塔の中のラプンツェル(6)
学生用マンションの狭い一室。
外の幹線道路から飛び込んでくる光と音を、青空の模様の厚地カーテンで遮って、千景はベッドに、ぼんっ、と寝転んだ。
「お兄ちゃん、どうしよう……」 枕元に飾った叔父の写真に、話しかける。
以前はそんなことはなかったのに、1人暮らしを始めて以来、妙な習慣がついてしまったのだ。
実は独り言も多い。
「今のままでいい、って言われたってことは、返事、しなくても良いかなぁ……」
いつの間にか千景よりも若くなってしまった写真の中の叔父が、穏やかな微笑みでこちらを見返す。
「でも……それって、誠実じゃないよね……だって……」
今のままで良くて、どうしてわざわざ関係を壊すようなことを言うんだろう?
はぁぁぁ、とタメイキが漏れた。
「返事、欲しいんだよね、きっと」
起き上がって、机の上に目をやる。
そこにあるのは、やや年季の入ったノート。
『パンプキン王子のお話』 とネームペンでタイトルが書かれている。
家族以外に話したことはないが、叔父は今でもまだ、千景の夢の中で生きている。
カボチャパンツにタイツスタイルの、イケメン王様になって。
『パンプキン王子の話』は、千景がこれまでに夢で見た 『王子様になった叔父さん』 のことを書き留めたものだ。
手にとってパラパラとめくる。
―――好戦的な父王に対抗すべく、策を練るパンプキン王子。
そのためにまずしたのは、婚約者であった隣国の第2王女に手紙を書くことだった。
王女を仲立ちに、隣国王とパンプキン王子は手を結ぶ。―――
「お兄ちゃんが王女様にお手紙を書いたのは、政略のため……だけじゃあ、絶対ないよね……やっぱり返事が、欲しかった?」
枕元の写真を振り返り、尋ねてみるが、昔、千景のヒーローだった 『お兄ちゃん』 からの返事は、聞こえてきたり、しなかった。
★☆★☆★
『クリスマスのお話会』 はいつもの、港に程近い児童館で行われた。
急な変更を少し迷いはしたものの、峻はやはり 『ラプンツェル』を朗読することにした。
練習時間は短かったが、だからといって変に力むのは得策ではない。
普段と同様、へその下をしっかり締め、声を前に出す。
1音1音、口をしっかり開ける。
抑揚をつけ、感情を形作る。
目はキョロキョロとさせるより、中程の誰かに向かって微笑ませた方が良い。
……が、峻の目は、朗読の中ほどから、最後列で立っている大人たちの端に、引き寄せられていた。
「……ラプンツェルは王子様と結婚して、二人の子供とともに国中の民から慕われ、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
……取り残された魔女はどうなったかって? さあて、それは誰も、知りません。」
語り終えて、峻は立ち上がり、お辞儀をする。目の端で彼女の動きを追う。
彼女は、やや早足でその場から離れようとしていた。
急がなければ、と拍手がまだ残っている中、スタッフへの挨拶もそこそこに会場を出る。
『クリスマスのお話会』 は峻のほかにも読み手が2人いるイベントだから、次の読み手にすぐ入ってもらえば、それほど変には思われないだろう。
「待って!」
児童館のイベントのお知らせやキャラクターの切り抜きが賑やかに貼られた廊下。
姿勢の良い後ろ姿を追いかける。
そのまま行ってしまうのでは、ないだろうか。
一瞬そう思った峻の前で、千景は立ち止まり、振り返った。
「峻さん」 やや緊張気味の声。
「抜けてきて、大丈夫だったんですか?」
「大丈夫、次の人が入ってるから……それより、ありがとう」
「え?」
「来てくれると思わなかった。バイト、忙しいんだろ?」
尋ねると、思わずこぼれた、といった感じの、得意気な笑みが返ってくる。
「昼休み2時間もぎとりました」
「へぇ……よく」
「一番忙しいのは24日なのと、3日間ずっと入ってるのを考慮してもらえて」
「それで、わざわざこっちに?」
「ええ。どんなことしてるか、気になったので……でも急いで、帰らないと」
一瞬、期待した峻だったが、千景には、返事をくれる気はなさそうだ。
「じゃあ」 ぺこり、と最初に会った時のような丁寧なお辞儀をして、エレベーターのボタンを押す。
「また」
「じゃあまた」
バイトを抜けて来てくれただけでも、じゅうぶんだ、と思わなければ。
物足りないが、仕方がない。
多分、自分は今、ずいぶんと間抜けた表情をしているに違いない、と考えながら、目の前で閉じていくエレベーターの扉と千景に向かって、峻は手を振った。
