1_05 初戦
……まるで、巨大な雄牛のような姿。高架橋の陰から現れたそいつは、大きな角を誇示するように頭を左右に振った。
重量感のある、四つ足の動物だ。見た目だけで言えば。
しかし本物の雄牛とは、比較にならないくらい大きい。二階建ての一軒家くらいはありそうだった。
何より──普通の動物との明白な違いがある。それは、体全体が金属の機械でできていること。
初めて間近に見る機械の獣──"機甲獣"だった。
ヴーン……という低い振動音とともに、高架橋の下の影からバケモノが姿を現す。
そいつは立ちすくむあたしの方に顔を向けた。
──見つかった。
本能的にそれを悟った。背すじが冷たくなって、ぞっと鳥肌が立つ。震えながら、ORLyに問いかける。
「ねえ!あれが"機甲獣"!?」
《Yes. 牛型ノ機甲獣、"ベヒーモス"と呼ばれるタイプです。フィアードスーツを》
「えっ、あぁ、わかった!」
震える手で、上着のポケットから金属の黒いボールのようなものを取り出す。
フィアードスーツを極小化して持ち運ぶ……とか何とか、OLRyが言ってたやつ。
《同期しマス》
声とともに、体の主導権がAIに移った。
OLRyに操られたあたしは、素早くバックパックとジャケットを脱ぎ捨てた。同時に、黒い金属の球が音もなく金属製のフルボディアーマーに変化する。
それが私の体に装着していく。
一瞬で全身が鎧に覆われた私の手には、いつの間にか、30センチほどの棒が握られていた。研究所の倉庫から持ち出した武器……のはずなんだけど。
「待って、こんな棒で戦うの!?」
こんなちっぽけな棒で、あのデカい鋼鉄の牛に立ち向かえ、と……?
冗談じゃねえわ……!
この細い棒であいつを殴っても、せいぜい「ぺちん」くらいの効果しかないだろう。研究所をぶち抜いたライフルの方がマシなんじゃない?
焦る私の思考に、AIが応じる。
《あの型の弱点……"核"は背中にアリます。一瞬で片をつケルならコチラがベスト》
「ああ、もうわかったから、頼むよ、AI!」
あたしはこの世界に関して知らないことだらけだ。武器の使用経験だってない。
つまり、このAIにすべてを委ねるしかない。
……ヤケクソ気味のあたしに、ORLyは《デハ行きマス》と無情に告げて、巨大な機械の牛と対峙した。
バネが縮むように、体が深く沈みこむ。
次の瞬間、あたしは弾けるように一気に跳躍した。
「っ、ひぎゃぁぁあっ!?」
軽く高さ八メートルは跳んだ。
フィアードスーツを装着して戦闘すると、こんなにもおそろしい状況になっちゃうらしい。てか、こんなの聞いてないし!
ジェットコースターよりヤバいわ!!
あたしの悲鳴が、空中で尾を引く。それに構わず、AIは棒を両手で握って振りあげた。
その時、あたしの親指が、棒の表面の小さなボタンをカチ、と押しこんだ。
すると、なんということでしょう。
ヴン、手中の棒が振動し、同時にただの短い棒だったものが、一瞬にして一メートル半くらいにぐっと伸びた。棒の先には──おそらくあたしの身長と変わらないくらいの、長く湾曲した高エネルギーの刃先が生成されていく。
ギラギラとネオンイエローの輝きを放つそれは、まるで死神の大鎌のようで。
《これがファントムサイズです。覚エテおいてクダサイ》
頭の中で、AIの声が響く。
でもそれどころじゃない。あたしは落下してる最中なのだ。
「ぎゃぁぁああぁぁっ!!」
牛型の"機甲獣"──"ベヒーモス"はこちらの落下に合わせて、頭にまとわりつく虫を払うように、頭をブン、と斜め上に振った。
巨大な角が目前に迫る。
ぶつかる。そう思った瞬間。
あたしの腕はファントムサイズを振り切って、スッパリとその角を切り落とした。
ドゴッとそれが地面に落ちるのとほとんど同時に、あたしは体を捻って、牛の頭上にスタッと降り立つ。
「わぁっ」
刹那。あたしの体が動いた。牛の背中目がけて足元を蹴る。
デコボコした背すじに沿って、大きく一歩。そこには、明らかに他の黒い金属とは異なる箇所があった。
水晶のように透明な、紫色を帯びたパーツ。それが淡く光っていた。
