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塔の中のラプンツェル(2)

 元町商店街中ほど、輸入食品店ななめ向かいの、カフェが併設された洋菓子店を指し 「ここでバイトしてるんです」 と峻に説明しつつ、千景はさっさと通り過ぎた。


「元町でも人気の店で。チョコケーキとモンブラン、特に美味しいですよ」


 また機会があったらどうぞ、と言いつつも、中に入るつもりはなさそうだ。


 そういえば、中華街で軽く食べ歩きをした時も、千景がメモを取っている気配は全くなかった。


 一体何のために呼ばれたのだろう、と不安になる峻。

 まるでデート、という考えを、頭を振って追い払う。


「今日気になる店、どこだっけ?」


「もっと向こうですよ。ほとんど出口に近い方」


「神戸から入った方が近いんじゃないの?」


「たまにはゆっくり歩いてみたいな、って」


 先ほど本髙砂屋の本店で買ったきんつばを、千景は手でキレイに半分に分けて峻に渡す。


 食べながら歩くのに抵抗はない。

 むしろ元町商店街では、それをするのが楽しいところもある。


 峻がうまそうにきんつばを頬張った。半分とはいえ、ひとくちである。

 普段は意識していないが、実は男の人なんだなぁ、と妙に関心する千景の目の前で、峻は上品な甘さのあんをぐっと飲み込む。


「学校の友達とは行かないの?」


「あー……皆、そんなに、予定合わないですね」 


 製菓学校の生徒は、それぞれに目標があり、バイトがあり、と忙しい。

 家業を手伝いながら通っている子や、コンテストを目指す子もいる。


「私なんか、のんびりしてる方で。今日はほとんど、遊びに来ただけですし」


 なるほど、と峻はうなずいた。

 平静な表情を保ちつつ、やっぱりデート、と考えずにはいられない。


「若い子ならモザイクの方が好きかと思ってたよ。学校も近いだろ?」


「モザイク……」 千景が首をかしげる。


 どうやら、インスタ映えするパンケーキの店や華やかなジェラートショップには、あまり興味が惹かれないらしい。


「確かに海も見えるし、キレイですけどね。船にも乗れるんでしたっけ」


 今度乗ります? と尋ねる声が、珍しく、いかにも 『調子合わせてます』 という感じだ。


 峻はしばらく迷ってから、尋ねた。


「なにか、あった?」


 割と勇気の要る問いだったが、千景の耳には入らなかったらしい。


「豚まん、大丈夫ですか?」


『老祥記』 と書かれた小さな赤い暖簾をくぐりながら、彼女はそう聞いてきたのだった。




『老祥記』は豚まんの専門店だ。行列のできる南京町店と違い、少し離れた元町店は休日も大体、空いている。


 簡素な椅子とテーブルの並んだ狭い店内に入るなり、「2皿」 と注文して腰かける。


 程なくやってきたのは、小さな豚まんが3つ盛られた皿。

 やや甘みのある分厚い皮に酢醤油と辛子を少しつけて、口に運ぶ。

 どこか懐かしさを感じる味をまるまる1個堪能したところで、千景はぽつり、と言った。


「フランス留学の選考、落ちたんです」


「留学? したかったの?」


 確か、応募はしているもののそれほど熱心でなかったような……、と峻が確かめれば、少しだけ泣きそうな瞳が一瞬、下を向いた。


「いえ、元々、学ぶだけなら日本でじゅうぶんだと思うのですよね。ただ、留学はステータスになるかな、って。就職するにしろ、お店を開くにしろ有利だと」


「だろうね」


「……そうとしか考えてなかったことが、恥ずかしくて」


 選考に通った子は皆、技能や語学はもちろんだが、憧れや熱意といったものも凄かった。

 世界で活躍できるパティシエになりたい、そう語る同級生と、自分の夢を比べてしまったのだ。


 本場で技術を学んで、仕事に役立てたい。

 ささやかな夢が、つまらなく思えてしまった。


 千景は豚まんをひとくち、かじる。


「私、あまり大きなことは考えられないんです。家族や友達が、私の作るケーキを喜んでくれるから、もっと上手くなりたいと思っただけで」


「ああ」 峻は思わず声をあげた。


『喜んでくれるから、上手くなりたい』

 それははるかな昔、峻が知っていた感覚だ。


 千景のひとことで、胸の奥がことことと鳴るような、その気持ちを、不意に思い出したのである。


「それが嬉しいの、わかるなぁ……」


