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いばら姫は2度眠る(1)

 ウッドデッキに、まだ冷たさをはらんだ強い風が吹いて、千景は白いマフラーの中に、少し首を縮める。


 今日、峻と来ているのは垂水のアウトレットモールだ。

 ちょっとしたテーマパークといえるほど広い敷地の中に、ヨーロッパ風の建物がいくつか並んでいる。

 その1つ、『セントラル』2階の屋外展望台へ2人はやってきていた。


 海と明石海峡大橋、少し遠くに淡路島を望む、ちょっとした名所である。

 が、平日であるのと、まだ肌寒い気候のせいか、峻と千景以外の人影は見えなかった。


 そして、歓声を上げたくなるような景色にも関わらず、峻の表情はどこか緊張で固まっていた。

 2月、一緒に部屋探しをしながら過ごした日々でも、その表情はふと、出てきていた、と千景は思う。


 その都度、「やっぱり同棲やめよう」 とか言い出される気がして、話題を変えたりして誤魔化していた。


 けれども、今日は、まっすぐに 「話がある」 と言われてしまった。


 つらそうな、顔をしていた。


 別れたい、じゃありませんように、とまず、思った。

 でも先ほどまで、お互いの家に挨拶に行くための服を選んでいたのだ。


 峻は学会にも使えるから、と紺のスーツに決め、そのくせ、千景もスーツにしようとすると、「母には遊びに来る、と言ってあるから」 と反対した。


 ……なぜ、ちゃんと 『挨拶に』 と言ってくれないのか。

 という不満はあるものの、この流れで 『別れよう』 はないだろう、と思う。


 しかし峻は深刻な表情のまま、簡素なテーブルの上に温かいミルクティーを置いた。

 向かい合って座り、勧められるままにミルクティーをひとくち飲む。


「……母に、家を出ることを言っていないんだ」


 しばらくの沈黙の後、峻の口から出た台詞は、千景にとって少々、謎だった。


 それなら早く言った方がいいですね、などと答えるには、その口調も表情もあまりにも真剣である。


「はい」

 短く返事し、千景がうなずくと、峻はぽつりぽつりと話しはじめた。


「うちの母親はちょっと問題があってね。

 昔、事故を起こして、人を死なせてしまって……それ以来、しばしば心のバランスを崩しがちになる、と言えば、わかるかな」



 ―――しばしば鬱気分に襲われ、病気に近い症状を見せることもあるが、診断基準に照らし合わせればグレーゾーン。


 母親自身に自覚はなく、常に 『グッドマザー(良い母)』 であろうとしているが、そのために余計、家族は振り回されてきた。―――



 峻の説明を聞きながら、千景は驚いていた。


 峻が母親からのラインを見ては暗い顔になるのを知っていたが、まさか、陰にそんな事情があったとは。


 世に交通事故の関係者がどれほど多いのか、と疑いたくなる。


(逆の立場といえば、そうだけど……)


 千景には、峻の母親の気持ちが分かるような気がした。


 千景は被害者の身内であると同時に、加害者でもある。


(私だって、忘れられない)


 あの事故の日……千景が道路に飛び出さなければ、叔父は、生きていた。


 後悔という言葉では表しきれない、誰も裁かないがゆえに、ひとりで背負っていかないといけない、罪。


 普通に動くために、見ないふりをしていても、それはいつでも、どこまでも、つきまとう。


 そして、機会があれば、容赦なく突き付け、どこまでも暗い底に、ひとりでは這い上がれない場所に、千景を突き落とす。


 ――― オ マ エ ハ 人 殺 し ダ ――― 


 逃げようとするほどに追ってくるその声を、きっと峻の母親も、知っているのだろう。


 息を吐き、ゆっくりと、峻に答える。


「わかります」


 ―――お前は人殺しだ、生きていく価値の無い人間だ―――

 その声は、認めてやることでしか静かにならなかった。


 認め、その上で、どう生きていくか、その道筋を示してやることだけが、どこまでも追い続けてくるその声に対抗する、唯一の手段だった。


 それができたのは、千景がたまたまパニック障害の心理的治療を試みていて、カウンセラーの手助けがあったからだ。


 自覚がないのであれば、きっと、峻の母親に手助けはない。

 きっと、まだ出会ったことのないその人は、まだ、あの場所にいるのだろう。


 ―――あの、身動きもできず、何も見えない、死ぬことでしか逃れられないような気がする、暗闇の中に―――


 思い出すと息苦しくなって、千景は目を閉じ、もう1度深呼吸した。

 かぎ慣れた海の匂いが、鋭く鼻の奥を突き刺す。


(でも、泣いていいのは今、私じゃない)


「大丈夫?」 峻の気遣わしげな声にうなずくと、峻は、ありがとう、と言って再び話し始める。



 ―――母親が心の均衡をかろうじて保ってこられたのは、息子である峻を支配すると同時に、依存してきたからだ。


 母親は、峻が彼女から離れていくことを本能的に恐れ、無意識に様々な妨害をしようとする。


 家族の 『形』 にこだわり、峻がそこから少し外れるだけでも、不安を見せる。


 それが良くないことは分かっていても、峻自身がその関係からなかなか抜け出せなかった。―――



「正直、今も恐い。僕が家から離れることが、どれだけあのひとを混乱させるか、わからない。

 なかなか棄てきれなかったんだ。

 あんなのでも、僕の母親で……あのひとには僕しか、いないから」


 マザコンだろ、と峻が苦笑し、千景は静かにかぶりを振った。


「峻さんは優しい人です」


 峻の姿に、東京にいる家族の姿が重なる。


 昔、千景が峻の母親と同じ場所に囚われていた間、家族のことは全く見えていなかった。

 ずっと、たった1人で苦しんでいるのだ、と思ってきた。

 それでも家族は、そんな千景をそれぞれに心配し、支えようとしてくれていたのだ。


 それがどんなに有難いことだったかが分かったのは、パニック障害の症状が去り、たまに蘇る過去にも落ち着いて対処できるようになってからだった。


(もしかしたら峻さんも、やっぱりお母さんを支えたくなったのかも)


