【第6話】 琥珀の瞳とアクアマリン
再会の感激にひとしきり涙を流したあとに、ジュジュはルーランの腰の下辺りの鱗の上に座っていることに気がついた。
ルーランは岩に腰をかけており、尾びれは海水の中にあった。ふたつの繋がった円を描くようにゆっくりと動かして、ぱしゃぱしゃと碧い水をかいてる。
月の光が青銀色の髪と鱗をさらに幻想的に輝らせていた。
ふたりがいる場所は岩礁のなかの大きな岩のひとつ。波によって岩壁がアーチ状にくり抜かれた大岩の上だった。岩の表面は磨かれたように滑らかで光沢がある。
「ここは……?」
きょろきょろと周囲を見回すジュジュ。
『僕たちの休憩場所。疲れたらここで休むんだ』
ジュジュを抱き抱かかえているのは、記憶の中のルーランよりも成長した、立派な青年だった。
白く細かった腕はほどよく筋肉がつき、薄かった胸も厚みが増してたくましくなった。
尾びれはひと回りも大きくなり、しなやかな動きをみせている。
『また突然に落ちてきたね』
琥珀色の瞳は優しく微笑んでジュジュを映す。
「……落ちるつもりじゃなかったの。ここまでくればルーランに逢える気がして……」
飲み込んでしまった海水を咳と一緒に吐き出したあとは、掠れた声はもどっていた。
ジュジュはそこで言葉をきり、じっとルーランを見つめる。
「また……助けてくれてありがとう。逢えて嬉しい……」
『きみが……僕を呼んでくれたから……』
ジュジュの頬に張り付いた金色の髪を、長い指で耳にかけるルーラン。
月光の下のルーランはとても美しかった。
昔も教会に飾ってある絵画の中に描かれている天使のようだと思ったが、今はそれ以上に艶やかさを感じる。
濡れた青銀の長い髪をかきあげる仕草にも、どきっとする。
いち度意識をしてしまうと鱗の上に座っていることや、裸の上半身と密着していることが急に恥ずかしくなった。
頬が熱くなる。身じろいで背中を向け、ルーランの腕の中から逃れようと身体をよじる。
『どうしたの? また海に落ちてしまうよ。それに濡れてしまったから寒いでしょう?』
今度は背後から腹部に回った腕に、ぎゅっと引き寄せられる。
さっきよりもさらに密着してしまい、ルーランの息が耳元にかかる。
「だ、大丈夫よ。そんなに寒くはないわ……」
『本当に?』
「本当よ。だから、ちょっと……離して?」
『イヤだ』
「……え?」
聞き間違えたかと思ったジュジュに、はっきりとルーランが告げる。
『やっと逢えた。どんなに逢いたかったか……。もう絶対にきみを離さない』
熱を含んだせつない声。
回された腕は、さらにジュジュを引き寄せて抱きしめる。
「ルーラン……」
斜めに見上げた先の、琥珀色の瞳は甘く蕩けてジュジュを見つめた。
どちらからともなく瞼を閉じる。ルーランの顔が近づく。
ジュジュの唇に熱くやわらかなルーランの唇が触れた。ジュジュの腕はルーランの後頭部にゆっくりと回されてゆく。
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『ここを触って』
空は濃紺から薄い紫色へと変わっていた。星と月も空に還り白くなる。水平線から橙色の太陽が顔を出すころに、ひとときの微睡みから覚めたジュジュの手をルーランが導く。そこは腰の辺りの鱗。ジュジュの指先に触れた箇所には、鱗がいち枚分だけなくなっていた。
「ここって、もしかして……?」
ルーランは微笑んで肯く。
『ジュジュにあげたから。……僕たちはね、大切な人に自分の鱗を渡す習慣があるんだ。お互いにどこにいても相手を感じることができるように。僕はね……ずっとジュジュを感じていたよ』
青銀色の鱗に触れるたびに増したルーランへの愛おしさ。
それは人魚ではないジュジュにも受けとることができた、ルーランからの想いだった。
「……わたし、ルーランと別れてから何年も海にくることができなかったの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに瞳を伏せたジュジュに、ルーランは『いいんだよ』と首をふる。
