4話
食事処を併設している宿屋はたいていそうだが、食事のみの利用ができる。
カウンターといくつかのテーブルがあるだけのこじんまりとした『銀の狐亭』食堂には、今、モリーンとミシェラ、そしてアレク以外には誰もいなかった。
この宿屋にはたいてい誰か一人ぐらいモリーンの友人がいるはずだった。
遭遇確率が高いのは赤毛の貴族か青毛の獣人だろう。獣人のほうは宿屋にずっと寝泊まりしているらしく、不規則な時間に帰ってきてはさっさと部屋に眠りに行くことが多い。
ギルドマスターの孫なども仕事の関係で来ることが多いようだが、宿泊はしなくなって久しいはずだ。
あとはたまに鍛冶をやっているドワーフが来ていたのだが、最近は店舗を拡張しすぎていそがしいらしく、今では弟子がアレクからの注文をとりにくることが多くなっている。
残る友人は近衛騎士だったりエルフの王族だったりするので、さすがにその二人はいないだろうと思っていたが、こうまで誰もいない状態は、モリーンの記憶にある中では珍しかった。
「最近は困っている方が減っているようでしてね。世間の安定している時には、この宿屋は、本当に、静かなものですよ」
モリーンの視線か、気配か、なんだかよくわからないところから疑問の内容を察したらしい。
アレクはなんでもなさそうに言いながら、四人用テーブル席で向かい合うモリーンとミシェラに飲み物を提供してくれた。
「ところでモリーンさん、本日は、静かに食事ができる場所をお求めですか? それとも、俺の力をお求めですか?」
俺の力。
とは言うが、アレクが直接的に誰かを助けることはない。
彼は救いが必要だとうったえる者を、自分で自分を救えるぐらいまで鍛え上げることしかしない。
ミシェラの話の内容によっては、必要になるかもしれないが……
「け、結構です。ここのお食事がおいしいので、彼女を連れてきたかっただけなのです」
「おや、ありがとうございます。ではご注文がおきまりになりましたら、呼んでくださいね」
そう言ってカウンター内部に向かったアレクは、見える位置で豆を炒り始めた。
……まだやってるのか、豆。
モリーンの胸には複雑な想いが去来する。過去の記憶がフラッシュバックして暴れ出しそうになった心臓を、深呼吸で落ち着ける。
「あの、モリーン様、この宿屋に来てからちょっとヤバ……様子がおかしいですよ?」
「だ、大丈夫です。わたくしのことなどお気になさらず。ここなら変に注目を集めることもなくお話をうかがえますわ。どうぞ、用件をおっしゃってくださいませ」
「はあ」
ミシェラは納得していないような顔だったが、すぐに表情を引き締めて、切り出した。
「モリーン様の弟子にしてください」
「……」
モリーンはアレクの方向を見た。
なんにも聞こえていないみたいに、豆を炒り続けている。
アレクはモリーンの師と呼べる人物だ。だから、『弟子が弟子入り打診をされた』ことについて、反応をうかがいたかった。
しかし客としての利用を宣言している以上、彼は求められない限り客同士の会話を聞かなかったことにするだろう。
モリーンは迷ったすえ、独力で対応することにした。
「その『弟子』というのは、中堅冒険者が初心者を導くようなもの、でしょうか?」
「いえ、もっと超すっごい……えっとえっと……深い、というか……わたしは、モリーン様の弟子になりたいんです。あなたにずっとついて回りたいんです」
「……どうして、わたくしなんかに」
「まず超美人ですし……」
「……それは、その」
人の美醜感覚は、人それぞれだ。
『美人ではないです』と言うのは簡単だが、他者の美醜感覚にケチをつけるほどの勇気はない。
……モリーンは自分が美しいと言われるとピンとこないのだ。
自分に、その賛辞は、過分すぎるようにしか思えない。
「……仮にわたくしが、あなたから見て美しいとして、それは、弟子入りを志願する理由にはなりませんよね?」
「いえ! 見た目はめっちゃ大事だと思います!」
力強い。
「モリーン様が不細工だったら、聖女とか呼ばれませんから!」
「聖女!?」
魔族の地位向上戦略で有名になったモリーンではあった。
その時に様々な呼び名をつけられたが――『聖女』は初耳だ。
「な、なにかの間違いでは? わたくし、『聖』を司るようなことはなに一つおこなっておりませんけれど……」
「いえ、超呼ばれてましたよ! わたしの地元では聖女として有名です! あたしとか食前に超祈りましたから!」
「そ、そうなのですか……」
強く言われると否定できない。
だってモリーンの心に残っているのは、どちらかと言えば口さがない罵詈雑言のほうだ。
