11話
そこではアレクが当たり前のような顔でモリーンを出迎える姿勢をとっていて、ミシェラは物言わぬ屍となっていた。
屍は青白い光に包まれると空へ溶けるように消えて、そばにあった『セーブポイント』――浮遊する青白く発光する球体――のところで復活した。
ロードされる他人を客観的に見るとそれは美しい光景だった。今が夜中だったならば、きっと幻想的だとさえ思っただろう。
美しいに決まっている。たぶんあれは命のきらめきだ。
苦しみ抜いて死んだ者が最後に発した光なのだ。
きっと怨嗟が強ければ強いほど光が大きくなるとかそういうことがあるに違いない。
あるいは食べた豆の個数だけ光の粒子が増えるとか、そういうアレだ。
「俺はミシェラさんからの手紙を拝読していないのですが、修行風景を見てもいいという許可があったんですか?」
意外だ、とでも言いたげにアレクは首をかしげていた。
モリーンは手にしていた長い杖をぎゅっと握って、左右で色の違う瞳をアレクに向けた。
「ミシェラさんからの手紙には、『モリーン様は女神です』しか書かれていませんでした」
「まあ教えてほしいと言われた文字がそれだけでしたからね……しかし、便箋を四枚も使って、内容はそれだけだったんですか?」
「アレク様……わたくしは、あなたの修行の効果や、それがいかにわたくしを助けてくださったか、よく存じ上げております。あなたの修行は、間違いなくすばらしいものです」
「恐縮です」
「けれど……わたくしのせいで、まだ幼いミシェラさんのような子が、あなたの修行という憂き目に遭うのを、やはり見過ごせません」
「俺の修行はモリーンさんの中でどういう位置づけなんでしょうか……」
すばらしいものなのか、『憂き目』と表現されるようなものなのか、どっちだろう。
アレクが困惑していた。
モリーンは、アレクの背後で倒れ伏すミシェラに目を向ける。
復活直後のうえ、モリーンの登場で修行を一時停止しているからだろう、彼女の姿は、『天気がいいから見晴らしのいい場所で寝そべっている』という感じだ。
しかしミシェラが死に、光の粒子となる直前、彼女の腹が痛々しくふくらんでいる光景を目に為てしまった……彼女はもう、『豆』に入っている……
『豆』は、『崖』で心折れて、しかし『これ以上に理不尽で意味がわからなくてつらい修行は、今後ないだろう』と思っているところにたたみかけられるものだ。
しかも『豆』を終えれば『これ以上に理不尽で以下略』がないかと言えば、修行はエスカレートするばかりなのである。
止めなければならない。
ミシェラの心が、人のかたちをたもっていられるうちに……
モリーンは杖に魔力を込める。
「ミシェラさんを修行から解放してくださいませ。わたくし、そのためなら暴力も辞さない覚悟でおります」
「……ふむ? ではどうぞ」
アレクは体を一歩横に移動させた。
モリーンからミシェラまで、視線が通る。
モリーンは困惑し、まばたきを繰り返す。
「えっ? その、アレク様、どういうおつもりですか?」
「……そちらこそ、どういうつもりだったんですか?」
「わたくしは、ミシェラさんを修行から解放するためなら、あなたと敵対してでもという心づもりで」
「相変わらずのようで安心しましたが、モリーンさんは一つ、大きな勘違いをなさっている」
「……なんでしょう?」
「修行は、あくまでも修行者の意思で行われます。修行をやめさせたいならば、俺と敵対する必要はありません。『修行をしたい』という修行者の意思をくじかせるべきなのです」
「……」
「つまり、敵対すべきは、『修行をしたい修行者』と『修行をやめさせたいあなた』であり、俺が介在する余地はありません」
……そうでした。
アレクは強要だけはしない。
実質強要というか、催眠みたいなことはするのだが、やめたいという断固とした意思を無理矢理曲げさせるようなことはしないのだ。
まあ本人は修行を中途半端にして放り出すのが気持ち悪いようで、『本当にやめるの?』というような気持ちを態度に出すことはないでもないのだが、基本的には修行者の意思を優先する。
……それは修行者の意思を優先しているのだろうか?
