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5話

 その当時の話はモリーンにとって恐怖と緊張で彩られた物語のはずだった。

 しかしアレクは簡潔に、一言で表した。


「モリーンさんは帰宅したいあまり、命を懸けたのです」


 彼の簡潔な一言はたいていの事情を知らない者からすれば意味がわからない。

 実際、ミシェラは「え? そんな超ざっくり説明でなにが伝わります?」とおどろいていた。


 だが、モリーンの言ってほしいことは、その一言に尽きた。

 だから満足したようにうなずいて、続きを引き継いだ。


「当時、わたくしを育ててくださっていた方がいらっしゃいました。その方から追い出されてしまい、どうにかそのお宅に帰るために、わたくしはとある犯罪者を捕まえようと躍起(やっき)になっていたのです」


 求めていたのは、伝説の盗賊だった。


 強盗、殺人、なんでもやる凶悪な犯罪者だ。被害に遭った者は数知れず、多くの者が殺され、あるいは家宝を奪われて自殺するしかないような状況にされた。

 許すことのできない、絶対悪。

 それを追う、正義の人が、モリーンの育ての親だった。


 ――そう、思いこまされていた。


 だから安住の地である家に帰してもらうために、親のために一生懸命実績を挙げようと思った。

 育ての親がたびたび口にする『狐』という正体不明の凶悪犯罪者をとらえれば、きっと、あのお方は自分を認めて、再び家に招き入れ、愛してくれるに違いない――そう思っていた。


 ……今にして思えば、『狐』を求めてこの宿屋にたどりついたのは、そのように誘導されていたからなのだろう。

 調査能力が高かったわけではないと思う。それは、世間を知って、情報というものの大事さと、『情報を求めて必死になる者』の操りやすさを知ったから、わかったことだった。


 アレクの怖さは個人の能力以上に、顔の見えない協力者の多さにあると、今ならわかる。


「しかし『狐』は、わたくしの育ての親の作りあげた、嘘の存在でした。わたくしの育ての親は、『狐』という、かつて実在した犯罪者の名を隠れ蓑に、それ以上に凶悪なことを成していたのです」


 あとからわかったことだが、かつて、この国の王族による亜人――差別用語で、今は使われていない言葉だ――差別政策があった。

 モリーンの育ての親は、その政策を主導した王族の遠戚の血族だったのだ。


 その家系では亜人差別時代を『理想の時代だった』と懐かしみ、親から子に、その時代がいかにすばらしいかを語り継いでいたらしい。

 そして、いつか『理想の時代』を取り戻すことが、その家の宿願だったそうだ。

 しかし現在の女王は『平等』をかかげる変人で、人種どころか、貴族と平民の垣根さえなくそうという動きがある、困った王だった。


 こんな状況では、『理想の時代』の到来はままならない。

 だからモリーンの育ての親は、自分の手の届く屋敷内に、『理想の時代』を再現しようとした。


 ……そうしてたくさんの『亜人』の孤児が、その家に集められた。


 亜人たちは思考の芯から『わたしたちは、人間族より劣った存在だ』と認め、人間族のためなら命さえ差し出す従順なる家畜となるように育てられた。

 育ての親は『教育』を除き、暴力的なことはしなかった。

 ただ、亜人たちの思考を操り、『亜人が人間を最優先に考える、あるべき時代』を作っただけだ。

 そこは、『理想の時代』を求める者にとっての楽園だったらしい。


 そして、モリーンにとっても、楽園だった。


 あとから思えば意地悪はされていた。

 向かない弓の扱いばかり教え込まれ、いくら技能を磨いても、褒められるというのは一度もなかった。


 それでも、外の世界を知るまでは、育ての親に尽くして暮らすのは苦ではなかった。

 褒めてもらえなくても、馬鹿にされていても、差別されていても、目標を与えてくれる親のいた暮らしは、モリーンにとっての楽園だったのだ。


 ただし楽園には時間制限があって、大人になった者は『ひどい場所』に行くことになる。


『弟妹』たちを守るためにモリーンは育ての親を裏切った。

 ……けれど、もしも、自分しかいなかったら、きっと、裏切ることはなかっただろう。


「わたくしは、育ての親をうまくうらむことができません。あれから数年経って、冷静に、客観的に振り返って、あのお方はずいぶんひどいことをしていたのだと理解(・・)しています。『弟妹』が助かったことに、心の底から安堵し、助けてくださった方には深く深く感謝をしています」


