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元ねこ桜ヶ池始末  作者: 在江
第七章 巡る因果
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異変の終焉

 (チェン)が自転車で先に行ってしまったので、朝陽はふうふう言いながら、人気の絶えた構内を走っていた。暑い。


 朝陽の前には康明、後ろには苛立った界島がついて追い立てる。

 二人とも速度を上げたいのに、朝陽に合わせているのだ。


 「先に、行っとって、ええよ」


 「いい訳ないでしょ。だから、外に出ろって言われたのに」


 「すまん、じゃった」


 「それより急いで」


 切れ切れに言う朝陽に言い返す界島は、全く息が上がっていない。


 鄭の姿が見えた頃には、桐野壹夏(きりのいちか)が、仁王立ちで待っていた。

 界島が朝陽をダッシュで抜き去り、後に康明が続く。


 「‥‥病棟に入院患者と医療関係者が残っているから、永木(えいき)たちを配置した」


 追いつくと、桐野が説明しているところだった。朝陽が来たのを目で確認しただけで、何も言わない。

 康明はどさくさに紛れて、一員のような顔で聞いている。朝陽は、自分だけ違う大学であることを思い出し、疎外感を味わった。


 「じゃ、行くわよ。康明くんは、久松くん? と一緒に下がっていて」


 桐野の言葉で、康明に対する仲間意識が復活した。康明も、素直に手近な建物まで下がった。自転車が置いてある。


 ぬうあうあうあうああ。


 いきなり、おどろおどろしい声が聞こえ、朝陽は池の方へ目を向けた。


 「急げ」


 桐野たちが、一斉に走り出す。


 池の真ん中辺りでは、茶色い触手が、今まで以上にうねうねと暴れていた。警察のヘリコプターが、距離を取る。

 どう考えても、()()が見えているような動きである。

 ドローンはこの辺り、飛んでいない。操縦者の隠れ場所がなかったか、既に撃ち落とされて残機がないのかもしれない。


 「何か変化があった?」


 康明には、あの声も聞こえなかったようだ。朝陽は、見聞きしたことを説明した。メモにも取る。


 桐野、鄭、界島の三人は、桜ヶ池へつながる入り口付近へ走り寄ると、同じ方を向いて並び、何やら唱え始めた。ここもまた、殻のような壁が、道路の辺りまで()り出していた。


 唱え終わった順に、それぞれから風やら水やら何か分からぬものが噴き出し、綺麗に一点に収束する。溶接の火花を連想する。


 朝陽はメモを取りつつ康明に説明した。口に出して説明することで、メモの取り方が効率的になるような気がした。


 「説明するの、上手いよね」


 康明がぼそっと言う。


 「向いているかもジャーナリスト」


 「ありが」


 がっ、と形容し難い音と共に、触手の先端から大きな塊が飛び出した。それと人影。


 すぐ下にいる桐野たちからは、殻で視界が遮られて、見えないかも知れない。


 音は、聞こえた筈だ。


 彼らが少し、頭を動かしたように見えた。しかし、それ以上は動かず、作業を続ける。

 内部で何が起きているか、理解しているようだった。


 塊が、前触れもなく火の玉になった。


 ぎゅああああああっ。


 今度こそ、悲鳴だった。しかも、複数の声が混じっていた。


 朝陽は耳を塞いでしゃがみ込んだ。何の防音効果もなく、貫通する悲鳴。


 腕を、引っ張られた。


 知らず閉じていた目を上げると、康明である。この悲鳴の中で、平然としていられるのは聞こえないからだろうが、今はそれが羨ましい。


 「ほら。桐野先輩たちが進んで行く。何か変化があったんじゃないの。僕たちも、少し近付けるかな」


 指差す方には、今にも木立へ消えていく界島の姿があった。卵の殻のようなものは消えていて、茶色い触手の下部が少し見えるようになっていた。


 火球は落ちたのか、もう視界から消えている。触手は、ほとんど二つ折りで動き回っているようだった。

 まるで、下にいる何かと戦っているように。


 「殻みたいな壁が()()()消えた。悲鳴が、複数の女の悲鳴が、続いとる」


 康明はもう、前へ踏み出していた。知らないということは、恐ろしい。


 朝陽は急いで後を追った。康明が巻き込まれたら、自分のせいである。取り返しがつかなくなる前に、どうあっても、止めなければならない。


 斎は、無事だろうか。


 そもそも、自分が居残る理由となった友人のことを、今の今まで失念していたことに、朝陽はショックを受けた。


 確かめなければ。


 さらに足を早めた朝陽は、今度は康明を止めることを、またも頭からすっぽりと抜いてしまった。



 「律!」


 俺が井戸の底ごと脱出すると、下で竹野が怒鳴った。律はそれまで何か別の物を燃やしていたのだが、俺の方を向くと、火を放った。おいおいおい!


