宅飲み
そして、今に至る。
斎のカードは、父名義の家族カードである。元から、使用限度額が設定されては、いる。
毎月の使用限度額は、通常カード会員本人と家族カードの合計となる。
仮に、父も母もカードを使わずに過ごした場合、父に割り当てられた限度額全部を、斎が使うことも可能なのだ。
実際にそんな機会は訪れなかったが、これまで斎は、限度額など気にせずカードを使ってきた。
父の部屋を辞し、自分の限度額を確認して青くなった。
全然足りなかった。
特に今月は、熱海行きの新幹線代や、ピンクコンパニオン代でほぼ食い潰されている。
交通系カードや電子マネーもクレジットに紐付けられているから、チャージが切れたら使えないのは一緒だった。
一応、斎にも自分名義の預金があり、デビットカードを使えば当座はしのげる。だが、それは、いずれ起業する時の原資でもある。手をつけたらお終いのような気がした。
限度額が復活する月替わりまで、まだしばらくある。
もう、家に閉じこもるより他ない。
夏休み中に予定していたインターンシップも終わっていて、実家暮らしなのも、幸いだった。
三食取れて、スマホの充電も出来る。Wi-Fiも使える。スマホの通信料も、今のところ親がまとめて払ってくれている。
ただ、休み中の課題を終えると、暇だった。
バイトでもしようか、と思ったが、斎の希望する職種はすぐに就けるものではなく、すぐに働ける職種は即戦力が求められ、斎が未経験のものばかりだった。それに、職場へ行くまでの交通費の問題もある。
「花頭代表から連絡あった?」
久松から、着信があった。斎は、表示された名前を見て、イラっとした。
父には否定したが、そもそも久松が、花頭にいい顔をしたのが、発端である。
「全然」
「親にカード止められた」
「今金欠。家にいる」
次々に打ち込んだ。
正確ではないが、実際に同様の状況である。
「うちへ飲みに来る?」
「俺の分は払う」
「無理。カード使えない」
お前のせいだ、と打ち込むのは、自制した。通話だったら、口から出ていたかもしれない。通信で良かった。
「じゃあ、行く」
「今からいい?」
意外に思った。久松の家で飲むのが定番になっており、その選択肢が抜けていた。斎は素早く考えを巡らせた。夜、母が戻るまでならば良かろう。父はいつも深夜帰宅である。祖父は別住まいである。
「酒は困る」
「わかった」
「何か持って行く」
久松を迎えるため、最寄りの地下鉄駅まで出た。
要らないと言ったのに、彼は明らかに日本酒らしい木箱を提げて、階段を上ってきた。
両手に荷物を持ち、ギョロ目が飛び出しそうなほど、息が上がっている。息子へ差し入れに上京した母親のようである。
「お前ん家、金持ちじゃったんじゃの」
斎の一軒家を、しげしげと見上げた久松が、息を吐く。彼が言うほど立派な家ではない。
父が結婚を機に祖父から受け継いで、リフォームなどで持たせているだけである。
さして広くもない庭も、母が受け持つようになってから、少しずつ手入れの不要な形に姿を変えていた。斎が幼い頃は、もっと庭園風だったのが、今は単なる空間と化している。
将来増築、あるいは逆に更地にする予定かもしれない。
「金ないよ。現にカード使えないし。入れよ」
斎は久松を促した。家の前で金持ちだの何だの言われているところを、近所に聞かれるのは恥ずかしい。
「お邪魔します」
久松は、大きな目をギョロギョロ左右に向けつつ、靴を脱いだ。
「家の人は?」
「皆、仕事だよ」
「何じゃ。緊張しとったのに。そがいしたら、これ、家の人に渡して」
立派な木箱を袋から出す。「画竜点睛」と筆書きしてあった。
「日本酒、だよな?」
「ほうじゃ」
父も祖父も、日本酒を飲むところをあまり見た覚えがない。だが、箱入りだし、誰かに回すことはできるだろう。
持ち帰らせるのも気の毒な気がして、斎は受け取った。
久松は、他に土産として、牡蠣の燻製と、もみじまんじゅうを持ってきた。その他、斎と食べるために食べ物をどこかで仕入れていた。
「これ、全部酒のつまみだよな。酒は出せないぞ」
「飯代わりになるか思うて、買うてきたんじゃけえ」
斎は笑ってしまった。どうも彼を憎みきれない。
「どれだけ貧乏と思っていたんだよ」
久松は、そのほかに、ピンクコンパニオン代を現金で持ってきた。
相場を調べたらしく、割り勘で大体一人分に当たる金額である。友人から現金を貰うことに斎は躊躇いを覚えたが、代金の支払いだ、と言い張る久松に押され、最後は受け取った。
正直なところ、現金が手に入るのは、ありがたかった。
それから、家に買い置きの菓子とペットボトルの茶を持ち出し、斎の部屋で広げた。
「金はかかったけん、ありゃすごかった。ええ思いさせてもろた」
久松は、熱海の記憶を反芻し、酒もないのに酔ったような目つきをした。
彼は金を支払ったが、花頭たちから未だに精算の話はない。ならば、彼らには尚更好評だったろう。斎は少しく報われた気になった。せめてもの慰めである。
「もう二度と貸さない。親にもきつく言われた」
「悪かった。じゃけん、芦足が幹事の時にゃあ、貸さん訳にいかんのじゃないか」
