元ねこは走馬灯らしきを見る
上空を、ヘリが飛んでいる。
早くも報道機関が動き始めたか、と朝陽は勝手なライバル意識で警戒したが、色形を見るに、警察の機体らしかった。
池の中心部を巧みに避けつつ、周囲を旋回している。まるで、見えているような動きだった。
その下方では、茶色い触手のような何かが、蠢いていた。時折先の方を曲げる様は、何かと戦っているようにも見える。
誰でも見える光景なのかというと、そうでもなさそうだった。先程まで避難させられていた人々が、目の前で起きている異変に気付いた様子はない。何が起きたかわからない不安から、警備員に詰め寄ったりする人もいる。
表向きは、爆破予告があったことになっている。
朝陽にも、状況がはっきり見える訳ではない。目を逸らしたら消えてしまいそうな、幻覚で済ませてしまえそうなほど、ぼんやりと感じ取れるまでである。
「何か、すごいことになってきた」
「これも、藤河君が入ったせいだろうね」
朝陽がメモをとりつつ、状況を説明すると、相変わらず何も見えない様子の康明が、冷静に返す。
自分が斎を誘ったせい、と責められた気になる。
界島は、朝陽たちを追い出すのを諦めたようで、他の人間を取りこぼしていないか警戒したり、自分でも卵の殻を攻撃したりしてみていた。
先ほど、ドローンを叩き落としたのは、彼女の能力らしい。十分すごいと思うのだが、その彼女にして、殻にはまるで歯がたたないようだった。
そして性懲りもなく、新たなドローンがふらふらと辺りを飛び回る。ドローンもまた、池の内部へ入ろうとして、跳ね返されていた。
カメラを通しているであろう操縦者には、壁が見えないのであろう。
突入地点を変え、何度も近付いては、失敗を繰り返す。
見えていないのに、撮影に向かう方向は、正確であった。
朝陽は、ハッと思い当たる。
同じように、見えている人が、他にも存在するかもしれない。
霊が見えるからと言って、心霊学科へ入らなければいけない、という法はない。工学部に在籍する学生だって、いるだろう。他の大学にも。
一つの物事に、色々な立場から関わることは、大切だ。それは、どの分野にも言えることだ。
朝陽は、自分の選んだ進路が正しいことの、例証を一つ得たように思った。
残念ながら、ドローンについては、自滅により、失敗に終わりそうであった。界島も、もはや相手にしなかった。
どうせ映らない、と言った彼女の言葉は、本当だった。
メモを取る前、朝陽は習慣で、スマホを池に向けてシャッターを切っていた。
画像を確認すると、変哲もない、ただの風景だった。
一枚だけ、空間が歪んだように映ったものがあった。何だろう、と考えて、界島が映り込んだのだ、と気付いた。
「消したほうがいいよ。霊障が起こることがあるから」
スマホを覗き込んだ康明が言った。朝陽は素直に、全部の画像を消去した。
「母と僕が一緒に撮った写真、一枚もないんだよね」
世間話をする調子で、康明が言う。彼の目には、触手も殻も映っていないのである。
「全部、心霊写真になっちゃうんだって。でも、大学入学の写真だけは、普通にあるんだよな。変なの」
「一緒に写りたかったじゃろうね、お母さん」
「へ?」
単なる相槌に、思ったのと違う反応が返ってきて、戸惑う。
見返せば、戸惑った様子なのは、康明も同じだった。
「そんなものかな」
「と、思うけど」
尻つぼみな意見になる。朝陽が父や祖父と上手く行かなかったみたいに、彼にも母との間に確執があるのかもしれない。心霊学科の先生の息子が、見えないのだ。
自転車に乗った男が、猛スピードで界島に突っ込んできた。声を出す間もなく、急ブレーキで止まる。
「セイランさん、どうしたの?」
界島の知り合いらしい、というか、さっき同じ部屋にいた。細身ながら、がっしりした体つきは、熱海でも見覚えがあった。鄭、と呼ばれていた。
「界島先輩。工学部の人たちは放っておいていいですね。私の受け持ちは終わったから、提案に来ました‥‥あの人たち、外に出るよう綾部助教授から指示されましたよね?」
「あ、まずい」
康明が、後じさりする。苦手な相手らしい。
「ああ、とりあえず彼らは置いといて。提案って、何?」
界島が先回りして、鄭を止めた。助かった。揉める時間が惜しいのだ。
「はい。桐野先輩たちとも協力して、外から崩せないかと思って」
「さっきから私も試しているけれど、全然反応ないよ」
「ですから、皆でまとめたらいいのです。竹野教授たちが入られた場所、あそこなら、崩せると思いませんか」
「桐野の意見は?」
「これからです」
「それなら、手間をかけるけれど、セイランさん、このまま桐野に試すか聞いて、手が空いたメンバーも確認した上で、また戻ってくれる? ここも、ほぼ避難は終わった。後は、あの子たちを連れて行くだけ。ちなみに、私は賛成」
「わかりました」
鄭は、生き生きと自転車に飛び乗り、来た時と反対方向へ去った。界島は、見送りもせず、つかつかこちらへ歩み寄る。
「聞いたよね。そこから外へ出る気がないなら、勝手にどこかへ行かないでよ」
「ありがとうございます」
思わず礼を言った。界島が、天を仰いだ。
「本当に、これ以上のことは勘弁して」
落ちていく間に、走馬灯が見えた。人間が、死ぬ前に見るという、あれだ。
俺、死ぬのかな。そういえば、息苦しいような気もするし、頭痛がしてきた。
池の側に木でできた家があって、絹子叔母がよく観るDVDに出てくるような格好の‥‥この女の顔、見たことあるな。
俺の走馬灯じゃない。
では、誰のだ?
