ブッキング
「あ、その道を上ってください」
斎が言った道をタクシーが上っていくと、だだっ広い敷地の奥に、別荘が見えた。記憶と違うのは、覚えていたよりこじんまりしていたことと、入り口を塞ぐように、マイクロバスが横付けになっていたことである。
調査団を軽く考えていた。予想より大人数だ。
一緒に泊めてください、と自分が頼む場面が頭に浮かぶ。惨めな図だった。後ろから見守る花頭たちの視線が、想像の中でも痛い。
受け入れてもらえたとしても、インカレでの立場はさらに下がる気がする。芦足大学のポジションまで下がるかもしれない。棚沢に睨まれるのは確実だ。
それに、こちらは見るからにチャラい学生集団である。花頭たちがどんちゃん騒ぎをしたら斎には止められないし、調査団とやらから苦情が出て追い出されるかもしれない。父や祖父にも、苦情が行くだろう。
かと言って、ここに泊まらない、という選択肢はない。花頭に恥をかかせることになる。進むも地獄、引くも地獄である。斎は、初めて久松を恨んだ。
「あれえ、マイクロバスまで持っているの? 迎えに来てくれたら良かったのに」
「あれは、違います」
緊張する斎にお構いなく、タクシーは止まり、花頭たちがさっさと降りる。続くタクシーも次々と後ろへ停車する。料金は助手席に残された斎が、自動的に支払うこととなった。
何にせよ、花頭たちより先に中へ入らねばならない。先客に何を言われるか、また、花頭たちが何を言うか、どちらも斎には不安の種でしかなかった。
扉のところで、かろうじて花頭を追い越し、家主らしく先に開けることに成功した。
隙き間から、先客が玄関ホールにいる姿が見えた。意外にも、同じ年頃の地味な集団だった。斎の腹が固まった。
「おい、玄関にマイクロバスを横付けしたのは、お前たちか」
斎は必死で声を張り上げた。
「碰上大学理学部助教授の」
「出ていけ!」
反射的に怒鳴った。碰上大学の名前は、不意打ちだった。卒業生の祖父が便宜を図る相手として、当然予想してしかるべきだったのに、斎は自分でも驚くほど動揺した。
何故か、相手の大学助教授とやらは、斎の無茶な要求に従った。斎たちを含め、その場にいる中で一番年上ではあったが、学生と名乗られても違和感ないほど、若く見えた。せいぜい三十代といったところだ。
彼女が強面な中年男であったら、斎は虚勢を張らず、同宿を丁重に頼んだかもしれない。怒鳴ったのは反射であったが、反撃されなかったことで、却って斎に自ら恥じ入る気持ちが生まれた。
「では、管理人さんからお借りした鍵をお渡しします。私たちは荷物を二階から下ろして引き上げます。名刺も差し上げますので、何かあったらご連絡ください」
彼女は言葉通りに鍵を渡し、学生に指示すると、よく似た若い男と共に去った。
息子だろうか。それにしては歳が近過ぎる。従姉弟か何かか。最初に目についた若者たちは、教え子だろう。
ここにも、猫も杓子も、と碰上大学におもねる一家がいる。
斎から羞恥が消える。そして、彼らを自分の領地から追い出したことに、密かな満足を覚えたのであった。
そういえば、調査団の中に、新幹線で見かけたルギっちが混じっていたことには、驚いた。先輩と呼ばれた男も一緒だったから、間違いない。
モデルの彼女も、碰上大学生なのだろうか。ざっくりではあるが、スマホで検索した限りでは、そんな情報は載っていなかった。
花頭が彼女だけ残るよう言い寄り、当然ながら断られていた。一人だけ残ったところで、まともな仕事は出来ないだろう。残ったが最後、一緒に遊ぼう、と誘われるに決まっている。
再び横付けされたマイクロバスが去り、別荘にはインカレメンバーだけが残された。
「ルギっちってば碰上大学生なんだね〜。意外だったわ」
「他の大学との共同調査かもよ。公式にも載せていない。でも、学生には違いないよね」
「何でもいいから、一緒に泊まりたかったな」
花頭たちが、未練がましく言い合う。
元々は、ビーチ近くのホテルに泊まり、浜辺で新たな人脈を築く実践的練習を行う、と言う企画だった。端的に、ナンパである。
彼らが斎の別荘宿泊に飛びついたのは、恐らくホテルより連れ込みやすい、と考えたからだ。
実際は、別荘は高台にあり、周囲も同様の別荘地で、女性どころか歩く人さえ稀である。日用品を買う店も、徒歩圏内にはない。
そこへ、レンタカーならまだしもタクシーで来てしまったのだ。もちろんとっくに帰している。
彼らの中にも別荘持ちがいるであろうに、こういう状況を想定できなかったのが、斎には不思議でならない。より裕福な彼らがこぞって街中に別荘を構えているか、常に人任せで不自由した経験がなかったか、どうも後者の方に、思われた。
案の定、一通り別荘内を探索した花頭たちは、文句を言い始めた。
「海遠いじゃん」
「来るとき、店も全然なかったよね」
