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グリム童話は夢を見せない(4)

 数日後に行われた母親(光子)の精神鑑定の結果をまず聞いたのは、峻だった。


「どうも」 案内された狭い室内で、パソコンの脇に座って待っていたのは、前回とは別の医師だった。


 その顔が見知った人物であったことに、峻は少なからず、驚いていた。


今野(こんの)さん……」


 穏やかな笑みの初老の男性は、『お話ボランティア』 の先輩である。


 ボランティアではプライベートの話をすることはあまり無く、今野(こんの)の職業についても聞いたことがなかった。


 しかし、穏やかで掴み所のない雰囲気は、確かに精神科医に多そうだ。


「やぁ。峻くん。君のお母さんだったんですね」


 彼の同僚に向かって精神科不信を表明してしまったわけか、と思うと気まずかったが、今野(こんの)は意に介していないらしい。


「この度は、本当に大変でしたね。峻くんもつらいところでしょう。

 困ったことがあれば、私かスタッフに何でも相談してください」


 自殺未遂者家族に向けてのマニュアルトークだな、と思わないでもないが、それは不快ではない。


「ありがとうございます」 軽く礼を言い 「で、母はどうだったんですか」 と結論を急ぐ。


 母親の心理状態のチェックは以前から、研究のため、と偽って行っている。

 数値自体は 『病気』 という程は高くなかったはずだ。



 精神科にかからなくても、適切なケアが受けられれば、それでいい。

 カウンセリングは大学の心理相談室の同僚に頼もう、とすでに峻は考えていた。


 しかし、今野(こんの)が口にしたのは意外なことだった。


「気分変調症、というのはご存知ですか」


「……確か、別名が、持続性抑うつ障害、でしたね」


 そっちできたか。

 ひやりとしたものを感じながらも、なるべく平坦に応じる。


「しかし、すでにお話したと思いますが、母の場合は交通事故がきっかけであり、人格(パーソナリティー)形成上の障害とは、とても……」


 今野(こんの)が、うなずいた。


「ですが、峻くんが言うように、うつというには症状が軽く、もう10年以上……20年近く、ですかね。

 続いていることを考えると、気分変調症、と判断するのが妥当でしょう。

 うつも発症しているかと懸念したのですが、()()()()()()、希死念慮もすでにないようですので……」


「…………」 どうあっても、精神科へ、ということか。

 峻はそっと、ためいきをついた。


 今野はおそらく、そうすることこそが正しいと信じ、医師と患者家族以上の間柄として、峻にそれを勧めてくれているのだろう。


 その言い分は分からないでもないが、母親がそうだとなると、それには、不安や心配しかない。


「なにぶん、1度は自殺を実行しているんです」

 穏やかな口調を崩さぬまま、追い討ちをかけてくる、今野。


「それで病気ではない、ということが、ほぼないんですよ」


「わかっています……」


 言われれば、そう応えるよりほかは、ない。


 ――― 自殺を試みた者を一律に病気とみなし、隔離して矯正することに対する違和感。

 薬物療法に対する不信と不安。

 

 それは、社会(システム)の中で正しく機能している者に対しては、説明しにくいことだった。 ―――



 敢えて不要な感情を挟まないようにしているのか、話は一見、淡々と進められた。


「入院は……拒否されているんですね」


「はい」


「……まぁ、このまま、希死念慮が見られないようなら、外来でもかまわないでしょう。

 で、治療の方ですが、近年は、気分変調症は投薬と認知行動療法の組み合わせが最も効果的、とされていましてね。

 私としては、それをオススメしたいのですが……投薬にも懸念があるようですね」


「薬物療法を全否定するわけではないですが」 前の医師に議論で勝とうとしていたことを、少し恥じつつ、峻は言い訳した。


「依存の危険性や、離脱が難しくなる可能性が大いにあるでしょう」


 今野(こんの)はうなずき、では、と提案してくる。


「薬は様子を見て、少しずつ処方することにしましょう。目立って効くものではないです。

 長い人は何十年もかかる、治らない人もいる、そういう病気です。

 成果が見られないと落ち込んで、治療をやめてしまう人もいる。

 薬は前向きに治療に取り組めるようにするための手助け、と考えていただけませんか」


 峻は、迷った。

 これまでの付き合いから、今野(こんの)は信用できる人物だ、とは思っているが、問題は、当の患者にあるのだ。


「母は依存心が強いんです」


 子供の頃はずっと、守ってあげなくては、と思ってきた。

 大人になって母親に向ける思いが拗れてからも、弱い人だから仕方がない、と自分に言い聞かせて、諦めてきた。

 そして、思い切って離れてみたら早速、自殺未遂を起こした。

 今ここで治療の方針を相談していても、母親については悪い予感しか、しない。


 峻は懸命に、訴えた。


「母は、どうしようもない人なんです。強くは、なれない」


「でしょうね」 今野がうなずき、けれど、と付け足した。


「私は、人は本能的により良く生きたい、と心のどこかで思っている、と考えていますよ」


「……それはわかりますが……」 峻は曖昧に言葉を濁した。


 人は生きたいと思っている。


 直接、クライアントにぶつけてもほぼ100%鼻で笑われる言葉だろう。

 しかしカウンセラーとしては、そう信じているからこそ、諦めずにカウンセリングを続けられる面もある。


「しかし、母は……」


 なおも逡巡(しゅんじゅん)する年若い友に、今野(こんの)は 「峻くんのお母さんも、特別じゃないんですよ」 と、告げた。


「もう一度だけ、お母さんを信じてみませんか」


 しばらく黙った後、峻はうなずき、母が同意するなら、と小さな声で言った。



 ★★★★



 母親にとって、どういう治療が最適なのか。


 ――― 今野(こんの)の言うことは、反論するのが愚かだと思える程度には、もっともだった。

 峻は、薬物療法の弊害の方をむしろ見てきたがために、いつの間にか考えが偏っていたのかもしれない。


 そうは思っても、薬物療法に完全に同意するのは、やはり躊躇があった。―――



(結局は、母親(あのひと)の選択次第なんだけど、な……)