久松に言われたくない。しかし、斎も懸念していたことだった。平方の企画に貸し出して、自校の企画に貸さないのは、道理が通らない。
「その前に、辞められるといいんだけど」
「斎、辞めたいのか?」
あれ以来、芦足の幹部から音沙汰はない。しかし斎には、今回の件が、代表である棚沢の気に入らない、と予想していた。少なくとも目をつけられた。悪い方に。
「起業にしても就職にしても、メリットよりデメリットの方が多そうだ。インカレとしては、朝陽に会えたから、もういいや」
「斎」
がしっ、と両手を握られ、斎はぎょっとして腰が引けた。ポテトチップスを食べていた久松の指先は、塩と油に塗れている。
「ありがとの。お前はええ奴じゃ。わしもお前に会えて良かった」
「こ、こちらこそ」
そこで久松が手を離したので、斎はさりげなくウェットティッシュで手を拭った。久松は、酒がなくとも酔えるタイプのようだ。つまみで酔えるのだろうか。
「でも、辞めるにしてもお金がかかるんだよな、確か」
「金だけじゃない。代わりも見つけにゃいけん」
「だよな。今から入る奴はいないだろうから、次の新入生を狙うしかないな」
斎は自らの入学時を振り返って、嘆息した。新入生には気の毒だが、せめてなるべく裕福そうな子を誘おう。誘った先輩も、斎と似た心境だったのだろう、と今になって思い当たる。
それからしばらく食べることに専念した。小腹が空く時間で、目の前に軽くつまめる物があれば、つい手が伸びる。どうせ今日は、夕食が遅くなるのだ。斎は久松が買ってきたつまみも、遠慮なく食べた。
「金といやあ、碰上大学に埋蔵金伝説があるやら言いよったな。爺さん、あの話が始まると長いんじゃ」
久松が、一応指先をティッシュで拭ってからスマホを取り出したのを見て、斎はほっとする。汚れた手であちこち触られては、堪らない。
「碰上大学 埋蔵金‥‥あ、これか」
見せてきたスマホの画面には、オカルト系で有名な雑誌の表紙と共に、埋蔵金伝説を紹介する記事があった。
埋蔵金伝説は全国各地にある。よく取り上げられるのは、赤城山にあるとされる徳川家のもの、その他には豊臣秀吉のもの、旧日本帝国軍のものまである。これらはいずれも未発見であるが、稀に埋蔵金が発掘されることがあり、一概に浪漫や妄想として片付けられない。
碰上大学の埋蔵金伝説は、中でもマイナーな方だった。
現在大学キャンパスとなった地は、元々さる藩の江戸屋敷であり、その藩が交易で財政豊かであったことから、埋蔵金伝説が生まれたと見られている。
埋蔵場所も特定されており、現在も当時の景色をとどめる桜ヶ池にあるという。
では、何故掘り出されないのか。
桜ヶ池には、埋蔵物を守るための何かも埋められており、正当な持ち主以外が取り出そうとすると、恐ろしいことが起きるという。
現に、碰上大学が一時封鎖された時期があったのは、表向きは学生運動によるものとされているが、本当は、桜ヶ池を掘り起こそうとした不逞の輩のせいで、何かが発動したことを隠すためであった、と記事は断じていた。
「これは、ないんじゃない?」
つい最後まで読み通した結末が、トンデモ説に終わり、斎は笑いながらスマホを返した。受け取る久松は、真剣な表情である。
「それが、爺さん当時新聞部じゃったけえ、桜ヶ池も取材しようとしたんじゃけど、部員がそれで行方不明か亡くなったかで、結局できんかった。池に何かあるなあ間違いない」
そこで斎の記憶が蘇った。まだ、斎が碰上大学へ進学すると思われていた頃、祖父から聞かされた言葉。
「それは、僕も桜ヶ池には近寄らないよう言われたから、何かあるのは間違いないだろう」
「何か、そりゃあ。ぜひ聞きたいもんじゃ」
久松のギョロ目が輝いた。斎は、しまったと思った。こうやって何気なく漏らした話で、熱海の失敗が起きたのだ。
斎がはぐらかそうとしても、久松は引かない。
素面だけに、誤魔化しが効かなかった。仕方なく、話す。と言っても、大した話はない。
「僕の先祖が、碰上のお殿様の乳母を務めた血筋で、不敬だから桜ヶ池には近寄らないように、というだけの話だよ。それから小さい頃、よく当たる占い師か何かにも言われたとかで。だったら、碰上大学へ行かない方がいいのに、そこは先祖がお仕えしたお殿様の地にある学校だから、行くのが当然という考えなんだよ。矛盾しているよね」
「斎は、やっぱりすごい奴じゃったんじゃのう。お武家様の家系か」
久松は、斎の不満をスルーした。努力と何の関係もない家系を褒められても、返答に困る。
「乳母なら兄弟みたいなものじゃけえ、もしかしたら、斎にも少しは財宝の権利があるかもしれん。お殿様の分まで横取りしたらいけんけえ、近寄るな、言うたのじゃないか」
珍説が飛び出した。冗談だろうと思って見た久松の顔は、思いの外真剣である。斎は、茶化すのも躊躇われた。
久松は確か、ジャーナリスト志望と聞いた。こんな感じで大丈夫なのだろうか、と思う反面、思い込みの強さが真実の追求に必要な能力ならば、彼に向いた職業とも言える、とも思った。
それに、何だかんだ久松は、斎から情報を引き出している。
「そうかもね」
と斎は軽く応じた。