバゲットや、乾物系のつまみが乱雑に置かれていた。
「おお、ロマーノじゃないか!」
「ドナール爺! まだ生きててよかったぜ!」
ロマーノがドナール爺と呼んだ爺さんは、小さな体がスッポリ収まる大きな椅子に座り、暖炉の前で新聞を広げていた。
「相変わらず口の悪いガキだな。今年も随分遅い調達じゃの。また居残り奉仕か?」
「ああ、似たようなもんだ。もうガキって年じゃねーけどな!」
「家で弟が待っておるのだろう? 早く帰ってあげろ。……今年も用意してあるぞ、ロマーノ特製クリスマスセット。安酒、安菓子ばかりで、涙が出そうじゃ」
爺さんは、暖炉の横に置いていたダンボールを抱え、ロマーノに渡した。
――このダンボール……。
聖夜の夜に、ロマーノがいつも持って帰ってきていたものだ。
「うるせぇ! 今その話はやめてくれ、まじで落ち込む……」
「何だ、ついに弟に愛想尽かされたか? まぁこの中身じゃ仕方ないだろう。 一体いつになったら新調出来るんじゃ?」
「俺に聞くな、俺の財布に聞いてくれ……」
ロマーノは、抱えたダンボールに頭を打って、ガクリと項垂れた。
「――ところで……」
眼鏡の奥の円らな瞳が、俺達を捕える。 「……ロマーノの友達か?」
「――え? ああ、奉仕先で出会った仲間だ。ヴァロアと、ルイとリノ。それから……」
奥で物色していたルイが、リノの手を引き再び消えて行く。
「ルイ? 何やってん――」
「――それから、弟のゼノンだ!」
ロマーノは、俺の頭をクシャクシャと撫でて、嬉しそうに紹介した。
「おお! お前さんがロマーノの弟か!」
「えっと……」
「そうだぜ! 話した通りのイケメンだろ? 昔はこーんなちっこいガキだったのによ!」
「ははは、それは耳にタコが出来る程聞かされたわ。――ゼノン、毎年毎年安上がりのクリスマスセットを食わされているんだろう?」
「えっ? あぁ、はい。まぁ……」
――くそっ、ロマーノのヤツ。
いつもの調子で否定してやろうと思ったのに、そんなに嬉しそうな顔されたら調子狂う……。
「一番最初に会ったのは、もう十年も前かな。一文無しのくせして、『クリスマスらしい物を売ってくれ! 出世払いで払うから!』だなんて言いよって。あの時は、こーんなちっこいガキだっ――」
「――やめろやめろやめろっ! ゼノンの前でそれを言うな! 今はちゃんと金払ってるんだから、もう時効だろ!」
「あ、そうだ……代金は、これで足りるかな?」
ヴァロは、折りたたんだ紙幣を渡した。
「ああ、確かに頂いたよ。……ロマーノ、お前さんさっき何て言った? 今はちゃんと金払ってるんだから? はぁ? 弟の前で仲間に払わせるとはねぇ……ふっ、はははっ――」
「――だああぁーうるせぇ! 今はいろいろ事情があるんだよ! 調達も終わったんだし、行くぞ! じゃあなっ、ドナール爺!」
「ああ、来年はもっと上質なセットを考えるんじゃな」
爺さんは、再び新聞に目を戻しニヤリと笑った。
「あ、待って! ルイとリノがまだ――」
店の奥に呼びに行くと、二人は売り物のサンタ帽の前で目を輝かし、動こうとしない。
「ルイ、リノ、もう出ようって……」
「ゼノン……これ欲しい!」
「……はぁ? いらねーって!」
「でも、リノも欲しいって!」
「リノまで巻き込む……な……」
ふいにリノを見ると、見た事ない程に目を輝かせて、サンタ帽を見つめている。
「リノ、欲しいのか……?」
「……欲しい……」
――まじかよ。
何にも興味を示さないリノが、よりにもよってこんな物に興味を示すなんて……。
「それが欲しいのか? 構わん、持って行け」
「爺さん……でもっ――」
「それは子供しか買わんよ。こんな時間まで売れ残ると、もう処分するしかないからな」
「えっいいの?! やったね、リノ!」
「……はい……」