 それなら、最近、峻が時折見せる表情も理解できる。

 同棲は峻からの提案だっただけに、やめたい、とは言いづらいのだろう、と千景は考えた。


 ミルクティーをひとくち、ふたくちと飲んで、思いきって切り出す。


「……一緒に暮らすの、少し、待ちましょうか? お母さんが……安定するまで」


 峻と暮らすのは、単純に楽しみだったし、やめた、と言われるのはイヤだった。


『待つ』 はギリギリの答えだ。


 しかし峻は、いや、と言った。


「実家を離れることは、もう決めているんだ」


 峻には今になって、思うところがあった。


 ―――どんなにその場所が最低でも、そこに大切な人がいるならば、人は留まり続けるのではないだろうか―――


 幼い峻には、母親が、子供に関心がない人だ、と感じられた。


 (こども)を見ず、(こども)の話を聞かず、亡くなった知らない男のことだけ考えているのだ、と思っていた。


 けれども。

 ―――もしかしたら、それしか考えられない場所に母親を閉じ込めたのは、峻の存在なのかもしれない。―――


「たぶん、僕が(そば)に居ない方が、母が……回復する手助けに、なると思う」 


 棄てるのではなく、先に行って、母が再び生きる道を示したい。

 ここしばらくのうちに、峻はそう思うようになっていた。


 ―――千景は峻にとって、果てしなく続く暗闇から抜け出る光となった。

 千景と一緒に未来を夢見る、そのこと自体が、峻を、母親の作った暗い檻の中から救い出したのだ。


 けれど、救い出されてふと振り返れば、母親はまだ、その場所にたったひとりで、囚われたままだった。―――


 だから、離れはするが、棄ててはおけないのだ、と峻は説明した。


「まだどうするかは決めていないけれど……何らかの形で関わることには、なると思う。

 もしかしたら、千景さんに迷惑を掛けるかもしれない。

 もしそれが嫌なら……千景さんが別れようと決めても、仕方ないと思う」


 我ながら狡い、と峻は内心、自嘲する。

 千景には、なるべく誠実でありたいのに、こんな言い方しかできない。


 もしここで千景が別れると決めてくれたら、あのことを言わずに、済む。


 けれども何よりも、千景が、それでも一緒に居る、と言ってくれるのを期待している。


 現に。

「……どうして、そんなことを言うんですか?」


 千景の、怒りを秘めた質問に、峻は一瞬、歓喜した。


「私は、峻さんと別れるなんて、考えていません。

 峻さんのお母さんが、傷ついているなら、助けるのに、協力したいと思います」


 峻が母親のことを話してくれたのは、協力を乞うためではなく、まるで、千景を試すためであるようだ。

 そのことが、千景には悲しく、腹立たしかった。


「もし、峻さんが私と別れたくて、そういう言い方をしてるなら、それは卑怯ですよ」


「ごめん」 峻が頭を下げる。


「逆なんだ……別れたくなくて、これまでどうしても、言うことができなかった」


 追いかけてもすぐに外れてしまう峻の眼差しの先を見ながら、千景はまた、海の匂いを吸い込んだ。


 今度は、涙が素直ににじんでくる。

 その時、千景の耳に届いたのは、あまりにも意外な質問だった。


「叔父さんをはねた人の名前、覚えてる?」

こちらの世界では2020年始まりましたね!

しかし本番では、重い話がダラダラ続いてしまい申し訳ないのです。年始からこれはない、と書き直したら、より重くなってしまいました(苦笑)

なにはともあれ、今年も宜しくお願い致します m(_ _)m



さて、本編で千景さんと峻くんがきてるのは、神戸市垂水区の海沿い『マリンピア神戸』です。


三井アウトレットパークや、『さかなの学校』 という、地元に住む魚を展示している建物がありますね。

けっこう広いので、お店は目星をつけて回らないと時間がかかります。筆者は大体、子供服と靴下、夏ならついでにちょっとお高いアイスで海を眺めつつお茶、というコースですかね。

海に面したレストランもいくつかあり、気持ちよくお食事できますよ。


自分の服? 選ぶのも増えるのも面倒なので、パッと目についたものがない限りは買わないのです(爆)


初売りはたぶん1月2日から。 お近くの方はぜひ~!


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【シンデレラ転生シリーズ】

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©️バナー制作:秋の桜子さま
― 新着の感想 ―
[一言] タイトルの使い方が凄いです…… 逃れられない呪縛をグリム童話の話に置き換えて、その章の生末を暗示している…… 輪廻とでも言うんでしょうか……二人にとって逃げたくても逃げられない呪いのようなも…
[一言] 明けましておめでとうございます (`・ω・´)ゞ~♪ さかなの学校…いってみたいぎょ~>゜)))彡
[良い点] うーん、峻はちょっと卑怯なところがありますね。 しかし、あの親あってこの子ありといいますか、とても生々しく納得出来ます。 峻が千景に別れないという確約を取った上で事故の件を出すことに、千景…
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