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いばら姫は2度眠る(8)

 冷たい蛍光灯に照らされた白いリノリウムの床、壁際に無造作に置かれた黒のベンチ。


 地下の集中治療室から扉を2つ隔てた狭い待合室にあるものは、それだけだった。


 待合室の真ん中には衝立(ついたて)で仕切られており、人ひとりがぎりぎり通れるほどの隙間から、靴を脱いだ足が見えて、慌てて目をそらす。


 もしかしたら、泊まり込みの揚げ句、疲れて寝ている人かもしれない。


(この人のように、もっと早く気づけば良かった)


 ありったけの睡眠薬を飲んで酒瓶と共に倒れていた(光子)に気づいたのは、朝の7時過ぎである。


 ……いつから、倒れていたのだろう。

 一刻でも早く、気づくべきだった……


 自責の念を押し殺して、静樹(しずき)は願った。


(どうか、助けてください)



 ―――先ほど医師から受けた説明では、活性炭と水で胃をきれいにする措置と、点滴をして血液中の薬成分を薄めて体外に押し出す措置をしているのだという。


 しかし、それがどれほど大変なことなのか、果たして命は、助かるのか。


 静樹(しずき)には、測りかねることだった。


「旦那さんのせいじゃ、ありませんよ」


 こういうのは身近にいてもどうしようもないことが多いのです、と医師から慰められ、静樹(しずき)は 「ありがとうございます」 と頭を下げた。


 昔、静樹(しずき)も同じように(光子)(なだ)めたことを、思い出しながら。―――



 もしも(光子)がここで死んでしまったならば、きっと事あるごとに、自責の念が静樹(しずき)を苦しめることだろう。


 そして、明らかに善意ある人から繰り出される優しい慰めを、信じようと試みては失敗し、より、深い孤独を味わうことだろう。


 この後悔が、ほかの誰とも分けあえるものではないと、腹の底から、何度も何度も思い知ることだろう。



(済まなかった、済まなかった)


 扉の向こうに眠る妻に、繰り返し、謝る。


 (君を、ずっと、置き去りにしていたんだな)


 事故で人を死なせてしまった(光子)の苦しみは、静樹(しずき)には正直なところ、理解できないものだった。


 あの事故は、(光子)のせいではないと、静樹(しずき)は心から信じている。

 もちろん被害者が悪いわけでもなく、いうなれば、巡り合わせが悪かったのだ。



 ―――「君のせいじゃない」


 何度も慰め、最後は諦めて、時が解決してくれるのを待った。


 いつかは(光子)に通じる。そして、昔のように明るく笑ってくれるようになる、と信じ、それだけを期待してきた。


 妻の態度がイヤになっても、穏やかに接する姿勢を崩さなかった。

 休日にはできる限り、昔の2人が好きだったような場所へと連れて行った。

 自分が悲しくなった時は、ひとり部屋に引きこもって、堪えた。


 けれども、愛情だと信じていた己の言動は、妻を孤独へと叩き落としていたのかもしれない。


 たった今、医師の善意の言葉が、後悔を共有することを、拒絶していたように。―――



 ためいきをひとつ吐き、静樹(しずき)はスマートフォンをのろのろと取り出した。


 (息子)に連絡を取るのは、気が引けた。


 いつしか、心からの笑顔を見せなくなった息子。

 その生活が自分の若い時と比べると、あまりにも家庭に縛られ過ぎているのが気になり、自立を促した。


 実家(うち)のことは何も心配するな、と大見得(おおみえ)を切った手前、来てくれ、とは言いにくい。


(事実を伝えるだけだ)


 静樹(しずき)は、(息子)宛のメッセージ画面に、病院の名を打ち込んでいく。



 来てほしい。

 ひとりでは、この冷たく沈黙した空間に耐えられない。



 どうしても、そう思ってしまうが、同時にそれを言ってはいけない、とも考える。


(入院、だけにしておこう)


 短い文面を何度も見直し、さらに削って、静樹(しずき)はメッセージを送信した。



 ★★★★



「すぐに行きましょう」


 千景が手早く、いったん広げた弁当に蓋をし、リュックに詰めるのを、峻は恨めしげに眺めた。


「病院は帰りに寄ろう。せっかくの休みなんだから、もう少し2人でいたい」


 母親はいずれ、救わなければならない、とは思う。


 だが今、母親のために楽しみにしていた休日を台無しにされるのは、峻には腹立たしいことだった。


(もうたくさんだ)