『僕だって……。僕たちの種族はね、本当は成人するまで国の海域を出ちゃいけないんだ。だけど僕はどうしても外の世界が見たかった。大人の目を盗んでは遊びに出ていた。あの日もそうだった。そうしたら、海の上から太陽の髪の色をしたとっても可愛い女の子が落ちてきた……』
ジュジュの金色の髪を愛おしそうに指先に巻く。
『でも、ジュジュを送って帰ったら僕が抜け出しているのに気づかれていた。そのうえに大切な鱗もなくなっているのが見つかったから。それから僕は掟を破った罰として、国の外に出ることができなくなった……』
「そうだったのね」
ジュジュが海に近づくことができなかった期間に、ルーランも国を出ることができなかった。そのことにジュジュは安堵した。
姿を見せないジュジュをひとり待つルーラン。そんな哀しい思いさせて浜辺に残すことがなくて、ほっとしたのだ。
「……じゃあ、どうして今日はきてくれたの?」
『僕の鱗が近づいてくるのを感じたんだ。きっとジュジュだと思ったら……いても立ってもいられなくなって、振り切って飛び出してきた』
ルーランの頬を撫でるジュジュの手をとる。
『でもそれでよかった。またきみが落ちてきたし……今はこうして僕の腕の中にいる』
琥珀色の瞳にジュジュが映る。
握ったジュジュの手に口づけるルーラン。
波の音にまぎれるように囁く。
『愛してる。ずっと……ずっと愛してた』
「わたしもよ……ずっとずっと、最初に会ったときから」
アクアマリンの瞳にルーランが映る。
ふたりの影がゆっくりと重なると、のぼりはじめた目映い朝の光の中に融けていった。
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「おとうさん! ほら、あれみて!」
元気な子どもたちの声が甲板に響く。
「どれどれ? なにを見つけたのかな?」
ミラジは子どもが指をさす方向に目を凝らした。
碧い波の間から、青銀色の鱗が眩しい陽光に反射して輝る。
「ふむ。イルカだな」
「えーっ! そうなの?」
「もっとちかくでみたいよお!」
興奮する子どもたちを微笑ましく眺める。
「あなた! お義母さんたちが呼んでるわよ。子どもたちはわたしがみるから。行ってあげて」
数年前に結婚したミラジの妻が甲板に出てきた。
「わかった。今行くよ」
夏の陽射しの下で煌めく海。
眩しくて帽子を目深にかぶり直す。
「あ、おかあさん、いつしまにつくの?」
「もう少しよ」
パラソルを持った妻は子どもたちと並んで海を見ていた。
島に着いたらもっと驚くだろう。
心の中でその光景を想像する。つい、表情が緩んでしまう。
もう何年も前に、結婚を嫌がったジュジュが家出をした夜。船に乗り込んだジュジュは、再び甲板から昏い海の中へと落ちていった。
ミラジはすぐに船員を呼び救命具を投げ入れ、ボートを出して夜通し捜索するも、ジュジュは見つからなかった。
ミラジは己の行動を激しく悔いた。
もっとジュジュの気持ちを聞いてやっていればよかった。どうして、驚かせるように手を伸ばしてしまったのか……。
真っ暗な絶望に押し潰されそうなミラジを乗せた船が朝に島に着くと、港でジュジュが待っていたのだ。
これ以上はない歓喜と混乱のうちにいるミラジの手を引いて、ジュジュは海が入り込んだ入江の洞窟に連れてきた。
そこでミラジが会った彼は……。
それからいろいろなことがあった。
ジュジュと一緒に両親を説き伏せ、ジュジュは島に住むことになった。
ルーランの親族とも何度も話し合い、彼も島の周辺の住人となった。
今のところはジュジュとルーランのことは、どちらの国にも公にはされていない。
だが、いつかは……。
ルーランとジュジュの子どもたち、私の子どもたちが成長して、そのまた子どもたちが大きくなるころには。もしかすると国交が結ばれているかもしれないな。
そんなことを考えながら、ミラジは彼を呼ぶ両親に「今行くよ」と答えた。
夏の陽射しを反射する目映い波間には、青銀色にも虹色にも輝く光がいくつも散っていた。
【END】
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