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12話

 ミシェラは訴え続ける。


「お願いだよ。あたしのあこがれでいてよ」


 絞り出すような涙声に、モリーンの胸が詰まる。

 ミシェラは悲しそうな顔で、他に浮かべる表情がないみたいに、笑った。


「あなたがいたから、がんばれたんだよ。田舎で馬鹿にされて、幼くて仕事もなかったあたしが、コツコツがんばって、盗まれないように隠しながら、ご飯とかお金をためて、ここまで来ることができたんだよ。……自分を嫌わないで。あたしが大好きなあなたを、嫌わないでよ」


 モリーンは――

 アレクを、見た。


 頼るクセがある。

 ミシェラの話は理解できた。でも、理解できても、どうしようもない。


 大きな気づきはあった。『自分はもう、自分を卑下できる立場ではない』という発見をミシェラによってもたらされたのだ。

 自分にあこがれる子供たちのためにも、自分でも自分を評価しなければならない。


 けれどそれは、モリーンにとっては、とても難しいことだった。


 なにをしても褒められない、『誰か未満』であることが普通の生育環境で過ごしてきた。

 モリーンの心には外せない枷がはまっている。

 教育により魂に刻み込まれた『自分は世界で一番価値がない生き物だ』という呪い(・・)のせいで、どれほど成功をしても、『でも、運がよかっただけだ』という言葉が浮かぶのを止められない。


 視線を向けられたアレクは、言葉を発するかどうか迷っていたようだった。

 しかし観念したのか、肩をすくめて、口を開く。


「かつて申し上げた通り、有名になるとクソリプが増えます」

「……ミシェラさんのおっしゃることも、『クソリプ』にふくまれるのですか? だって彼女は、わたくしを蔑みも、おとしめもしていないではありませんか」

「『聖女』の幻影をあなたに押しつけ、その設定通りの立ち振る舞いを強要する。これをクソリプと言わずに、なんと言いましょうか」

「……」

「どれほど自分を卑下してもいい。どれほど自分の功績を認めないでもいい。思想とは自由であるべきです。期待に応えるかどうかもふくめて、あなた自身が、あなた自身で決めたらいいと俺は思っています」