わからない。モリーンはアレクとの付き合いは長く、そして深いと思う。
けれどアレクについての情報が集まれば集まるほど、『彼について考察するのは無駄』という可能性がより強くそびえ立つのだ。
ともかく今大事なのは、ミシェラが一言『やめたい』と言えば済む状況になっていることだ。
モリーンは倒れ伏したままピクリとも動かないミシェラのもとへ近寄り、彼女のそばに膝をついた。
のぞきこんだミシェラの顔には、憔悴の色が濃い。
あれほど若々しくハリのあった肌はカサカサになっているように感じるし、魔族ならではの白い肌は、死んだような、温度のないものになっていた。
青と赤の瞳は焦点を結んでおらず、目の端からはわずかに涙がこぼれているようにも見える。
「ミシェラさん、ミシェラさん」
呼びかける。
ミシェラの焦点が、モリーンへと結ばれた。
「……あ、めがみ、さま……しぬの? あたし、ようやく……」
「ミシェラさん! わたくしは女神ではありません! モリーンです!」
「ああ――きらきらして、きれい」
ミシェラがガクリと上げかけていた頭を落とす。
「ミシェラさーん!?」
「…………あっ、死んでない、死んでないです。死にますね。今死にます」
「ミシェラさん、正気に戻って!」
どうしてこんなことに……
ミシェラが修行にいたった経緯に深くかかわっているモリーンは、罪悪感のあまり泣きそうだった。
自分が最初からこの世に存在しなければ、ミシェラはこんな、生命の最果てみたいな経験をすることもなく、幸せに生きていけただろうに……
しばし「死にます、今死にます」とくりかえしていたミシェラだったが、急に目に輝きが戻る。
「……えっ、モリーン様!? なんでここに!?」
「あなたとアレク様から手紙をいただきました。ただごとではない様子だったので、あなたの修行をやめさせに来たのです」
「……手紙?」
書いた記憶さえ、もう……
モリーンはちょっと泣いた。
「あなたから便箋四枚におよぶ手紙をいただいたのですよ」
「……あ、思い出してきた……そうだ、たしか、修行は順調です、心配はいりません、っていうのを書いた記憶があります。あたし、字は書けなかったけど、なんでかその手紙の中ではすらすら思ったことが文字になって……」
嬉しそうに語るミシェラを、直視できなかった。
モリーンはミシェラからもらった手紙を彼女に差し出す。
ミシェラはそれを受け取り、見た。
そして顔を赤くした。
「ご、ごめんなさいモリーン様! こんな、愛の告白みたいな手紙を突然送ってしまって……!」
「愛の告白!? これがですか!?」
「修行をしてて、やっぱりモリーン様は超すっごいっていう気持ちでいっぱいで、もう聖女っていうか女神でしょこれみたいな感じで、女神はすごいんですよ。聖女よりランクが上ですからね。できないよあたし。こんな、自分のためじゃなくって、人のためにこんなこと、無理だよ。モリーン様は女神だよ。嬉しいなあ、嬉しいなあ、こんなあたしでも、モリーン様とお話ができるんだ。やばいよほんと。女神ですよ。ありがとう、ありがとう」
「正気に戻ってくださいませ」
「あのねモリーン様、豆を食べながら思ったんです。口の中に苦痛を詰め込むこの修行だけど、モリーン様の腕の中で死ねたらすごく楽しいんじゃないかって。だからモリーン様、すごいあつかましいお願いだけど、あたしを抱きしめてください。あなたの腕の中で豆を食べて死にたいって、ずっと願っていたんです。十回ぐらい看取ってくれたらそれで満足です」
「ミシェラさん」
語気を強めて呼びかける。
ミシェラはどこか正気を感じない、ふかしぎな笑みを顔に貼り付けていた。
「修行は、やめましょう。あなたがこんなに苦労する理由はありません」
ミシェラはニヘニヘと笑っている。
モリーンはあおむけに寝転がったままのミシェラの後頭部に手を回し、彼女の上体を抱き上げた。
