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元ねこ桜ヶ池始末  作者: 在江
第六章 碰上記
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呪いの源流

 ところで、本来法要は、四十九日までの間、七日ごとに行わなければならない決まりである。その間、魂はこの世に留まり続ける。


 絹や美与の家では、法要と呼ぶにはささやかに過ぎるものの、七日ごと僧侶を招いて一通りの経を上げてもらい、精一杯の供養を続けていた。

 なお、その儀に関して、碰上家並びにその家に仕える者は、一切関わっていない。


 碰上家における絹と美与の法要は、美与の初七日(しょなぬか)に行われたのみであった。


 殿や奥方、藤河にも、女中の追善(ついぜん)供養を幾度も行う考えなど、はなから浮かばなかった。

 ()()()()たる藤河はともかく、主家としては当然の扱いである。


 こうして知らぬ間に四十九日が経った。



 その夜、藤河がふと目覚めると、寝床に久音(ひさね)の姿がない。


 姫の寝床を確かめる。こちらは、すうすうと子供らしく眠っていた。お付きの奥女中も、白河夜船(しらかわやふね)である。

 いないのは、娘の久音のみである。


 また、夜歩きの病が出たか、と藤河は寝所を忍び出た。


 美与の首吊り騒ぎの後、法要までの間に立て続けに彷徨(さまよ)い出た他は、絹の死の前の晩が最後である。

 考えを巡らせば、娘の病は、真にあれらのせいのように思われた。


 「迷惑な」


 人気のない夜の廊下に、本音が(こぼ)れる。


 自らの美貌を鼻にかけ、出過ぎた真似をした下女と、武家の出の癖に農民の腰巾着(こしぎんちゃく)を嬉々と務める下女が、ろくに()らない墨でうっすら書いた駄文(だぶん)のせいで、殿のお手まで(わずら)わせることとなった。


 己は何もしていない。

 下女らの不始末とて、覚えておらぬのに、何事か因縁をつけようもなかろう。

 失態を知れば叱責し、指導するのは上の務めである。一つひとつ数え上げるほど暇ではない。


 廊下の隅の雨戸(あまど)が、一枚だけ開いていた。

 ふと、嫌な気持ちが湧き上がる。


 幼い久音が開け閉めしたとも思えず、下人が閉め忘れたものであろう。明けに注意せねばなるまい。

 夜中のこととて、自ら閉めるのも(はばか)られた。

 (ふすま)障子(しょうじ)と異なり、雨戸の()()ては、なかなかの音がする。


 障子まで隙間が空いている。

 もしや、久音が出たのであろうか。


 秋の風は涼しく、寝ぼけ眼の娘にも心地よさげである。

 藤河は、障子を開けて、庭を見た。


 手入れの行き届いた庭園は、月に照らされ、秋の風情に満ちている。

 竜胆(りんどう)(すすき)が配された間に、求める童女の影は見当たらない。

 安堵の息と共に戸へ手をかけた藤河の目の端を、異な物が横切った。

 動きに釣られ、目を上げる。


 遠く離れた場所に、あの井戸があった。


 誰が手向けたか、(ふた)の上に菊の花が(そな)えてあるのが見えた。

 井戸を挟むように、二人の女が向き合っている。その間に。


 「ひ」


 藤河は、裸足で駆け降りた。日頃は足袋(たび)に守られた足裏が、庭の小石を踏みつけて痛むのも構わず、井戸まで走る。


 釣瓶(つるべ)に隠れて見分けが遅れたが、間に立つのは久音であった。すなわち、娘は井戸の蓋の上にいた。

 童女は、中腰で、前に置かれた菊に手を伸ばしていた。


 「待て。待つのじゃ、久」


 母の声は耳に入らない。夢に遊んでいる最中なのである。


 「()()()()。きれいな花じゃ」

 「()()とな?」


 藤河は、娘の(かたわら)に立つ女を見た。


 まさしく美与であった。


 白装束を(まと)い、髪をざんばらにした女は、それだけで十分に気味が悪いのに、口の端から血を流して顔色が尋常でなく青かったにも関わらず、微笑んでいた。

 笑みに生者の温もりはなく、女の顔を(すさ)まじく見せるだけであった。


 では、もう一人の女は。


 絹である。


 これも、白装束にざんばら髪である。頭から流れ出したらしき血が、こめかみを伝って(あご)まで(したた)り落ちている。これも顔色が青い。美しい顔であるが故に、(かえ)って(すご)みを増して見える。


 と、その顔がこちらを向いた。


 藤河の全身が粟立(あわだ)つ。絹に笑みはない。生前、人々に褒めそやされた黒目がちの瞳が、今は底知れぬ空洞となって藤河を見つめる。絹の指先が持ち上がる。


 「ほら、久音様。母君が、いらっしゃいましたよ」


 声も陰々とした響きであった。

 久音は、ぱっと歯を見せた。そこだけ明かりに照らされたように、白く見えた。


 「おお、母上が()()

 「()()