ルイとリノは、嬉しそうに笑い、サンタ帽を掲げていた。
「また来いよ、ゼノン。――二人もな。来年は髭付きの帽子を入荷しておくよ」
「本当?! 楽しみだね、リノ!」
「……はい……」
「タダで貰って悪い。ありがとうな、爺さん。……メリークリスマス」
「メリークリスマス。素敵な聖夜を――」
――素敵な聖夜を……か。
先に店を出たロマーノとヴァロアは、もう随分先を歩いていた。――店の外は、相変わらずの寒波で、一気に体温が下がる。
「寒っ……」
「ゼノッ! ゼノの分も貰ってきたから、一枚あげる!」
サンタ帽を被ったルイとリノが、興奮を抑え切れないという様子で隣に来た。
「――いや、俺はいいって!」
「いいじゃん、ゼノもお揃いにしようよ! よいしょっ、と――」
「バカ止めろ! こんなだっせー帽子――」
「あっ、やっぱり似合う! ねぇ、リノ?」
「……はい……」
「嬉しくねぇし……」
――強引に着せられたサンタ帽は、意外と暖かく、耳の防寒にはなりそうだった。
人っ子一人歩いていないからいいものの、男三人がサンタ帽被って歩いている姿は頂けないだろう……。
――人通りを確認しながら歩いていると、ダンボールを抱えたロマーノとヴァロアが引き返してきた。
「お? 何だ、ゼノンその帽子! ははははお前っ、その年でその趣味はねぇだろう!」「俺に言うな、ルイに言え。……つーか、一体どういう事かそろそろ説明してくれてもいいんじゃねーか」
「見たら分かるだろ!」
「……分かんねぇ」
「そんなに深く帽子被って俯いてたら、分からないよゼノン。ほら、顔あげてごらん」
しぶしぶ顔を上げると、四人は各々に酒や
菓子を持ち、満面の笑みを浮かべていた。
「メリークリスマス、ゼノン!」
ロマーノは、ワインの栓を抜き俺に手渡す。
「えっ、メリークリスマスってまさか、お祝いでもするつもり……か?」
「当然だ! どんな時でも、聖夜は特別な一日だろ! 今日くらい、ぱーっと騒いでも罰は当たらねぇ!」
「でも……」
「いいじゃないか、ゼノン。――ここに来ていろいろあった。……本当に、いろんな事が。その内の一つくらい、思い出して笑えるような思い出が欲しいと思わないか? それともゼノンは、回収に行きたい?」
「いや……。でも、いいのかなって――」
「――いいんだよ! その為にロマーノセットも買ったんだから、楽しまないと勿体無いでしょ?」
サンタ帽を被って楽しそうに笑うルイを見ると、躊躇っている事が馬鹿らしく感じる。
「……ああ、そうだな。――よっしゃ! 久々の酒だ! 頂くぜ、ロマーノ!」
「――よし! じゃあ乾杯しようぜ!」
「何に?」
「聖夜の夜に、仲間と酒を飲める事に決まってんだろう!」
「それと、リノが参加メンバーに加わった事もだ!」
「ああ。……それと、三人の可愛いサンタにもな?」
ヴァロアは、俺達三人に優しく笑いかけた。
そして、それぞれが瓶を高く掲げ、一斉に叫ぶ――
「――聖夜の夜に、乾杯っ!」
12 聖夜の贈り物
俺達は、通りに並べてある酒樽に腰を下ろして酒を味わった。――久々に飲んだ安酒は、やっぱりアルコールの臭いがきつくて、喉が焼けそうに痛む。
でも、ロマーノが買ってくる酒は悪酔いする事が無く、値段の割にはいい仕事をする。 ただ単に、飲み慣れているからかもしれないけど……。
「――げっ、まずい。……お酒ってこんなにまずいの?」
「飲み慣れているだけか……」
「何だよ、この状況で酒飲めるだけでも有難いと思え!」
「そうか、ルイは酒飲むの初めてか!」
「初めての酒が、ロマーノの選んだ安酒とは散々だな、ルイ……」
ロマーノは、持っている酒を一気飲みして反論した。
「――あーうっめ! 大体な、酒の味も知らないガキには、何飲ませても一緒なんだよ!」
