11 小さきモノ
「そうか、兄であったか」
「ああ……。ロマーノを襲った時も、ルイが離れた所で見張りをしている間に、ルイのふりをして襲ったみたいだ……」
「それじゃ、疑いは晴れたのじゃな?」
「ああ、二人もあの現場に来たから……」
「それで、ルイの状態は良くなったのか?」
「いや……」
――あの日からしばらくの間、ルイは放心状態が続いた。その間、俺達は交代で奉仕に向かい、ある程度のポイントを稼いでいたが、皆ルイを疑ってしまった罪悪感と、今のルイをどう扱っていいか分からず、妙に張り詰めた空気が流れていた。
そんな状況に気を使ってか、ルイは――
「気を使わなくていい、ってさ……」
「なるほど……」
「まぁ確かに、ロマーノなんて過保護すぎるくらいルイにべったりで、何から何まで世話焼こうとするんだよな。逆に気使われてる事に全然気付いてねーんだから……」
「良い事じゃないか。お前さん達のグループでないと、そうはいかんぞ。――誰かが心神喪失の時なんて、仲間を陥れる格好のチャンスになるもんじゃ」
「そんな事……」
「誰もそんな考えを起こさないお前さん達のグループは、本当に恵まれておる――という事じゃ。……正直、最初にお前さんと話をした時は、どうなるかと思ったがな」
「何が?」
「皆で協力してここを出るなんて事は、初めはどのグループも言うのじゃよ。――だが、足手まといになるヤツが出たり、思うように事が進まんくなると、必ず暴走するヤツが出てくるのじゃ。……そうなったら、そのグループは終わりじゃ。誰かが道を違えた後は、崩壊していくしかない」
「……」
「お前さん達は、そのままでおってくれよ。そうすれば、必ずここから出られる。――時にゼノン、グループ全体の達成率はどの様になっておるのじゃ?」
「それが……良く分からねーんだ」
それから俺達は、合計で回収を五回、ID操作を四回行っていた。
――だが、回収に関しては、その度与えられるポイント数がバラバラで、今の達成率は38%と、基準が良く分からない。
「ID操作は成功ポイントが固定されているが、回収に関しては決まっておらん。強いて言うなら、その罪人がBIANCOにとって不要とされればされる程、回収時の成功ポイントが増すのじゃよ」
「もちろん、達成率100%にならないと出られないんだよな?」
「その通りじゃ」
「……ここに来て、もう一週間が経つ。って事は、もうすぐ聖夜の日で、それが終わると儀礼祭もすぐだ。……これじゃ、間に合わない」
「案ずるな、ゼノン。お前さん達は、ワシのようにはならんよ。こんな悲惨な所で、長居する必要はない。……必ず、その時は来る」
「でも、じじぃが言った通りなんだ。ここから出るには、罪を犯し続けるしかない……。もう充分、許されないだけの罪を犯したのに、まだ38%だ。――それ以上を強いられている」
「……そうだなゼノン、撤回しよう。それ以外にも道がある」
「え? それって……」
「――もう一つ質問じゃ。全員が一度は回収を行っておるのか?」
「……ルイの一件も含めれば、ヴァロア以外は全員……」
俺は、その続きを口にすることが出来なかった。
――殺した。
そう言葉にすると、回収の時に関わってきた罪人の顔を、鮮明に思い出してしまう。
「……回収を一度も行っておらんのか。――ヴァロア・ドルチェ……納得がいくな。人を殺めるくらいなら、死を選ぼうとしてもおかしくない。……だが、そのままという訳にもいかんじゃろう」
「ちょっと待ってくれ! じじぃ、ヴァロアの事知ってるのか?」
「問題はそこではない。――いいか、ゼノン。ここから出たやつは数えきれん程おるが、回収を逃れて解放されたやつはおらんのじゃ」
「……じゃあ、ヴァロアに、一人でもいいから人を殺せって?」
「いや、その必要はない。……これは、少々忙しくなるな。しばらくは、ここに来れんかもしれん。……じゃが、わしには契約が……」
「……時間です。棟に戻ってください」