 ゆっくりと涙が出てきて、慌ててぬぐう。


 今まで、忘れていた。


 ―――はるかな昔、母親にプレゼントするのは、照れくさくも嬉しいことだった。

 喜んでもらえる、ただそれだけで。


 ……いつから、それが、母親(まじょ)の機嫌をとるためだけの貢ぎ物になったのだろう。―――


 魔女に囚われたヘンゼルが、食われないよう骨を差し出す時のような気持ちで、ケーキやクッキーを買うようになったのは、いつからだったろう。


 それが母親にとって、喜ぶべきものでなく、ただ、息子からの愛情を確認するためのツールになったのは、いつからだろう。

 食べずに置いておくことさえあるくせに、土産がなければ不安になるのだ。


 そして、あの呪文を吐く。


『あの日、あなたが熱を出したからって慌てなければ、私は……』


「あの、峻さん?」 戸惑った声で、我に帰る。


「大丈夫ですか?」


「ごめん、急に」 もう1度涙を拭い、なんと言い訳しようか、迷う。


 千景さんが気の毒で、と言ってしまえれば、峻自身の弱さを見せずに済む。


 しかし、それはあまりにも唐突だし、誠実ではない。


「……昔は僕も、人に喜んでもらうのが嬉しかった時があったな、と急に思い出して」


「今は? 嬉しくないんですか?」


「忘れちゃったな。ずっと、喜んでもらって、いない」


 それに今もし、母親がはるか昔のように喜んでみせたとしても、それを嬉しいと感じることは、もうできないだろう。


 母親(まじょ)が息子や夫に望むのは、暗い森の奥に一緒に囚われることだけ。

 そうと悟って以来、彼女の一挙一動が、憎しみの対象でしかない。


 しかし、そこまで言うのはさすがに憚られて、峻は黙って豚まんにかぶりついた。

 小さな豚まんはもう、少し冷めかけている。


「だったら私に、豚まんおごってくださいよ」 殊更に明るい口調。


 顔を上げた峻に千景は、豚まんに辛子だけをつけながら、笑みかけた。


「選考落ちて可哀想だから、豚まんおごって元気づけてください。そしたら、私、めっちゃ喜びます!」

千景ちゃんのバイト先モデルは、元町商店街にあったパティスリー『グレゴリー・コレ』

行きつけのお店だったのですが、移転しました(爆)


さて話題にチラッと出てきた『モザイク』は海に隣接したショッピングモール。

飲食店が多く、ちょこちょこと雑貨店。

観覧車あり、近くには神戸港周遊船の船着き場もあります。作者はごくたまに船に乗りに行きますよ。

うーーーみーーーっ!

近くに煉瓦倉庫を利用した飲食店が数軒。

港を眺めながらのあれこれを楽しみたい人にはおすすめのエリアです。



話は変わりますが、三宮の高架下エリア。

数名の方からリクエスト(?)いただいて、はじめて 「をを!あそこ観光地だったのか!」 と気づきました。


えーと、「ヘンゼルと森の魔女(4)」でちらっと触れた、阪急三宮周辺の昔たぶん繊維街だったあたり、というのがちょうどその辺。たぶん。

昭和の匂いあふれる裏通りですねー。

オススメはパン屋、それに古本屋。

布屋で扱ってる布は割と普通です。


※ 12/22 誤字訂正しました。報告くださった方、誠にありがとうございます! m(_ _)m

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【シンデレラ転生シリーズ】

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©️バナー制作:秋の桜子さま
― 新着の感想 ―
[良い点] 甘党のボンクラですが、なぜかモンブランだけは幼い頃より受け付けないのです――って、これ「良い点」とはまったく関係無いっすね、しまった失礼。 峻の中での、「贈る」という行為への思いの変遷が…
[一言] >チョコケーキとモンブラン特に美味しいですよ モンブラン「が」もしくは句点? 無くても会話だと普通に聞こえますが。 それにしても、スイーツ友達はいいですね。自分は美味しそうなフレンチトースト…
[良い点] 事あるごとに『母の声が響く』……うわあああ!w しかしそんなものは『客観的事実ではない』と判断し、一歩を踏み出した俊くんに安堵しました。 心の中の魔女に囚われている俊くんですが、千景さんの…
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