「……失礼な。俺はハウスメイドの取り寄せた食材しか食べないから、舌が肥えてるの!」
「ハウスメイド? 何だよ、それ! 何の機械だ!」
「ロマーノ……」
――冷え切っていた体も、アルコールのおかげで少しずつ温まってくる。
「リノ、大丈夫か? リノも酒は初めてか?」
「……はい」
ヴァロアの隣で座っているリノを見ると、ほんのり頬が赤くなっていた。
「どうだ? 美味しい?」
「……苦い……」
「ははっ、初めて口にしたヤツの模範的な解答だ。――大丈夫、すぐに慣れるよ。無理そうだったら、アップルジュースもあるから」
――ヴァロアのこういう所……。
子供がいてもおかしくないんじゃないか、と思う。よく気の回る所も、面倒見が良い所も。
「なぁヴァロア……。ヴァロアって、もしかして――」
だが俺の質問は、ふいに訪れた客に遮られた。
「――ゼノン、雪だ……」
それは、オレンジ色の街灯に照らされて、何とも言えない幻想的な雰囲気を出している。
「……本当だ」
「ホワイトクリスマスなんて、最高のクリスマスだな。リノ、ホワイトクリスマスも初めてだろう?」
「……はい……」
――オレンジの雪が舞う中、空を見上げるリノの横顔は酷く綺麗で……。
俺は、リノが初めて涙を流した時のように魅入ってしまっていた。
「それは良かった。――これからも、こうやっていろんな物を見せてやる。だからな、リノ……」
「……?」
ヴァロアは、リノの頭を撫で――
「リノも、そうやっていろんな表情を見せてくれ。それが、何より嬉しいからな」
「……はい」
「――だからな、ルイッ! 男は一気だっつってんだろ! ほら、一気飲みしてみろ!」
「嫌だよっ! 何でそんな事しなくちゃならないの!」
「……それで、あいつらは何をさっきから騒いでるんだ」
ルイとロマーノは、顔を真っ赤にして例の如く言い争っていた。
「……酔いすぎだっての」
「勝負だ勝負っ! ほら、勝負すっぞルイ!」
「はぁ? 一人でやってよ! 俺は目標がないと頑張れないタイプだって言ったよね? この勝負には何の魅力も感じないからお断りだね! だいたい、短時間でのアルコールの過剰摂取は、脳の――」
「――ああ、それなら……、さっきのゼノンサンタのプレゼントでどうだろう?」
「ヴァロアッ!」
驚いてヴァロアを見ると、ヴァロアは笑って俺にウィンクを返した。
「えっ、それって……」
「ゼノの独占権」
二人は黙って見つめ合い、そして――
「――乗ったっ!」
二人同時に、勢いよく酒を流し込んだ。
「やめろって! 俺は何もしねーぞ!」
「大丈夫だ、ゼノン。既にあんなに酔っぱらってたんだ。一気なんてしたら……」
「――っかあぁ! どーだルイッ!」
「はぁっ、……俺だって! ――って……あれ……?」
ルイは、フラフラと右に左に、……足元がおぼつかない。
「ルイ? どうした?」
「何だぁ? へへっ、大人しく降参し……」
ルイに続いて、ロマーノも変なステップを踏み始める。
「う、わっ……!」
――そして二人は、不安定に足を絡ませながら地面に倒れ込んだ。その衝撃で、地面に積もった雪が高々と舞い上がる。
「……一気なんかしたら、3秒立っていられるかどうかって所だろう。はははっ、面白い踊りが見られたよ」
「ヴァロア……」
――意外と腹黒いな……。
「くっそー……冷てぇ」
「頭グルグルするー……俺浮いてるみたいー」
「――同時に倒れたから、この勝負は引き分けだな。……残念、ゼノンの独占はお預けだ」
ヴァロアは、雪の上でジタバタする二人を見ながら、いたずらっぽく笑った。
「ちっくしょー……」
「もー結局無駄になったじゃんー……」
そして、思いついたように、次のお題を飛ばした。
「何だゼノン、芸術的な雪だるまが見たい? ……それは困ったな。俺は不器用で作れない。……誰かゼノンのお願いを聞いてくれる人――」