 「危ねっ!」


 慌てて底から落ちる。下は池である。俺の背後で、井戸底の土塊が火を噴いた。熱気。


 ぎゅああああああっ。


 女どもの悲鳴が上がった。音が歪んでいて、男の悲鳴とも受け取れた。


 「理斗!」


 理加の声がする。俺は、少しでも理加に近付こうと、手足を動かした。本当に空中で動いた気がした。動いている。


 後ろから吹く風に押され、俺は池の端に着地した。後から火球がついてきた。


 「うおっ」


 危うく脇へ避けた。危なかった。

 俺が頑張って掘り出した土塊は、まだ炎を上げている。普通の火ではない。


 そこへ、祠の屋根を皿代わりに、壺みたいな物を載せた律が、風祭とやってきて、中身を土塊に、壺ごとぶちまけた。


 「何それ?」


 「呪物。藤河家の誰かの毛。一緒に燃やして浄化する。手伝って」


 風祭が早口で言った。竹野と日置は、うねる浮島と戦っている。

 というか、奴ら、こっちへ向かっている。


 理加が、何かぶち込んだ。浮島の胴体部分が、切断された。


 どしゃっ。


 浮島は何事もなかったかのように、元の位置へ戻った。しかし、女二人は白い軌跡を描きながら、邪魔する竹野と日置を(かわ)して、こっちへ来ようとしている。


 「अन्धकारात् प्रकाशं प्रति अस्य व्यक्तिं नयतु ।」※


 律が燃える土塊を前に、浄化を始めた。親がラテン語なのに対抗して、サンスクリット語にした、と言っていた。

 よく分からない対抗心である。どうせ俺には、どちらも理解できない。


 風祭も火を煽って手伝う。俺も加わる。俺の場合、単純に念じるだけだ。今だと、


 「燃えろ、燃えろ、髪の毛を焼き尽くせ」


 みたいな感じである。


 根っこの部分は律と風祭と俺、表に出た部分は竹野と日置と理加、と分担して、ひたすら念じる。


 少しずつ、相手の力が弱まってきたのを感じる。

 どこかで騒がしい声が起こったが、俺は無視して念じ続けた。



 カオスな感じだった。


 障壁がなくなったのをいいことに、朝陽と康明は結局、池が見えるところまで入り込んでしまった。

 そこでは、いい大人が池の端で焚き火をし、また、池に向かって手を振り叫んでいた。


 池の上には、人魂のようなものが二つ飛び交っており、それで朝陽にはかろうじて何かと戦っていることがわかったのだが、それも見えない康明には、遊んでいるようにしか見えないのではなかろうか。


 「綾部君」


 康明が大分手前で止まったので、そこで様子を説明するうちに、声を聞きつけた界島が、振り向いた。ギョッとした顔になる。


 「あっ。あんたたち!」


 そのまま、戻ってきた。先ほどより、顔色が悪い。殻を割るのに力を使ったせいか、それとも朝陽たちが入り込んだことに、顔色をなくしたのか。どうも、後者に思われた。


 桐野と鄭もこちらを見たが、界島に任せることにしたらしく、それぞれ池と焚き火へ助っ人に入った。

 人魂がぐん、と小さくなる。もう、朝陽の目にも、ほぼ見えない。


 「ダメじゃない。集中力を欠いたら、やられちゃうんだから、邪魔しないでよ」


 「でも先輩方も、母の指示と違うことをしましたよね?」


 「くっ。それは臨機応変というか」


 見えていない康明に指摘され、素人目にも苦しい言い訳を捻り出す界島である。


 桐野たちの行動は、今の状況を見ると正しかったようであるが、たとえばあの殻みたいなものが、外に害を及ぼさないためのガードの役目も果たしていたとしたら、余計な手出しをして、被害を拡大したかも知れないのである。


 どっちもどっちというべきか。


 「あのう。斎‥‥中に入った友人は?」


 朝陽は不毛な会話を終わらせるべく、肝心な用を切り出した。界島が、ハッとする。嫌な予感がした。


 「待って。とりあえず、ここで待って。多分、そんなに時間かからないから。本当に、危ないんだってば」


 焚き火の火が一気に消えたと同時に、池の動きも()()()。空気がクリアになった、気がした。


 焚き火をしていた少し手前に、石の(ほこら)がある。屋根が取れて、墓石にも見える。

 その後ろに、横たわった人がいた。


 「斎!」


 朝陽は界島の制止を振り切り、駆け出した。

 見覚えのある服を着たその人は、朝陽が呼びかけても、横たわったままだった。



※ サンスクリット語 この人を暗闇から光へ導く の意。

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