星の銀貨(2)
正月3日の湊川神社の人混みは、なかなかのものだ。
特に3ヶ日だけ特別に行われる殿内参拝は人気で、申し込むためには長蛇の列に並ばなければならない。
初穂料とともに2人分の参拝を申し込んだ後は、参拝のための列に並ぶ。
「湊川神社は初めて?」
「はい。人が多くてびっくりしました」
「明治神宮も多いでしょう?」
「行きませんもん。母の実家に挨拶に行って、近所の小さなお宮で済ませるんです」 千景は、峻に買ってもらったお守りを眺める。
ピンクの花束の形の『しあわせ守』だ。
ちょっと可愛いな、と思って見ただけだったのに、さっと買って手渡された。
これまでのパターンだと、変に遠慮すると子犬のようにうなだれてしまうか、逆に 「僕があげたかっただけ」 的なかゆい台詞に困ってしまうに違いない。
そこで普通に礼を言って受け取ったわけだが……どうにも、居心地が悪かった。
「峻さんは、毎年、ここに?」
「いや、千景さんと一緒だから……普段は、須磨寺と、あと、多井畑って地元有名な厄神さん。そっちにはもう、1日に行ってきたんだ」
「親戚の家とかは行かれないんですね」
「東京の方で遠いし、あまり行かないな。母があまり帰りたがらない」
どうやら峻の家は、親戚と疎遠であるらしい。
余計なことを聞いてしまった、と千景は首をすくめる。
「すみません……親戚とあまり仲良くしたくないの、私も少し、わかります」
「嫌いな人がいる?」
「嫌いというか、嫌われているというか……」 言い淀んで、口をつぐむ。
正月に話せるようなことでも、他人に話せるようなことでも無かった。
峻が相手だと、どうもつい、うっかりしてしまうのだ。
「千景さんを嫌いな人なんか、いるの?」
信じられないな、と穏やかな声が笑みを含む。
「母方の祖母なんですけどね。仕方ないことなんですよ」 言いかけて、じわっと涙が出てきたことが、千景自身にも意外だった。
「小さい頃から、優しいんだけど、何か冷たい気がする、それがどうしてかわからなくて、いろいろなものをあげるんです。
おばあちゃん大好き、とかそういう手紙とか、お花とかをいろいろ添えて。
喜んで、ありがとう、って言ってくれて、一瞬安心するんだけど、すぐに、違うなやっぱり嫌われてるな、ってわかっちゃうんですよね」
「へえ……」
「理由がわかったのが……っていうか、思い出したのが、中学生の頃で、それでもう、仕方ないのかな、って思ったんですけど。
どうしようもない、ってわかると、余計に苦手になっちゃって……」
やっと、列が少し進んだ。
峻は時々相づちを打ちつつ、千景の話を聞く。
「その理由は、聞いてもいいのかな?」
「言わなきゃ、だめですか」
「いや、無理にではないけれど。もし言う方が、ラクになれるのなら、どうぞ」
カウンセラーのやり方だ、と千景は思った。
ずっと外に出すことができなくて、くすぶり続けているものを、言った方がいいような気にさせる。
千景はゴソゴソとカバンから手帳を取り出し、その最後のページを開いた。
ボールペンで走り書きをして、峻に渡す。
『4歳の時、車の前に飛び出した私をかばって、叔父(母の弟)が亡くなりました。21歳でした。
祖母は、どうしても、私のせいだと、思ってしまうようです。』
一読した峻の、穏やかな顔が沈痛なものに変わった。
(逆の立場だ……)
苦々しい思いが胸に込み上げるのを、峻は口許を少し歪ませて、耐えた。
―――10歳の頃だった。
母親の実家で、仏壇に飾られていた新聞記事の切り抜きを見て、初めてはっきりと悟ったのだ。
母親が何をしてしまったのかを。母親が変わった、その理由を。
その時に峻が憎んだのは、母親ではなく、亡くなった若者だった。
母親の車の前に飛び出した、考え無しの子供だった。
英雄になった若者のせいで、今も元気に暮らしているだろう子供のせいで。
母親はずっと、泣いているのだ。 どんなに元気づけようと頑張っても、絶対に、峻の方を見ようとはしないまま。―――
峻は黙って、「仕方ないんです、私のせいだから」 とうつむく千景を、じっと見つめる。
(まさか、千景さんが 『あの子』 の方の立場だったなんて)
今もどこかで暮らしているだろう、会ったこともない子供と、千景の姿が重なる。
母親が苦しんでいたのと同じ年月、『あの子』もきっと、この世のどこかで、傷ついてきたのだろう。
もし誰からも責められなくても、自分自身を責め続けているのかもしれない。
千景と、同じように。
奥歯で噛み締めていた苦々しい思いは、いつの間にか、消えていた。
『あの子』への憎しみ、『あの子を庇った男』への憎しみが、溶けていく。
(千景さんを好きになって良かった)
なぜ母親の前に飛び出した、と責めるより、目の前で傷つきうつむいている子供を慰めてやりたい、と思えるから。