「――ルイ! 雪だるまで決着つけるぞ!」
「――望む所だよ! 芸術で俺に勝負を挑むなんて、後で土下座してもらう事になるけど!」
二人は、さっきまでの言葉が嘘かのように、機敏な動きで雪を掻き集めだした。
「お、おい! そんなに急に動いたら、リバースするぞ!」
「見てろよ! ゼノンの独占権は絶対譲らねぇ!」
「こっちだって、ゼノだって俺に独占される方が嬉しいに決まってる!」
ヴァロアは、奮闘する二人を見て、腹を抱えて笑い出す。
「――ははははっ、すまない! いや、二人が可愛すぎてついっ、……あはははっ!」
――ヴァロアのこんな笑い方、……初めて見た。というか、こんなに子供っぽく笑う事もあるんだ。
――その時、黙って見ていたリノが見よう見まねで雪を集め出した。
「……僕も……」
「リノ!」
「……僕も……欲しい」
「――雪だるま? それなら作ってやるから! そんな素手で触ったら、凍傷に――」
「……サンタさん……」
「――え?」
「……僕も……」
「いやだから、その話は無効だってば! それはヴァロアが勝手に!」
「――ゼノン。リノがこんなに手真っ赤にして頑張ってるのに、無碍にするとは男じゃないぞ?」
「そんな、勝手な……」
「よし、リノも頑張れよ。何しろ、最高のご褒美が賭かっているからな」
「……はい……」
ヴァロア、何ていい加減な事を……。
――結局、俺からのプレゼントを争って、訳の分からない勝負が始まった。
ヴァロアは、一頻り笑ったところでいつものペースに戻り話し出した。
「――ははっ悪いな、ゼノン。俺もついつい飲み過ぎたみたいだ。何か解放された気がしてな」
「本当に。勝手な事ばっか言ってくれて……」
「……でも、みんなゼノンに楽しんで欲しいんだよ」
――俺に……?
「口止めされてたんだがな。……今日は聖夜を祝う為だけじゃないんだ。少し早いけど、ゼノンの成人の前祝がしたいって、ロマーノとルイの提案でな」
「え……?」
朝からコソコソしていたのは、この事だったのか……?
「もちろん諦めている訳じゃないが、儀礼祭はもうすぐだろ? 万が一、間に合わないって可能性もある。――だから、ゼノンの成人を祝いたいって二人の提案には、俺も賛成だったんだ。……リノだけを置いて行く事が気がかりだったんだが、何の偶然かそれも解禁になって、まさに祝い事にはぴったりの日だ」
「そんな……、俺全然知らなくて――」
――皆の事を、感じ悪いとか思ってた自分に物凄く腹が立つ。
そんな俺の胸中を察したのか、ヴァロアはにっこり笑って言った。
「ゼノンが楽しんでくれるだけで充分だよ。だから、皆もあんなに嬉しいんだ。……それだけでいい」
「……ありがとう」
「今日は、楽しいか?」
「……ああ、すごく楽しい。何て言っていいのか分かんねーけど、今の自分の現実を忘れる位、……最高な夜だと思う」
「そうか。それを聞けて、俺も嬉しいよ」
――必死に雪だるまを制作している三人の姿と、いつもの優しいヴァロアの声と、体に回ったウィスキーのせいで、体の芯が熱くなってくる。それは、涙が込み上げてくる時と同じような感覚で……。
「見て! スノーマン・アリージュ一世! 完璧な曲線美だよ」
ルイが自信満々な様子で紹介する。
――スノーマン・アリージュ一世と呼ばれたそれは、雪だるまと言うより、彫刻と言っても過言ではない出来栄えだ。
「うわ……、さすがルイだなぁ。この短時間で、よくここまで……」
「――よっしゃ完成だ! 俺のも見てくれ!」
ルイに続いて、ロマーノは満面の笑みで完成した雪だるまを披露した。
「……ロマーノ。それ、何?」
「何って、雪だるまだろ!」
ロマーノの指差したそれは……、雪の塊が3つ、三段アイスのように積まれ、落ち葉でデコレーションされていた。
「アイス……?」