「この声……?」
「……ルイス。いつからそこにおった。まさか、全て吐かせて、わしの首を取るつもりだったんじゃなかろうな」
――じじぃがルイスと呼んだその男の声は、あの黒服の男の声だった。
「あなたとは契約を結んでいます。その前に、何か事を起こす気などありません」
「……ゼノン、悪いな。時間じゃ」
「待って! まだ話が――」
「――また会いに来る。……いいか、ゼノン。自分の犯した罪を忘れてはならん。その痛みを超えてこそ、本当に救われる日が来るのじゃ。決して、殺しになんて慣れるな」
「……速やかに退出を」
「分かっておるわ。老いぼれの戯言位、大目に見んか!」
――また会いに来る……、か。
次は、いつ話が出来るのだろう。
いつからか、俺にとって老いぼれとの時間は、心が休まる時間と言うか……。
まるで、父さんと話をしているみたいな懐かしい感覚で……。
だが、老いぼれは他の皆が寝静まった時しか現れず、皆が寝るのを待っている間に俺が寝てしまうという夜もあった。
「それにしても、今日の話……」
老いぼれは、いつも大事な所で『時間じゃ』と言って、話途中で帰っていく。
――あの言い方……、どう考えても二人の事を知っているような口ぶりだった。
一番初めの出会いも、俺以外の誰かに話しかけたみたいだし。
それも、次った時にちゃんと聞こう……。
また長い一日が、終わっていく。
――目が覚めた時は、既にヴァロアとロマーノが準備を始めていた。
「それじゃゼノン、頼んだよ」
「ルイ、夜はいつものバゲットでいいか? ちょっと奮発してチョコ入りの……」
「――いつもの安いやつでいいよ……。気をつけてね」
「あ、あぁ……。じゃあ、行ってくる」
ロマーノのやつ……、気の使い方が下手というか、不器用すぎるというか……。
「あれ、いつまで続ける気だろうね?」
「え?」
――目を覚ました時からリノの姿は見えず、久々にルイと二人になっていた。
「ロマーノのあれ。すっごい気使ってるでしょ? なんか、気持ち悪い」
「……やっぱり?」
「ははっ、嘘だよ。優しくしてくれて嬉しいよ。――知ってた? ロマーノ、俺の毛布何度も掛け直したり、ちゃんとご飯食べてるか心配そうにチラチラ見てきてさ。――ははっ、落ち着きのないロマーノ見てたら何か可笑しくて、たまに笑っちゃいそうになるんだよね、心配し過ぎだよ、って! そしたらロマーノ、そんな俺の顔見て、すっごい嬉しそうな笑顔になるの。なんか可愛いよね」
「ロマーノ……。6つも年下に可愛いとか言われてんの……」
――いい加減、自分が気使われてる事に気付いてくれ……。弟として恥ずかしいから。
「ちょっとゼノの気持ち分かるな。――お節介で、鬱陶しいけど、あの笑顔見たら突き放せないんでしょ?」
「ああ、そうなんだ……」
「何か俺さ、末っ子になったみたい。あ、でもリノは弟かなー、可愛いし」
「ルイ……」
ルイの口から、兄弟絡みの言葉が出るなんて……。俺は、これ以上触れない方がいいのかどうか分からなかった。
「……ゼノ、ちゃんと言っておくね」
「何を?」
ルイは、俺に向き直り、穏やかに笑った。
「俺ね、もう大丈夫だから」
「ルイ……」
「ちゃんと皆にも言おうと思ってる。……いつまでも気使ってもらって、俺だけ留守番って言うのは、ちょっとね……」
「そんな簡単に切り替えられる事でもないだろ。無理して奉仕に参加する事なんて――」
「――それとね、ゼノにも言っておきたい事があるんだ」
ルイは、俺の言葉を遮り、手を握った。
「ありがとう、ゼノ」
「俺は、何もっ……」
「ちゃんと聞こえてたよ、ゼノの言葉。俺、目の前が渦巻いて、物凄い耳鳴りがして、本当におかしくなってた。――でも、ゼノの言葉だけは、脳が選んで拾ってるみたいにちゃんと聞こえてたんだ」
「うん……」
「ゼノに銃を向けた時、本当に撃ったわけじゃないのに、胸が苦しくなった。俺、この人を失ったら、もっと苦しくて……多分、俺にとってすごく大切な人なんだって思ったんだ。何て言えば伝わるのか分からないけど……」