 モリーンはちらりとアレクを見た。


「……ですが、わたくしの心はまだ、あの屋敷の中にあるのです。出た直後のすがすがしい開放感も今は昔。外の世界で生き、時を経るほどに、あの、待てば命令をもらうことができて、自分で考えることを『罪』としてくれて(・・・・・)、ただ従うだけで(・・・)よかった(・・・・)場所が、わたくしの理想郷なのだと、思い知らされるばかりなのです」


 ミシェラの顔をうかがう。


 おどろいた顔をしていた。

 絶望しているのかもしれない。


 聖女ともてはやしたあこがれの人の魂は、奴隷だった。

『首輪』もなく、主もいないけれど、心の底から、奴隷だった。


 モリーンを育てた親は、契約により奴隷にして、首に輪を刻むことはしなかった。

 教育により奴隷として、魂に枷をつけたのだ。


「こんなわたくしには、誰かを導くことはできません。……技術を教えることはできるでしょう。あなたがそういう役割をわたくしに命じてくださるならば、わたくしはそれに従うことができるのです。……けれど、師としてあなたを導くことは、できないのです」


 きっとミシェラの求める『師匠』は、技術の伝達者ではない。

 生き様を示してくれる背中を持つ者だ。


 ……こんな、いつだって丸まっている背中が、後進になにを示せるというのか。

 命じてくれる人がいないだけでこんなにも不安な自分が、誰を導けるというのか。


 ミシェラは、ボロボロと泣き始めた。


 悪いことをしたな、という後悔があった。

 あきらめてくれただろう、という安堵があった。


 褒められ慣れていないモリーンにとって、自分をまぶしそうに見つめてくるミシェラは、本当に、本当に――どう対応していいか、わからなかった。


 誰かに賛美されると、申し訳なさと、恐れ多さで、居心地が悪くなる。


 こんな、自分なんかが。


 ……ぎゅっと胸をおさえる。

 少女の夢を粉々に打ち砕いた痛みを、今さらながらに覚えたのだ。

 けれど、自分なんかには、痛みを覚える資格さえ、ない。


 自分ごときに導かれてほしくはない。


 それは、モリーンなりの思いやりだった。

 自己評価の低さに根ざした、気づかいだった。


 ミシェラはしゃくりあげながら、言う。


「悔しいなあ」


 手の甲でごしごしと目をこすり、こすり、でも涙は止まらず、あっというまに目元は真っ赤になって。

 それでも涙なんか振り払うように、ごしごしと、こすり続ける。


「悔しいよ。一生懸命勉強してさ、慣れない都会言葉まで覚えてさ、旅のための食料とお金ためこんでさ、故郷を離れて出会った聖女様が、こんな人だったなんて。超悔しい」


 ごめんなさい、と謝ることさえためらわれる。

 ミシェラは鼻をすすって、続けた。


「モリーン様……あんたに『聖女』はいなかったんだね」

「……え?」

「あこがれの人がいなかったんだ。がんばるための目標がなかったんだ。なのに、がんばらなきゃいけなかったんだ。……なんでそんなに不幸なんだよ。田舎でひどい扱いされてたあたしより不幸とか、嘘だよ。クソだよ」

「……わたくしが、不幸?」

「不幸すぎて、あたし、泣くよ。止まらないんだよ。哀れむのは失礼だと思うんだけど、全然、涙が止まらないんだ。自分が希望を知らないのに、誰かの希望にされたあんたが、かわいそうで仕方ないんだよ」


 理解が及ばなかった。

 モリーンは今の自分を過剰なぐらい幸福だと思っている。こんなに恵まれた人生を送って許されるのかと感じている。


 慌てて、説明する。


「わたくしは、幸福です。だって、助けられておいて不幸を感じるだなんて、それは助けてくれた人に対し、あまりにも失礼ではありませんか」


 同意を求めるように、アレクを見た。

 けれど、珍しいことに、彼さえ、おどろいた顔をしていた。


 ミシェラと同じように、理解できないものを見たような、顔をしていたのだ。


「あんたを助けたいよ」


 ぼろぼろと、新しい涙をこぼしながら、ミシェラは言う。


「モリーン様を助けてあげたい。でも、あたしにはどうしたらいいか、全然わからない。……ねえ、どうしたらいいの?」


 ミシェラが見たのは、アレクだった。


 モリーンが何度か頼るようにアレクを見たのを観察していたからかもしれないし、ここには他に見る相手が誰もいなかったからかもしれない。


 けれど、モリーンは『まずい』と思った。

 だって、その人に『手段』を問えば、いつも必ず、同じ結末になる。


「修行ですね」


 やっぱり、とモリーンは思った。

 ミシェラはきょとんとして、首をかしげた。

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