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Binaco  作者: 水瀬いちか
12/20

12 幼き光

 その日も、次の日も、老いぼれは現れなかった。

――前回の話で、聞きたい事が沢山ある。 それに何より、老いぼれと話をする時間は、俺にとって貴重な時間になっていた。

今日も、皆が寝静まってどれ位経つだろう。

「――ここ数日間は、随分賑やかじゃな。何か面白い事でもあったのか?」

「じじぃっ!」

「ルイも元気になったみたいじゃの」

「来てたんだったら……、何で話しかけてくれねーんだよ!」

「何じゃ。こんな老いぼれを待っててくれたのか、ゼノン」

「別に、待ってたわけじゃねーけどさ……」

 ――毎日寝ずに待ってただなんて、こっ恥ずかしくて言えるかよ。

「ところで、最近はよく出ているようじゃが……何か面白い物でも見つけたか? まさか、問題があるわけではなかろうな?」

「あぁ実はリノがさ、ヒュッテの辺りで犬飼ってんだよ! ――って……、リノは全然喋らねーから分かんねーか。時々ボソッと喋るのがリノなんだけどさ。それで、犬の名前が――」

「――アルド……。あの犬っころ、もまだ生きておったか……」

 ――アルドの事を知っている?

「じじぃ、何でそんな事……」

老いぼれは、大きな溜息を吐いた

「……話そう、ゼノン」

「何を……?」

「リノの事じゃ。気になっておったのだろう?」

 ――俺は、無意識の内に息を止めていた。 リノの過去……。

ずっと知りたかったはずなのに、触れてはいけないような気がしてしまう。 

「……お前さん達が来た夜、数年ぶりにリノの声を聞いたわ。――わしはてっきり、とっくにここを出たか、もしくは……、死んでしもうたかと思っておった」

「リノを……知ってたのか?」

「――ああ。リノがここに来たのはもう十年以上前になるかの……。その当時も、今の様にまったく喋ろうとせんかった。当然だろう、まだ小等プログラムも終えていないガキだ。順応出来るわけがない」

 小等プログラム? でも、リノは――

「リノは……ここで生まれたって……」

「ここで生まれたも同然なのじゃよ。……リノはこの中で一度、ある男と共に死んだ。そして、その罪を背負って再び生まれてきた。――それが、今のリノの姿じゃ。リノはこの世の全てに絶望したように、生きる事を諦めてしまっての……。それから何年も、あの調子だ」

 そういえば、リノ――

『……僕は……許されない……』

 光を失った目で、こんな事を言っていた。

「リノがここに来た当初から、わしはこの部屋に来ておった。――もちろん、隣の部屋に放り込まれた幼い少年の事も知っておった。……わしも何度か話をしようと試みたがな、リノは完全に孤立して、誰にも心を開こうとせんかったわ。……悲しい事じゃが、この少年を待つ未来は、死しかないと思っておった」

「……思ってた?」

「……ああ。そんなリノの元へ、毎日通う馬鹿な男がおったんじゃ」

「男……?」

「ちょうど、今のわしとゼノンのような感じじゃな。――その男は、ここに勤めていた若い職員じゃった。……何の反応も示さん少年を相手に、来る日も来る日もどうでもいい話をして、小一時間話すと、帰っていく。そんな事を半年近く繰り返しておった」

「職員が……? そんな事許されるのか?」

「もちろん、一職員とUccisoleの必要以上の接触は、罰せられるじゃろう。――だがそいつは、懲りもせず毎日通っておった。話の内容も、実に一方的でな……。自分にも同じ位の息子がいる――と、自分の息子の話ばかりしておったわ。今日は息子と何をした、とか、テストで高得点を取った、とかじゃ」

「……何だそれ」

「ところがいつからか、リノがそいつに興味を示し始めた。――初めはボソボソと質問する程度じゃったが、いつしかその男の話を楽しそうに聞いおったわ。……それからは、男が来るのが待ちきれんといった感じでな、毎日楽しそうな笑い声が聞こえてきた。顔も見えん少年の事じゃが、わしは何だか安心したのを覚えておる」

「……リノは、奉仕には参加してたのか?」

 ――あの慣れた銃の使い方。躊躇いもせずに引き金を引く姿。

どう考えても、殺しを恐れているようには見えなかった。

「当時はまだ小等教育も終えとらん少年じゃ、人の殺し方すら分からんよ。……じゃが、ある時期から、リノが奉仕に参加しだした。――自分の命が惜しいからか……、他の参加者からの重圧からか……と思えば、何てことない。実にくだらん理由からじゃ」

「……何?」

「その男が毎夜話す息子。――その少年に、リノは興味を持っておった。会ってみたいと願っておったのじゃろう。見ず知らずの男が話す、見ず知らずの少年に対してじゃ。きっと、自分とは全く違う環境で生きているその少年に、希望を抱いておったのじゃろうな……。そんなくだらん事さえ、幼きリノにとっては生きる希望じゃったのだよ」

