甘く、ほろ苦い婚約者
学園卒業後、二人がロナリア両親と滞在しているタウンハウスでのやり取りのお話になります。
※ややお砂糖注意。
「あれ? リュカ、紅茶にお砂糖は入れないの?」
メイドが淹れた紅茶をそのまま口にしようとしていたリュカスの行動をロナリアが、不思議そうに見ながら声を掛ける。
「うん。今は砂糖を入れないで飲む事の方が多いかな?」
「そうなの? でも子供の頃はリュカも紅茶にたくさんお砂糖を入れていたよね?」
そう言って、ロナリアは自分の紅茶にティースプーンで山盛り二杯の砂糖を入れて、かき混ぜる。血筋なのか……幼少期からロナリアは、母レナリアと同様に甘い物に目がない。当然、紅茶にも砂糖を多く入れる。
「あー……そうだったね。でも僕の場合、成長するにしたがって味覚が変わってしまったみたいで……。今は甘い物が、少し苦手になってしまったんだ」
「ええ!? そんな事あるの!? 子供の頃、あんなにケーキとか好きだったのに……」
「不思議だよね。でも逆に苦い物は平気になったみたいで……。ほら、最近国外から入ってきた豆を焙煎して淹れるコーヒー……だっけ? 少しほろ苦いけど香りがとてもいいし、眠気覚ましにもなるから、よく職場で飲んでるんだ」
「コーヒーって……香りは香ばしいのに見た目が真っ黒で、凄く苦い飲み物でしょ? 私……あれ、お砂糖とミルクをたっぷり入れないと飲めない……」
「ロナは、かなり甘党だからね。コーヒーの苦さは少し厳しいかも」
そう言って苦笑しながら、砂糖が入っていない紅茶をリュカスが口に運ぶ。
その余裕がありそうな様子をロナリアは、羨むようにジッと見つめた。
魔法学園を卒業した二人は、それぞれ違う職に就いている。
リュカスは、学園在学中からスカウトされていた第三王子エクトル付きの側近に。
ロナリアは、自身では使えもしない湯水のように膨大な魔力を有効活用する為、学園と同じ敷地内に設立されている魔法研究所の魔道具開発部で、開発された魔道具に魔力を注入するという仕事に携わっている。
だが、二人のそれらの仕事は二年だけの期間限定のものである。
二年後、リュカスがロナリアに婿入りするという形で挙式し、二人揃ってアーバント領に帰る予定だからだ。
ちなみに何故、挙式が二年後かと言うと……初等部からリュカスの学友でもあり、現在の彼の上司でもある第三王子エクトルが原因だったりする。
エクトルも学園卒業後は、婚約者であるティアディーゼの許に婿入りする形で臣籍に降下し、婿養子としてオークリーフ家の次期侯爵となる予定なのだが……。
現状、溜まっている公務が多い為、婿入りは公務をある程度片付けてからにして欲しいと、王太子でもある長兄から懇願されてしまい、婚礼を二年ほど先送りにされてしまったのだ。
その為、側近として決まっていたリュカスもとばっちりを受けてしまう。
表向きは、優秀な側近でもあるリュカス達の子供との縁付けを視野に入れている為、挙式時期を合わせて欲しいという上司でもある第三王子からの要望があったという事になっているが……。
実際は、自分が挙式を延期されているのに部下であるリュカスが新婚では、面白くないという八つ当たりに近い理由だったりする。
リュカスにとっては、職権乱用とも思える上司からの理不尽な要望なのだが……。
ロナリアにとっては、高等部二年頃から突如として溺愛ぶりを惜しみなく発揮してくるリュカスに戸惑っていた為、その溺愛を受け止める為の心の準備期間を二年も得られるエクトルの要望は、非常にありがたいものだった。
だがその反面、弊害も出てしまっている。
挙式を二年先延ばしにされたリュカスの溺愛行動が、緩やかに悪化しているのだ……。
学園在学中のリュカスは、例のカオスドラゴンに襲われてから、常にロナリアと指を絡めるように手を繋ぎ、膝枕頻度がかなり上がった。
卒業間近になると、魔法騎士の実践演習時に必ず枯渇するまで魔力を大量消費し、故意に即効性のある口付けによる魔力譲渡を希望し、ロナリアとの距離間も無駄に近くなってしまっている状態なのだ。
何よりもロナリアが困惑しているのが、ここ最近リュカスのキラキラ度合が急上昇している事だ。
成長するにあたり、見た目に関しては大きな変化が左程ないロナリアだが……男性であるリュカスは違う。
身長はぐんと伸びてしまい、体つきも骨ばったものとなり、いつも繋いでいる手は男性特有の大きくゴツゴツしたものに変わってしまった。
