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元ねこ桜ヶ池始末  作者: 在江
第五章 妖変桜ヶ池
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異変勃発

 「久松、くん?」


 久松朝陽(ひさまつあさひ)は、急に名前を呼ばれ、思わず振り向いた。

 白髪頭の、ひょろりとした男が立っていた。男は、振り向いた朝陽の顔を見て、驚いた顔つきになった。


 「久松くんだよね? 今日会う約束をした。お祖父さんそっくりだねえ。よく言われない?」


 「はい。言われます。ええと」


 勿論、祖父から名前は聞いていた。しかし驚きと緊張のあまり、言葉に詰まった朝陽を見て、男は宥めるように笑った。


 「風祭(かざまつり)です。初めまして。君のお祖父さんとは、大学時代に新聞部で知り合って以来の付き合いで、お父さんとも、本を出してもらった縁でお付き合いがあります」


 「そ、そうでした。久松朝陽と申します。日頃、祖父と父がお世話になっております。本日は、お忙しい中、時間を割いてくださって、ありがとうございました。よろしくお願いします」


 頭を下げつつ、用意した挨拶を述べる。こんな場所で言うには長いと思ったものの、標準語で暗記した文は、一度口から出ると最後まで続けて言うより他なかった。融通が利かない。


 「そんな、堅苦しい挨拶は抜きにして、もっと気楽に話そうよ。桜ヶ池の埋蔵金伝説について調べているんだっけ?」


 風祭が、砕けた口調に変えた。もとから親しみやすそうな風貌が、さらに柔和になった。久松の肩から、力が抜けた。


 「はい。それで昔、桜ヶ池で変わったことが起きた辺りのお話を伺えたらと思うて、まず現場に」


 「ああ、それなんだけどね。今、桜ヶ池には入れないんだよ。規制線が張ってあるだろう?」


 そこで藤河斎を先に行かせてしまったことを思い出したが、被せるように指摘した風祭の発言に、久松は改めて池のある木立を見返った。


 映画やドラマで見るような、黄色と黒で構成されたテープが、暗い木立を切り裂いていた。

 「立入禁止」「KEEP OUT」、それから中国語と韓国語まで交互に記されている。ところどころに、御幣のような切り紙をつけた棒まで立っていた。


 何故気付かなかったのだろう。あんなに鮮やかなのに。


 「工事か何かですか」


 何気ない朝陽の質問に、風祭は困ったような笑みを浮かべる。


 「うーん。工事と言えば、そんな感じかな。とにかく今、中へ入ると危ない」


 「あのう。今日、私は友人と来ていて、やっぱり祖父や父が碰上大学OBなんですけど、その彼が先に池の方へ行ってしもうて」


 「何?」


 緊張しつつ、斎のことを告げる。風祭が、険しい顔になった。予想以上の反応に、朝陽の顔が強張る。慌てて付け加える。


 「規制線見て、引き返したかもしれないです」


 「あっ。結界が崩れている。まずいな」


 風祭は朝陽の言葉を無視し、池の方を見て声を出す。二、三歩駆け出し、止まって振り向いた。


 「入ったのは、何人?」


 「ひ、一人です。藤河斎(ふじかわいつき)って」


 「ふじかわ?」


 一瞬、風祭から表情が消えた。今ではない、遠い場所を見るような。しかしすぐに、表情を取り戻す。


 「その藤河君のお祖父さんも、新聞部だった? 名前は?」


 「え。いや、聞いたことはないです。でも、有名なコンサルで、本を出したり、大学でも教えとるちゅう」


 みるみる血の気が引いていく風祭の顔を見ながら、朝陽は言葉を止められなかった。斎の祖父も新聞部だったなら、朝陽の祖父と知り合いかもしれない。それなら、言ってくれても良さそうなものだが。


 「ごめん。久松君。今日はちょっと都合が悪い。日を改めて、今は家に帰‥‥」


 くらり、と目眩がしたように、朝陽は頭からふらつき、地面に手をついた。


 どーん。


 地響きのような、爆発のような音と振動が伝わった。風祭が、池から庇うように、前へ来た。


 「ありゃあ、何か?」


 「君、見えるのか」


 朝陽の視線を追った風祭が、視線を戻した。朝陽は彼に答えるどころではなかった。

 木立の周囲、規制線を取り囲むようにして、半透明の壁のようなものが、空高く突き立っていた。




 どーん。


 「結界が破られた」


 直下型地震みたいな揺れと爆発したような音に耐えた後、理加(りか)が言った。


 「それだけやあらへん。何か起きた。理斗(りと)桐野(きりの)君と永木(えいき)君を連れて、様子を見てきい。僕は、学部長を通して規制線を構内まで広げられるか、話してみる。綾部(あやべ)は引き続き、ここで作業してくれ。すぐ入るかもしれへん。そのつもりで」


 日置(ひおき)は言いざま、部屋を出ていってしまった。俺は抗議する間もなかった。


 俺たちは、康明(やすあき)の発見を元に、桜ヶ池の完全浄化を検討していた。


 日置や綾部は当然ながら、学部生たちも都合がつく限り、ほぼ連日研究室に詰めている。発見者特権で、康明までもいる。皆、夏休み中なのに、ご苦労なことである。


 俺が毎日出勤するのは、日置たちと同様、通常勤務だからである。教職員には、学生のような長期休暇はない。


 康明は、桜ヶ池の由来を知るため、博物館などで公開されている古文書のアーカイブを、丹念に読み込んでいた。


 とある武家の、身辺雑記である。日々の掛かりや人付き合い、近隣の噂などが、(おおむ)ね時系列で並んでいる。家計簿や怪談集のように、テーマが絞られていないせいか、資料としては埋もれていたようだ。