「それから……?」

「だが、その男は、そんなリノの姿を見て涙ながらに訴えた。――『もう二度と、こんな小さな手で人を殺すな。そんな事をしなくても、必ず俺がここから出してやる』、と……。――そして男は、もう一つ約束をした。……引き取り手のないリノを、養子として迎えようと。今でも覚えておるわ、あの男の言葉……。――『リノ、兄貴は欲しくないか? ここから出たら、家に来い! 俺と、俺の息子と、リノと、家族になればいい!』、とな……。リノは、よほどこの言葉が嬉しかったんだろう。それからは一切人を殺さず、その日が来るのを待ち続けた」

「それで……?」

「……残酷な話だとは思わんか? こんな監獄の中に放り込まれた幼き少年にとっては、どんな僅かな光でも生きる希望になる。どんな頼りない腕でも、差し出してくれるのならその手を取りたくなる。例えそれが、……何れ消えてしまうと分かっていてもじゃ。――果たしてその時本当に浅はかだったのは、手を差し伸べた方か、それともそれを取った方か……。罪の鎖を背負うのは、救えなかった方か、救われようとした方か……」

「……」

「……脱線したな、話を戻そう。――それから二人は、ここから出た時の話ばかりをしておった。ここから出たら何をしたいかとか、何処に行きたいかとか、……どうしようもない想像話じゃ」

「……リノは、何がしたいって?」

「――『手を繋ぎたい』……。まだ見ぬ少年と、手を繋ぎたいと言った。ここを出て一番にしたい事がそれだなんて、なんて欲のない少年だと思ったわ。……だが、孤独で仕方無かったんじゃろう。自分のこの手は、人を傷付けるだけじゃない。誰かと繋がって、その温もりに触れて、生きようとした己の罪を許して欲しい……と。――その男は、リノの事になると情けない程に涙もろいやつでな。その時も、涙を流してリノの手を取り、何度も何度も言っておった。――『約束しよう。絶対にここから出してやる。俺は、息子との約束は必ず守る』、と……。リノはその日が楽しみで仕方なかったんだろう……。自分はもうすぐここを出られると、嬉しそうに話しておった」

「でも、それは……叶わなかった」

 ――リノが今でもここに居る事が、何よりの答えだ。

「そんなリノを不審に思ったグループの一人が、幹部連中にリークしたのじゃ。……職員と緊密して、脱走を企てている――と」

「……っ」

「当然、その男は捕えられた。――どうやら、リノの情報を不正に操作して、自分の血縁下に新規IDを発行しようとしておったのだ。……組織に反する人間は、見せしめとして即処分、それがここの決まりじゃ。……だが、やつらは非道な手段に出おった。――リノを尋問にかけ、その答えによっては、リノの目の前で男を処分しようと……」

「尋問……?」

「リノはその日も、男が来るのを楽しみに待っておった。……じゃが、現れたのは、幹部連中や監察班、清掃班の男がゾロゾロと……。――男は、幹部共に捕えられ、喋れんように地面に押し付けられとった。……そして奴等は、リノにとって一番残酷な質問を突きつけたのじゃ」

「何て……?」

「……『この男は、赤の他人か? それとも、お前の家族か?』――と。……幼いリノには、その状況を飲み込む事が出来なかった。ましてや、自分の一言が男の処分に繋がるだなんて思わなかったのじゃろう。――わしはここで聞きながら、どうか他人と答えてやってくれと願った。……だが、幼いリノには分かるわけがない。再び問われた質問に、『僕のお父さんになってくれたんだ! ここから出たら一緒に暮らすんだよ!』と答えてしまった」

「リノ……」

「絶望を感じたよ……。案の定、その答えを合図に、監察班と清掃班が一斉に動き出してな。リノはやっと状況を飲み込んだのか、泣いて赦しを乞った。『こんな人知らない! だから殺さないで!』と、何度も何度も叫んだ。……考えてみろ、ゼノン。男には家族がおる。リノは本当の家族ではない。正直、男もそう答えてくれる事を望んでいたんじゃないか、と思った。――だが、顔を上げたそいつは、笑って涙を流していたんじゃ……。――『嘘をつかなくていい。リノは本当の事を言っただけだ。……それなのに、約束を守れなくてごめんな、リノ』、と……。――それが、男の最後の言葉じゃった」

「その男は……?」

「その後は、お前さん達が見せられた映像の通りじゃ……」

「そんなっ……」

「リノの泣き叫ぶ声は、聞いていられるものではなかった。唯一自分に手を差し伸べてくれた相手が、自分のせいで、それも目の前で、粉々になっていったんじゃ……。奴等が撤退を始めても、リノは泣き崩れたままじゃった。――そんなリノを見た幹部の一人が、吐き捨てるようにこう言った。――『こんな思いをしたくなければ、二度と救われようとなどと考えない事だ。お前がやつの手を取らなければ、やつは死なずに済んだ。……お前のその手が、罪を生んだのだ』、と……」