俺はそのまま時代劇の怪談を見せられ続け、劇中、やたら藤河藤河と連呼するところから、どうも藤河斎に関係するらしいと判断した。
怪談である。
二人の女が、藤河という女にいじめ殺されて、仕返しにいじめた女の娘を祟り殺すという、救いのない話。しかも七代末までって、倍々で子孫が増えたら、何人祟り殺さなければならないことか。
そこは幽霊にとっては都合よく、または面倒を嫌って、子孫が増えないよう数を減らしていたようだった。七代に至る途中、全滅しないように手加減まで。呪う方も気を遣う。
俺は、他人事らしく、そんな風にも考えた。
一つわかったのは、今俺たちが戦っている相手は、この時いじめ殺された女中たち、ということである。顔に面影があった。
俺がこれからしなければならない、井戸の底にある筈の痕跡探しには、相手を特定できた方が見つけやすい。
この点、幸先が良い。
長い怪談が終わった。と思ったら、もう一つ、現代の話が立ち現れた。
藤河祖父の若い頃だ。孫の斎と似ていたが、以前、老後の写真を見ていたから、すぐ見分けた。
奴が、前回の碰上異変の直接の原因だったのだ。初めて知った。あれでは、奴が二人を死なせたも同然ではないか。
幽霊たちに五代目とか言われていた。藤河斎で七代目となる。
奇しくも康明が言った通り、孫の死で終わる筈だったのだ。
それがどういう訳か終わらなかったのは、藤河祖父と父、つまり五代目と六代目が生きているからだ。
猫的には、孫の死の責任をとって終わらせてしまえ、と思わないでもないが、理加はそう考えない。
俺は、理加の思いを優先する。
「理加でなくて、悪かったのう」
誰だっけ。聞き覚えのある声が、頭に響いた。
「お前と話すのは、久しぶりだ」
急に目の前に、白い紐が見えた。ぷらぷらと揺れる動きに、つい猫パンチを繰り出すと、俺の手に張り付いてしまった。柔らかい毛に覆われ、中に芯がある。
猫の尻尾だった。
そこから新鮮な空気がどっと流れ込み、俺の頭をすっきりさせた。気がつかないうちに、意識を失う寸前まで来ていたようだった。
「美宇か」
理加と融合した猫妖怪である。まだ残っていた、というのも失礼か。俺よりも、ずっと長生きしている筈だ。
本来、呼び捨てしただけで殺されても仕方ない程、格が違う。
「もう、理加とさして変わらぬでな。理加と呼んでもよいぞ」
「いいえ、結構です」
すっきりしたところで、井戸の底にいることに気付いた。くるぶしまで、水に浸かっている。
頭の上から差し込むわずかな光でも、その水が思いの外澄んでいることが見てとれた。猫目のおかげである。
ただ、ぱっと見た印象では、女中たちの残滓は感じ取れなかった。井戸の底に、何となく散らばった感じがするだけである。
「それらは恐らく、髪の毛ではないか。持ち物なら、すぐ見つかるだろう。当時、何度か底を浚っている筈だからな」
「髪の毛を、二種類も探すのかあ?」
それはいくら何でも無理難題だ。またも頭痛がしてくる。
「土ごと掘り出せ。お前にも、何となく見えているだろう。井戸ごと全部破壊するよりは、よほど楽だ」
「うへえ」
「あまり時間はないぞ。掘り出したら、律に土ごと燃やしてもらえ」
美宇の言葉に合わせたように、周囲が揺れ出した。
うぬううう、何ということを。印が。我らの印が。
己らああああ。
祠の下を掘っていた風祭が、何か見つけたらしい。
俺は、足元に向けて意識を集中した。
風祭ほどに土掘りは上手くない。というか、初めての経験である。
耳鳴りがしてきた。