塔の中のラプンツェル(3)
「本当に元気になった?」
『老祥記』を出て、レンガ調タイルで覆われた道を歩きつつ、峻は疑わしげに聞いた。
これまで頑ななまでに割勘を守ってきた千景である。
先程の 「おごって」 はどう考えても、峻のために提案したとしか思えないのだ。
『ずっと喜んでもらっていない』
峻にとっては当然で、大して重みもなく言ったことだったが、千景はもしかしたらそれを、とても寂しいこと、と取ったのかもしれない。
留学の選考から外れて落ち込んでいるのに、峻のためを考えてくれた。
それが分かった時、峻は心の底から千景を励ましたくなったのだ。
カウンセリングで相談者の話を聞き、気づきを促して相談者自身の解決力を引き出すような、技術的な方法ではなく。
峻自身の力で、千景を励まし、元気づけたい。
千景にも、心の底から峻を必要としてほしい。
……峻が、心の底から千景を必要だと思ったように。
「元気になりましたよ! ほらほら、めっちゃ喜んでますよ!」
「笑顔が嘘くさい」
「えっ……何それめっちゃショック! バイトで鍛えてるのに!」
「だって300円だし」
「値段じゃありませんよ。気持ちですよ」
峻は立ち止まってまじまじと千景を見た。
こういう綺麗事を言う人間は、そもそも苦手だ。
上辺だけは調子が良いが、腹の中で何を思っているかわからない。
でも、千景なら、信用できる。
「じゃあ、今日はもっとおごっていい?」
「えっ」 千景は慌てた。
何をしても喜んでもらえない、その寂しさがわからない訳ではないから、峻におごって、と言った (一皿300円だし)。
けれども、それと、もっとおごってもらう、というのとでは事情が違う。
以前に峻は、実家暮らしの理由を 「あまり収入がないから」 と言っていた。
ここでもっとおごってもらったりしたら、今後、スイーツ食べに誘いにくい。
「それは、申し訳ないのでイイです」
「うん、でも」 峻は千景に1歩近づいて、その手をとった。
細い指先が、きゅっと縮こまる。
「千景さんに、もっと喜んでほしいし、元気になってほしい。
僕が、そうしてあげたい」
千景の手を握ったまま、何か言い掛けて半開きになった唇に、顔を近づける。
(何する気だコラ自分)
ちらりとそう考えたが、止められなかった。
びっくりして丸くなっている黒い瞳を見て、やわらかな頬に、キスをする。
豚まんの匂いがほのかにした。
「好きだ」
「………………」
千景は、今まで峻が見たことがない顔をしていた。
表情が抜け落ち、口はぽかんと開いたまま……すなわち 『固まって』 いたのである。
(ここまで驚かれるのか……)
つまり、千景にとって峻は全くもって 『対象外』 だったわけだ。
寸前で頬キスにしといて良かった、と内心で情けなく肩を落とす。
が、現実には。
落ち込むより、この空気を修復する方が優先だ。
ここで千景に気を遣われたりしたら、立つ瀬がない。
峻は困ったように照れ笑いをしてみせた。
「ごめん、びっくりさせた?」
「………………」 なにか言わなければ、と口をぱくぱくさせる千景。
「…………それは、もう!」
やっと出た言葉がこれで、申し訳なくなってうつむいてしまう。
これまで考えたこともなかった。
製菓学校の友達に峻のことを話した時、普通に大人になった彼女らから『それはラブでしょ』とからかわれても、実感はなかった。
24歳になった今でも、恋愛したいとかしなければならない、とか思ったことはない。
千景の王子様は昔から、千景を庇って、交通事故で亡くなった叔父だ。
そして、やりたいことはたくさんある。
それで、じゅうぶんだ。
明るく良い子にして、周囲の人に喜んでもらって、楽しければ、別に男の人と付き合ったりしなくてもいい。
ずっと、そう思ってきた。
(勝手、だったのかな……)
峻を仲間だと思い込むことで、恋愛ごとになる可能性を敢えて考えないようにしてきたことに、峻の告白で気づいてしまった。
(ずるいな、私)
知らなくても問題ないから、と気持ちを知ろうともしなかった。
相手の気持ちも、自分の気持ちも。
子供の時のままの価値観でも大人になれる、と、むしろ大人になどなる必要もない、と、ずっと誤魔化してきた。
峻は良いスイーツ仲間だ。
ずっと、このままでいたかった。
けれど、友達のままでお願いします、と返事をしたところで、元の関係には戻れないことを、千景はもう知っている。
「返事は後でいいよ」 峻の穏やかな声。
聞くたびにいつも、少女だった頃に千景のカウンセラーだった先生の、快活さを装った平板な声を思い出したものだ。
「ゆっくり、考えて」
けれど今、その声は若干の戸惑いと照れを帯びているように、千景には聞こえた。
(この人も、困ってるんだ)
そう思うと、少しおかしくなった。
おかげで、次の言葉が割となめらかに出てきた。
「では、きっちり考えさせていただきます!」
峻が、千景の目をまっすぐに見て、笑う。
「よろしく」
差し出された手を握ると、ぎゅっと握り返されて、そのまま歩き出されてしまう。
「えーと、峻さん」
「なんでしょう千景さん」
「これ、道行く人々が生温かい目で見てくる案件です」
「いや?」
「…………べつに」
いやじゃない、と思うのが、手をつながれているとかえって安心してしまうのが、少し恥ずかしかった。
本編は、まだまだ元町商店街ですが。
元町商店街から見える神戸の港の建物にポートタワーがあるので、今回はこっちでも。
ポートタワー、高さはあまり、です。
むしろ、『鼓型』といわれてる美しいスタイルの方が珍しいかもしれません。
展望台に回転喫茶がありますよ。
以上。……え?以上?
あと、ポートタワーの下に見える、伸ばした羽のような白い屋根の建物は海洋博物館。川崎重工の博物館も併設していて、乗り物好きの子供をつれていくのにオススメ。夏の穴場スポットです。