 そこに、近隣の噂話として、碰上家の話が度々出てくるのである。

 原文も見せてもらったが、古文がさっぱり読めない。康明や理加の話を聞いて、理解するしかない。


・碰上家の上屋敷で、女中が井戸に身投げした。

・しばらくして、また女中が同じ井戸で死んだ。今度は首を括っていた。

・乳母が怪異に遭い、危うく命拾いしたらしい。その後、乳母は職を辞した。

・碰上家では、井戸のそばに祠と池を作り、女中たちの霊を供養した。その際、南蛮渡来の宝を埋めたらしい。

・不届者が宝を掘り出そうとして、呪い殺されたらしい。


 「同じ事件を書いた他の資料は、まだ見つからない。とりあえず、池を作った年代と、この記録が書かれた年代は重なる。桜ヶ池にある()は、これのことじゃないかな」


 「よく、見つけたね」


 理加としては、最上級の褒め言葉だ。康明も嬉しそうだ。


 それはさておき、心霊学科でもないのに、こんな資料漁りをしていて、卒業単位は大丈夫なのだろうか。

 時間のかかる作業である。成果らしい実が得られたのは、運でしかない。

 気になったが、言うのは控えた。


 康明の「女中霊」説は、教授の日置にも可能性が高いと認められ、心霊学科で後を引き継いで現在に至る。


 鄭哉藍(チェンセイラン)が中国の大貫(おおぬき)先輩に話したところ、「縊鬼(いき)」じゃないか、と言われたそうで、彼はそっち方面の祓い方を調べている。

 早速資料をデータで送ってくれたが、実際の動きは、見た方が早い。

 例によって、画像は心霊写真化するので文字資料のみとなる。


 「来月いらした時に、直接指導してくださるそうです」


 と言っていたが、どうやら間に合わない。


 「鄭君、縊鬼を鎮める方法を、習得できた?」


 理加が、部屋の隅でパソコンと睨めっこする鄭に声をかける。鄭は顔を上げた。眉根を寄せている。


 「綾部助教授、これを今すぐ準備することは、非現実的です。道教の祭壇を作ってそこへ神々を下ろし、お願いしなければなりません。そんな悠長なことをする時間は、ないでしょう」


 「そうね。君の言う通りだわ。じゃあ、それは、今後の定期的な儀式を見直す際の、参考にする。鄭君も、こっちに加わって」


 「はい、先生」


 鄭がパソコンを閉じて、こちらへ席を移す。俺たちの前には、資料の上に重ねて、桜ヶ池の地図が広げられた。


 と、ここで理加が俺を見る。


 「理斗、池の様子は? 桐野君と永木君、先に行っちゃったじゃない」


 日置と同様、人前を(はばか)らず俺を呼び捨てにするほど、内心焦っている。

 それだけ、さっきの異変は深刻なのだ。学生を先に立たせてはいけない。


 「悪い。今行く」


 俺は遅まきながら、急ぎ研究室を出た。が、池の様子は見られなかった。



 桐野と永木が、戻ってくるところだった。後ろには風祭と、ギョロ目の若者が連れ立っている。


 「理斗さん、遅いですよ」


 永木の言う通りである。二人とも、無事で良かった。


 「風祭先生、その子は?」


 「ああ。偶々現場に居合わせてね。聞きたいことがあるから連れてきたんだよ。どうやら君のことは見えないようだね。異変は見えたみたいなのに」


 風祭は、若者と俺を見比べて言った。俺が元猫とわかるのは、ある程度霊能力のある奴だけだ。

 若者は、風祭の言う意味が、わからない様子だった。



 「熱海では、ご迷惑をおかけしました」


 研究室に入って早々、ギョロ目は頭を下げた。


 彼は久松朝陽という平方(へいほう)大学生で、夏休みに俺たちが熱海で藤河孫とやり合った時、一緒にいた。

 勇気を出して謝ったのに、俺たちの誰も、彼を覚えていなかった。それどころでは、なかった。


 「それは気にしなくていい。風祭先生、何で部外者をここに?」


 理加の声に不審が混じる。そもそも風祭が今日、ここへ来る予定もなかった筈だ。


 「ああ。まず彼が現場に居合わせたことだね。あと、彼の連れが池の方へ入って行ったそうだ。私が見た時には、結界が崩れていた」


 「何ですって」

 「え?」

 「マジですか」


 俺たちの反応の激しさに、久松が驚く。


 そこで俺たちは、改めて、彼からここに至る経緯を聞くことになった。時間がないので、質問責めにして端折って説明させた。


 どうも彼は、埋蔵金を掘り当てて一攫千金とまでは行かずとも、就職への足掛かりにしようとしていたらしい。

 それはガクチカか? 学生時代に力を入れたことが埋蔵金掘りって、アリだろうか。面白そうだが、掘り下げて聞く暇はない。


 「斎の家は碰上家の乳母の血筋で、だから協力してもらっていたんじゃけえ。池には近寄っちゃいけん言われてたのに」


 「桜ヶ池に入った人、藤河さん? でしたっけ」


 康明が口を挟んだ。


 「そうだ。だから、彼の祖父は、自分では近寄らなかったんだ」


 答えたのは、風祭だった。彼にも康明が見つけた古文書の話は伝えてある。近々、竹野(たかの)の爺さんと一緒に検討する予定だった。竹野と比べて穏やかな印象の風祭が、珍しいことに、ひどく険しい顔つきをしていた。


 「古文書に、乳母が襲われたけれど、助かった、という記述があります。池の主が縊鬼で、藤河さんが池に呼ばれたのなら、これで桜ヶ池の遺恨が全て解消するかもしれません」

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