 何か思い出しそうな気がした。しかし、その思いは掻き消された。


 ぱきり。


 と乾いた、意外にも大きな音を立て、井戸のまだ新しい蓋が、真ん中から四つに割れた。


 久音は、まだ生え(そろ)わぬ歯を見せたまま、落ちた。


 水音が聞こえるまで、随分と間があった。


 「久や」


 藤河は井戸へ取り付いた。覗き込むと、暗がりに割れた井戸の蓋と何かが、ごた混ぜに落ちているのが、かろうじて見分けられた。


 「己の番は、まだ先ぞ」


 今にも落ちんとする藤河の頭を引き戻したのは、美与であった。

 勢い余って後ろへ尻餅をついた。触れられた頭が痛む。

 放した美与の青白い手には、引き抜かれた藤河の髪が、黒々と絡んでいた。


 娘の死を目の前で見せられた乳母は、怒りに痛みを忘れた。


 「お前、お前たち、よくも久を」


 憤怒に満ち、崩れた髪で睨みつける。

 生前の二人には恐ろしく見えたであろう乳母の様を、今や元女中たちは、平然と嘲笑(あざわら)う。


 「すべてはお前の(ごう)ぞ」


 「我らの先にも、泣かせた者がおるとな。己が忘るるとも、我ら忘るまじ」


 白装束の女たちは、足音もなく、すうっと藤河の前まで迫った。

 足がないのである。着物の裾は、闇の向こうに溶けていた。


 藤河の顔から血の気が引いていく。がたがたと体を震わせた。


 「己ら。殿が婢女(はしため)を憐れみ供養されたを無碍(むげ)にしおって。我も布施(ふせ)をしたというに。この恩知らずめが」


 それでも口だけは強気である。


 「殿と奥方の御心は、ありがたくいただいた。我らが親の供物(くもつ)もな」


 絹が言う。近くへ寄ると、頭の形が(いびつ)だった。どこぞへ当たり、へこんだものか。


 「己の出した金は、坊主の懐へ消えた。心なき物は、布施(ふせ)でなく、ただの金ぞ。その上一度きり。お前は幾度我らに害をなしたことか」


 美与が言う。これも近くで見ると、人間の顔としてはあり得ない釣り合いに崩れていた。

 藤河の歯が、かちかちと鳴った。尻餅をついたままである。腰が抜けている。


 二人の女は、さらに側へ寄る。後退りしようとする乳母の体は、その場へ縫い付けられたように動かない。

 顔と顔を寄せるようにして、女三人が対峙(たいじ)した。中で唯一の生きた女は、ひっ、と声を上げる。

 涙を流していた。もはや言葉もない。


 「七代末まで(たた)ろうぞ」


 「子に先立たれた親の心根(こころね)(もっ)て、己が罪の深さを知れ」


 亡者が口を大きく開けた。



 乳母は、井戸の前で見つかった。


 井戸の中には、壊れた蓋と、菊の花と、乳母の娘の遺骸があった。夜歩きの病で上に乗り、跳ねたか踏み場を誤ったかして、共に落ちたと思われた。


 乳母には息があった。


 医師が呼ばれ、懸命の治療の末、口が利けるまでに復したが、先に死んだ女中二人が娘を殺したなどと口走るので、屋敷でも持て余し、一旦、宿さがりとして夫に引き取らせた。


 すると間もなく、乳母として上がるより先に産み落とした子九人のうち、八人までもが、次々と命を落としたのである。

 病とは限らず、不慮の事故のものもあったが、いずれにしても奇異であり、不吉なことであった。


 藤河の家からは、斯様(かよう)な事情であるからして、乳母の職を辞したいと申し出た。夫からの申し立てである。当人は、未だ病の床にあった。


 碰上家には渡りに船であった。

 既に、姫には別の養育係をつけていた。乳を飲む歳は過ぎても、世話も修養も必要な年頃であった。


 さらにその後、藤河家から、絹と美与の供養に、井戸を(まつ)りたい、との申し入れがあった。

 風の噂に、災いを払うため、高名な祈祷師や占い師、神職など、あらゆる伝手(つて)を求めた、と聞こえていた。


 噂をする中には、災いではなく、(のろ)いである、と声をひそめる者もあった。


 屋敷では、(ゆかり)の寺社にも(はか)り、了承した。


 そこで藤河当主、すなわち乳母の夫が采配(さいはい)を取り、井戸の周りに池を作った。


 井戸の縁は取り壊され、蓋の代わりに低木を植えて浮島とした。


 周囲に桜を植えたのも、この夫である。

 池の端には(ほこら)を作り、何やら貴重な物を埋めて封印となしたとか。


 好奇の者が乳母の様子を尋ねた折りには、息災(そくさい)であると返した。一人残った息子の世話に、日々を費やしていると。

 屋敷から隔てのある地のことで、真実かどうかは、分からない。巷では、座敷牢に押し込められている、とも囁かれた。


 池を完成させた後、乳母の夫もまた、力尽きたように亡くなった。

 その後の乳母と息子の消息は、知られていない。


 当初の池は、無名であった。

 時がたち、いつしか桜ヶ池(さくらがいけ)と呼ばれるようになった。

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