「……ちゃんと伝わってる」
俺は、繋いだ手に力を込める。
「もちろん、カイを失った事は辛いよ。カイがした事も、俺がした事も、一生忘れる事は無いと思う。――でもね、あの時ゼノの事まで分からなくなって、カイにした事と同じ事してたら、俺一生笑えなかったと思う。……こうやって今、ゼノが隣に居てくれるだけで、俺は救われてるんだよ」
ルイは、俺の胸に顔を埋め――泣いていた。
「だから、ありがとう。ゼノ……」
「うん……」
俺は、ルイの華奢な体を抱きしめた。
――こうやって抱くと、ルイの細さに改めて気付く。
「それとね、もう一つ言っていい……?」
「ああ、何でもどうぞ」
「……ここから出ても、一緒に居てくれる?」
「当たり前だ。ここから出たら、皆で二番区で飲もうって約束しただろ」
「そうじゃなくて、その後も……。たまに皆で会ったり出来る? それとも、皆元の生活に戻ったら、忘れていくのかな。ここで出会った俺の事なんて……」
「忘れるわけないだろ。いつでも二番区へ来ればいい。俺も、会いに行くよ。……絶対に忘れない」
「行くよ、毎日行く……」
「……ああ」
――忘れるわけがない。
ここで出会った三人の事も、ここから出る為に、自分達が選んだ道も――
『いや、忘れるのじゃよ。そういうもんなのじゃ』
ふと、老いぼれの言葉が脳裏を過る。
「忘れて……たまるか」
俺は、ルイの体を強く抱きしめ、何度も自分に言い聞かせた。
その夜、ヴァロア達が帰ってきてからも、リノの姿は見えないままだった。
「ロマーノ、普通のバゲットでいいって言ったのに……」
ロマーノは、ルイのバゲットだけチョコ入りを買って帰ってきていた。
「あぁー……あれだ、ほら。たまには違う味の物食べたほうが、気分転換になるだろうと思ってよ……。それに、ヴァロアも、まだ金に余裕あるっつってから安心しろ!」
「え……? あ、ああ……」
金庫に金を片付けていたヴァロアは、ふいを付かれた様子で慌ててロマーノに合わせた。
「――ははっ、ルイ、そんな目をしなくていい。チョコ入りのバゲット一個くらいどうって事ないさ。いつも同じ安バゲットじゃ、腹も心も満たされないだろう」
しかし俺は、その後金庫を見て、小さく溜息を漏らすヴァロアを見逃さなかった。
――あれは、ロマーノのでまかせか……。
「そろそろきついのか?」
俺は、ヴァロアの隣で耳打ちする。
「――いや、まだ大丈夫だ。気にしなくていいよ、ゼノン」
ヴァロアは優しく笑ってそう言った。
「そっか……」
――そりゃ、俺は一文無しで何の役にも立たねーけどさ……。もう少し頼ってくれてもいいのに。
ヴァロアは、いつも皆に気を回してばかりで、人一倍気疲れしているはずだ。
「それよりゼノン、リノはまだ戻らないままなのか?」
「ああ。リノ、何処行ってんだろ……」
目を覚ました時から、ずっと出たままだ。
「探しに行こうぜ。外はもう冷えてきてるだろうし、直に真っ暗になる」
俺達は、バゲットを食べ終えないまま、リノを探しに行く事にした。
ところが俺達は、リノを探す間もなく、ヒュッテの前に立っているリノを発見した。
「何してんだ、あいつ?」
「あれ? バゲット貰ってる……。何でタダで貰えるの?」
「さぁ……、売れ残ったやつじゃないか?」
「なるほど、その手があったか……」
――やっぱり、そろそろきつかったのか。
「まぁ、とりあえず見つかったんだし連れて帰るか。……おーい、リ――」
「――ストップ、ゼノ!」
リノの名前を呼ぼうとした俺を、ルイが引っ張った。
「痛ってぇ……何だよ、ルイ!」
「シッ! ……見てよ、あれ。あのリノがソワソワしてる」
「ソワソワ? 気のせいだ……ろ――」
――そう言われてみると、バゲットを大事そうに抱え、うっすら笑っているようにも見える。
「あのリノがだよ?」
「確かに、リノのあんな顔は見た事ないが」
