6話
「そうですねぇ。補足しましょう。俺には人を救う方法はわかりません。俺は救いたい人を救えた経験は一度もないのです」
――自分の力で勝手に助かった人はいますがね。
アレクはそう言って肩をすくめる。
「……それでも。あんた、大人でしょう。モリーン様よりずっと、大人でしょう。だったら教えてよ。修行して、どうなるっていうの?」
「では、経験から申し上げます。誰かを救うには、その『誰か』より圧倒的に強くないといけません」
ミシェラは「続けて」と言った。
アレクは、うなずいた。
「たとえばモリーンさんが今、死にたがって、あなたに斬りかかってきたとしましょう」
「……そんな状況ありえる?」
「俺の経験談をあなたたちに置き換えてしゃべっているだけです」
「…………どんな経験なの」
「続けても?」
「……うん」
「死にたがってあなたに斬りかかってきたモリーンさんを救うには、まず、あなたが自分の身を守らねばいけません。この時点でモリーンさんより強くないといけませんね」
「まあ……」
「けれど、拮抗していてはいけない。圧倒的に強くないと、相手を生かしたまま無力化できませんからね。拮抗していると、相手がふっと剣を止めた時に、首とかにこちらの刃が入って、相手を殺してしまうことがある。それでは、自分を守れても、相手は守れない」
「まあそうなんだろうけど……経験談?」
「経験談です。……俺はね、その状況で全員を救うifルートを何度も考えました。しかし俺は不器用なので、方法が一つしか思いつきません。それが、『相手より圧倒的に強くなって、殺さずに無力化する』です」
レベルを上げて物理で意識を奪うんですね、とアレクは言った。
ミシェラは困ったようにモリーンに視線を向けかけて、どうにか思いとどまったようだ。
「……それで、モリーン様を救える?」
「さあ?」
「……」
「申し上げた通り、俺には人の救い方はわかりません。『もしあの時、救うためにできたことがあるならば?』という想像を語るしかできません。ただ一つ、思いつきを語るならば」
「なに?」
「あなたがモリーンさんの『聖女』になればいい」
「……」
「あなたが弟子入りするのではなく、あなたに弟子入りさせるのです。命令される状況が心地いいとモリーンさんが言うならば、命令してさしあげればいい」
「でも、それは……そんなの、間違ってる。自分の意思で生きるのが幸せだよ。命令されて生きるだなんて、そんなのは納得できない」
「あなたが求めているのは、モリーンさんを救うことですか? それとも、あなたが納得することですか?」
「……それは……でも」
「納得は可能な限り求めるべきものだと俺は考えています。けれどこの場合、『命令される幸せ』を奪うというのならば、『人格を自分好みに矯正したい』という話になります」
「……」
「変えないまま救いたいならば検討のしようがありますが、ただ変えたいというならば、それは救いではなく罰です。人には、今のまま幸福になる権利があるし、幸福に貴賤はない。幸福のために他者を不幸にすれば恨まれたり罰せられたりするでしょうけれどね」
「……」
「痛みによって信条を砕き、苦しみによって信念を曲げて、人の心のかたちを変える方法はたしかにあります。けれど俺は、それをモリーンさんに試したいとは思わない。彼女はそこまで悪いことをしていないですから」
アレクはほほえむ。
ミシェラはゾッとした顔になった。
……たぶん、今初めて、アレクの中にある『こわいもの』の存在に気づいたのだろう。
「まあ、話し合いで解決できるなら、俺の出る幕はありません。俺は方針を提示しました。『ミシェラさんがモリーンさんの師匠になればいい』。お互いが納得できるならば、今ここで、そのように取り決めたらいいと思います。保証人が必要ならば引き受けましょう」
「……あたしは、モリーン様を奴隷にしたいわけじゃない」
「まあ、モリーンさんもほとんど初対面の相手に『奴隷になれ』と言われて『はい』とは言わないでしょう。……言わないですよね?」
その前に、『ほとんど初対面の相手』というのは、どこで知ったのだろうか。
ミシェラとの会話から察したのか、それとも密偵でも放っているのか。……アレクだと『王都で交わされた会話はすべて聞こえている』とか言われても、納得できてしまいそうだ。
ともあれモリーンはさすがに苦笑して答える。
「別にわたくしは、奴隷になりたいわけではないのです。……待っているだけで行動方針が与えられるのが心地よかったのは否定しませんが、それはわたくしの中で、『奴隷』とは違うものなのです」
「なるほど。安心しました」
「……アレク様もやはり、奴隷のように生きるのは、反感がございますか?」
「いえ。ちょっと奴隷そのものをなくそうというプロジェクトを動かしているので、あなたが奴隷を希望すると、少しばかりの計画修正が必要になるのです。あの制度は『主が不意に亡くなった時』のリカバリーが大変すぎますからね」
さらりと国家規模の計画にたずさわっているのだと語られた気がする。
モリーンは慣れているので『まあアレクだから』と思っただけだが、ミシェラがアレクを見る目がどんどん意味不明存在を見るそれになっていっている。
「それで俺はどうすれば? 保証人ですか? それとも、ただご注文をうかがえばよろしいですか?」
「修行、お願い、します」
ミシェラの発言にあまりにも迷いがなくて、モリーンは止め損ねた。
顔を青くして、慌てて言う。
「ミシェラさん、それはやめたほうがよろしいかと! ここの修行は――」
「モリーン様もやったんでしょ?」
「……まあ、やりましたけれど……」
「やっぱりあたし、納得できないよ。モリーン様がそんな、夢も希望もないの、理解できない。聖女なのに。誰もがうらやむ力と美貌の持ち主なのに。そんだけ力があって、なにも望まないのが望みだなんて、冗談じゃないって思う」
「……」
「あたしは、力があったらやりたいことがたくさんあるもん。……でも、それは、あたしがそうってだけで、違う人も、いるんだよね」
「……ミシェラさん」
「あたしは欲望まみれだよ。……だからさ、あたしが、背中を見せなきゃいけないんだよね。誰かに命令されるのなんか絶対にイヤだって思うあたしが、素敵に生きて、モリーン様にあこがれられなきゃいけないんだ」
「……それは……」
あこがれることは、あるだろうか?
