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14話

 看板職人に発注をして、それができあがればモリーンの宿屋は経営開始だ。


 長い雌伏を終えていよいよ開業をする段にいたり、技能を腐らせていた『弟妹』たちはいそがしそうで、緊張していて、けれど、どこか楽しそうだった。


「借金してでも泊まります」


 ミシェラが決意した表情でそう言うので、さすがに止めた。

 モリーンの宿は料金設定が高い。大商人などの富裕層をメインターゲットとしているためだ。


 この値段設定もサービスの一つで、『街一番の高級宿から紹介されたお客様』を相手とする場合、値段が安すぎると不審がられるし、なにより紹介してくれる『翡翠のゆりかご亭』よりも過剰に安いと客を奪ってしまいかねない。

 もちろん、値段に見合ったサービスを提供する必要はあるものの、宿泊費を高くできれば、そのぶん従業員への給料も高くできる。それは従業員の意識に直結するだろう。

 従業員として雇用するのは主に孤児だ。彼らに『厳しい教育に耐えて働く価値がある』と思ってもらえるぐらいの給与は約束しなければならないのだった。


 ……モリーン一人が稼いで、用意した箱の中で好き放題孤児を住まわせる、というのも考えていた。

 実際に、経営を決断するまではその方針でやっていた。


 けれどこれは『将来』につながらない。

 モリーンが不慮の事故で、あるいは寿命などで死んだあと、放り出された、なんの技能もない、養われることになれてしまった孤児だけが残る。

 それは、誰にとってもよくないことだ――このへんの理屈はアレクに言われたことそのままだが、言われるまでは『自分がいなくなったら』ということまでは考えていなかった。


 看板の発注を終えたあと、昼時の街で二人は食事をすることにした。


 それは初めて入るお店なのだった。

 職人街と一番街のちょうど中間ぐらいに位置するその大衆食堂は、安価で量が多く、そしてうまいという評判だった。

 店は人口密度が高く、いる者の身なりはいかにも『職人』という感じで、(すす)や塗料などで汚れた作業着を着た者たちが、ガツガツと食事を掻き込んでいる。


 職人街あたりにはやはりドワーフが多いが、最近はエルフやら人間やらも増えてきているようだ。


 とある鍛冶工房が、今までの『客一人一人に注文を受けて、オーダーメイドで発注する』というやり方を変えて、『注文を受ける前から同一企画品を大量生産しておく』という方向を打ち立てたのだ。

 今までも『オーダーメイド以外の製品』はあったものの、これは習作や打ち損じ、あるいは『店のにぎやかし』などであり、品質はよろしくなかったし、数も多くないため、もちろんオーダーメイド品に比べれば格段に安いが、そう安くはなかった。


 そこに目をつけて作られたのが、『同一品質、大量生産、ゆえに安価』な商品だ。


 そうして作られた武器防具、調理器具などの商品はたいそうな好評を博した。


 今では職人の手が足りないほどだ。


 そこで、今までは『親方がじっくり時間をかけて、すべてを弟子に伝授する』というやり方がメインだったが……

 今では『完成品にいたる工程をいくつかにわけて、自分の担当する工程を覚えて、複数人で分業して完成させる』という方式で、普通の工房では『未熟』と言われて仕事をもらえない職人たちが、次々雇用されている。


 それでも人が足りないので、『今までは鍛冶に興味があってもドワーフの工房に弟子入りを認めてもらうハードルが高すぎたため、職人になることをあきらめていた種族』たちも雇用し、今、職人街の雰囲気はかなり変わってきている。


 雑多になったりギスギスしたりという側面もあるが、『魔族の冒険者』という風体のモリーンやミシェラが食堂に出入りしてもさほど注目されなくなったのは、かなり、いい傾向だとは思える。