「あれってさ、絶対に……」
「絶対に……?」
「逢引だよ」
「逢引ぃー?!」
俺とロマーノは、口を揃えて聞き返した。
「シーッ! だって考えてみてよ。ここに女がいないとは聞かされてないし、リノ最近穏やかでしょ? 彼女が出来たのかも!」
「ねぇねぇっ! それはねぇよ! 絶対にねぇ!」
「ロマーノと一緒にしないでよ。リノは容姿端麗、まともに喋ってナイフさえ隠しておけば絶対モテると思うし」
「バッ……、俺は可愛い弟が成人を迎えるまでは、ふしだらな行為はしねーって決めてんだよ!」
「……自分がモテないのを俺のせいにすんなよ。よく酒屋で惨敗したって泣きながら帰ってきてたじゃねーか」
「てめぇゼノン! 裏切るのか!」
「事実だろ」
言い争う俺達を遮り、ヴァロアがニッと笑ってリノを見た。
「まぁ、あれだ……。コソコソ尾行するのは趣味じゃないが、仕事の癖でな。――素行調査……コソコソされると、追いたくなるのが人間の性だ」
「ヴァロアッ!」
ヴァロアは、完全に頬を緩ませている。
「よし、決まりだね!」
ロマーノとルイが、先陣切ってリノの後を追う。
「――ロマーノ! もっと静かに歩いてよ、バレるじゃん!」
「お前こそもっと小声で喋れよ! 気付かれるだろーが!」
二人は、コソコソと小声で喋りながら罵り合っていた。
「ははっ、ルイすっかり元通りだな。安心したよ」
後ろを歩く俺達は、二人の楽しそうな姿を見ながら後を追った。
「……だな。ただ、ロマーノがルイ以上にテンション高くなってるのが、恥ずかしくて仕方ないけど」
「弟としてか?」
「ヴァロアッ!」
「素直じゃないな、ゼノンは」
その時、俺達は妙な違和感に気付いた。
「あれ……足音が……?」
静かな施設の中には、俺達の足音だけが響いている。
「まさか……」
――リノは、俺達の足音にぴったり合わせて歩いていた。
「……あの……」
やがて、リノが気まずそうに振り返る。
「えっ俺? 違う違うっこれはルイが!」
「俺じゃないよ、ロマーノだよ」
「てめぇ!」
「……何……でしょうか……」
「……」
――どうして皆して黙り込むんだよ!
さっきまでの勢いはどうした!
「リノ……この際だからはっきりさせようか」
――ナイス、ルイッ!
「……今から彼女と逢引する予定なの?」
――まぁ、答えは分かってるんだけどな。
リノが他人に、しかも女に心を開くなんて、天地がひっくり返るほどありえない事だ。
「……うん……」
「――えっ?」
――嘘だろ? リノに彼女……?
「まじかよ……」
「まじで彼女……?」
「……みたいな……もの……」
「まじで……?」
結局俺達は、当たり前のようにリノについて行った。……と言うか、有無を言わさずと言った方が適切だろう。
「それで、どんな人なの?」
「……すごく……良くしてくれる……」
「へー、リノは年上好きなんだー」
「俺も好きだぜ、年上!」
「……相手にされてねーけどな」
「俺はこの年になるとどうもダメだな、年下が好みだ」
話をしながら歩いていると、すぐに有刺鉄線に囲まれている広場に着いた。
「……いた……」
――リノは、俺達を置いて更に奥へと進む。
「え? どこ?」
「誰もいねーけど……」
そして、しゃがみ込み、地面にバゲットを置いた。
「……おいで……」
「――おいで?」
ヒュッテの裏から、それは姿を現した。
「……犬?」
「……は?」
――茶色いフワフワの犬が、千切れんばかりに尻尾を振って現れた。
「何だ、犬かよ!」
「げっ……」
ロマーノとルイは、それぞれの反応を見せる。
「まぁ、でも……可愛いなー。ほら、来いっワンコ!」
ロマーノは手を差し伸べ、どうにか気を引こうと試みていた。
だが、その犬はロマーノを通り過ぎ――
「ひっ……!」
「ルイ?」
――ルイの足元へ、匂いを嗅ぎに来た。
ルイは、俺の後ろに隠れ、物凄い力で服の袖を引っ張る。
「痛い、痛いって! どうしたんだよ!」
