10話
少しだけ期待していた。いや、『忘れていた』のだろう。
ミシェラはせいぜい十二歳ぐらいの幼い女の子だ。
いかなアレクといえどもきっと手心を加えてくれるだろう――そういう、期待だ。
後悔している。
なぜ、アレクを『人』のような思考をする生き物だと考えてしまったのか?
そもそもアレクは幼かった彼の娘たちにも修行を課していたらしい。
さらにギルドマスターの孫などは見た目だけなら子供そのものだった。近衛騎士をやっている友人などは、修行した当時、十三歳とかだったはずだ。
それでも彼の修行には容赦がなかった。
……いや、そうではない。
アレクにとっての『手心』は、『修行を甘くすること』ではないのだ。
彼が修行者に優しくしようと思えば、修行がより苛烈になる傾向がある。
なぜならばアレクの修行は『自分が力を貸さない状況でも死なないように鍛え上げるもの』なのだった。
修行の苛烈さはそのまま彼の思いやりの深さであり、修行者を死なせた回数は彼の優しさの発露なのだ。
彼には『セーブ&ロード』という異能がある。
彼だけが生み出せる不思議な物体に『セーブします』と宣言すれば、死んでもその物体のそばで復活できる。
装備などの損耗は回復しないが、復活前に所持していたものは持ったまま復活できるし、得た経験や技術なども、保持できる。
これを使って行う『死を前提とした狂気のレベリング』が彼の修行なのだった。
この修行の最大の問題は記憶を保持して復活してしまうことであり、セーブ&ロードの基本的な用法が『死ぬかもしれない場所に挑むための保険』なんかではなく、『死ぬ前提で意味不明難易度の環境に放り込むためにすること』なのだ。
その結果、心が死ぬ。
常識が少しずつ削り落とされ溶かされるような気持ちはモリーンにとって懐かしいものだった。
死はおそろしく、自分が死ぬ光景を何度も見せられるのは息もできないほどの恐怖だ。
しかも状況によっては全然死の危機から脱していない場所で復活させられ、『死なないようになるまで死にながら鍛えましょう』とか笑顔で言われたりする。
そう、『言われたりする』のだ。
こっちが死ぬような目に遭っている目の前に、たいていアレクの笑顔がある。
なんでも『可能な限り修行者と同じ苦労をする』という方針があるらしいのだが、自分がバタバタ死んでいるのに全然平気な顔して木の根とかかじってたりするのだから、なんかもう、死よりこわい。アレクがこわい。
こんな環境で死なないなんて不可能です! と反論しようにも、目の前に『死なないようになった実例』がいるせいで、そういう逃げ道さえない。
……色々な話を聞いていて、アレクが本当に拷問関係の知識や技術を得ているという疑いも抱いているのだが、それとは別に、あの人は素で『なにか』がおかしい。
ああ、なんでこんなことを忘れていたのだろう!
あんな恐怖体験、忘れられるはずなんかないのに! わかっていたから、最初、ミシェラに『絶対に修行を受けないように』と忠告までしたのに!
自分が――ミシェラを死なせてしまった!
そしてミシェラはたぶん、今も現在進行形で死んでいる!
モリーンは走って通行人をはね飛ばしてもいけないので、王都内を可能な限りの『早歩き』で抜けていく。
『銀の狐亭』にとどけさせた手紙が返ってきたということは、二人は手紙を受け取って返事を書くことはしたのだろう。
けれどモリーンの修行経験上、アレクとミシェラは今、崖から飛び降りたり崖そばで恐怖の豆ランチタイムを行っているあたりのはずだ。
アレクもおかしいがアレクファミリーもだいたいおかしい。
『宿屋にとどいた手紙を奥さんが受け取った』
『奥さんがアレクに手紙をゆだねて、返事を書かせた』
『書いた手紙を受け取って、宿屋に戻り、使いの者に渡した』
……という工程を瞬きのあいだにこなした可能性も高い。
アレクファミリーは全員、『王都』~『いつもの崖』間を瞬きのあいだに往復することが可能な速度を持っているのだ。
そう判断したモリーンが向かったのは、『いつもの崖』だった。
『自殺の名所』『夜な夜な悲鳴が聞こえる』『暗闇の中にぼんやりと青白い光が浮かんでいる』『腹をまるまるとふくらませた奇妙な女の姿が見えた』などの怪談に事欠かないそのスポットは、アレク愛用の修業場だ。
モリーンは速度こそ『王都』~『いつもの崖』間を一瞬で往復できるぐらいになっているのだけれど、それは『直線的に進むことができて』『壊してはいけない障害物があいだにない場合』に限る。
最高速度を出した場合、たくさんの通行人たちを真っ赤な噴水にしながら進むことはできても、彼らの身の安全を保証しながら進むことは難しい。――アレクに曰く、『DEXの伸び率が低い』というのが理由だ。
だからもどかしく思いながら早歩きで王都を抜け、そこから全速力で『いつもの崖』に向かった。