《コレが弱点……"核"》
AIはそう言うと、水晶の上に無慈悲に大鎌を振り下ろした。
キン、と氷がグラスにぶつかる時のような、冷たい金属音が響いて、大鎌の刃先が半ばまで刺さる。そして刃が突き刺さった箇所を中心に、核の表面にクモの巣状のヒビが入った。
亀裂は深くなり、バキバキと音を立てて核が砕けていく。
機械のバケモノが蹄で地面を掻き、金属が軋むような咆哮を上げた。それは、最期の断末魔であったのかもしれない。
獣は膝から崩れ落ちると、土埃と轟音を巻き上げながら、横倒しに倒れた。そして、それきり動かなくなった。
機械の獣が倒れる寸前、あたしは大きくジャンプして退避した。悲鳴を上げながらも華麗に着地。
やったのは全部、ORLyだけどね……
そうして、この日からあたしとORLyは、"機甲獣"との戦いに明け暮れることになった。その記念すべき初陣を勝利で飾ったのだった。
倒した。でも疲れた。
あたしはへなへなと地面の上にうずくまっていた。しばらくして、お腹がきゅうっと鳴く。
「……なんかお腹空いちゃった」
《血糖値が下がってマス。マスター、バックパックの食料から何か食べてクダサイ》
「はぁい……ねえ、どれがおすすめなの?」
《私には味覚が実装サレテないので、わかりマセン》
「なんだよー、そしたらちょっとしたギャンブルになっちゃうじゃん」
口を尖らせながら、フィアードスーツをミニマライズする。投げ捨てたジャケットを羽織り、埃を払ってから、小さな黒い金属球をポケットにしまった。
それからバックパックを漁り、チューブやパックの保存食を手に取って、しげしげと眺める。
うん。パッケージを見ても何がおいしいんだか、おいしくないんだか、まったくわからないわ。
「もうこれでいいや」
歯みがき粉っぽいチューブに入った、フルーツ味の何かにした。
何となく童心をくすぐられるデザインだ。小さい頃、子ども用歯磨き粉を思いっきり食べてみたいと思ったことない?
あたしはある。
蓋を捻って開ける。食べる前に、念のために臭いをかいでおく。
うーん。大丈夫……かな。
腐ってはない。たぶん。
チューブの先をくわえて、ぐっと握って中身をしぼり出す。同時に、どういう理屈かわからないけど、凍ってた中身が溶けて、むぎゅっと口の中に出てきた。
うーん、フルーツ味のプリン……みたいな味。
意外とおいしい。
とりあえずそれでお腹を満たしてから、あたしはAIに尋ねた。
「これからどうしたらいいの?あたしとしては、できれば家族を探したいんだけど」
望みが薄くても、やっぱり諦められない。
できることなら、お父さん、お母さん、そして、生意気だけどかわいい弟を探しに行きたい。
《何をスルにも、まずは、安全な拠点の確保ガ必要デス》
「たしかに」
あたしはぽんと手を打った。
あんなバケモノと戦いながら、補給もろくにせずフラフラ歩き回ったら、早々にやられてしまうだろう。サバイバル初心者のあたしでもそれくらいは分かる。
「じゃ、まずは拠点探しから?」
《YES, MY MASTER》
「当てはあるの?」
《ハイ。ココカラ80キロ北西に、地球連邦軍基地の跡地が在りマス。ソコを目指しまショウ》
地球連邦軍。初めて聞いた。
あたしが寝ていた間にできたのかな。
宇宙人がやってきたら、人間同士の争いをやめて人類で一致団結するっていうの、映画なんかによくあったけど、あの設定はどうやら正しかったらしい。
……でも、宇宙人に負けちゃったんだよね。悲しい。
《移動のたメニ同期しマス》
「はーい」
体の主導権がORLyに移る。
右足をスケートボードに乗せて、力強く左足で地面を蹴る。
今から向かう場所が、いい感じの拠点になってくれたらいいなぁ。
なんてことをのん気に考えながら、無人の廃墟と化した東京の町を、滑るように移動していく。
こうして、あたしとORLyの終焉世界を巡る旅がはじまった。
その後あたしたちは、さまざまな出会いと別れを繰り返すことになるけれど、旅の終着点に何が待ち受けてるかなんて、この時点でまったく想像もつかなかった。
次から視点が切り替わります。