夜行
式がお開きになると、母さんは親戚に色々と挨拶に回るために忙しく動き回っていた。
「あんたたち、先帰っといて」
そう言われて家の鍵を雑に渡される。姉さんはこっちを見ると、「行こっか」と僕の手を引いた。
葬式会場の外はもう真っ暗だった。
姉さんと僕は会場に面した道を家の方向にぽつ、ぽつと歩き出した。
葬式会場から家までは歩いて30分くらいだ。近くはないが、遠くもない。
お葬式に参列していた人の中にはタクシーを呼んでいる人もいたが、僕たちの場合呼ぶほどの距離ではなかった。それに、今はなんだか歩いて帰りたかった。それは姉さんも同じだったんだろう。二人とも何も言わずに、ただ家路を歩いた。
田舎ということもあって、この時間の車通りはかなり少ない。
静かな道を二人でゆっくり歩いていく。狭い段差付きの歩道が申し訳程度に両側にある、片側1車線の小さな道路だ。
かぼそい街灯の白に照らされて、薄暗い夜道を突き進む。今、この空間で僕たちだけが動いている。
前方で歩道用の信号がチカチカ揺らいでいた。緑が消えて赤がつく。待つ車もいないけれど、モノクロの世界でそれだけが毅然と色を主張していた。僕たちはそれに従い立ち止まった。時が止まった。
静かだ。
ふと右手に感触を感じた。ぎゅっと僕の手を握ってきたのは姉さんの左手だった。
無言で握り返す。
「私、おばあちゃんのこと、好きだったな」
音もなく信号が青に変わった。歩き出す。
「うん」
その短い返答には、僕だってもちろんそうだ、というどこか負けず嫌いのような含みがあった。
僕がおばあちゃんの家に遊びにいくと、おばあちゃんは毎回嬉しそうに目を細めて歓迎してくれた。とても素敵な人だった。運動会のかけっこで1番を取ったとき、テストで100点を取ったとき、僕が何かを報告するたびに、おばあちゃんは自分のことのように喜んで、よくやったねえ、すごいねえ、などと褒めてくれた。おばあちゃんに褒められると胸のあたりがポカポカした。きっとそれは姉さんも同じだったんだろう。
また無言が続いた。しばらく歩いていると家の近くまでやってきた。
来た道を外れて狭い緩やかな上り坂へと入る。僕らの家は山の方にある。この坂道をまっすぐ行った先。
沈黙を破ったのは再び姉さんだった。
「ねえ、ちょっと寄り道しよう」
どこに、と僕は尋ねた。秘密、と姉さんは答える。
「秘密で、とても大切な場所」
そういうと姉さんは道をそれて森の方の道無き道へと入っていく。僕もそれについていく。
初めの方こそ砂利道だったが、次第に両脇の雑草が勢力を増してきて歩きづらい獣道になった。しかも上り坂。僕は姉さんの手を離さないように強く握る。離してしまったら最後この暗い森の中の、どこかもわからない場所に取り残されてしまうような気がした。
しばらく行くと視界が一気にばっと開けた。山の中腹あたり、木が少なくなっているところにたどり着いたようだった。見晴らしが良い。葬儀場もギリギリ見えそうだ。
姉さんは空を見上げていた。つられて見上げると丸い月が明るく輝いているのが見えた。綺麗だ。
「いいところでしょ」
と姉さんが言った。僕は頷く。
また二人とも無言になる。風が草をさわさわと揺らす。
制服姿、見せたかったな、と横でポツリと呟いた気がした。聞き違いかと思うほど小さなつぶやきだった。来年から中学生になる姉さんはおばあちゃんに制服姿を見せるのを楽しみにしていた。
「学校でね、晩年って言葉を習ったの」
姉さんが口を開く。知ってる?と聞いてくる。知らない、と僕は答える。
「すでに長く生きた人が最後死ぬまでの数年のことを言うんだって」
年月を夜に例えるなんて変だよね、と続ける。
僕はさっきまで歩いてきた夜道を思い出した。とてもとても静かな夜道。何を考えて歩いていただろうか。
もう一度空を見て、月の光を瞳に映す。
おばあちゃんがいつも僕に向けてくれた笑顔がふと思い浮かんだ。そうだった。細めた目の奥はいつも輝いていたんだ。
「僕には分かる気がする」
そう答えた。
「きっと、今までの記憶を思い返しながら夜を歩いてるんだ」
さっき僕たちがそうしてきたように。
姉さんはそれを聞いて、そっか、と納得したように息をつくと、少しだけ震えた声で続ける。
「だから、みんな最後は眠って夢を見るんだね」
大切な人との思い出を、記憶を、無くさないように、大事に大事にしまうのだ。
月がにじんでいた。
首元を通り抜けた風はひんやりと涼しかった。
もうじき夏が終わる。