美少女のような顔つきは、いつの間にか凛々しさが追加され、しかも得も言われぬ色気まで醸し出してくる……。
男性であるリュカスは、この五年間でかなり容姿に大きな変化があったのだが、ここ最近では、それだけではなかった事にロナリアが気付き始める。
先程の味覚の変化もそうだが、リュカスはふとした瞬間に内面でもかなり男性的な変化があったのだ。
幼少期の頃のリュカスは、穏やかな性格ではあったが、どこか淡々とした印象もあった。それが成長して行くにつれて、少しずつ温か味を増していき、今ではロナリアを大きく包み込むような包容力さえ感じさせてくる程になっていた。
幼い頃は、困難にぶつかっても二人一緒に力を合わせて乗り越えてきたという感覚のロナリアだったのだが……。
気が付けば、今は常にリュカスに守られている状態になっている。
『自分でもどうにも出来ない事に直面してもリュカスだったら、きっと何とかしてくれる』
そんな絶大な安心感を自分に与えてくれる存在になってしまったリュカスだが、それは同時にロナリアに寂しさも感じさせてくる。
以前は二人で悩み、考え、困難を乗り越えてきた関係が、いつの間にかロナリアが一方的にリュカスに守られるだけの関係になってしまったからだ……。
自分のすぐ隣で急速に成長してしまったリュカス。
その状況は、リュカスに置いて行かれてしまったという感覚をロナリアに与えてくる。
もう隣に並びたくても今のロナリアでは並ぶ事は出来ない……。
リュカスが自分を大切に扱い、特別な存在だと思ってくれている事はもちろん嬉しいが、昔のような対等な関係でなくなってしまった事への寂しさがロナリアにはあった。
そんな事を最近よく感じてしまうロナリアは、砂糖の入っていない紅茶を口にしているリュカスの前にカップソーサーしかない状況と、自分の前には生クリームがたっぷりと乗せられているケーキが置いてある状況を見比べた後、不満げな表情をしながらポツリと呟く。
「リュカは……ずるいと思う……」
眉間に皺を刻み、むんとした表情を浮かべるロナリアの様子を目にしたリュカスが一瞬、驚いた表情を浮かべた後に苦笑する。
そのリュカスの反応もロナリアを子供扱いしているような態度に見えてしまい、ますますロナリアは不満そうに頬を膨らませる。
「ロナ、急にどうしたの?」
「だって……リュカ、いつの間にか急に大人っぽくなっているんだもの……。ずっと私とは一緒だったのに……どうしてリュカだけ、そんなに達観した様な大人の余裕みたいなものがあるの?」
頬を膨らませたままロナリアが抗議すると、困りながらもどこか嬉しそうな笑みを浮かべたリュカスが返答に困り始める。
そのリュカスの様子に今度は居た堪れない気持ちになってしまったロナリアは、それを誤魔化すように砂糖を二杯も入れたティーカップにそっと口を付け、俯き気味にコクコクと紅茶を飲む。
「どうしてって言われても……。そもそも僕が急成長したのって、ロナの影響が強いのだけれど……」
「えっ……?」
リュカスの予想外な返答内容にロナリアがカップより勢いよく唇を離し、顔を上げる。その反応を楽しむかのようにリュカスが、にっこりと笑みを深める。
「ど、どうして私が?」
「だってロナが初等部5年くらいの時から、急に女の子じゃなくて大人の女性っぽい表情をし始めたから……」
苦笑しながらリュカスが、そう口にするとロナリアがポカンと口を開ける。
その反応が可愛すぎて、思わずリュカスが吹き出してしまう。
すると、ロナリアが再び眉間に皺を刻みながら、むんとした表情を浮かべた。
「今のリュカの反応から、その話は信じられないんだけれど」
「でも本当の事だよ? だから僕は昔、寝ているロナの頬に思わず口付けしちゃったんだから」
「その話、恥ずかしいから蒸し返すのは、やめて!」
「ええ~? 僕の中では一生大切にしたい美しい思い出なんだけれど」
「その言い方もやめて!!」
真っ赤な顔をしながらロナリアが抗議したが、明らかに面白がっている様子のリュカスは、ニコニコするだけで全く反省している様子が見受けられない。
そもそもロナリアは、リュカスがそのように感じてしまった少女から大人の女性に変化した自覚が一切ないのだ。
むしろ、このように揶揄われている状況から、子供っぽいとしか思われていないような気がすると感じていた。そんなロナリアの考えを読み取ったのか、リュカスが困った様な笑みを浮かべる。