「バッカ帽子だよ、帽子! よく被ってるだろ、絵本とかの雪だるまは!」
「うーん……。これは圧倒的にルイの勝ちだな。雪だるまに見えない雪だるまは反則だろ、いろんな意味で」
「何でだよ! 俺はゼノンの為に必死で作ったってのによ……」
ロマーノは、真っ赤に冷えた手を擦りながら反論した。――そして、ちょうど隣に来たリノを見て、ニヒルな笑みを浮かべる。
「……おいおい、リノのそれこそ何だよ?」
リノは、大事そうに何かを手のひらに乗っけていた。
「……雪だるま……」
「――え、それが?」
リノが雪だるまだと言ったそれは、何処からどう見ても雪だるまの形ではなく――
「あはははっ、おい嘘だろ! それ雪だるまじゃなくて、カタツムリの間違いじゃねーか!」
「……え……」
「――ロマーノ! そんな笑うなよ、リノだって一生懸命作ったんだから!」
「何だよ、俺だって一生懸命作ったぜ?」
「……カタ、ツムリ……」
「――いや、雪だるまだ! 上手じゃねーかリノ! うんっ、一番の出来栄えだ!」
俺は、必死でリノの事をフォローした。
――何より、普段は部屋の隅で蹲っているだけのリノが、それ以外の行動を取った事が嬉しかったからだ。
「……まぁ、カタツムリに負けるわけは無いし、ロマーノのあれは論外だし、俺の勝ちかなー。――ねぇ、ゼノッ?」
「いや……」
俺は、リノの手から雪だるまを取り上げ――
「あああぁーっ!!」
「ありえない……」
――驚いて声を洩らそうとしたリノを思いっきり抱きしめる。
「ありえないありえないありえない……」
「……っ……」
「突然ごめん。でも、これ……、一番可愛かったから……」
俺は、取り上げたカタツ……、雪だるまをリノの手の中へ返した。
「……嫌だった?」
「……いえ……」
リノは、俺に背を向け首を横に振る。
「何照れてんだよ、リノ! 泣いて喜べ!」
「リノじゃなかったら絶対認めてないけどね……」
「ははっ、敗者二人の言葉は痛々しいな」
――ヴァロア、酒が入ると結構毒舌になるんだな……。
するとヴァロアは、ブレスレットを立ち上げて時間を確認した。
「――時間だ、そろそろ戻らないと。あまり遅いと、怪しまれるだろう」
「……そっか。そうだよな、名残惜しいけど」
俺達は、飲みかけの瓶をダンボールの中に戻す。
「ロマーノ特製クリスマスセット……か」
――どんなに帰りが遅い時も、ロマーノは毎年このダンボールを抱えて帰ってきていた。 奉仕から解放される時間帯は、どの店も閉まっているはずなのに……。その中から、必死に空いている店を探してくれたのか。
――十年前って……。
俺がこの街に来て、絶望に暮れていた時だ。 だけど、ロマーノはこうやって、いつだって俺の為に……。
「このダンボールどうするの?」
「奉仕の奴等が掃除してくれるだろ。俺も、毎日二番区中のゴミの清掃やらされた。今思えば、可愛いもんだけど……」
「ああ、それなら十五番区の交通整理の時なんてよ――」
俺達は、一時の時間を惜しみながらも、今まで体験した奉仕活動の話をしながら引き返した。――作った雪だるまをアルドに見せたいと言ったリノを説得するのにも、結構な時間がかかった……。
そして、皆が毛布に入った後――
「……来年の今日は、俺も成人ナンバーを貰ってる。来年は、俺が用意するよ。――クリスマスセット」
「……ああ、楽しみにしてるぜ」
ロマーノは、背を向けたままそう言った。
「ドナール爺の所行くの? じゃあ、俺とリノも行っていい?! 来年は、髭付きの帽子用意してくれるって言ってたからさ!」
「――それなら、俺も是非行きたいな。乱雑に置かれている中に、結構なヴィンテージワインがあってな。ヴォルネイは是非頂きたい」
「……ああ、行こう。来年もまた皆で、最高の夜を過ごしたい。次は、時間も場所も気にせずにさ……」