わからない。行動的な人の生き様にあこがれる自分の姿が、想像できなかった。
「……け、けれど、それは修行なんかしなくてもよろしいではありませんか。もちろん、わたくしも、いきなり『従え』と言われて従うようなことはいたしませんけれど、それでも仲良くなってくだされば……」
「仲良くなるには殴り合うしかないよ」
「いえ、そんなことはございません」
真顔で言った。
モリーンにはミシェラの発言が醸成される文化圏が全然想像できない。
ミシェラはしかし、覚悟を決めた人の顔をしている。
「だってモリーン様が殴り合わないでも人と仲良くなれるなら、ギルドで一人ぼっちで端っこに座ってるなんて、ないでしょ。聖女としてあたしの生まれたような田舎にまで名をとどろかせる超一流冒険者が、ちやほやされてないのは、絶対におかしいもん。モリーン様が、人を遠ざけてるんだよ。自分の意思で」
「……」
「儀式が必要なんだよ。それがなにかは全然わっかんないけど、でも、とりあえず殴り合って勝つのはやってみる価値あると思う」
やっぱりミシェラの考えはよくわからない。
けれど――『儀式が必要』という言葉は、ドキリとさせられた。
たしかに、そうかもしれない。
なぜならばモリーンが『友人だ』と思っているのは、自分と同じように、修行をした者だけだ。
モリーンは言葉に詰まる。
ミシェラは決意した人の笑みを浮かべている。
「大丈夫だよ。死ぬほどつらい修行なのかもしれないけど、モリーン様が言ったみたいに、死ぬなんてないから。だって、モリーン様は生きてるじゃない」
「いえ、その……」
死ぬんですよ。
本当に。
しかしあの概念は口頭での説明が困難だ。
説明自体はできても、信じてもらうことが不可能だ。
けっきょく、やらせるしかない。
そしてアレクは『お試し』という概念を全然わかっていない。
少しでも修行に触れたら、ずるずると最後までやらされる。
あれは話術なのかなんなのか非常に不思議なのだが、ちょっとやってみると次の修行もやる前提で話を進められるので、断るには確固たる意思が必要なのだ。
しかし(他の宿泊客たちについてはわからないが)モリーンは当時、『狐』を探る目的を疑われるのがこわくてボロを出せなかったうえに、『やる前提』で語られる修行を断るほどの気の強さもなかった。
密偵みたいなことをしていたということが発覚してから(自白してから?)は、アレクに対する負い目から、彼に逆らう気力をなくしてしまっていた。
……負い目というか、あの瞬間に、自分の『主』が育ての親からアレクに一時的に書き換わったような感覚、とでも言おうか。
ともかく、拒絶するだけの強さが、モリーンにはなかった。
ミシェラは気が強いし大丈夫だろうか?
わからない。ミシェラの強さが上回るか、アレクの不可思議なぬるりとした話術が上回るか、未知数だ。
「……つらかったら、断固として『やめる』と言うのですよ。断固として、ですよ。なにを言われても『やめる』という意思を曲げてはいけません。婉曲にではなく、ハッキリと告げ続けるんですよ。よろしいですか?」
「大丈夫。最後までやりとげて、モリーン様と殴り合えるぐらいにはなってみせます!」
アレクが細めた目を光らせて「なるほど、今のモリーンさんと殴り合えるぐらいですか」とつぶやいていた。
事実上の死刑宣告だ。
モリーンは絶望感でがっくりと肩を落とした。