子供の命を救ってくれた男を、心から尊敬できるから。
「昔のことだよ」
もう、憎まなくて良い。
澄んだ冬空が、目に射し込んでくるようだった。
峻は涙ぐみ、千景の頭を撫でた。
「もう、時は経ったんだよ」
大きな手が労るようにゆっくりと、髪の毛をなぞる。
それを千景は、心地良いと感じた。
「そうでしょうか。祖母はきっと、そうは思っていないですよ」
困らせるようなことを言っても、峻ならきっと、大丈夫だ。
そう、確信できる。
「私、だから祖母にはいろんなものをあげるんですよ。とても祖母思いの孫で通ってて、親戚に誉められたら 『おばあちゃん大好きだから』 って言うんです。
祖母もいかにも嬉しい、みたいな感じで調子を合わせてくれるんですけど、それだけ。
あげればあげるほど、寂しい気持ちになるんです……でも、それも仕方ないのかな、って」
「やめないの?」
「やめた方が、いいんですかね? 祖母は本当はどんな気持ちで、私から受け取っているんでしょうね?」
流れた涙を、外気で冷えた峻の指先が拭う。
頬に残ったその感触に、千景は顔を上げた。
峻が微笑み、また頭を撫でてくれる。
「お祖母さまの場合は、千景さんからの贈り物を受け取る、喜んでみせる、それが答えじゃないのかな」
「……恨んでいる子から何かもらって、喜んでみせるって、どんな気分なんでしょうね?」
「きっと、恨んでいるだけじゃないよ。僕が保証する」
「本当に?」
甘えているな、と思う。
人は自分にとって都合の良い人が好き。
その汚なさは、千景自身にも当てはまるようだった。
「……確かに、心の底にどうしても、残ってしまうものはあると思う。けど、きっと、お祖母さまは知られたくないんだよ。
千景さんが、可愛くて大切な孫だから」
大きな手が千景の頬をなで、マフラーの中に差し込まれて首筋にさわり、顎、頬へと戻ってくる。
優しい感触に、千景はほっと安心し、そしてふと、周囲の、ぬるま湯そのものの視線に気づいた。
よく考えれば、ラブシーンにも見える行為だったかもしれない。
こ の 長 蛇 の 列 の 中 で 。
「すみません」つい、と峻から離れる。
「申し訳ないんですが、まだ 『考え中』 なんです」
「ああ……ごめん」 同じく、周囲の目線に気づいた峻。
戸惑ったような、情けなさそうな顔である。
「あの……そろそろ……好きになってくれてないかな、とか……」
目をしょぼしょぼと自信なさげに泳がせるのが、可愛らしい、と千景は思った。
これでは 『いや無理だから!』 とはとても、答えられない。
冷えていても、優しく心地よい手を知ってしまったから、余計に。
「……わかりました」
「え、それってつまり?」
「詳細は、後でラインします」
千景にとっては精一杯の返事だったが、峻の目は、先程よりさらにしょんぼりと、下を向いてしまう。
「……口に出しては、言ってもらえないんだ……」
「この人混み、ですので」
「じゃあ、写真撮っていい?」
「どうしてですか?」
「先に何があっても、今日が残るように」
列が、大きく動き出す。
左手をつないで拝殿に吸い込まれながら、峻はスマートフォンを出して、右手で千景の横顔を撮った。
神戸にある神社なら、生田神社の方が有名かもしれない……? 勝利の神様だから、ではなく、藤原○香が結婚式挙げた神社だから。
「震災を乗り越えた生田さんで式を」
うん、素敵な志。その後のことはスルーしとこうww
結婚も離婚も、地元ではそこそこニュースになりました。
それはさておき、なぜ生田さんを差し置いて湊川神社にしたかというと、殿内参拝を紹介したかったからです。正月3ヶ日は、初穂料(たぶん300円くらい)を払って参拝可能。
この拝殿、天井画が素晴らしいのです。真ん中の青龍が福田眉仙、その横に棟方志功、後の人名前分からない(すみません)けど、全国の著名画家から寄贈された絵がずらりと並んでおります。
人ツメツメで、ゆっくり歩いて見て回るわけにもいかないので、オペラグラス装備をオススメしますよ。
ちなみに湊川神社は南北朝時代の英雄、楠木正成を奉った神社です。地元では 『楠公さん』 と親しまれています。
有名な 『桜井の別れ』 は大阪で、こちらはどうも亡くなったところのようですね。お墓があります。
ちなみに、前部分で千景が挙げていた、中山寺、清荒神、門戸厄神、西宮えびす、あたりは、名前は知ってる、という方も関西では多いと思います。
中山寺は安産の神様。西宮えびすは、正月行事の『年男選び』 が地元ニュースにもなっています。
ただし全部、神戸よりも東、『阪神間』と呼ばれる地域。なので名前だけにしときました(笑)
※ 12/22 誤字訂正しました。報告下さった方、誠に!誠に! ありがとうございますっ……m(_ _)m