「バス停もないみたいだし、車なかったら詰みだこれ」
「なら、詰んでるよ」
失笑する平方幹部たちの脇で、久松が申し訳なさそうに肩をすぼめている。
最初に謝りかけて以来、斎が花頭たちの世話に奔走して忙しいせいもあり、話す暇もなかった。今更、話すこともない。
さて、花頭たちの不満に対し、斎には一応の考えがあった。ただ、それにはかなりの金がかかる。流れで自分だけが負担するのは、避けたかった。
「タクシー呼んで、ビーチへ降りますか?」
「えー。でも、新しいメンバー連れて、ここへ戻るのは、結構手間だよな。俺たちここで飲んでいるから、斎ちゃん誰か友達‥‥」
「コンパニオン代は、サークルから出ませんか」
またも想定外の難題をふっかけられそうになり、咄嗟に斎は奥の手を出してしまう。
祖父が別荘を利用したがらなくなった代わりに、父が接待で使うようになった。経費で落ちなかったのか、領収書を家で見つけた時に、面白半分で写真を撮っておいたのである。
後で調べると、数時間単位で一人呼ぶごとに数万かかると分かった。仮に全額負担してもらえるとしても、総額を考えるだに恐ろしくて、一人ずつつける気にはならない。
「コンパニオン? いいねえ。社会勉強になる」
花頭の反応で、流れは決まった。
「とりあえず斎ちゃん立て替えておいて。領収もらえたら、後で見てみるから」
これはダメだ。斎は密かに唇を噛む。話を出してしまった以上、後に引けない。
女を連れてくると言って、そのまま逃げ出した方が、マシだったかもしれない。別荘は荒らされるだろうが、あまりにひどければ、賠償を請求することもできる。
「なあ花頭。今調べたんだけど、ピンクコンパニオンってのが、いるらしいぜ」
取り巻きが、スマホ片手に、不穏な単語を口にした。
斎は絶望した。
ピンクコンパニオンは、メンバーに好評だった。
言われるままに電話をかけさせられた斎は、流れ作業のように質問や説明をやりとりし、カード決済で二人の派遣コースを依頼した。
「延長やオプションにつきましては、現金払いを申し受けますので、ご注意ください」
何としても、定時で帰ってもらおう、と斎は思った。通常のコンパニオンの倍料金がかかるのだ。
二人しか来ない、と不満顔だったメンバーは、最初派遣された女性たちを見て、さらに微妙な反応を見せた。
こちらが二十歳ぐらいであると伝え、なるべく若い人をお願いしたにもかかわらず、やってきたのが二人とも二十代後半以上だったからである。申告されなくても、年が近いかぐらいは、見た目でわかる。業界的には若いのだろうか。
しかし、彼女らが初っ端からストリップショーを始めると、全員が手入れの行き届いた裸体に、釘付けとなった。
ピンクコンパニオンとは、通常の酒席コンパニオンよりも、エロティックなサービスに特化した接待要員であった。
かかる費用も倍で、軽く十万飛ぶ。斎は一人にしたかったのだが、個人の邸宅派遣ということで、店側に安全上の問題を仄めかされ、二人頼むことになったのだ。
二人でも危険に変わりはない気もするが、当人たちの安心感は格段に違うだろう。
お触りOK、当たり前だが本番は、なし。
キャバクラでも遊んでいるらしい花頭たちも、明るい照明の下、衆人環視で堂々と触れる、という体験は初めてのようで、アルコールが回るにつれ、興奮の度合いも増していった。
コンパニオンの方は、上手に座を持たせつつ満遍なく参加者の間を巡り、それぞれに特別感を与えていた。それでいて、一線は守る。プロである。
こうなると、年齢が若いだけのあしらい下手な娘が来るより、よほど良かった。こちらは人数だけは多い。店側の懸念も、杞憂とは言い切れない。
斎は、猛ピッチで空となる酒を補充するため、食糧庫や倉庫を漁って、冷蔵庫で冷やしておいた瓶ビールを出したり、飾り棚を開けて、洒落た瓶に入った琥珀色の酒を持ち出したり、缶詰を開けたりと、酒席を離れる時間が長かった。
酒も宴も味わうどころではなかったゆえに、皮肉にも、彼女たちを観察する余裕が持てたのだった。
「ホント、ゴメンな。もしサークルから金出んかったら、わしちいと出すけえ」
久松も、空き瓶を片付けたり、斎が用意したつまみ皿を運んだり、何くれとなく手伝いながら、また謝った。彼が何とか話しかける機会を作ろうとしていたのは、気付いていた。
お金を出すとまで言われ、斎の心も少し傾いた。
「そうしてくれ。報連相は基本だから。次はないよ」
「分かっとるけえ」
そして契約終了時間。思った通り、花頭たちは延長したがった。斎は先手を打って、現金の持ち合わせがない、と店にもコンパニオンたちにも話しておいた。
それで先方も心得て、時間通りに迎えの車が来た。
運転手は黒服に黒手袋で、どことなく裏世界の雰囲気を漂わせていた。
未練がましく送りに出た花頭たちも、彼の姿を見たことで、諦めがついたのだった。