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8話

 オッタという人物について紹介しろと言われれば、モリーンは困り果てて、通り一遍の、見てわかるような情報しか語れないだろう。


 まずは、青毛の猫獣人であること。

 すらりとしたしなやかな体つきをしていて、見た目通り身のこなしが素早いこと。


 昔は女性らしさよりも少年っぽさが強くうかがえる風貌だった。

 今は女性らしさが増している。たぶん短かった髪が背中の半ばぐらいまで伸びているのが、大きな理由だろう。


 オッタは冒険者のはずだったが、今の彼女の服装は、そうは見えない。

 冒険者仕事をする時にまとっていた体に張り付くような衣装ではなく、シャツと長いスカートをまとい、肩からは丈夫に編まれたトートバッグを提げていた。


「モリーンどうした。ブリジットに用事か?」


 ブリジットというのは『翡翠のゆりかご亭』のオーナーだ。

 かつて宿屋経営者修行時代にお世話になった、モリーンより少し年上という容貌の女性である。……実年齢はたぶんもっと上なのだが、アレクの関係者はみな、なぜか、見た目が若い。


「オッタは今、ブリジットからのお使いなんだぞ。アレクのところに持っていくけど、モリーンも来るか?」

「いえ、わたくしは……その、今、アレク様のところから出てきたばかりで」

「果物もあるぞ」

「いえ……」

「甘いぞ」

「……あの、結構です」

「むう。難しい。果物なのにな……甘くて、うまいんだぞ」


 オッタは悩まそうな顔をしていた。

 見た目は美しい獣人の女性となっていたが、中身はまだ、昔のまま、幼い男の子みたいなままのようだ。


 モリーンが対応に困っていると、一番街のほうから「オッタ」という、少し怒ったような、静かだがよく通る声が聞こえる。


 見れば、薄紅色の髪をした、厳しい顔つきの美女が歩いてくるところだった。

 オッタと同じようなシャツとスカート姿だが、立ち振る舞いというか、気配というのか、そういったものから隠しきれずに強さがにじみ出ている。

 見る人が見ればなんらかの理由で変装して潜入中の近衛兵にでも見えるのではないだろうか。

 ……まあ、潜入中ならあそこまであからさまに強者の気配を漂わせてはまずいので、たぶん、ただのわけあり人材なのだろう。オッタの――アレクの関係者っぽいし。


「オッタ、一番街では走らないように主人から言われているでしょう? それに、大声で呼びかけるのも、だめだと言われているはずよ」

「だってモリーン見つけたから」

「『だって』じゃないの。……お前は本当にどうしようもない子ね。いい加減に礼節を覚えなさい」


 薄紅色の髪をした女性は、優しく笑った。

 母か、姉か。……雰囲気は母なのだが、見た目の年齢的には、姉。オッタとかなり親しい間柄だというのは、見ているだけでわかる。


 薄紅色の髪の女性は、モリーンへと振り向き、一礼する。


「オッタが失礼をいたしました」

「あ、いえ、わたくしは、オッタさんの友人というか……」

「……ああ、『宿屋』の?」

「はい」

「なるほど。差し出がましいことをしたのは私の方だったようね。お許しください」

「いえいえ、そんな、謝っていただかなくとも……」

「話があるようでしたら、私がオッタの荷物を持って先に行っていますから……」

「いえ! お気遣いなく!」


 オッタと二人で残されても、まあ、なんていうか、困る。


 モリーンは間違いなくオッタのことを数少ない『友人』の一人に認定している。

 しかしオッタ相手の会話は難しいという思いがあるのも事実なのだった。

 オッタは素直だし、気まぐれだ。直前までしていた話題を普通に放り投げて別の話題を展開したり、あまつさえ、話の途中で寝たりする。


 オッタは、むう、と不満そうに唇をとがらせながら、連れの女性にうったえる。


「オッタは一緒に来て果物食おうって言ったんだ。でも、モリーンは『結構です』って言った」

「……だったら引き留めてないで解放してさしあげなさいよ。お前は本当に人の都合を考えない子ね……用事があるかもしれないでしょう?」

「でもモリーンは久しぶりだったから」

「それはそうでしょう。宿屋修行者だって、みなさん、それぞれの人生があるのだから。いつまでも、あそこに集まっているわけにもいかないわ」

「でもロレッタはめっちゃ来るぞ」

「…………オルブライト様はお忙しい執務をこなして、時間を作っていらっしゃるのよ」

「週の最終日とかトゥーラがくだをまきに来るぞ」

「……近衛騎士様はご苦労が多いのでしょう。そっとしておいてあげなさい」

「でもソフィもコリーもいそがしくてなかなか来ないし、エンは一人で暮らしてるから仕事でしか会えないし、今の宿屋にはおっぱいが足りないんだぞ……モリーンは貴重な、おっぱいなんだぞ」