「ロナはね、そのぐらいの頃から、ふとした瞬間に急に女の人の顔になる事が増えてきたんだよ?」
「お、女の人の顔って……。何か言い方が……」
「だってそういう言い方でしか仕様がないから……。あの頃のロナって、いつものような笑顔だけでなくて、目を細める慈愛に満ちたような大人っぽい笑みを浮かべ始めたり、驚くほど真っ直ぐな目を僕に向けてくる事も多かったんだ。それまではニコニコ顔が多かったいつも隣にいる女の子が、急にそんな大人っぽい表情をし始めたら……僕だって焦っちゃうよ」
やや照れ臭そうに口にしたリュカスの言い分にロナリアが、驚くようにゆっくりと隣のリュカスを見上げる。
「リュカも……そう感じてしまった事があったの?」
「うん。むしろロナより僕の方が先に『置いて行かれる!』って、焦り出したと思う。だって女の子って、ふとした瞬間にあっという間に大人になってしまうから……。だから初等部五年から中等部二年くらいまでの僕は、かなり焦ってロナに置いて行かれないように大人ぶっていた気がする」
「わ、私、そんな急に大人っぽくなんてなっていないよ!?」
「僕だってロナが言う程、大人っぽくなったという自覚はないよ? 多分、そういうのって、自分では気付けないんだよ。でもね……周りの人間はすぐに分かるし、とても魅力的な変化に見えてしまうと思う……」
何故か少し困惑気味な表情を浮かべ始めたリュカスは、ロナリアの顔に触れるようにそっと手を伸ばしてきた。そのゆっくりとしたリュカスの手の動きに見惚れてしまったロナリアは反応する事を忘れてしまい、そのままリュカスが頬に触れようとする動きを甘んじて受け入れてしまう。
「だからあの頃の僕は、かなり焦っていたんだ……。最初はロナに置いて行かれるという不安だけだったけれど、その後はロナが他の奴らの目に魅力的な女の子として映ってしまうんじゃないかって……」
「リュ、リュカじゃあるまいし……。私には、そんなに男の子達の目を引く要素なんてないよ?」
すると、リュカスが盛大なため息をついた後、もう片方の手も伸ばしてきてロナリアの両頬を包み込み、更に自身の額をロナリアの額にくっ付けてきた。
その近すぎる顔の距離間でロナリアが、不思議そうにリュカスを見つめる。
「ロナは確実に他の男子生徒の目を引いていたよ? でもそれを僕が全力で撥ね退けていた……。ロナは高等部に上がる前くらいから、急に距離間が近くなってしまった僕の接し方に戸惑っていたと思うけれど……。あれは僕が他の男子生徒達を牽制する為、無意識で近い距離間でロナに接していたんだと思う」
リュカスのその話にロナリアが唖然とした反応をしながら、口をパクパクさせる。そんな反応を見せてきたロナリアにリュカスは額をくっつけたまま苦笑する。
「で、でも……そんな事をしなくても、私はリュカの婚約者だって有名だったから、声を掛けてくる男子生徒なんていなかったと思うのだけれど……」
「甘いよ、ロナ。たとえ婚約をしていても婚姻まで至っていないのであれば、奪える機会があると考える人間も結構いるんだよ。でもね……」
そこで一度、リュカスは言葉を溜めた。
そして額をくっ付けた状態のまま、真っ直ぐに向けた視線をロナリアの瞳に絡ませる。
「ロナは僕の婚約者なのだから……僕のものだ」
その瞬間、ロナリアが思わず息を呑む。
今までリュカスがロナリアの事で、こんなにも独占欲を剥き出しにしてきた事がなかったからだ。
いつも穏やかな笑みを浮かべ、優しい口調のリュカス。
同時に滅多な事では動じず、落ち着いた印象しかなかったリュカスの思わぬ一面を目の当たりにしたロナリアは、射貫くような強い眼差しのリュカスの瞳に囚われたかのようにそのまま固まってしまった。
だが、ロナリアがそんな反応を見せた途端、目の前のリュカスがくしゃりと笑みを浮かべながら破顔する。
「ごめん……。ロナを物扱いした挙句、怯えさせてしまったみたいで……。もしかして今の僕、ちょっと怖かった?」
「そ、そんな事ないよ? リュカが穏やかだって事は、ずっと一緒にいる私が一番よく知っているもの!」
「ありがとう。でもロナのその僕に対する信頼感って、凄いよね?」
「そ、そうかなー。それを言ったらリュカの私に対する甘やかしも凄いと思うけれど……」
「だってロナ、可愛いから」
