元ねこは真夜中に呼び出される
藤河孫から着信があったのは、午前二時前だったという。
「あいつ、迷惑野ろ‥‥男め。時間外割り増し分も、請求してやる」
助手席で理加が罵詈を呑んだのは、後部座席の耳を気にしたからである。一応、師としての理性は残っていた。
急ぎ化粧もせず出てきたが、どうせ印象はほとんど変わらない。
その後ろに座っているのは、日置律と鄭哉藍だ。
何分、深夜である。全員で別荘へ向かえば、どうしても支度に時間がかかる。
それに、いくらカード決済で前払いしているとはいえ、何かしら揉める可能性もある。
ちなみに、とりあえず理加の自腹である。教員として働き、不動産収入もある彼女ならではの技だが、そのまま済ますほど太っ腹ではない。
マンション建て替えで、資産減らしたからな。取り返す気満々だ。
マイクロバスを運転できるのは律だけである。本当は、彼を置いていきたかった。
だが、彼の実力を考えれば、同時に少数精鋭の組にも欲しい。俺と理加みたいに分離できたら良かったのに。
仕方なく、桐野壹夏を起こし、後の始末を託してきた。彼女の両親は警察関係者で、本人もしっかりしている。他の四年生もいることだし、何とかするだろうという判断である。
昼間遊び、ではなく、フィールドワークに励んだ学生たちは、皆疲れて寝入っていた。
それぞれ、小さいながらも課題に使える素材を見つけたと聞いて、理加も俺も安堵したところであった。
「知らないお婆さんが侵入して踊っていた、という話でしたら、心霊現象と無関係なのではありませんか」
鄭が言う。夜中に叩き起こされたにも関わらず、普段と変わらない。隣で律が生あくびをする。
「本来なら、僕らがそこにいる筈だったし、綾部先生としては、連絡もらったら、行くより他ないでしょう。僕らは、先生に頼られたから、仕方なく従うのみです」
「仕方なく、ではありません。綾部先生に頼られたことは、誇りに思います」
「あ、うん。鄭くんが来てくれて、助かる」
理加が棒読みに聞こえるのは、スマホをいじっているからである。
藤河孫の話は、要領を得なかったらしい。
婆さんが地下室へ入り込んだとか、家の中からも大きな音がするとか、グダグダ繰り言しか言わないので、井湯夫妻に連絡を取るように、と切ったそうだ。
どうせ、直接乗り込むのだ。話すために留まる時間が、無駄になる。
理加は、何回か管理人夫妻に電話をしてみたが、繋がらない。
「真夜中だもの。電源切っていても、おかしくないよね」
電話にも色々ある。ガラケーやスマホは電源を切ることができるけれども、固定電話も電源切れるのか? 部屋の明かりみたいに?
俺は考えるのを止めて、運転に集中した。慣れない土地で夜の道を走るのは、緊張する。
無事、別荘の敷地へ乗り入れた。見覚えのある軽自動車が、建物のすぐ脇に停めてあった。
俺も、すぐ近くへ車を寄せる。降りた理加たちが、真っ先に軽自動車の中を覗き込んだ。
「誰もいない」
「これ、管理人さんの車だよね」
「綾部先生、地下室へ行ってみましょう」
鄭が別荘の玄関へ向かい、俺たちも続いた。
玄関の扉は、開いていた。
「ああ、なるほどね」
理加がざっと見回し、立ち止まった鄭を追い越して地下室へ向かう。
玄関ホールは荒れていた。
元々あまり物が置かれていない、広い空間だった。
今は、落ちたシャンデリアや、端に寄せてあった藤製の衝立や籐椅子が中央まで出てきて、ひっくり返っていた。わざと散らかした風にも見える。
こんな惨状にも関わらず、誰も起きてきた様子がない。あのチャラい学生たちは、二階で眠っているのだろうか。
「一度ポルターガイストにやられてから、装飾品を減らしたり、割れにくい素材に替えたりした、って言っていたのよね」
理加が通りすがりにリビングの扉を開けると、そこもひどい状態だった。ビールの空き瓶が、てんでバラバラに転がる間を、食い散らかしたゴミが埋めている。単に、マナーの悪い宴会の後にも見えた。
地下室へ続く扉を開けると、そこに井湯夫妻と、藤河孫がいた。
「そちらの方は?」
「私の母です。徘徊癖があって、もしやと思って来てみたら‥‥先生には、ご迷惑をおかけして」
井湯の夫が答えた。夫妻は、病院着のような服を着た老女を、運ぼうとするところだった。
老女は見たところ、負傷の跡もないが、意識もない。生きては、いる。
「救急車は呼びましたか?」
「いいえ。入所する施設にお医者様が常駐していて、そこへ行った方が早いです。スタッフも探してくれていましたし」
