呪いの行く末
芝居の舞台転換のように、ぱっと景色が入れ替わった。
藤河斎は、我に返る。すっかり物語にのめり込んでいた。
今見てきたものは何だろう。初めて見る幽霊の類いまで、真に迫った情景であった。
藤河と呼ばれる乳母が出てきた。あれが斎の先祖とすれば、相応の報いを受けたこととはいえ、恥ずべきことであった。
子孫がいまだに桜ヶ池の話題を避けるのも、道理である。
同時に、供養の気持ちがあれば、むしろ頻繁に詣でるべきではないか、とも思う。
もしかしたら、祖父の矛盾した言は、ここにあるのかも知れない。
つまり、先祖の罪を忘れないため、桜ヶ池を擁する碰上大学へ進学し、反省の意を込めて禁域を設けた。母校なのに、足を踏み入れられない場所がある、という罰である。
迂遠な話である。当たりだとしても、祖父の考えではあるまい。
昔からの言い伝えだからこそ、辻褄の合わない箇所が出てくるのだろう。
思いを巡らす斎の前に、新たな人物が現れる。
もう一人の自分。
と錯覚するほど、顔立ちも体つきも似ていた。しかし覚えのない服装である。髪型も野暮ったい。
その人物は、二人の青年と向かい合っていた。二人とも、服装と髪型が、どことなく古臭い。メガネも揃って縁の太い、同じような物をかけていた。
一応、現代人の服装である、という以外、取り立てて特徴は見出せない。斎は彼らを見ても、いつ頃の若者か、見分けることはできなかった。
「本当に、来なくていいのか。藤河の家のお宝だろう?」
向き合う青年の一人が、話しかける。やはり、自分と似た人物は、藤河といった。
「いいんだ。立ち会えば、流石に父の遺言に背くことになる。その代わり、掘り出したお宝を全部見せてくれ。昔、あそこで起きた事柄の、手がかりにしたい」
藤河は笑わない。斎は、その表情に記憶を刺激される。これは、自分の顔ではない。しかし、知った顔である。声にも聞き覚えがあった。
「いやあ。スクープが取れて、金も儲かったら最高だな、塚本」
もう一人が、楽しげに言った。新聞か雑誌の記者らしい。言われて見れば、大きなレンズが前にくっついた、本式のカメラを、首から紐で提げていた。残る一人は、シャベルとスコップを両手に一つずつ持っている。
「活動の記事は、扱いが難しいからな。じゃあ、そろそろ行くわ」
塚本と呼ばれた男が、背を向ける。カメラを提げた男も倣う。その頭から何かが転がり落ちるのを、藤河が素早く拾い上げた。
「林、落とし物」
「おう」
放り投げられたそれを、振り返りざま器用に受け取る林。
「いい加減、耳にペン挟む癖を止めろ」
「ブンヤっぽくていいだろ」
林と塚本は、じゃれ合うように会話を交わしながら、前へ進んでいった。その先にあるのは、斎の知る桜ヶ池である。
周辺に木が生い茂り、池そのものは、そこから見えない。そして、奥に屋敷も見え隠れしない。屋敷など、そもそも存在していなかった。
藤河はその場に立ったまま、二人が木立ちの奥へ消えるのを、じっと見守っていた。
恐る恐る、足を一歩踏み出す。
と、池の周囲に風が吹いたような、木の葉ずれの音が立った。慌てて足を引っ込めた彼は、しかし立ち去ることもなく、目を凝らして木々の向こうを透かし見ようとする様子だった。
斎も、遠くから藤河を見守る。
と、藤河の前に、突如二つの人影が出現した。先の青年たちとは、まるで別物である。
二つとも宙に、浮いていた。これは、人ではない。
藤河は、その場に凍りついたように動かない。斎も、全身が強張る思いだった。
女、であろうと思われた。いずれも、腰まである長い髪を伸ばし切りにし、白い着物の下には、胸の膨らみがあった。髪が垂れかかり、顔の造作は見えない。
「お前か。我らを供養するどころか、手下を用いて祠を荒らさんとするは」
「卑劣な性は、代を重ねても変わらぬの。これも業の深さぞ」
共に女の声である。歯軋りの音がギリギリと、斎の元まで聞こえてきた。
「五代目か。口惜しきことに、まだ取れぬ」
「あと二代の辛抱じゃ」
女たちが、ゆっくりと顔を持ち上げる。斎には見えないが、藤河には、それらの顔が見えてしまったようだ。
「ひ」
発した短い声を聞いて、急に斎は思い当たった。祖父である。これは、祖父が大学生であった頃の出来事だ。
これまでに、祖父から、これに類する話を聞いたことは、なかった。
青年の正体が知れたところで、目の前で繰り広げられるやり取りを、現在の斎が見せられる意味は、わからない。
斎の戸惑いをよそに、祖父と妖しの女たちとのやり取りは続く。
「供物にはならぬが、手下は貰ってやろう。これは己が罪じゃ」
「祖先に加え、重ね重ね犯した罪の大きさを、その眼で見るが良い」
