塔の中のラプンツェル(4)
商店街を神戸駅に向かって辿り、左手にポートタワーの赤い鼓型のラインが見える位置で脇道に入ると 『ママの店』 だ。
優しい味わいの、リーズナブルなケーキやクッキーが人気で、セルフサービス式のイートインスペースはいつも人でいっぱいである。
ここも千景にとっての定番だが、今回はそちらには向かわず、まっすぐ進む。
昔ながらのオムライス店や瓦煎餅の店などをいくつか通り過ぎると、温かみのある木造のカフェから、コーヒーの香りがふわっと漂ってくる。
カラスとネコの線画の看板が、なんともいえず味わい深い。
「ここのコーヒーが美味しいって、最近仲間うちで評判で、1度来てみたかったんです」
店内に入ると、暗めの照明の下、手狭なフロアにアンティーク調のテーブルと椅子、書棚が詰め込まれている。
クラッシックが流れる落ち着いた空間は、小声で話をしたり読書をしたりしつつ、午後のひとときを楽しむ人々の静かなざわめきで満ちていた。
窓際のテーブルにつくと、千景はあらかじめ決めていたのか、さくっとブレンドとチーズケーキを注文した。
同じものを頼み、峻は改めて千景を見る。
普段から明るい眼差しが、今は少し緊張してこちらを見ている。目が合うと、ふいっ、とそらされてしまった。
「……怒ってる?」
「いえ……この人が私のこと好き? まじで? と、観察してただけです」
素直すぎる台詞が、微笑を誘う。
「まじで」
「もし私が、本当はイヤな子だったとしてもですか?」
「イヤな子? そうなの?」
ああ、またカウンセラーの声だ、と千景は思った。
話を聞くよ、の合図に、どこまで安心して頼って良いのだろうか。
迷いを隠したまま、窓際に並んでいる本を1冊、手にとりパラパラとめくる。
西洋陶磁の写真集を、峻が向かいから覗き込み 「これはシンプルなケーキに合いそう」 と指した。
薄紅の薔薇が繊細に描かれたマイセンの小皿だ。
「どっしりしたクーヘンなんか載せると、いいでしょうね」 答えながら、こんな瞬間が楽しいのに、と考えた。
なぜ、変わらなければならないのだろう。
注文の品が運ばれてきた。
2人はしばらく無言で、コーヒーとシンプルなケーキを味わう。
土鍋で淹れているというコーヒーの膨らみのある甘い香りと柔らかな苦味をひとくち、ふたくちと含み、千景は、やはりきちんと話さねば、と決意した。
なしくずしに恋愛するのも、気まずくなってしまうのも、嫌だ。
もうひとくち、コーヒーに口をつけて、先程の続きを切り出す。
唐突でも、続きだと、峻なら分かってくれるはずだ。
「中学生の時、1コ上の先輩とお付き合いしてて……最初は普通にしてたんですけど、段々慣れてくると、 『千景ちゃんがこんな子だと思わなかった』 って言われることが多くなって」
「まぁ、それは、お互いに遠慮もなくなるだろうしね?」
「今から考えるとそうなんですけど……ガッカリされたくなくて、彼の前ではすごく気をつけて『良い子』にしてるようにしたんです。
でも、その頃」 少し、ためらう。
あまり良くないことは、言いづらいものだ。たとえ、過去のことでも。
「パニック障害にかかって、色々と人に迷惑をかけるようになってしまいました。彼にも」
前にカウンセラーにお世話になった、と千景が言っていたのはこのことだったのか、と峻は大きくうなずいた。
「あれは急に動けなくなったりするからね。いつなるかと思うと不安も出てくるし」
「彼とはそれが原因で、別れました。今は治療に専念すべき、とか言われて振られちゃったんですけど。
それで、あの……うまく言えないんですけど、男の人もういいかな、とか」
彼との付き合いから千景が学んだことは、『人は自分にとって都合の良い人が好き』 だった。
親兄弟や友達付き合いでも 『良い子』 であることはある程度、期待されていると思う。
けれども、多くの場合は 『普通』 にしていても問題ないし、彼らの期待は大体が、応じられる範囲のものだ。
けれども、男の人が『好き』と引き換えに求めてくるものは、千景にとっては重かった。
どれだけ 『良い子』 であれば満足するのか、先が見えない。
考えるだけで息苦しくなってきて、千景は深くコーヒーの香を吸い込んだ。
「ですから、『好き』 と言ってくれるのは有り難いんですけど、その」 コーヒーをひとくち飲んで、準備する。