 それは非人道的だ、と思うよりも先に、峻の中で叫んでいる声がある。


(ずっと我慢してきた、もうイヤだ、もう戻りたくない)


 その声は抑えようもなく峻を突き動かし、子供っぽくさせていた。


「緊急じゃないんだし、急がなくていいよ。きっと大したことじゃないから」


「でも、気になりますよ」


「大丈夫だって」


「…………」


 千景はしばらく考えて、口を開く。


「なら、峻さんは先に家具屋さん行っててください。私は、ちょっと見てきます。後で合流しましょう」


「…………」 今度は峻が、黙る番だった。


「いや、一緒に行くよ」 


 しばらく考え、渋々と、返事する。


 そして最後に小さく 「ありがとう」 とつけ加えた。


 母親を見棄てずに済んでほっとしているのか、それとも怒っているのか……その時に感じていた気持ちは、峻自身にも、判断のつかないものだった。




 ★★★★




『今から行く』


 送ったメッセージにすぐになされた返信は、『地下1F、待合室』 だった。


 嫌な予感を覚えつつ病院に向かい、会計待ちの列を横目にエレベーターで下へ降りれば、そこは、明るくそれなりに活気のある他の階とは全く違う世界である。


 その片隅で俯いて座っていた父は、峻たちの姿を認めると、あからさまに、ほっとした顔になった。


「済まないね、休日だったんだろう?」


 千景に向かって頭を下げる父に、峻は矢継ぎ早に尋ねる。


「母さんどうしたの? 脳? 心臓?」


「母さんはそこの、集中治療室だ。容態が安定したら、一般病室に移るそうだ。

 今は面会時間じゃないが、特別に入れてもらえるかもしれない。

 扉脇のインターフォンで、看護師さんに聞いてごらん」


 微妙にはぐらかした答えに、イヤな予感が募った。

 聞いてしまうとまた、母親に対する憎しみが募るかもしれない。




 ―――『自殺未遂』

 自殺をする人の多くは何らかの精神的疾患または、経済的な問題や虐待被害などの社会的苦境を抱えている。


 自殺未遂者の治療は外傷の治療にとどまらず、その原因となる精神疾患・社会的な苦境を特定し、適切なケアを行うことが必要となる。


 カウンセリングや治療行為を行う際、常に念頭におかねばならないのは、患者が 『死にたいほど苦しんだ』 ということである。

『甘え』 や 『身勝手』 といった断定は、決してしてはならない。


 必要なのは、同情や憐憫、評価ではなく、患者の気持ちを受け止め、共感を以て接することである。―――




 峻は教科書を頭の中で繰りつつ、質問した。


「どこが悪いんだって?」


「…………」

 父が、困ったように靴の先を見る。


「言わないと協力できないよ」


「……睡眠薬をあるだけ、置いてあった梅酒と一緒に飲んだ」


 峻は舌打ちをした。

 身内だからこその苛立ちは、教科書を復唱する程度では治まらないものであるらしい。



 ―――それが気掛かりだったからこそ、母親には小まめに連絡をとるようにしていたのだ。


 まだ、足りなかった、というのか。

 それとも予感があったのに、離れてしまった自分が、責められるべきなのか。


 ここに来てなお、「甘えるのも大概にしてほしい」 と思ってしまう自分は、人として壊れているのだろうか―――



「飲んだのは酒と睡眠薬だけだよね。ほかの薬は処方されてなかったはずだろ」


「そうだ」


「なら心配ないかな」


 父を安心させるためではなく、胸から湧き上がる嫌悪感のままに、峻はまくし立てた。


「症状は急性アルコール中毒と睡眠薬中毒ってとこだろ。

 睡眠薬より危ないのはアルコールの方かもな……母さん、ほとんど飲めないから。

 ともかく、薬物の過剰摂取(オーバードーズ)なら、死んで発見されたのでなきゃ、ほぼ助かるんだよ」


「そうか」


 静樹がほっと、息を吐いた。

 峻の中で、わけのわからない苛立ちが募る。


「後でもし、自殺を仄めかされたことがあるか、と聞かれたら、その度に止めていた、と答えて。

 相談しようと思わなかったのか、と聞かれたら、相談する所を知らなかった、と言うんだ」


「これまで、自殺だなんて……単に、薬が効かなくて飲み過ぎただけかもしれないじゃないか」


「自殺未遂なら、精神鑑定を受けて治療に踏み出せる。

