いばら姫は2度眠る(3)
―――騙されているのよ。
あの子はまた、つまらない女に引っ掛かって、騙されているんだわ。
でなければ、あんなことを言ってくる、はずがない―――
息子が先日から言い出したことを思い出したくなくて、胸に渦巻くどす黒い感情から逃れたくて、光子は、ゆっくりと古いアルバムをめくる。
電気を灯けていない部屋は薄闇に浸されはじめているが、アルバムの中では、秋の1日が眩しく輝いていた。
学生時代から、山登りを通して仲良くなっていった夫と、誰よりも大切な峻の笑顔。
高尾山の鮮やかな紅葉をバックに、幸せそのものの母子。
(あの子には初めての登山だったけど、とても喜んで……どんぐりや落葉を拾おうとするから、ちっとも進まなかったわ)
あの頃は、このままずっと、普通に暮らせると信じていた。
時に悲しいことや苦しいことがあっても、愛する夫や息子と支えあって、乗り越えていけるのだと。
そして、今ある幸せを、大事に大事に守っていこうと。
そうした思いの全てが、ただの虚飾に過ぎなかったと悟ったのは、それからほどなくしてだった。
―――信号のない、商店街の中の道。
急いでいた。
保育園から息子が吐いて熱を出した、と連絡があり、慌ててパートを代わってもらった。
どんなにか不安だろう、辛いだろう、と心配し、一刻も早く迎えに行ってやりたいと、焦っていた。
速度制限を、少しだけ破ってしまった。
家族や友人と山登りをするために買った大型ワゴンからは、道に飛び出した女の子は見えなかった。
ブレーキを踏むのが、遅れた。
誰か誰か誰か助けて、車を止めて。
心の中で悲鳴をあげたけれど、誰も助けてはくれなかった。
続けて飛び出した誰かは、死んで、光子を奈落に突き落とした―――
死んだのが自分だったら良かった、といつでも思う。
それと同時に、まだ死ねない、と思う。
―――私が死んだら、峻はどうするの? 誰がごはんを作ってあげるの? 誰が保育園にお迎えに行くの?
私が死んだら、きっとあの子、すごく泣くわ。ずっと、寂しい思いを抱えて大きくなるわ。
まだ、頑張らなくては。―――
それだけを思い、必死で、なんとかやってきたのだ。
この世の中の全てが、光子1人を置き去りにして、動いていくようにしか思えないのに。
何を見ても、何を聞いても、何をしても、楽しいとも嬉しいとも、悲しいとも思えないのに。
―――心は、あの時、死んでしまったのに。―――
「母さん、きいてる?」
峻の静かな声に、光子は、はっ、とする。
―――昔の峻は、よく笑い、よく泣く子だった。
事故の後も、灰色の毎日の中で、この子だけが救いだった。
拙い文字の手紙をもらう、どんぐりをつなげたネックレスをもらう、優の並ぶ成績表を差し出される。
その度に、この子のために生きていこうと思い直し、精一杯、喜んでみせたはずだ。
この子には、私の闇を伝えないように。
なのに、峻はいつの間にか、私にそっくりになってしまった。
感情が、どこにあるかわからない。
それも仕方ない、のかもしれない。
だって、私の子供だもの。
私と、同じだもの。
そう、きっと、仕方がないことなのだ―――
それが変わるべくもない事実なのに、なぜ、と光子は訝った。
なぜ、峻はこんなことを言っているのだろう?
「引っ越しは、来週の土曜。明日は、彼女が顔合わせ兼ねて遊びにくる。15時過ぎだから、よろしく」
「引っ越し? 彼女? お母さん知らないわ」
「昨日も言ったよ。一昨日も、その前も。いい加減、覚えてくれよな」
「どうして、そんな言い方するのよ!?」 うんざりしたような物言いをされたのが、ショックだった。
確かに、聞いた気もするが。
急に 『彼女と一緒に住むから引っ越す』 などと言われても。
「あんなの冗談だと思うに、決まってるでしょう。 聞き流していた私がいけないのかしら?」
「いけないってわけじゃないけど。冗談じゃなくて、本当だから。そこはわきまえてください」
冷めた表情でいわれたのが、ショックだった。
―――これまで、峻のためにひっしで生きてきたのだ。
峻がいなければ、死んでしまいたかった。
峻だってそれを分かってくれていた。
私の言うことはなんでも、きいてくれる、優しい子のはずなのに。―――
そのはず、なのに。
光子は混乱した。
―――峻が、いなくなってしまう。
私のことは、もう必要ないの?
私はこれから、どうやって生きていけばいいの?―――
なんとか引き止めなければ、と考える。
―――ここで『物分かりの悪い母親』をやるのは逆効果かもしれない。―――
まだ、チャンスはある。
とりあえず会って、彼女の悪いところを見つけて、教えてやればいいのだ。
それでも峻が別れなければ、自分が『面倒な母親』を演じても良い。
これまでと、同じように。
―――私だって、これは、という女の子なら、邪魔なんてしないのよ。
むしろ、母としての役目が終わったと、ほっとできるはずだわ―――
でも、と光子は考える。
―――もし、 『母親が面倒』 な程度で去るような女の子なら、峻にふさわしいとはいえない。
高望みはしないけれど、せめて、私の代わりにしっかりと峻を愛せる女の子でなければ―――
「わかったわ。明日、15時過ぎね。」 パタン、とアルバムを閉じる。
「どんなお嬢さんかしら。楽しみに、しているわね」
光子は峻に、『母親』 らしく微笑んでみせた。
ちょっと久々になりました!
一応最後までできてるものの、終章は書き込み圧倒的に不足……wwworz
更新はちょい遅めになるやもしれませんが、宜しくお願いいたします m(_ _)m
さて、今回の神戸ネタは~……六甲山にしよう!
昔、六甲山ホテルが『世界一の朝食』(たぶんone of the most……的な意味合いで)と紹介されていたことがあって、その時から憧れ。
けど泊まらないんですよねー……地元民ですからねー……。
一泊しても十分に遊べる地であることは確かです。
実は六甲山牧場とオルゴールミュージアムしか行ったことがないですが(爆)、ほかに、ガーデンテラス&展望台、高山植物園、あと冬は人工スキー場ですね。
割合としては六甲山牧場でまる1日(チーズ作りの体験とかありますよ)、ほかで1日……有馬温泉まで足伸ばすと考えたら、このエリアで2泊3日はいけますかも♪