「……過ごせるさ、必ず」
「そうだよ」
「……ああ、そうだな。そう思うと、明日からも耐えられる」
――それから皆は、酒の力もあって早々に眠りに就いた。皆が眠りに就くのを、今まで何度見届けただろう……。
例の如く、俺は毛布から出て、老いぼれが来るのを待っていた。
「今日の事、いろいろ報告したいんだけどな……」
いつからか、その日あった事を老いぼれに報告する事が、俺の一日の終え方になっている。何が返ってくるわけじゃないが、ただ老いぼれに話す事が、大事な習慣になっていた。
「……相変わらずわしの事が好きじゃなぁ、ゼノン」
「……遅せぇっつーの」
「わしはずっとここにおったわ」
「じゃあ声掛けてくれよ。……いつも、来てるのか来てないのか分かんねーんだよ」
「……ちょっと考え事しておってな。いつでもお前さんの相手をする程、暇なじじぃじゃないのじゃよ」
「……考え事?」
「そうじゃ。この街が犯した過ちについて……な」
「過ち? 何の事だ?」
老いぼれは少しの間沈黙し、やがてゆっくり喋り出した。
「……BIANCOを統制する為に、模範生と罪人なんて称号を作り、人間を分け隔てた事じゃよ。人を裁くのは、認証カメラでもIDブレスでもない。そもそも、神は人に裁く権利など与えておらん。……この街が罪人だと決めた人間に、何の罪がある? 模範生と決めた人間に、何故罪がないと言える?」
「……それは、俺達がBIANCOの望む人間になれなかったからだ。――でも、模範生達は俺達とは違う。BIANCOの理想に従って生きて、何の罪も犯さず、汚れを知らない。まさにBIANCOが求めている模範的な人間だ。だから、一生BIANCOに守られて生きていける。……選ばれた人間なんだよ」
――これが本心だった。
どんなに模範生の事を罵って生きてきても、所詮俺達罪人は模範生のような生き方は出来ない。……出来なかった。
「本当にそうじゃろうか。わしは、そうは思わんよ。何故なら、人間は皆原罪を持っておるからじゃ」
「――原罪? えーと……宗教的な話? 悪い、俺は小等教育プログラムの途中でC落ちしちまったから、宗教学は受けてないんだ」
「……簡単な事じゃよ。人間は皆、生まれながらにして罪を持っておる。生まれたばかりの赤子も、善行に勉める大人も、この街が裁いた罪人も、模範と認められた模範生達もじゃ」
「模範生達も……? そんな訳がない。模範生は、BIANCOが意味する『純真』に最も相応しい、一切の汚れが無い人間に与えられる称号だって教えられた」
「それこそが間違いじゃ。この街は、小等教育の段階から、そんな偏執的な理念を植え付けておるのか……。まだ自我の芽生えていない子供を、洗脳しているようなものだ。――いいか、ゼノン。この街は、罪人と模範生という称号で統制しているが故に、例えお前さんが高等教育まで受けたとしても、正しいキリストの教えなど学ぶ事は出来ん。それを教えてしまうと、自分達の矛盾を晒す事になるからな」
「……矛盾?」
「――『模範生とは一切の汚れがない純真な人間』という理念は、キリストに反する間違った理念だという事じゃ。……人は皆、教えられなくても嘘をつくようになる。時に人を図り、利用し、……殺すことだってできる。人間には生まれた時から、心底に罪が宿っておるのじゃ。知恵と感情を持ち生まれ、自由意思で生きていくという事が、誰しもが抱える原罪だとキリストでは教えている。――じゃが、お前さん達が教育課程でそれを教わる事は無いじゃろう。何故なら、人間誰もが罪を抱えていると教えてしまえば、この街の基盤を引っ繰り返すことになるからじゃ」
「……誰もが、罪を――模範生も……」
――俺達だけじゃない……?
俺達とはかけ離れた場所で生きている模範生達も、俺達と同じように罪を抱えている?