俺は、開いたままの扉を見る。
地下への道は、俺たちが来たように玄関を通るルートと、外から直接入るルートがあった。
井湯夫妻がいるのは、外ルート上である。奥へ続く階段に、血などの汚れは見当たらない。しかし、老女が中にいたことは、状況から確かなように思われた。
脇に、呆然と藤河孫が立っている。
「ではお二人は、お母様をお医者さんへ運ぶとして、これから私たちは検証に当たります。こちらの斎さんに立ち会ってもらっても、よろしいでしょうか?」
理加がテキパキと畳み掛ける。人道的には、俺たちも老女を運ぶのを手伝うべきなのだが、井湯夫妻も余裕がないのか、咎めず了承した。
彼らも若くない身である。ややふらつきながら、意識のない老女を運び去った。
「先生、それでよろしいですか?」
彼らの背を見送りつつ、尋ねたのは鄭である。儒教精神からも、気になるのだろう。
「君ならわかるでしょう。今は憑いていない」
理加は言わずもがなの事を、敢えて口にした。仕事優先、という事である。
両親を早くに亡くして肉親の縁に薄かったせいか、他から見ると非情な決断を、ためらわずに下すことがある。
情に囚われ間に合わなくなるよりは、断然いい。
ただそれで、理加が周囲から冷たい、と評されるのは、俺には不本意だった。
「これ、使えると思う?」
器用に目線で藤河孫を指して、学生二人に聞く。聞かれた方の反応は、芳しくない。
「無駄かと思われます」
と鄭。
「可能なら、既に入っていると思います」
と律。
「だよね」
がっくり肩を落とす理加。コントか禅問答みたいなやりとりを見て、ようやく藤河孫が現実に帰ってきた。
「何の話です?」
「聞く気ある?」
理加は、昼間の外面をかなぐり捨てている。気圧されて、ただ頷く藤河孫。こちらも昼間の高圧的態度が嘘のようである。今のが本来の気質なのか。
「私たちは、ここで起きるポルターガイスト現象を解決するために、呼ばれた。さっき運ばれたお婆さんに取り憑いていた、何かが引き起こした事を、君は目撃したのよね?」
「その場に私たちが居合わせたら、今頃解決していたのに、お婆さんが気絶したことで元凶が消えてしまって、次善の策として、この建物に結界を張って、元凶が中へ入らないようにするしかない。藤河斎君、協力してくれるわよね?」
理加の言には、はったりも入っていた。俺たちが居ても、解決したかどうかは、実際に動く老女と対面しなければ、わからない。
しかし、そんなことを素人の藤河孫が知る筈もなく、彼は、フルネームを知られていたことで、更に威圧を感じたようだった。
「はい」
返事は小さかった。
それから藤河斎は、俺たちにこき使われた。
酒が欲しいと言われて、全部飲んだと答え、どのみち日本酒はなかったから役に立たなかったのだが、理加に嫌味を言われ、次に塩を倉庫から出し、「建物大きすぎるんだよ」、とまたも理加に文句を言われながら、律が呪文を唱える後について、別荘の建物を一周して塩で囲んだ。
地下室には、もう一周分塩を盛った。更に、鄭を手伝って、地下室と建物の内部にお札を貼り付けた。ポルターガイスト被害の写真を撮るのにも、立ち会った。
リビングの惨状は、宴会の跡と判明した。しかし理加は何に使うつもりか、これも撮影した。
合間に、老女と対面した間に起きた事を聞き出したのだが、何故か今回、彼がここへ来る羽目に陥った経緯まで聞かされた。
奴の事情など知ったことではない。しかし、一緒に来た連中が、お札を剥がしかねない、という情報は役に立った。連中の目につかないよう、隠して貼り回った。
「あのお婆さんに『お前は行け』って言われた時、前にも似たようなことがあった気がしたんですよね」
俺の内心を知らず、どんどん気を許していく藤河斎。初対面の印象と違い、実はカモにされやすそうなタイプに見える。
「あ、その時は男の人に見下ろされて、『この子供には**がついている』って言われて、何が、というところは覚えていなくて、あれ、ここの地下室だったと思うんですよね。何だったかわかります?」
「わからん」
何を知りたいのかも、わからないのに、答えようがない。
一通りの作業を終えると、もう夜明けだった。太陽こそ見えないが、既に水平線の上が明るくなっている。
「あのう、シャンデリアとか、片付けは‥‥?」
「そちらでやって。私たちは、他の場所へ行く必要がある」
裏切られたような顔の藤河斎を残して、俺たちはホテルへ戻った。
皆はまだ寝ていた。それで、朝食までの短い間、仮眠を取ることにした。