すると。
エレベーターの扉が、再び開く。
開ききる前に、千景が早足で飛び出てきて、峻に小さな包みを差し出した。
「差し入れです」
透明の袋に入れてきれいにラッピングされたそれは、製菓学校で作ったのだろうか。
ラインスタンプの猫が腕組みをして考え込んでいるプリントに添って丁寧なアイシングが施された、クッキーだった。
★★★★
「ラプンツェルに変えたの、ずいぶん急でしたね」
『お話ボランティア』 の忘年会をかねた打ち上げ会場は、神戸駅近くのファミリーレストランだった。
メンバーに主婦や年配の人が多いため、食事というよりはお茶、希望者だけがビールやワインを少々入れて雑談に興じ、夕方5時過ぎにはお開き、という緩い集まりである。
そこで話しかけてきたのは、児童センターで一緒に『クリスマスのお話会』を行った読み手の1人、今野だ。
「峻くん、先週まで『クリスマス・キャロル』の絵本版じゃなかったですか?」
「クリスマスですし、そちらのがウケが良いかな、と思ってたんですけどね」 峻は手にしたビールを1口飲む。
ビールはそこまで好きではないが、今日は美味い、と思った。
千景から貰ったクッキーを、皆に自慢したいが、誰にも見せたくない、そんな気分だ。
あのラインスタンプは確か 『考え中。』 ……舞い上がる程ではないに違いないが、それを言うためにあれを作ったのかと思えば、愛しくて仕方がない。
「少し考えが変わりまして……もう少しやさしい話の方が良いかな、と」
今野が峻の選択について好意的なのは知っているが、好きな女の子のことを考えているうちに変わった、とはさすがに言いにくい。
今野が苦笑した。
「『クリスマス・キャロル』の方が、タイトルからして相応しかったんじゃ、ないでしょうかね?」
「確かに……ですが」 峻はうなずき、ビールに口をつける。
今野の場合、反論はむしろ、話を聞きたがっていると解釈していい。
以前、それに気づいた時に峻が、どれだけありがたいと思ったか、今野は知らないだろう。
「僕は、グリムのラプンツェルはストーリーそのものが、祝福であると思っているんです」
今野やサークルのメンバーのおかげで、塔の外の世界に出ても、憎まれ嫌われるわけではないのだ、と知った。
彼らは何も知らなくても、峻をここまで導き、育ててくれたのだ。
「魔女の不興を買い、荒野に追いやられてもそこで、自らの愛によって幸せを掴んだ。
僕にはそれが、人生を恐れてはならない、気づく心さえあれば、どこでも幸福は掴める、という教えにとれるんです」
言いながら、今日、母の膝に乗って話を聞いていた幼い子を思い出す。
最後列でじっと峻の朗読を聞いていた、千景の真剣な瞳を目に浮かべる。
もし将来、憎しみに怒りに囚われた時には、理不尽な支配を受けた時には、思い出してほしい。
世界は出入り口の無い塔の中だけではない、と。
あなたはどこででも生きていけるし、幸せになれるのだ、と。
「……まぁ、まだ何ひとつ断ち切ることのできない僕が、言うことでもないですけどね」
ビールをあおって、ひとりごちるように呟いた。
今日こんなに喋っているのは、たぶん久々の酔いと、今野の聞き上手と、そして、どうしようもない高揚感のせいだろう。
「なるほど」 今野は相づちを打ち、プラスチックのワイングラスに入った赤を、顔をしかめつつ、くいっと飲み干す。
「君だって、急ぐ必要はないと思いますよ。捨てられないものを、急いで捨てる必要はない。
いつか来るものですよ。たとえ逃げていても、選択を迫られる日が」
その日が来たら―――、峻はアルコールが回った頭で、ぼんやりと考えた。
僕は一体、何を選ぶのだろう。
千景の学生マンションはJR神戸駅の隣、JR兵庫駅のほど近くです。(※実在はしてないと思います……)
神戸駅周辺は……部屋代が間違いなく高い!
三宮駅周辺も……けっこう高い!
裏通りにヤ○ザの事務所があったりします。
抗争でたまにニュースになってます。
で、三宮より東側。六甲や御影、岡本の辺りは高級住宅地です。落ち着いてはいますが……やっぱり高い!
学生でもお金持ちの子が住むイメージですね。
というわけで、神戸駅に近い手頃なベッドタウンといえば兵庫駅以西になるのでした~。
(※あくまで個人的な見解です。)
兵庫駅周辺は観光地としては地味ですが、オリバーソース(だったっけ?)の本社があったり、地元有名神社が3個くらいあって正月など割と賑わうところです。