女の人影は、出現した時と同じく、唐突に消えた。
祖父は、金縛りが解けたように、くるりと踵を返し、脱兎の如く走り出す。
何もない場所で躓き、転びそうになるのを堪えると、ふと横を向き、急に背筋を伸ばして速足に変えた。
ほとんど、走る速度である。
その背中を見送った斎は、池の周辺に目を転じた。中学生くらいの男子が、やはり踵を返して時計台の方向へ去るところであった。
と、その背中が、当て身を喰らったように転がり出す。
男の子だけではなかった。池の周囲にいた人間が、一斉に倒れた。
まるで、池から大量の風が、噴き出したようであった。
「七代目だな」
「首を長うして待ち望んだぞ」
つい先ほど聞いた声が、耳元に気配を現した。
全てが繋がった。
祖父が五代目ならば、自分は七代目である。
『七代末まで祟ろうぞ』
斎は、自分の運命を悟った。
律とお手手繋いで入った先に、竹野も風祭も日置も、そして理加までも、ちゃんと全員が揃っていた。
俺は安堵して手を離した。
「揃ったな」
タバコを指で回していた竹野が、それを仕舞い込む。火は点いていない。
「吸うつもりだったのか?」
「面白いかもな」
「やめて下さい」
理加と日置が声を揃えて止めた。二人が学生時代の頃を思い出し、なんだか懐かしい。
改めて、周囲を見渡す。
桜ヶ池に被さるように生い茂っていた木々は、綺麗になくなっていた。
池まで真っ直ぐ見通せる。浮島には盆栽のように植木が残っている。
池の淵にある祠も見えた。
柔らかな日差しが上から降り注ぐ。ここだけ、外の喧騒とも蒸し暑さとも無縁である。穏やかな風景だった。
先に入った、という学生の姿は、見当たらない。
「島に上陸するしかない。長靴を履いてくれば良かった」
「長靴じゃ足りないでしょう」
竹野と風祭が言葉を交わすと、風祭が池に向かって手を動かす。
池の水面にさざ波が起こり、やがて左右に割れた。
「『天地創造』みたい」
律が感想を漏らす。大袈裟だな。
「底の泥が深いから、誰か除けて」
風祭が言った。理加が仕方なさそうに、見えない手で泥を掻き分けた。
俺と同様、理加の力の源が猫だから、手が濡れる仕事を嫌うと見える。実際には手が汚れることはないのだが、本能みたいなものだ。
泥は風祭が警告した通り、結構深かった。理加が左右に寄せた泥は、風祭が作った水の壁を、半分以上覆い尽くした。
「とっとと渡ろう。前回はあれが暴れたからな。それから、律は残れ」
竹野が先陣を切った。日置が続く。俺も仕方なく進んだ。岸に残るのは、理加と風祭と律である。
こういう場で、理加と離れるのは不安だ。でも、理加が少しでも安全そうな場所に残った方がいい。
浮島といっても、小さな池の中央にある、盛り上がりである。木も生えている。
大の大人が三人も乗る余地はない。かろうじて、縁につま先立つ感じである。
特に何かが暴れることもなく、無事に着いた。水と泥の壁が、どべしゃっ、と落ちた。
もう、池に落ちる訳にはいかない。
先に行った二人が、中央を覗き込んでいる。
「これが例の井戸か。埋めたら枯れるかな」
「とりあえず中身を出しましょう」
追いついた俺を、二人して見た。
「ねこ、中の奴を出せ」
「理斗、引き上げて」
「何が入っているの?」
覗こうとして、止めた。見る前から、何があるか、わかってしまった。
俺は、黙って言われた通りにした。
集中力を高め、中の物を掴むようにする。
大きさの割に、軽かった。
俺は、熱海で俺たちを追い払った、藤河斎の遺体を、浮島の上まで引き上げた。
あんまりいい表情じゃなかった。
上に生えた木に引っ掛けながら、苦労して出した遺体は、そのまま平行移動で理加たちのいる端へ送り届ける。
理加に見せたくないが、仕事だから致し方ない。
「間に合わなかったか」
理加が無念そうに言う。康明と同じ年頃だ。母親として、身につまされるのだ。俺だって、同じ気持ちだ。
竹野や風祭は、予想していたようだ。
「下に色々溜まっとったやろし、普通にあかんかってな」
「そうしたら、後は息抜きして、埋め立てを」
言いかける日置と竹野が、吹っ飛んだ。俺も。
咄嗟に、二人に防御を張る。竹野の爺いは年寄りだ。ぶつかっただけで死にかねない。
俺たちをぶっ飛ばしたのは、浮島だった。
まるで生き物のように、ぐいいんと伸びて、先端を捻るように回転させたのだ。同時に、俺たちが使うような力を、周囲へ一気に放出している。
風圧で、どん、と音がした。
その下部は、水面の下まで繋がっていた。
ちっとも浮いていなかった。命名詐欺である。
「やっぱりまた暴れやがったか」
飛ばされながら、竹野が叫んだ。