 母さんは鬱じゃないな。気分障害、ってとこだろ。

 ともかく、今までは母さんが嫌がってたからケアできなかったんだ。良いチャンスだよ」


 言い捨てて、じゃあ、と帰っていこうとする峻を、千景が慌てて引き留める。


「会って行かないんですか? それにお父さんだって、ひとりじゃ大変ですよ」


「会わない。行こう」


 千景は少し迷い、それから、はっきりと首を横に振った。


「私はここで待ってます。職場に連絡して、2~3日休みをもらいます。

 峻さん、帰っててもいいですよ。お父さんも、少し休んできてください」


「「それは千景さんに悪い」」


 期せずして声が重なり、峻と父親は気まずく顔を見合わせた。


「……お母さんの入院の準備をしてきたいんだ」 父が、おずおずと切り出す。


「少しの間、いてもらってもいいかな」


 峻が仕方なく 「ああ」 と返事すると、「もちろんです」 と千景もうなずく。


「お昼も食べてくださいね」




「……ありがとう。すまないね」


 礼と謝罪を残して父親が去っていった後、千景と峻は弁当を取り出し、ぼそぼそと食べた。


「峻さん、お母さんに冷たすぎるんじゃないですか?」


 これまでしばしば感じつつも黙ってきたことだが、この期に及んでの峻の言動については、疑問を挟まずにはいられなかった。


 虐待されていたわけでもないのにしては、少し、酷いような気がする。


「……………………」

 千景の問いに対する峻の答えは、長い沈黙から始まった。


「……確かに母さんにはたくさん、世話になった。たぶん、愛情も注いでもらったんだとも思う。

 子供の頃は母さんのために生きてたくらい、母さんのことが好きだったしね……まぁ今も、マザコンだけどさ」


「じゃあ、どうして」


「今は、その頃の気持ちが全く、思い出せないから、かな」



 その時の峻の顔には、表情が全く見られなかった。


 けれども、千景は思った。


 これが峻なりの、悲しみ方なのだろう、と。

光子さんの入院先は、場所的には新須磨病院あたりになりそうですが、本編にこの病院の名が出ることはありません。行ったことないので。


取材とか……距離的には行けないことないのですが、行きにくいですよね。。。


で、神戸の病院事情でも書こうかと思ったけど、書けるほどよく知らないことに改めて気づきました。ありがたや。


入院は、下の子が肺炎起こした時だけですね。

ちなみにその時に入院した小児科は、経営事情から廃止されました。

小児科の存続が厳しいのは神戸も同じ、ですなぁ……。


さて、明るい話題。

確か新須磨病院は、映画 「スマスイ」 でも使われました。

須磨海浜水族園を舞台にした映画!

全然メジャーじゃありませんね。てへ。

けど、私は子供の頃からスマスイずっと行ってたから……予告見ただけで、なんか泣けるのです(笑)



※峻の教科書の記述について、以下の資料を参考にしています。

厚生労働省『自殺未遂患者への対応~救急外来(ER)・救急科・

救命救急センターのスタッフのための手引き~』


(作者のうろ覚え知識だけで書いていましたが、ちょうど良い資料が見つかったので改稿しました!)

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【シンデレラ転生シリーズ】

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©️バナー制作:秋の桜子さま
― 新着の感想 ―
[一言] どちらかと言えば、自分は主人公の気持ちでしょうか……逆に父親の献身的な愛情に疑問すら感じてしまう自分がいます……
[一言] 峻の苦悩は、父にも千景にもしっかりとは理解してあげられないものなのでしょう。それでも、その上で千景の行動はベストだったんじゃないかな……。 少なくとも、峻が後で後悔するような行動はとらせない…
[一言] >「今は、その頃の気持ちが全く、思い出せないから、かな」 この一文が凄く優しさを感じました。 千景さんの行動肯定派です。自分はたまに「重いわ!」とか怒られるオセッカイさんなので (;'∀…
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