 そこでまた、アレクは沈黙する。

 言うべきことを言い切ったという感じではない。

 この先を言うべきか迷っている、という感じだ。


 迷いの結果、言うことにしたらしい。


「……ですが、あなたは子供の味方でしょう?」

「わたくしが、子供の味方?」

「あなたがすべての恐怖をはねのけて能動的な行動をする時は、いつも『自分より年下の、不遇な子供たち』が理由ではありませんか」


 言われて、ハッとする。


 たしかにそうだ。


 かつて育てられていた場所に戻った時、モリーンはいきなり犯罪者の濡れ衣を着せられ、尋問されそうになったことがある。

 その時はびっくりしてほとんど反射的に逃げ出してしまったけれど――それでも、きっと、いつか、あの家に戻ったような、気がしてならないのだ。

 濡れ衣を着せられると理解し、その先に『死』しかないとしても、けっきょくあの家こそが戻るべき楽園だと思ってしまう自分を、簡単に想像できるのだ。


 愛の鞭ではなく、ただの鞭で打たれるばかりの生育環境だと理解したけれど。

 それでもあの場所はモリーンにとって唯一の『楽園』だった。

 あの場所の居心地の悪さに気づいた直後はともかくとして、今振り返れば、間違いなく、あの家のころのような生活を望んでいる自分がいるのを、否定できない。


 けれど自分と同じように、自分より年下の子供たちも罪を着せられ、尋問され、殺されるかもしれないと気づいた瞬間――

『弟妹』たちを助けなければいけない、という使命感に心が燃えた。


 その熱意はあやうく空回りしかけて、『弟妹』もろとも犯罪者として追われるような状況にしかけたりもしたけれど、アレクの協力を得て、どうにかなった。


「あなたが心の底から自分を『聖女』と信じる必要はありませんが、せめて、子供の前では『聖女』を演じてみていはいかがですか?」

「……」

「そうすることで救われる子供がいると認識できたならば、あなたはきっと、救いたいと思うでしょう?」


 ――ミシェラ。


 その幼い姿を見る。

 同じ人種で、同じ性別で、けれどまったく違う環境で育った女の子。


 モリーンはミシェラの精神を自分よりもずっとずっと強いと思っている。

 美しさでも、負けていると思う。


 だって、ミシェラのように迷わず行動できる自信が、自分にはない。

 自信のある人こそが美しい。これは、モリーンがずっとずっと思い続けていて、たぶん未来でも変わらない価値観だろう。


 自分はきっと、醜く卑屈で、下を向いて、猫背で歩き続ける。


 それでも、人前で背筋を伸ばすぐらいの礼儀は、もう、身につけるべきなのだろう。

 だって、ミシェラよりも、もう、ずっとずっと、大人なのだから。


「……アレク様、わたくし、昨日この宿に来た時に、この宿に入るのがたいそうおそろしく、足がすくんでしまっていたのです」

「宿の設計がなにか冒涜的だったでしょうか?」

「……いえその、そういう話ではなく。……この宿に来ると、過去を思い出すのです。大変だった日々を……今の自分より実績は全然ないのに、間違いなく、今の自分より『大人』だった過去を。それと対面するのが、つらかったのだと思います」

「…………なるほど」


 この『なるほど』は、わかってないヤツだ。

 モリーンは笑った。


「……誰かが用意してくれた楽園にすがればいいだけの時期は、とっくに過ぎていましたのね」


 お膳立てしてもらって、ここまで来た。

 運がいいだけだと思っていた。協力者に恵まれただけだと思っていた。

 自分には実力なんかないと思っていて――思っている、だけだった。


『そのままでいい』。


 無意識のうちにそう自分に言い聞かせて、甘えていたのだった。

 助けてもらっておいてそれにふさわしい自分になる努力もせず、運がよかったと言いながら、運が向かなくなった時に備えるようなことをしなかった。

 なにも切迫せず、自分が決断すればすべてが進むところまで来て、決断するのをおそれていたのだった。


 責任を負うということに慣れていなくて、やりたくない、だけなのだった。


 ……そうやってまとめれば、さすがに、『このままではいけない』と思える。

 人の思想は自由だとアレクは言う。甘えん坊でもいい。責任を回避してもいい。……けれど、自分がやるしかない状況で逃げ続けていたら、きっと、生きていけない。


 誰かを護るには力が必要だ。

 圧倒的な、力が。


 虐げられている子供たちを護るための力が必要で、それは、腕っ節ではなかった。

 もっと別な、最近ようやく見えてきた、アレクの、腕力以外の強さみたいなものが必要だ。


『わたくしは、聖女になれるでしょうか?』


 たずねようとして、言葉を飲み込んだ。


 なれるか、ではない。

 ならなくてはいけない――でもない。


 なれるように努力する権利があるのは自分だけ、という話だ。


『聖女』という肩書きにあこがれる子供に応えたいのは自分の欲望なのだから、それをかなえるためのあらゆることは、自分の意思でするべきだろう。

 誰も強要してくれないからこそ、自分が、自分の責任で、そうあろうとするしかないのだ。


 ……アレクは絶対に強要なんかしてくれない。

 彼は、救いを求める者が、自分で自分を救えるようになるまで、鍛え上げることしかしないのだから。


 視線をミシェラに戻す。


 彼女は、青と赤の瞳をうるませて、ボロボロと泣いていた。

 泣きながら、祈るように両手を組んで、モリーンを見ていた。


 あまりの狂信的な様子にぎょっとする。

 ミシェラは感極まった表情でつぶやく。


「女神様が、今、女神様になったんだ。モリーン様はやっぱやべーよ。超すごい。綺麗すぎて泣くの止まらない」

「……」


 頼れないと決めたが、さすがに想定外すぎて、モリーンはアレクを見る。

 アレクは肩をすくめてため息をついたあと、口を開く。


「ミシェラさん、それで、どうなさいますか?」

「え? なにが?」

「雰囲気的には、もう、あなたがモリーンさんと戦うことはなさそうですが、修行はやめますか?」

「あっ、そうですね。女神様の聖女になるとか思い上がって本当すいません……聖女なんかいらなかったんだよ。誰かを目標にしなくても、ひとりでに輝けるんだよ、本物は。超すごい……生女神見れてよかった……ありがとう、ありがとう運命……尊すぎて死にそう……」


 つぶやくミシェラの全身が光に包まれる。


『あこがれ』を失って悲しむ少女は、もういない。


 舞い上がった輝ける粒子は、昼日中の空へとのぼって、消えた。

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