「オッタ、再教育」

「うっ!? ……難しい話をいっぱいされるやつ……なぜだ……」

「お前はいつになったら社会の常識を覚えるのかしら……人通りの多いところで『おっぱい』を連呼しないようになさい」


 オッタは前から小さい男の子みたいなところのある少女だったが、見た目がぐっと大人の女性に近づいた今もまだ、中には小さい男の子が住んでいるようだった。


 薄紅色の髪の女性が、困ったようなほほえみを浮かべ、モリーンを見る。


「申し訳ありません。うちの子が」

「……え、ええ、その、お気になさらず」


 オッタのことを『うちの子』と表現する女性に、ちょっとだけびっくりする。

 モリーンにとってオッタは『宿屋で一緒に鍛えた仲間』という印象で、それは『モリーンにとっての身内』も同然だった。


 だから、モリーンのよく知らない人が、モリーン以上にオッタを身内扱いしていることにおどろいたのだ。


 姉妹、だろうか?

 オッタは獣人で、薄紅色の髪の女性は人間族だ。

 両親が獣人と人間ならば、姉妹としてありえないわけではない。

 しかしオッタの出自をなんとなく聞き及んでいるモリーンとしては――


「……あ、あなたが、『エン』さんでしょうか?」

「はい。ああ、失礼。名乗っておりませんでした」


 まあオッタを注意してすぐに仕事に戻るつもりだったから、名乗りは不要と判断したのだろう。彼女の中では立ち止まって話をする想定はなかったはずだ。

 それでも自分に非があるかのように謝るエンの態度は、貴族・富豪向けの応対ができる教育を受けているのだなとうかがわせた。


 ともあれ、身内感の正体がわかった。


 エンにとってのオッタは、モリーンにとって、育ての親のもとから一緒に抜けてきた『弟妹』も同然だったのだ。

 血がつながってなくとも、強い絆のある家族関係が、そこにはあるのだ。


 そういえば――二人は、奴隷だったはずだ。


 オッタは元奴隷だ。そのことをまったく隠そうともしなかった。

 エンは今どうなのか知らない。シャツの袖は長くて、手首に刻まれることの多い『奴隷の紋様』の有無はうかがえない。


 ちょっとたずねたいことが頭に浮かんで、モリーンは言う。


「今、お二人は幸せですか?」


 自分でもおどろくほどあいまいな質問だった。


 本当に聞きたかったことは、こんな、端的な言葉でたずねきれるものではない。

 奴隷身分から自力で解放されたその熱意。

 そこまでして自由を求めてなにをしたかったのか。

 自由になってみて、今、どうなのか。


 主の消えた生活は、本当に、望んだものなのか。


 ……二人がここにいたる経緯を、モリーンは詳しくは知らない。

 だからきっと『それぞれの事情』がかかわっていて、彼女たちの信条や行動原理などは、自分に当てはめて考えられることではないだろう。


 それでも自由を得た人の意見を聞きたかった。


 聞きたかったけれど――

 仕事中の二人に長々と過去を語ってもらうほどの迷惑はかけられないというヘタレ心などが合わさって、結果として、『今、幸せか』というざっくりした質問しかできなかったのだ。


 オッタとエンはきょとんとして見つめ合った。


 そして、二人はうなずいた。


「みんな甘いのくれるから幸せだぞ」

「今の主人は過分な期待をかけてくださいます。それに応じるのは大変ではありますが、やりがいがあり、幸福です。それに、放っておけない子もいますから」


 そうなのか、とモリーンは思った。

 それ以上の感想は、抱けなかった。


 それきり簡単なあいさつを交わしただけで、別れた。


 ようやくモリーンが家に戻る時、とうに夕日は沈んでいた。


 冷たい風が吹き、冷え切った石畳が冷気を発しているかのような道を、モリーンは一人で、家に戻った。

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