「わたくしなんかのために、あなたが苦労することはないのです。わたくしは、あなたの死を厭わぬ苦労に対し、返せるものがなにもありません。わたくしはあなたが思うほどすばらしい存在ではないのです」
ミシェラはまだ笑っていた。
数秒そうしていたが――
不意に、正気を取り戻し、表情を引き締めた。
「……やめてください」
怒気をはらんだ声だった。
それはそうだろう――死ぬほどの努力をしているのに、その努力は無駄だと言われたのだ。怒りもする。
モリーンは申し訳ない気持ちを覚えながら、言う。
「今ならまだ、取り返しがつきます。あなたの死生観が完全に変わってしまう前に、この修行は中止すべきなのです。わたくしのために修行をするよりも、あなたの心が、大事です。こんなわたくしごときのために懸けていい命など、一つもないのです」
「モリーン様が冒険者ギルドでひとりぼっちだった理由がわかりました」
その声には、強い強い、いらだちがあった。
ミシェラはふらつきながら立ち上がる。
モリーンは、膝をついたまま、呆然と――突然の話題転換についていけないという顔で、彼女の顔を見上げた。
「……なんの、話でしょう?」
「田舎にも名前がとどろくぐらいの人なのに、冒険者ギルドでひとりぼっちだった理由がわかった、と言ったんです。……あなたはそうやって、他人をおとしめてるんだ。だから、みんないやがって、近寄らないんだ」
「え?」
おとしめている気はなかった。
むしろ、自分なんかのために命を懸けるのはもったいないと、そう言っているつもりだ。
けれど、ミシェラは、激しい怒りを押し殺すように、続ける。
「世の中に大勢いる『あなた未満』の一人として言わせてもらいますけど、あなたは、美しくて、強くて、多くの人を救ったんです。それなのに、あなたが全然自分のことを認めないから、『あなた未満』の人たちは、話してて居心地が悪くなるんだ」
「……わたくし未満? そんな人など、この世に一人も……」
「聖女と呼ばれて、魔族への差別を解消した。ダンジョンを七つも制覇した。……アレクさんに聞きましたよ。宿屋経営のための準備も終えてるらしいじゃないですか」
「……それは……」
それは、すべて、事実だ。
けれど、けれど、モリーンはそれらすべてを『幸運に恵まれた』と思っていた。
自分だけの力で成し遂げられたことなど、一つもない。
アレクを始め、色々な人の協力がなければ――自分がもしもたった一人ならば、成せたことなど、一つもない。
運がよかっただけです、と言おうとした。
でも、涙を浮かべながら、怒ったようにこちらをにらむミシェラを相手には、なにも、言えなかった。
「あなたと同じ年齢で、あなたよりすごいことをした人が、どのぐらいいると思ってるんですか?」
「……」
「いませんよ。一人だっていません。歴史を見ればいるかもしれないけれど、あなたのしたことは、全部、歴史的偉業なんです。……なのに、それを大したことないとか言われたら、あなた程度にもなれそうにないあたしは、どうしたらいいんですか!」
言われていることが、ようやくわかった気がする。
モリーンは卑屈で自己評価が低い。自分の価値をうまく認められない。――自分を、信じられない。
だけれど――少なくとも実績だけを見れば、モリーンはうまくいっている。
いくら運がよかったとか、協力者に恵まれたとか言っても、そんなのは内情にすぎない。世間は『モリーンが偉業を成し遂げた』としか、見ないのだ。
モリーンは、自分になかった感情を発見した。
『あこがれ』。
目指すべき『聖女』のいなかったモリーンは、『自分の聖女』をけなされた人が怒るということが、わからなかった。
まして、聖女自身が、自分をおとしめるようなことばかり言い続けるのを聞かされた者の気持ちなど――わかりようはずも、なかった。