ここで嫌われても、まだ、それほど痛くない。
それにどうしてだか、峻には言っても大丈夫だ、と思えた。
「ご期待には添えないんじゃないかと思います。あまり 『良い子』 にしている時間が増えても疲れるので」
「…………」 峻はケーキを1切れ口に放り込み、噛み締める。
「千景さんに僕が何を期待してるのか、知りたい、ということかな?」
「そうです」
「じゃあ……」 峻はゆっくりとコーヒーを飲んだ。
千景には少し 『いい子症候群』 のようなきらいがあるのかもしれない。
『いい子症候群』 は親子関係から端を発する問題だが、千景の場合は周囲との関わり方に問題があるように、思える。
『周囲に期待される通りの自分』 であるように振る舞っているうちに、『本当の自分』 を忘れてしまったのかもしれない。
けれど、『本当の千景』もきっと、『周囲が期待する千景』と大して遜色はないはずだ、と峻は考えた。
「これまで通りで、いいよ」
「え」
千景が戸惑って、峻の顔を見つめる。
「別にこれまで通りで困っていないし。今、僕と居て、無理してるの?」
「いいえ、別に? むしろ、わがままさせてもらってます……」
声が自然に小さくなる。
考えてみれば、千景が峻とよく出かけるようになったのは、友達と過ごすよりラクだったから、という面がある。
つまりはこれまで、千景は峻を便利に利用していたのだ。
「ごめんなさい」
峻は真面目な口調で、気にしないでいいんだよ、と応じた。
「雨の日に、傘をくれたでしょう、覚えてる?」
「はい」 千景はうなずく。
あれが峻との出会いだった。
「どうして?」
「……たまたま、傘が2つあったからです」
「それだけで行動できる人が、もともと悪い子のはずがないんだよ。もっと自由にしても、大丈夫」
自信たっぷり、という感じに 「そう思わないかい?」 と尋ねてくる峻の口元には微笑みが刷かれている。
「やっぱりカウンセラーさんですね」 千景も笑顔を作った。
「でも本当はたぶん、それほど良い子じゃないと思いますよ。叔父の真似をしているだけですから、私」
「叔父さん? 立派な人なんだね」
「そうです。傘が1つしかなくてもあげちゃうような人なんです」
千景が小さい頃、千景を庇って亡くなった叔父。
彼は今でも時々、夢に現れて、人のために一生懸命に働いている。
千景の幸せを、祈ってくれながら。
だから千景も、同じようにするのだ。
「それは立派だけどね」 峻はコーヒーを口に含んで首をかしげる。
「もっと千景さんらしくしてて、大丈夫だと思うよ?」
「はい……ありがとうございます」
千景は峻に表情を見られないよう、軽く頭を下げた。
叔父の代わりに生きているのでなければ、自分自身に価値なんてないのだ。
けれどもそれはまだ、峻には言いにくい。
峻はチーズケーキの残りを頬張り、 「千景さんが行きたい店、大体、美味いしね」 と、のんびり笑った。
店を出て、大きな陶磁店の前を通って商店街から抜け、駅に向かう。
やや緊張気味の千景の気持ちをほぐすように、他愛ない話をしながら、峻は 『クリスマスのお話会』 の朗読を 『ラプンツェル』 に変えよう、と思った。
さて、再び元町商店街。
今回、千景と峻がお茶しているカフェは 『ノラリ クラリ』。
1階もなかなかオシャレですが、地下1階はスゴいのだとか。きいても 「今日は地下はやっていません」 と言われるので、まだ作者も入ったことはありません。
コーヒーと素朴な感じのスイーツが美味しいお店です。
そこからしばらく歩くと、商店街の道挟んで両側で店舗展開してる陶磁店『サノヤ』
飲食店用の量産食器から家庭の日頃使い、清水焼の高級品まで幅広く揃えたお店です。
2Fに上がらせてもらうと、○十万~○百万円相当の美術品に出会えます。
おっと、ちなみに『ママの店』は『ママが選んだ元町ケーキ』ですね。実は作者が勝手にそう呼んでるだけなので、通称は知りません。でも元町商店街で『ママの店 ケーキ』と聞くと知ってる人は多いんじゃないかと思います。
さて、ここで元町商店街は終わり。
紹介しきれなかったお店も色々あります。
丹波物産のお店とか、最近新しく入ってきた、サバ料理のお店にタピオカドリンク店、生食パンの店(行列できます)。
ともかくも、少しでも楽しんでいただけてたら、嬉しいです。
いつも感想下さる皆様、ありがとうございます!