 まあ、変革には痛みが伴うものでもある。

 その革新的工房のオーナー兼筆頭職人などは『うちのジジイが「職人が商売人みてぇなマネをするんじゃねぇ!」ってキレ散らかすんスよ!』と愚痴を言っていたりもする。


 古いタイプの職人たちは頑固だが技術はたしかなので、彼らをどう有効に活用するかが今後の課題らしい。

 ……仕掛け人の話から解釈するに、大量生産品のマーケットにオーダーメイドの市場が駆逐されることは前提のようだ。すでに職にあぶれる予定の職人の雇用について作戦を練っているあたり、こわい。


 注文をとるとすぐに料理が来る。


 店員の態度は乱暴で、食器は『ガシャン!』と置かれた。

 ナイフやフォークやスプーンなどは出ない。自分で持ち込むか、素手で食べるかだ。


 モリーンは持ち込んだカトラリーの中からスプーンのみを取り出して、目の前の料理に挑む。


 イモと卵をぐちゃぐちゃに混ぜたもの、という印象の料理は、見た目がよろしくない。

 しかし食べればしょっぱめに味付けされた卵と、ホクホクとしたイモの食感や甘みがよくマッチして、非常においしい。


 飲み物がほしくなるが、そんなものは出ない。

 葡萄酒でも頼めばいいのかもしれないが、大声で叫びながらガツガツと料理を掻き込んでいく客のあいだで、くるくる回るようにせわしなく給仕している店員を呼びつけるのには、かなりの勇気が必要だった。


 味わい、感じたこと、改善点をモリーンは記憶していく。

 それは自分の宿屋に活かすためだった。


 本当はこの場で紙に書いておきたかったが、これだけいそがしい時間帯にのんびりテーブルでメモをする気にはなれず、また、紙を置きたいと思えるほど清潔なテーブルでもなかった。


「……あの、本当にここの料理が役に立ちますか? モリーン様の宿屋は、こう、もっと……綺麗、というか」


 ミシェラが目の前にこんもり盛りつけられたイモと卵のカタマリを見ながら聞いてくる。


 モリーンは細い体に見合わない速度でもりもり食べながら、うなずく。


「もちろんこのままでは出せませんが、『大衆料理』というのを喜ぶ大商人や貴族様もいらっしゃると聞きますから」

「モリーン様は今でさえ女神なのにさらに向上をしていくんですね。祈ります」

「祈らないでください」

「やっぱり借金しても泊まりますね」

「……いえ、あの、よろしければうちで働きますか? わたくしのせいで首が回らなくなるのはさすがに看過できませんので」

「うっそマジで!? 超ありがたいです……感謝……ありたがすぎて死ぬ……」


 感情の高ぶりで死んだことのある者が言うと、説得力が違う。

 モリーンは「おさえてください」と結構必死に言った。


「……まだ経営は始まっておりませんから、早速路頭に迷うなどという展開もありえます。それでもよろしければ、ですが」

「モリーン様を迷わせる路頭を許すことができそうにありません」


 どうしよう、会話になっていない。

 モリーンは困り果てて笑った。


「……まあ、まずは、教育を受けてくださいね。あなたより年下があなたの指導にあたると思いますが、大丈夫ですか?」

「大丈夫です! えっ、どういうことですか?」

「……いえ、年下に指導されるのを嫌う方は多いので、あなたは大丈夫なのかな、と」

「モリーン様がそうせよとおっしゃるならば、わたしが逆らうはずがありません。逆にモリーン様の方針に逆らう者がいれば、あたしががんばります」

「ほどほどに」

「はい!」


 力一杯返事をされた。


 予感がする。

 たぶん、これから、たくさんの問題とか、心配事が増えるだろう。


 でも、それは、なにも行動していない時に抱えていた不安などとは別種のものだ。

 悩んでも悩んでも答えが出ない疑問に頭を悩ませ続けるようなことはきっとなくなる。目の前の問題を必死に片付けているうちに、いつのまにか、知らない場所に立つことになるのだろうと、そう思った。


 誰も楽園を与えてくれない。

 求めるならば、自分で作るしかない。


 だからこそ、屋号は『新しき楽園亭』。


 この名前は、彼女の決意のあらわれだ。


 待てども施されない楽園を、自分の手で作るために、とりえあえず自分を信じるフリをしてあがいていこうと、モリーンは決めた。

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