「模範生か罪人かなんてものは、BIANCOの秩序を守る為に、この都市が勝手に人を裁き、隔て、造り上げたエゴの結果じゃ。神の前では皆罪人じゃよ」
「……じゃあさ、じじぃ。教えてくれよ」
――それは、縋る様な気持ちだった。
「俺達が回収してきた罪人や、ポイントを奪ってきた模範生達にも……罪があるんだよな。……罪には、罰が与えられる。そうだろ?」
――自分の罪が、俺達の罪が、赦されるんじゃないかって……。
「それじゃ、ここで俺達がしてきた事は……。命を奪ったり、罪人に引きずり落としたりした事は、……そんな人間の罪に罰を与えたって事なのか……? 自分達が生き残りたいからっていう、身勝手な理由じゃなくて――」
「……それは、何とも言えん」
「……」
――そりゃ……、そうか。
俺達に、誰かに罰を与える権利なんか無い。 罰を与えられるなら、俺達の方だ。
「……じゃがな、それなら人は何の為に生まれてくると思う?」
「……考えた事も無い。意味なんてないと思う」
「奴等は、罪人をゴミと呼ぶ。じゃが、神の前では皆が平等で罪人だとしたら、この世の人間は皆ゴミじゃ。……それは知恵を持ち、人を傷つけ、いずれは死に、土に還る。そんな世が、何故何億年も続いておると思う? 神の力を持てば、終わらす事も出来るのにじゃ」
「そんな難しい話、分かんねぇよ……。ベタだけど、罪を償う為に――とか……」
――だとしたら、俺は償うどころか……。
「……違うな。わしは、赦し合う為に生まれてくるのじゃと思う。――自分と同じように罪の鎖に縛られた人間を赦し、そのまた隣の人間が自分の罪を赦す。そして……いずれは鎖が外れ、人間は初めて罪のない世界を知る」
「そんな上手くいくかな……」
「……お前さんの罪の鎖は何じゃ、ゼノン?」
――俺の、罪……?
「俺は……、俺は、人を殺した。……でもっ、無かったんだ、……無かった。それ以外に何も……。人が焼かれていく映像を見せられて、とてもじゃないけど選べなかった。自分が生き残る選択以外、選べなかった……」
――必死に、自分の弱さを正当化しているだけかもしれない。逃げ道を探しているだけかもしれない。
……自らの死を前に怯んだ、己の醜さから。
「……それじゃあ、お前さんの罪はわしが赦そう」
「――っ! 赦されるわけがない! 俺は人を殺したんだぞ! 小等教育で落とされた俺でも分かる! 俺は、人間の成し得る罪の中で、最も重い罪を犯した!」
「……ああ、そうだな。赦されるわけがない。……だから、残ったお前さんの罪を以って、誰かの鎖を解いてやってくれ。お前さんと同じように苦しんでおる奴がおる。……分かるな、ゼノン?」
「俺と同じように……」
――ヴァロア……ルイ、ロマーノ、リノ。
「わしはな、今までろくでもない生き方しかしておらんのじゃ。この監獄に入れられて、何年も自問自答を繰り返すうちに、やっと答えを見つけた。……じゃが、本当に自由だった時は、その答えを見出すことが出来んかった。愚かなわしは、誰の事も愛さんかった。誰の事も赦してこんかった。……すぐ隣でそれが出来たのに、じゃ」
「じじぃの愛したかった人って……?」
「……家族じゃ。お前さんには偉そうに言っておるがな、本当はどうしようもなく浅はかで弱い人間なのじゃよ。たった一つの大切なものを、この手で抱きしめてやる事も、愛してやる事も、赦してやることも、……名乗る事すら出来ん愚かな人間なんじゃ。そんなわしには、この分厚い壁を壊す資格も、あの高い鉄線を超える資格も、もうないんじゃ。これから先も、それは変わらんよ……」
「これから先の事なんて、分かんねーじゃねーか。まだじじぃの家族は生きてるんだろ? じじぃだって生きてる。これから先も変わらないなんて、そんな風に言い切ったら本当に叶わなくなる」
――俺も、父さんに何一つ返せないままだった。何も返せないまま、それは二度と叶わない願いになった……。でも老いぼれの家族はまだ生きてるんだ。
ここから出る事さえ出来たら――
「そうじゃな、お前さんの言う通りじゃ。……じゃが、わしはこんな老いぼれじゃ。それを叶える前にこの命が尽きるかもしれん。少なくとも、お前さんよりは先に死ぬだろう。――その時に、こんな心を持て余したままあの世に行くなんて、実に愚かな終わり方じゃと思わんか? 人を愛さずに、赦さずに一生を終えるいう事は、己の罪からも解放されんまま土に還るという事じゃ。……だからな、ゼノン。勝手な老いぼれの頼みを聞いてくれんか……?」
