7話
「二週間後、また来てください」
そう言われてモリーンは宿屋を追い出された。
アレクの修行の苛烈さはよく知っている。
冒険者レベルというものが一つの指標として利用されていて、ダンジョンレベルと自分の冒険者レベルを比べることで、ある程度の安全性を確保しつつダンジョンへ稼ぎに行けるようになっている。
普通の人は十数年かけてレベル三十程度になり、そうしてそのまま伸び悩む。
ところがアレクの修行を受けると、レベル二十ほどから一週間でレベル百ぐらいまで伸びるようだった。
その修行を、二週間。
モリーンは、『ある夢』があったので、そのために結構な長さの修行を経験している。
一番最初にやった修行の他にも、たぶん、同期の誰より長く、修行をしていた。
その差がたった二週間で縮まるというのだから、アレクはモリーンが卒業したあとも、効率のいい修行の開発に余念がなかったのだろう。
できればそばで観察し、適宜助けを入れたいところではあったが……
モリーンはミシェラの仮想敵だ。
さすがに修行を観察することはかなわなかった。
というか、そもそも――
「……わたくしは、戦う旨を承諾していないのですけれど……」
ここにはいない二人に向けて、言う。
とどくはずのない言葉だった。
二人が盛り上がっているところに水を差す勇気がなくて、言えなかった言葉だった。
だから夕暮れ時の王都を歩むモリーンの足はどこか重い。
盛り上がっているところに水を差す勇気もないのだ。盛り上がりきって準備を万端に整えたミシェラに『あの、戦うとは言ってません』などと言えるはずもない。
流されるままダラダラ戦って、適度に満足してもらうしかないだろう。
だって本当に、モリーンの側には戦う理由が全然ないのだから。
……しかし、アレクがそのあたりの確認おろそかにするのは、少し意外だ。
あの人は基本的に配慮がズレているのだが、妙なところで周到という印象がある。
なんらかの『戦わざるを得ない理由』を用意されるのだろうか?
『弟妹』を人質にでもされる?
それはたしかにモリーンが戦うべき理由にはなるだろう。けれど、アレクがそのような手段をとるとはどうしても思えない。
首をひねりながら石畳を踏みしめ歩いて行く。
このあとは家に戻る予定だったはずなのだけれど、気づけば一番街――富豪の住まう区画に足が向いていたらしいことを、足もとの石畳が灰色一色から色とりどりに変わり始めたことでモリーンは知る。
こちらのほうには、少し前まで、モリーンが修行していた場所がある。
……とはいえ、その『修行』はアレクの課すようなものではない。
職業訓練だ。
モリーンの抱いていた『ある夢』――それは『宿屋経営者』だった。
そのための修行を、していた。王都で一番と言われる『翡翠のゆりかご亭』という宿屋で、経営からおもてなしまで、様々な技能を仕込まれていたのだ。
ちなみに『宿屋店主は強くなければつとまらない』という誤認をしていたせいで、アレクによる修行も長々とおこなうことになった。たぶん、錯乱していたのだと思う。
ともあれ宿屋店主になるための、職業訓練のほうは、『翡翠のゆりかご亭』オーナーの女性いわく、『驚嘆すべき速度で』終わった。
そうして技能を身につけ、従業員となる『弟妹』の教育をこなしつつ、次は資金を集めよう、というところで『聖女』の話が来た。
アレクがモリーンを広告塔に使って魔族の差別をやわらげたいという話を持ってきたのだ。
承諾しない理由がなかった。
そもそも宿屋経営者を目指していたのは、不遇な子供たちの『逃げ場』を作りたかったからだ。
追い詰められてどうしようもなくなっている子供たちが、精神的・物理的に避難できるような場所を、作りたかった。
特に魔族への蔑視は激しく、差別を受けている者は多かった。
その侮蔑は『自分たちの子供なのに、自分たちのどちらとも違う人種だ』という生理的嫌悪に端を発したもので、根深い。簡単になくなるようなものではない。
自分が矢面に立つことで、簡単になくならない差別を少しでもなくし、不幸な『弟妹』が少しでも減るならば、それはすばらしいことだと思ったのだ。
アレクに出会ってからの人生は、本当に、びっくりするぐらい上手に回っているように思えた。なんにもなかった孤児の自分にはもったいないほど、幸福に恵まれた。
広告塔になる過程でダンジョンを七つ制覇し、巨万とも言える富を得た。
土地を買い、建物を建て、すぐにでも宿屋経営を始められる状態になり――
ふと、熱が、消えた。
宿屋にする必要性はそもそもなかったのだ。
土地があって箱があれば、そこを避難所にしてしまえばいい。
営利目的で運営する理由は、まるでなかった。
今のモリーンの強さはちょっと過剰で、冒険者としてはありえない稼ぎを安定して出せる。ならばその稼ぎで家を維持すればいい。
そういう『正しい理屈』が頭に浮かび、ふと、宿屋経営をしたいと思っていたころの熱意が消えてしまったのだった。
誰にとがめられることもないだろう。
目的自体はかなえている。手段を見直しただけだ。
しかし、それでも、せっかく宿屋経営者となるべく修行をつけてくれた『翡翠のゆりかご亭』のみんなには申し訳ない想いがあって、そんな気持ちから、一番街へは足が遠のいていたのだった。
なぜ、今日に限って足が向いたのか。
……そういえば、アレクに『お久しぶりです』と言われた。
そうだ、『翡翠のゆりかご亭』のある一番街だけではない。友人たちと語らうために一時期は足繁く通っていたはずの『銀の狐亭』にさえ、ずいぶん長く行っていなかった。
それはやはり、宿屋経営をしないことになったので、宿屋経営のために世話をしてくれた人たちに会いにくかったというのが理由として大きいだろう。
一番街はぐるりと壁に囲まれていて、いくつかある入口には番兵が立っている。
その番兵たちは、立ち止まって考え込み始めたモリーンをいぶかしんでいる様子だった。
立ち去ろう――なぜか動かない足を意識的に動かして、後ろ髪引かれるような気持ちを感じながら、きびすを返す。
『弟妹』たちが待っている家に、帰ろう。
強く意識すればようやく足は家へと向かってくれた。
そのことに安堵の息を吐いた時、
「お、モリーン!」
まるで運命がモリーンを家に帰したがらないかのように、懐かしい、友人の声が聞こえた。