有名になれば、支持者も増えるが反感もかう。
魔族の子供たちが少しでも差別されないようにと思い、ダンジョンを七つ制覇し、アレクや現女王陛下に色々されて、有名になったりもした。
……その計画を聞かされた時に確認されたのだ。
『バズるとクソリプが増えますが、本当によろしいですか?』
まあ案の定意味はわからなかったのだけれど、解説を聞いて解釈するに、『有名になると無関係な者たちからの反感を、おおいにかう』という話だった。
実際に『クソリプ』は増えた。
モリーンの頭に残っているのはその『クソリプ』ばかりで、聖女とか、そういう褒め方もされたのかもしれないが、生来の性質から、褒め言葉はあまり素直に受け止められず、記憶にも残らない。
ミシェラは熱っぽく――というか熱病っぽく――青と赤の瞳をキラキラと輝かせ、モリーンを見て、言う。
「王都に来て、わたしは感動しました。本当に、本当に、本当に、魔族に対するあたりがきつくないんです」
「……」
「人種が理由でいろんなひどい扱いをされてきました。こんな、こんな――自分で選んでもいない人種なんかで、人生が決まってしまうことを、ほんとクソだと……あ、いえ、その……ひどく憎みました。でも、モリーン様の話が聞こえてきて、わたしたちに対する、村の連中の扱いが変わったんです」
種族が原因でひどい扱いをされていたと聞いて、モリーンはミシェラに共感――
――できなかった。
かつて、モリーンはずいぶん差別的に扱われ、虐待されていたのだという。
けれどモリーンにはひどい扱いをされていたのだという実感がない。
幼いころからとある貴人の世話になり、暮らしていた。
そこでの生活は余人からすればひどいものだということだったが、モリーンは、ひどい扱いをされているのだとさえわからないように育てられたのだ。
……いや。
それはいくらなんでも、責任を転嫁しすぎだろうか。
たしかに、ひどい扱いをされていると気づけない、閉鎖的な環境で育てられた。
しかし、それでも、自分の扱いがひどいのだと、嘆く『きょうだい』はいた、気がする。
かつて『なにを言っているんだろう』と思っていたが、今なら、わかる。
自分が、にぶかっただけなのだ。
にぶかったうえに――
『ここ以上の生活が外にはある』と、思いたくなかっただけだった。
外に飛び出す勇気さえない。安定した現状のまま生きていきたい。
たとえ外には楽園が広がっているとしても、そこへ向かうために冒険するよりも、今いる場所でジッとしていたい。
そういう気質が、モリーンにはあるのだった。
『よりよい今』を求めるほどの勇気が、モリーンには、ないのだった。
実際に外の世界に追い出されて、あの家のおかしさを客観的に見て、あの家に漂う空気感の、居心地の悪さをなんとなく認識したけれど――
それでも、数年経って振り返れば。
『あそこは案外、居心地のいい楽園だったように思える』だなんていう感想が、浮かんでしまうのだった。
少なくも、今過ごしている、なにかに追い立てられるような、それでいてなにをするにも迷い、ためらい、結果としてなにもできないような人生よりも、あそこでの生活はマシだったと、思ってしまうのだ。
「アレク様」
モリーンは呼びかけた。
豆を炒るわずかな音が止まり、アレクの視線がこちらを向く。
「ご注文ですか?」
「……いえ。どうか、アレク様の口から、わたくしのことを、彼女に教えてはいただけないでしょうか?」
「あなたのことを?」
「ええ。……わたくしは『聖女』などと、そんな過分な呼び方の似合う者ではないのです。美しいなどと、そんなことを言っていただけるような心根の持ち主ではないのです。そのことをどうか、ミシェラさんに、伝えてはいただけないでしょうか?」
「意図がわかりかねます」
アレクは首をかしげて、
「あなたが魔族全体のためにしたことを思えば、『聖女』という呼び名も過分だとは思いません。あなたは同じ種族とはいえ、顔も知らない他者のために有名税を背負った。その自己犠牲の精神は美談として語られていいものだと思いますよ」
「……そうではなく。アレク様に作っていただいた、そんなカバーストーリーではなく。わたくしの本来の姿を……この宿屋に初めて来た時のことを、話していただけますか? わたくしがなにを求めて命を懸けたのか、その本質を、語っていただきたいのです」
「ふむ」
彼は考え込むようにあごに指を当てた。
しばし、沈黙があって――
「モリーンさんの想像通りの展開になるとは思いませんが、ご希望とあらば、軽く語りましょうか」