「ま、またそういう事をサラリと言うー……。恥ずかしいから、やめて!」
「ごめん。無理」
そう言ってリュカスが苦笑した瞬間、何故かロナリアが身構える。
両頬を包み込んでいるリュカスの手に少し力が入ったからだ。
「ロナ……」
「ダ、ダメだよ!? 今のリュカは全く魔力不足ではないでしょう!?」
「この状況で、それはないと思うんだけど……」
「ダメったら、ダメ!!」
必死でリュカスの両手を頬から外そうとロナリアが奮闘をするも全く外せず、しかも徐々にリュカスの顔が近づいて来る……。
先程のリュカスが、ふとした瞬間にロナリアが大人っぽくなると称していたが、それはリュカスも同じなのだ。ほんの些細な切っ掛けで、甘くとろけてしまいそうな溺愛行動を始めてしまう。
しかもとんでもない色っぽさまで醸し出して……。
ロナリアが抗おうと奮闘するも心のどこかで期待もあるからか、その抵抗は自然と弱々しくなってしまう。
それを知っているのか、リュカスの方はすでにロナリアの中で受け入れ態勢が出来ていると判断しているのだろう。遠慮もせずにロナリアの唇を目掛けて、自身の口を半開きにしながら近づけてくる。
甘い雰囲気をダダ洩れさせながらも、一切見逃してくれなさそうなリュカスの態度にロナリアは、すぐに屈し始めてしまう。
しかし、二人の唇が触れるその寸前……いきなり鋭い声で邪魔が入った。
「リュカス」
地を這うような低い声で名を呼ばれたリュカスが、ロナリアからゆっくり距離を取りながら、その声の主の方へと視線を向ける。
そしてニッコリと微笑んだ。
「おかえりなさい。ローウィッシュさん」
「ええ!? お、お父様!?」
何とそこにはロナリアの父であるローウィッシュが、いつも以上に鋭い光を宿した瞳でジッと二人の事を見つめていた。
「魔法騎士科の定期講師は、もう終了したのですか?」
「ああ……。最近の学生は骨が無さ過ぎるから、すぐに終わってしまった。そうだ、リュカス。お前も今から手合わせをしてやろうか? 学園を卒業してしまってから大分、体がなまっているだろう? この際だから徹底的に稽古をつけてやるが?」
「私情が入っていそうなので、今日は辞退させて頂きます」
珍しくリュカスに対して刺々しい口調をしている父親にロナリアが顔色を失ったまま、恐る恐る尋ねる。
「お、お父様……いつから、そこに……?」
「お前達が額をくっ付け始めた頃からだが?」
「そんなに前からっ!?」
「リュカスは気付いていたぞ?」
「ええっ!?」
父の言葉に勢いよくリュカスに視線を向けると、リュカスが今日一番の笑みをにっこりと向けてきた。
「リュカ……。私の事、揶揄ったでしょう!!」
「そんな事ないよ? ローウィッシュさんが止めなければ、あのまま決行する気満々だったよ?」
「それはそれで問題あるから!!」
「えー……? 婚約者なのに?」
「婚約者でも!!」
仲睦まじそうにじゃれ合っている二人の様子にローウィッシュが呆れ気味な表情を浮かべた。だが、急に真面目な表情になり、リュカスの名を呼ぶ。
「リュカス」
「はい」
「節度ある関係……な?」
「…………はい。やり過ぎて、すみませんでした……」
最後に釘を刺されてしまったリュカスは、叱られた子犬のような上目使いをしながら、ローウィッシュに悪ふざけをし過ぎてしまった事を謝罪する。
そんな未来の義理の息子の様子にローウィッシュの口元が微かに緩む。
「それと私の事は義父と呼ぶように」
「はい。義父上」
そんな二人のやり取りを眺めていたロナリアは、やはりリュカスはずるいと思ってしまった。
通常であれば、父親の前で堂々と娘に口付けをしようとする男など、怒鳴られてもおかしくはない。だが、父ローウィッシュは幼少期の頃から、リュカスがお気に入りなのだ。
その事を改めて実感したロナリアは、声を大にしてリュカスに抗議する。
「リュカは、ちょっとあざと過ぎると思う!」
「そうかなー。ロナには言われたくないんだけどなー」
「何で? 私、あざとくなんてないよ?」
「ほらー……。そういう無自覚なところー」
そんな二人の会話を「どっちもどっちだな」と思いながら聞いていたローウィッシュは、二人に気付かれないようにこっそりと笑みをこぼした。
以上で番外編『甘く、ほろ苦い婚約者』は終了です。
次話は卒業後のリュカとロナのお話になります。(全三話)
引き続き、番外編をお楽しみください。