ヘンゼルと森の魔女(3)
日曜日の午後3時。
三宮は、これでもかというほど人に溢れている。
峻はほかの待ち人たちと同様、改札を出てすぐ、駅前を一望できるデッキの壁に寄りそうようにして、彼女を待っていた。
母親のいる家に居たくなく、早めに出たので待ち合わせにはまだ時間がある。
しかし、同じ神戸でもかなりのんびりしている、須磨区のベッドタウンに暮らす峻としては、三宮の街を無駄にうろつくのは避けたかった。
暇潰しに、ラインを立ち上げて、彼女とのやり取りをもう一度、確認する。
そっけない程に短い文章に、かわいらしいスタンプが添えられて並ぶ。
これが、現代の女の子というべきか、なんとも華やかな画面だ。
峻と年がさほど離れているとは思わないが、両親や数少ない友人たちとのやり取りとは、隔世の差があった。
=10月29日(土)=
千景
『千景です』
(よろしく、と、猫が丁寧にお辞儀しているスタンプ。)
峻
『峻です。よろしくお願いします』
峻
『例のお店、三宮通りの、Mon Angeだった。知ってる?』
千景
(猫が『ありがとう!』という文字と一緒に跳んでいるスタンプ。)
千景
『商店街の中?』
峻
『すぐわかると思うよ』
千景
『たどり着けるといいんですけど……三宮人多すぎて。裏通りこわいし』
千景
(パンダが両膝をつきうなだれるスタンプ)
峻
『そっちは方向違う!センター街の方に出るんだよ』
千景
(了解です。と無表情の猫。)
峻
『案内しようか?』
千景
(やったぁ、とヒヨコが踊るスタンプ)
千景
(よろしく、と、猫が丁寧にお辞儀しているスタンプ。)
この後少々、予定を合わせるやりとりを経て、最後の文面はこうである。
『では明日、ミント前15時で』
(パンダが続けて並ぶ。宜しくお願いします、と、楽しみにしています、だ。)
やりとり全体を追い、最後のスタンプまで見ると、自然に頬が緩んでくる。
純粋そうな子だったし、ハンドルネームらしきものを使う用心深さからしても、誘っている、などとは考え難いが。
少しは好意を持たれているのかもしれない、と考えると、珍しいほど気分が浮き立った。
それは、母親にも伝わったらしい。
出かけに、こう尋ねれられた。
「今日はボランティアじゃないでしょう? どこ行くの?」
「友達と、ちょっとそこまで」
「女の子?」
いらっ、とする。
昔から、これだ。
素早く雰囲気の違いをかぎ分け、しつこく問いただしてくる。
楽しそうにしていては、気に触るのだ。
結局そういうことだろう、と今の峻は理解していた。
特に、女の子との付き合いは鬼門である。
正直に白状すれば、写真を見せなさいよ何という名前かしら、と詰め寄り、黙っていてもいつの間にか調べ尽くして、 「あの子はあなたには合わないと思うわ」 と意見してくるのだ。
―――学生時代、その意見を無視して付き合い続けた女の子に振られた時には、これ以上ないほど誇らしげな顔をされた。
「ほら、お母さんの言った通りだったでしょう」
その一方で 「早めに結婚して落ち着きなさいよ。お見合いはどう?」 などとも言ってくる。
母親というのは、そういうものなのかもしれない。
憎むというには足りない、些細なことなのかもしれない。
しかし、目に見えぬ埃が積もって古い床を覆い尽くしてしまうように、些細なことは積もり重なって、峻を縛りつけ、支配してきたのだ。―――
『普通の親』を装う、妙に明るく、からかうような母親の声。
「女の子なんじゃないの?ねえ?」
目の前で無邪気な表情を装っている女を、峻は平静を装い、見返す。
(この女は『森に潜む魔女』。油断してはいけない。心を打ち明けてはいけない。
断ち切り、逃げなくてはいけない)
「いや、普通の友達」
「誰?」
「大学の友達数名」
「そう、三宮だったら車の人は少し大変ね。急がないで気を付けるように、言ってあげて」
きた、と、身構える。
(この女も、僕を信用などしていない。ただ、支配したいだけだ)
魔女は誰もが同情してしまうような、沈痛な面持ちで呪いの言葉を吐く。
「私があんな事故を起こした時も、あなたを迎えようと慌ててスピードを出してしまったからなのよ……」
おそらく、母親自身に『息子を支配しよう』という意識はないだろう。
ただ、悲しみ後悔しているだけだ。
そして、息子にも自分と同じく、悲しみ後悔してほしいと、心のどこかで願っている。
事故から20年近く経った今でも、なお。
だからいつも、息子を最も束縛できる呪文を使ってくるのだ。
母親自身は、後悔し心配している、そのつもりで。
「ああ、言っとく」
うなずいて峻はドアを乱暴に閉めた。
―――ここまで分かっていても、母親であるゆえに、棄てきれない。―――
「峻さん?」
遠慮がちに声を掛けられ、峻は慌てて、いつの間にかぼんやりと手に持つだけになっていた、スマートフォンをしまった。
「あ、はい」 軽く頭を下げる。
今日の彼女のスタイルは、ジーンズとシャツの上にざっくりとしたニットを羽織っただけというラフなものだった。
ショートカットに生き生きとした黒い瞳は、1度会っただけでもじゅうぶんに印象に残っている。
「千景さん、よろしく」
千景は、まっすぐに峻を見て笑い、丁寧に頭を下げた。
「こんにちは。今日は宜しくお願いします」
ラインの猫のスタンプみたいに、『ぺこり』 という文字が似合いそうな、お辞儀だった。
ミント神戸はJR、阪神、阪急、ポートライナーの三宮駅からすぐのショッピングモール。映画館も入ってます。
峻と千景の待ち合わせ場所は、2Fデッキのあたりです。
ポートライナーは無人のモノレール(?)で、ポートアイランドをぐるぐる廻っています。
人気スポットの神戸動物王国や(確か)神戸市立青少年科学館、量子計算機の京コンピューターなんかがこっちの方だったような。
コーヒー好きさんへのオススメはUCCコーヒー博物館です。