星の銀貨(5)
ライトベージュのコートと茶色の帽子。その間をつなぐ、真白いマフラー。
山陽電鉄の少し古びた駅のベンチにぽつんと座る、いかにも頼りなげな少女めいたその姿に、峻は胸を締め付けられて、しばらく立ち止まった。
それから、また走り出す。
「千景さん」 振り返った彼女は、笑うような泣き出しそうな、そんな表情だった。
「ちょっと待ってて」
急いで改札へ回り、ホームへ続く緩い傾斜をかけのぼる。
ベンチから腰を上げて待ってくれていた千景にたどりつくと、もう1度その名を呼んで思い切り抱きしめた。
「どうして、こんな時間にきたの」
口をついて出る言葉は、あまりにも凡庸だったが、千景は気にしていないようだ。
顔を上げ、目をしっかり合わせて、照れたように笑う。
「えーと、峻さんに、詳細を伝えていなかったので」
「ラインで、って言ってたじゃない」
「ラインだと、うまく言えなかったから」
「電話でも良かったじゃない」
「うん、でも」 千景は、冬の夜風の中を走ってきた峻の頬に、そっと触れた。
「もし明日何かがあって、峻さんに一生会えなくなったら、きっと、会って直接言わなかったことを、後悔するんだろうな、って思ったから」
冷たい頬を両手で挟んで、少しだけ背伸びし、唇に唇を重ねる。
中学生の時とは違うな、と思った。
初めてのキスよりドキドキしないそれは、初めてのキスより優しい気持ちになれる……
(順番! 間違えた!)
慌てて離れようとしたら、かえってぎゅうっとホールドされてしまった。
そのまま、キスが何度も返される。
(…………!?)
湿ってザラッとした感触が唇の形を辿り、割って中に押し入ろうとしたところで、千景はやっと首を振ってそれを避けた。
「すみません、それちょっと初めてで……ここでは無理です……っ!」
必死で言ってから、しまった、と後悔した。
きっと、普通に大人になった子たちならそれくらいは、平気なのだろう。
(好きです、と伝えに来たはずだったのに……)
現実はやっぱり難しい、と、少ししょげてしまう千景に、峻はおどおどと身を縮めた。
「ごめん……ついうっかり、勝手に盛り上がってしまって」
千景に負けず劣らずしょんぼりしているらしい表情に、思わず笑いが込み上げる。
申し訳ないのと一緒に、おかしい。そして、それよりも、もっと、可愛い。
(この人を大事にしたい)
下を向いている頬にキスをすると、ほんの少しだけ伸びたヒゲが唇にチクチクと当たった。
「あのね、峻さんのことが、好きです」 手を前で合わせて、ペコリとお辞儀をする。
「慣れてませんので至らない点もあるかと思いますが、頑張りますので、宜しくお願いします」
「千景さんは、そのままでいいよ」 峻が笑った。
「むしろ、僕が頑張らないと……いろいろと」
「大事にします」
「いや、むしろ僕が、大事にするから」
峻が千景を再び抱きしめた時、ホームに最終の電車が滑りこんできた。
★★★★
(えーと、困った)
千景は学生用アパートの鍵を開けつつ、考えた。
何に困っているかというと。
千景の背後には、今、峻がいるのだ。
24歳の女性にもし、彼氏なるものができたら、その男が部屋に上がり込む程度は当然である。
知識としては、知っている。
しかし、正直な話。
今晩この時、告白した直後に、こうなるとは思っていなかった。
もっとも峻は、 「危ないから送るよ」 と至極まっとうな意見を述べつつ、ついてきただけである。
けれども、ここまで来て。
その続きを期待しない男性というものが、果たしているのだろうか?
1人暮らしを始める時に親に言われたのは、『男がトイレを借りに来たら部屋から出て待機しろ』 だった。
別に彼氏彼女という関係でなくても、そうなのだ。
もし、その関係だったならば。
それはつまり、そういうことではないだろうか。
ちら、と窺うと、峻はいかにも、のほほん、とした顔をしていた。
感情を隠して上に当たり障りない笑顔を装う、カウンセラーの顔だ、と千景は思う。
迷っている間に、鍵が開いてしまった。できるだけゆっくり、回したはずなのに。
ドアをほんの少し開いて、振り返る。
「上がっていかれます?」
なるべく平然と言ったつもりだったが、峻は微笑んで首を横に振った。
「いや、すぐ帰るよ。JRならまだ動いてるから、急げば間に合う」
「JR? 須磨海浜公園で降りるんですか?」
「そう」
峻は当たり前のようにうなずいているが、確か須磨海浜公園と月見山は、少し離れていた気がする。
「月見山のお家から、遠くないですか?」
「それほどでも。30分も歩けば、着くでしょう」
じゃあまた、と手を振った峻のパーカーの裾を、千景はいつの間にか掴んでいた。
「そんな薄着じゃ、寒いですよ。何か貸してあげます」
「……着られるかな?」
小さいんじゃない、と首をかしげる峻を、ずるい、と思う。
「……泊まって、行ってください」
「え」 やっと言えた台詞に固まったのは、意外なことに峻だった。
「それはまだ、いろいろと準備が……っ」
「……え?」 びっくりして、聞き返す千景。
「男の人にも、準備とか要るんですか?」
「それは、まぁ……」 気まずそうに峻が横を向く。
「緊張もするし、ヘタなことしてガッカリされないか、とか心配になるし……それに、その、……用意してないし……」
もにょもにょと何事か呟いて、靴の先を見詰めている。
やっぱり、かわいい。
なんだか安心して、千景はドアを大きく開けた。
「別に、何事か期待してるわけじゃないですよ」 どうぞ、と促す。
「ただ、もう少し一緒にいたいんです。お茶飲んで、ゆっくりお話するだけですから」
これまで、こういうことを平気でする友達を、物凄く大人だと思っていたが、本当の事情はこんなものなのかもしれない。
好きな人と、もっと話したいとか、そういうことの延長なだけ、なのかもしれない。
「じゃあ……おじゃまします」
おずおずと狭い玄関に足を踏み入れた峻の後ろで、千景はドアを静かに、閉めた。
ち、千景さん、それは……もうちょい考えた方が……! と叫び続けの作者。笑。
この章は場所の移動が少ないので、本編で触れていない神戸市の紹介ばかりになりそうな予感。
てわけで、今回は神戸市北区の紹介です。
北区。六甲山の北側のあたりですね。
ここは全国的に有名。
有 馬 温 泉 でございます。
有馬のお湯は『金泉』(赤茶けた鉄分の多い湯)と『銀泉』(無色透明の湯)に別れていて、旅館によってどっちかが出るはず。
日帰り施設としては太閤の湯が有名。ここは『金泉』『銀泉』の両方に入れますね。なかなか広くて過ごしやすい施設です。
あと、有馬といえば玩具博物館。
こちらも、あまり大きくはないですが、子連れなら1日遊べるボリューム。温泉目的に行くときは、玩具博物館は後にした方が良いです。
引き離すのが大変です。
有馬温泉駅の周辺には、昔ながらの温泉街が広がっており、散策も楽しいですよ。名物は温泉饅頭、炭酸せんべい……だったかな?
有馬人形筆なんかも可愛らしいお土産ですね。
ではー!
(感想返信遅れててすみません!必ずいたしますのでお待ちくださいませ m(_ _)m)