「俺じゃないよ! この子がくっついてくるから……! あっち行って、ほらっ、ロマーノの方行って! シッ!」
「……まさかルイ、怖いのか?」
「こんな犬っころが怖いとかっ! ありえないよ! バカゼノッ!」
「バカゼノ……?」
「こんなに可愛いのにな、よしっおいで――」
ヴァロアは、ルイにすり寄っている犬をそっと抱き上げた。
――あやしている姿が、とてもよく似合う。
俺は、ヴァロアの腕の中で大人しく抱かれている犬の顎を撫でた。
気持ちよさそうに目を閉じ、尻尾を振っている姿は……、確かに可愛い。
「可愛いな、……こいつ」
「――リノ、この子の名前は?」
ヴァロアが愛おしそうな目で犬を見ながら尋ねた。
「……アルド……」
「アルド……?」
「どうした、ゼノン?」
――アルド……。
久しぶりにこの名前を聞いた……。
「……俺の、父さんの名前だ」
「へー、ゼノのパパと同じなんだ。リノ、何でアルドにしたの?」
「……アルド……バリオーニ……」
「え? そうだけど……」
「……っ」
「そりゃ、ゼノのパパだから同じファミリーネームだよ。――で、何でアルドにしたの?」
「……大事な人の……名前」
リノは、アルドを悲しそうに見つめ、バゲットを与えた。
「つーか! 何で俺の前は素通りしてルイの方に行くんだよ、アルド!」
「犬にも分かるんだよ。見る目あるね、アルド」
「怖がって触れもしないやつが、何言ってんだよバーカ!」
「……アルド、これあげる。食べていいよ」
――アルド……。
この名前を、俺は何度記憶の底に押し込めた事か……。
「あっ、バカ止めろ! それはお前にあげたチョコバゲ――」
「うわあぁ! 指っ……指、パクって……」
指を舐められたルイは、再び俺の後ろに隠れ、アルドの様子を伺い出す。
「ははっルイ、そんな大声出して驚かせたら可哀想だ。……よしよし、怯えなくていい」
「怯えてるのは俺だよ! ってゆーか、もう帰ろうよ! 逢引は終わり! 行くよ、ゼノ!」
「――痛っ、痛いっつーのルイ!」
ルイは、強引に俺の手を引き、ズカズカと来た道を引き返した。
――戻りながらも、アルドの事が気になっているのか、チラチラ振り返っている。
「……明日は、ナッツ入りのバゲット持って行こ。ナッツとか食べられるのかな……」
――ルイの独り言が聞こえて、思わず吹き出してしまう。
「……ふっ、はははは!」
「――何っ!」
「いやっ、意外と気に入ってたんだなって思って、あの犬の事っ。――ははは、ダメだっ!」
「違うよっ! 明日はナッツ入りのバケット持ってこいって脅されたの、あの犬にっ!」
握っていた俺の手を振りほどき、更にズカズカと歩いて行く。
「ははっ、何だよその理由っ! 大体犬にナッツはダメだろ!」
「何だ何だ、兄弟喧嘩かー?」
「おー、ルイは随分ご立腹だな」
遅れて追いついた成人組二人が、ルイの様子を見て茶化す。
「いやそれがさ、ルイのやつ――」
「――ゼノッ!」
「ははは、分かるぞ、ルイ! ゼノンはたまに、配慮が足りねーからな!」
「ロマーノ、ついて来ないでくれるっ!」
「何だよ! 戻る場所が一緒なんだから仕方ねーだろ!」
ギャーギャー騒ぐルイとロマーノを見ながら、ヴァロアは安心したように表情を緩めた。
「ルイ、元に戻って安心したよ。今日二人の時、何かあったのか?」
「いや、普通に話しただけだ。皆にも、もう気を使って欲しくないってさ」
「そうか。何はともあれ、良かったよ」
俺は、そう言って笑うヴァロアの後姿を見送り、未だアルドから離れていないリノに声を掛けた。
「――リノ、戻ろう」
「……はい」
リノは、名残惜しそうにアルドの頭を撫で、立ち上がった。
「またね……、アルド……」
――アルド……。
久しぶりに聞いた父さんの名前……。
もしも父さんが生きていたら、俺はまだ十五番区に住んでいて、こんな所とも無縁だったのだろうか……。
「それでも、人生には生きる価値がある……。……だよな、父さん?」