「酷い……」

「ああ、本当に酷い話じゃ。――それからリノは、男との約束を破り、気が狂ったように回収を行った。……大切な人を殺したも同然の罪を背負ったのじゃ、それ以上の罪など存在せんかったのだろう。……それに、もう誰も助けてくれない事も、分かっておった。この施設で、いや、この世界で、己の命を守れるのは、自分しかいないと……」

「……それで、リノはあんなに殺しに慣れてたのか……」

 ――生きるだけの選択肢では無かった。

もっと複雑で、悲しい過去が絡んでいた。

「リノは、わずか9歳にして、一番の回収成功率を持っておった。……じゃがな、リノを襲った絶望は、それだけでは終わらんかった。――その男の、残された家族を回収してこい、と命を受けたのじゃ」

「家族を……?」

「……ああ。その時のリノなら、間違いなく回収して帰ってくると思った。それほど、狂気で満ちていたのじゃよ。……だがリノは、奉仕途中で監察班に運ばれて帰ってきた。怪我を負っていたわけでもない。――だが、帰ってきたリノは、生きる屍のように生気を失い、抜け殻同然になってしまっておった」

「何があったんだ……?」

「……回収先で何があったかは分からん。だが、回収は行えんかったようじゃ。――その後、回収失敗のペナルティを課せられたそうじゃが……リノは、それを拒否した」

「拒否なんかして、よく無事で……!」

「いや、正しくは、放棄したのじゃ。ポイントも、IDも、自由も、何もかもを捨て、同時に自分のID放棄を申請した。――ID放棄をするという事はつまり、……IDを抹消するという事だ。もうこの街に、リノのIDは存在しない。リノは一生、ここから出る事は出来ない」

「そんなっ! だからあいつ、リノは参加メンバーじゃないって……」

「リノ自身が選んだ事じゃ。……その後一度だけ、リノがわしの言葉に答えた時がある。――何故IDを放棄したのかと問うと、『やっぱり僕のこの手は……奪う事しかできない』と、そう一言だけ答えた。……それが、わしとリノの最初で最後の会話じゃ。――それから数年間、リノが話した所なんて聞いた事が無かった。だから驚いたんじゃ……。数年ぶりに、リノの声を聞いた」

 ――それからずっと、この監獄の中で生きてきたのか? 何の言葉も発さず、ただ一人で……。

「でも……。どうして、俺達の前で喋ったんだろう、……リノ」

「分からんか、ゼノン?」

「――え?」

「……まあよい。言ったじゃろう? どんな事にも、必ず終わりが来るのじゃ。お前さんが来た事で、わしの待ち続けた十年間に終わりが来たようにな……」

「……悪い、言ってる事が良く――」

「――ゼノン。わしはな、すぐ隣に居ながら、救いの手を差し伸べる事さえ出来なかった臆病者じゃ。……十年間も」

「リノの話……?」

「……どうか、見捨てないでやってくれんか。あいつは、充分その罪を償った。この十年間、何度も何度も自分を殺し、男が味わった苦しみを自らに与え続けた。どうか、終わらせてやってくれはせんか……」

「……」

 ――俺が、リノの苦しみを終わらせる?

「……すまん、ゼノン。お前さんにこんな話をして、わしも焦っておるのかの。――構わん、忘れてくれ」

「……」

 ――俺に、何が出来る……?

どんなに一緒に出たいと願っても、ID放棄したリノをどうすれば……。

「なぁじじぃ。俺、初めてリノを見た時さ……」

 ――それでも、確かに感じた。

俺なら、この子を救えるんじゃないかって。

だから、俺は……――

「ここを出る時は、必ず皆一緒だと思ってる。リノだけ残して出る気なんてないんだ。……ただ、ID放棄した人間をどうやってここから出せばいいのかが分からない。ましてや、リノ本人がそうした事なんだったら、尚更……」

「それは心配ない。何の為の十年間じゃったと思っておる?」

「え……?」

「言ったじゃろう、わしは臆病者じゃと。……さあ、そろそろ時間じゃ」

「戻るのか……?」

「最後の言葉を聞けて良かった。……そうじゃ、明日は聖夜の日だ。明日くらい、キリストの降誕を祝おうじゃないか。……魔女ベファナは、寝る間もないだろうな」

「俺の家系は無宗教だ。……それに、ベファナは1年を良い子に過ごした子にしかプレゼントを与えない」

「……それじゃあ、お前さんは貰えるだろうな、最高のプレゼントを」

「何の冗談……」

 だが、またしても俺が反論する間も無く、老いぼれは部屋を去って行った。

「……そんなわけねーよ」

 ――静かな部屋の中に、呟いた自分の声が反響する。

俺は、静かに寝息を立てる4人を見ながらベファナの言葉を代弁した。

「……他人の命をポイントにするような奴等には、プレゼントは与えられないね。この5人には、炭を与えよう……」


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