「頼み? 何だ、頼みって? 俺に聞ける事なら聞くけど……」
「わしの持つ全ての心を以って、お前さんを愛し、赦そう。ここで使わせてくれ」
「それは、ここを出て家族にっ――」
「――わしは、お前さんに受け取って欲しいのじゃ、ゼノン。……お前さんに出会えてよかったよ」
「止めてくれ、そんな言い方。それじゃ、まるでさ……」
「いずれは死ぬさ。ここから出た後かもしれんし、出る前かもしれん。――じゃが、お前さんの人生はまだまだ長い。例えお前さんがそれを望まんくとも、ずっと続いていく。わしはな、お前さん達には見て欲しんじゃ。罪のない世界を、罪のないこの街を、……お前さんの仲間と共に、必ず……」
――何言い出すんだよ……。
赦すとか、愛すとか……。
「あーあっ! ……老いるって、怖ーよな」
「……全くじゃな」
「……分かったよ。それを俺が受け取っていいのか分かんねーけど、……まだギリギリ聖夜だ。今年のベファナは、こんな監獄の中にまで立ち寄ってくれんだな。有難く受け取らねーと、来年から貰えなくなっちまう」
「……それと、じじぃベファナからもう一つプレゼントじゃ」
――老いぼれは、足元の隙間から、傷だらけになったIDブレスレットをよこした。
「……IDブレス? 何に使うんだ?」
「ID管理室へ入る為のブレスレットじゃ。詳しくは聞いてくれるなよ、預かりものじゃからな……」
「ID管理室……?!」
「いいか、ここのID管理室のセキュリティは、どの街の認証カメラよりも複雑な光波を組み合わせておる。通常のIDブレスレットで侵入すると、一秒も経たん内に特別警戒システムが下りるじゃろう。じゃが、このIDブレスにはID管理室のセキュリティ光波と全く同じ光波が組み込まれておる。それによって、セキュリティが同系の光波に反応し、一時的に錯綜状態に陥り、干渉を受けずに通過することが出来る。……じゃが、使うタイミングだけは間違えるなよ。あと一回しか使えん」
「一回っ? 回数制限まであるのか……? でも、何で一回だけなんだ?」
「それも詳しくは聞いてくれるな。何しろ、預かりものじゃからな。……いいか? これでID管理室へ行け。そして、その――」
「――U20459、時間です。戻ってください」
「何じゃ……。また盗み聞きとは、お前も懲りんな、ルイス」
――ルイス、……あの黒服の男か。
「……盗み聞きの趣味はありません。貴方が時間を守ってくだされば、私がこの部屋にわざわざ入る必要もないのですよ」
「……まだ時間は過ぎておらんが?」
「……」
「ああ……分かっておる」
「……行くのか、じじい?」
「ああ、行かねばならん。――いいかゼノン。その後は、……直観で動け。わしが言ってやれるのは、どうやらここまでらしい」
――壁越しに、じじぃが立ち上がり歩き出す気配を感じた。
「待って! 次はいつ、……いつ話せる?」
「ああ、それで思い出したわ。……お前さん達は、次はいつ五人で奉仕へ?」
「奉仕? 明日だけど……」
「そうか。それじゃ、また明日話そう。お前さんがおらんとつまらんからな。また老いぼれの話相手になってくれ」
――また明日……、か。
「ああ、また明日……ここで」
そんな日々をこの先も続けていたら、儀礼祭に間に合わなくなってしまう。
だけど、どちらかがここから出たら、二度と会わなくなる。顔を見て話をする事もないまま、老いぼれとは二度と会わなくなるのだろうか……。
「また明日……ね」
「……良かったのですか、このタイミングでゼノン・バリオーニにあんな事を……」
「お前さんこそ、何故わしのIDを口にしたのじゃ?」
「……理由はありません」
「そうか……。理由がないというなら、そういう事にしておこう」
「ですが、あの様な安易な約束をするのは貴方らしくありませんね」
「どの事じゃ? 愛す、と言った事か?」
「いえ……」
「赦す、と言った方か?」
「……ご自身が一番分かっているのでは?」
「そう言ってくれるな、ルイス。物事にはタイミングというものがあるのじゃよ。自分の散る時ぐらい、自分で決めさせてくれ」
「ですが……」
「ルイス、お前さんには感謝しておる。充分すぎる程にな」
「……また明日、お迎えにあがります」
「……ああ。また明日、頼んだぞ」