 今野(こんの)から説明されたことのあらましは、父にラインで伝えておいた。

 近いうちに両親も、医師から治療を勧められることになるだろう。


(僕の判断が正しいとは限らないんだし……)


 不安を飲み込んで人に任せることの難しさを痛感しつつ、マンションの廊下を渡る。


 薄明かりの下、自分の靴音だけを聞きながら、千景はもう寝ているだろうか、と峻は考えた。


 それほど遅い時間ではないが、きっと疲れているはずだ。


 父や千景と相談し、交代で出来る限り母親に付き添う、と決めたものの、実際の生活はなかなか大変だった。


 それぞれに仕事をやりくりしては、病院と家を往復する。




 ――― 千景には、申し訳なさしかない。 

 付き添いを 「僕と父でするから」 と断ろうとした時には、逆に怒られてしまい、結局は巻き込んでしまったまま、今に至っている。


 もともとの性格もあってか、千景からは愚痴ひとつ出ないが、負担を掛けていることだけは間違いない。 ―――



(そんなことをさせるつもりじゃなかったのにな)


 扉に掛かる木製のウェルカムプレートを皮肉な思いで眺めつつ、鍵をのろのろと取り出し、差し込む。


 重い扉を開け、一歩、足を踏み入れる。


 その途端、ぱんっ、と小さな破裂音がした。


 峻の目の前に、細いテープとキラキラ光る紙片が飛び交う。


「…………!?」


 一瞬、固まった峻に、千景の明るい声が降り注いだ。


「ハッピーバースデー、峻さん! お帰りなさい!」


「……え……」


「忘れていたんですか?」


「いや……」


 覚えてはいたが、それどころでは、なかったのだ。


 懸念は多く、生活は忙しい。

 誰かが祝ってくれるとか、祝ってもらおうということは、全く念頭に無い誕生日だった。


 ……なのに、千景が覚えてくれていた。


「お祝いしましょう!」


 感動する暇もなく、千景がぐいっと腕を引っ張る。


 小さい子どものようなはしゃぎっぷりが、峻には嬉しかった。




 リビングに入った峻の目は真っ先に、テーブルの中央に引き寄せられた。


 そこにあったのは、小さめのホールケーキ。


「作ってくれたの?」


「はい、自分でデコレーションして、お金出して買いました」


「なにそれ」


 思わずツッコミを入れれば、くすくすと小さな笑いとともに種明かしされる。


「ホールケーキのデコレーションはまだ任されていないんですけど、事情を話したら先輩が 『研修』 してくれて」


 それを買った、ということらしい。



「結局ケーキしか、お祝いがないんですけど」


 申し訳なさそうな千景に、いやじゅうぶん、と言いかけて、峻は息を飲んだ。


 …… ふと、あることを思い付いてしまった ……



 ――― こんな時に、と自制しかけて、いや、とまた、考え直す。


 誕生日(こんなとき)でもなければ、とても頼めなど、しない気がする。 ―――



「どうしたんですか?」


 不思議そうな千景の声。


 それには答えず荷物を置くと、千景の肩を引き寄せる。


「もう1つ、プレゼントが欲しいんだけど……いいかな?」


「なんでしょう?」


「あの、いやだったら別にいいんだけど…… いや、やっぱり僕としては良くないんだけど…… 強制してるわけでは、なくて……」



 どうしても、勢いを失ってしまう物言いに我ながらイライラしつつ、峻はその願いを、やっとのことで口にした。

今話の内容については、黒鯛さまに相談に乗っていただきました。

黒鯛さま、どうもありがとうございます!



さて、今回の神戸案内は……神戸市西区!

すみません、ここ、実は砂礫は行ったことがないんです。

伊川谷というところに田園地帯が広がっているらしく、そこから来た朝採り野菜がスーパーや八百屋に並んでいたり。

居酒屋に入ったら、メニューに伊川谷産野菜の浅漬けがあったり。


そんな関係……でしかないので(爆)


けれども、行ってみたいところはあります!

神戸ワイナリー (農業公園) !!

神戸ワインは全国でもトップレベルの美味さ!!


あと、太山寺。なんでも紅葉の名所のようですね。近場に温泉があるらしい。


最寄り駅は地下鉄の西神中央駅ですが、自動車で行った方が便利そうな予感のする地域です。

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【シンデレラ転生シリーズ】

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©️バナー制作:秋の桜子さま
― 新着の感想 ―
[一言] 時々、交通事故は加害者の方が苦しいんじゃないかって思うことがあります。きっと、世間からはなにを言っているんだって批判されるのでしょうが……読みながら漠然とそんなことを思いました。
[一言] 流石に本職には敵わない峻君でした…… 今野さんは、精神科医としては大分若いですよね。言い回しが少し誘導的な感じが特に(今の所は~すでに~とか)。 補足があるとはいえ「でしょうね」と返す精…
[良い点] 今回も、丁寧な描写と、起伏と流れのキチンとした上手い文章を堪能させていただきました。 下手をすると、ラスト前なのに動きが無いってなりそうなところですが、今野さんの登場とかで、そのあたりも…
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