SEIS
みずほからまたメッセージが来たので僕は205号室に向かった。扉の前でカメラアプリを起動して動画を撮り始めた。ガラスから覗くとストーカーがみずほに何か叫んでいるようだった。そして彼がみずほの手を掴んでソファに倒したところで僕は扉を勢いよく開けた。
「何やってるんですか!警察呼びますよ」
ストーカーは僕の登場に驚いて怯んだ。そして僕が撮影していることに気付くと激情して掴み掛かろうとしてきたので左手に持っていた催涙スプレーを吹きかけた。みずほはフェイスタオルで顔を覆ってから僕の後ろまで飛び出してきた。
僕は男が目を何度も擦っている間に彼のジーンズのポケットから財布を抜き出して中身を確認した。
「怖かった、この人に酷いことをされそうになって」
「花乃子ちゃんッ!なんでもするって言ったじゃんか!君のお母さんのこと、バラしても良いんだよ?」
「今、録画してますよ?築馬東さん。へぇ、吉友電工にお勤めなんですね。エリートじゃないですか」
「脅すつもりか?僕はただ花乃子ちゃんと仲良くなりたいだけで…そもそも誘ったのはそっちだ!」
「この動画を警察とかあなたの職場に送ったらどうなると思いますか?あっ、消そうとしても無駄ですよ。もうクラウドにアップしましたから、あと一回タップしたら全世界に公開できちゃいます。ねぇ、築馬さん、もう彼女に近寄らないって念書を書いてくれるなら手打ちにしますよ?僕、あなたが何かすればこの動画を流出させちゃうかもしれないです」
「お前、花乃子ちゃんのなんなんだ?おかしいぞ」
「あなたに言われたくないです。さ、念書を書いてください。その姿も動画を撮らせてもらいますね?念のためってやつです」
僕は築馬に念書を書かせるともう一度催涙スプレーを彼に吹きかけて扉をしめた。目を両手でおさえる姿は酷く滑稽だった。
「上手くいったね」
「予想以上よ。それにしてもほずみ、悪役が似合ってるね。さすがあの人の子だわ」
「みずほだってそうじゃん。でも怪我とかしなくて良かったよ。警察にも行かなくて済んだし」
「わたしたち二人ならなんだって乗り越えていけるって証明されたね」
そう言って笑うみずほの顔は恐ろしいほど母に似ていた。見た目も中身も日々母に近付く姉と遠ざかっていく僕。未来の姉が怖いとこの日初めて思った。
◇◇◇◇
変態ストーカーを撃退して、僕たちには平和が戻った。僕とみずほと祖母。ずっと前から3人家族だったんじゃないかってくらいそれが馴染んでいた。帰ってこない母に怯えることは、いつの間にか減っていた。
みずほは雑誌で表紙を飾ることが増えて、専属モデルになった。お給料もかなり良くなって僕たちは随分と懐に余裕が出来た。母が勝手に使わないように現金をいくつかわけて通帳だけじゃなくタンス預金のようなものも作った。お小遣いをコツコツ貯めていたクッキーの缶はそのまま地面に埋まっている。
今の僕らはファミリーレストランで分け合いっこをせずに好きなものを頼んで、パセリやミントを残すようになった。過去の自分がこの姿を見たらきっと驚くだろう。すべてが上手くいく訳ではないけど、僕たちは今とても安定していた。
そんな平穏はある日呆気なく崩れ落ちた。季節の変わり目に祖母があまり良くない咳をした。それからすぐに倒れて、入院して、亡くなった。あっという間だった。祖母は死ぬ間際まで僕たちに謝っていた。譫言のようにごめんね、ごめんね、と繰り返した。
愛情なんて枯れたと思っていたのに、僕もみずほも顔をくしゃくしゃにして何時間も泣いた。祖母は弱い人だった。でも、悪人ではなかった。死ぬにはまだ、早すぎた。
人が死ぬと、手続きがいる。優先順位の高い死亡届、火葬申請、保険や年金の手続き、世帯主の変更意外にも細かく提出しなければならない書類があり未成年の僕たちには手に余る状態だった。
祖母が病院に入院した時、みずほが母に一度連絡をした。母は祖母の様子について聞いてから死んだらまた電話して、と言ったらしい。みずほがどっちが電話するかと聞いてきたけど僕は声変わりした声を母に聞かれたくなくて結局みずほにお願いした。
明日、母が帰ってくる。奇しくも僕の14歳最後の日だった。明後日、僕は無事だろうか。明明後日にみずほとちゃんと誕生日を祝えると良いな、と思った。
次回で最終回です。明日のお昼頃に更新しますのでよろしくお願いします。