File No.03 とある研究者の足跡
私はモルガナ・リヴァン・デルフィナス。
光都デルフィナスの指導者であると同時に、虹素研究機関アルカンシエルを創設した者。
政治家でもあり、研究者でもある。
これは、そんな私が残す最後の手記となるかもしれない。
私が隠し持ったボイスレコーダーの記録は自宅の家政ロボットの記憶メモリーに転送するようにしてある。
ロボットには、転送したデータを書面に起こし、以前の記録と併せ、しかるべき場所に封ずるよう指示を出してある。
万一の為の保険だ。
ないと思いたいが、フェイスは私の生存にたいした価値を見出してはいない。そうも思う。
私は現在、フェイスのラボへと向かっている。
その研究内容、その目的、そして奴自身の秘密。
可能な限り暴き出して、それを記録する為だ。
護衛等の戦力は用意していない。奴に警戒心は抱かせたくはないからだ。
不安ではあるが、護身用の拳銃のみを携帯することにした。
フェイスのラボに到着した。
事前に訪問する旨をメールで送っておいたおかげか、簡単に敷地内に通された。
そしてラボの前に立ち、入口の端末を起動する。
「ようこそ、導師リヴァン。」
スピーカーから懐かしい声が聞こえる。
かつて私の全てを引き継ぐ者として寄せた大きな期待を軽々と上回った、素晴らしく有望な。そして恐ろしく危険な男の声。
「久しいな、フェイス。今日は恥ずかしながら、君に相談事があって参上したんだよ。」
「導師が私に?珍しいこともあったものですね。では奥の応接室でお待ちを。すぐに向かいますので。」
入口の端末越しの会話だった。そして端末が停止し、入口のドアが開く。
私は一旦深呼吸。
気持ちを落ち着け、中へと進んでいった。
応接室に入ると、そこにいたのは昔と変わらぬ姿で私を歓迎するフェイスだった。
「変わっていないな。君は。まるで歳をとっていないかのようだ。」
「クフフ。そうですね。一度研究を始めてしまったら歳をとっている暇などありませんから。」
歓談もそこそこに、フェイスの方から切り出してきた。
「それで導師リヴァン。私に相談事とは?」
「ああ、そうだね。早速聞いてもらってもいいかな?」
私は冷静に言葉を選び、発言する。
「君はすでに私を超え、今では光都一の虹素研究者と言っても過言ではない。私はそんな君に教えを乞う為に来たんだ。」
「教えですか。それはどのような?」
本来の目的となる内容からは脇道にそれる形になるが、こちらもまたフェイスに問いかけてみたかったことでもある。
「私が導師として人々を導かんとする到達点。人類の救済についてだよ。」
「救済…、ですか。」
しばらく黙していたフェイスだったが、一言呟いてから視線で話の続けるように促してくる。
「私は虹素の働きに人類救済の可能性を見た。…それは可能だと思うかい?」
「思いますね。」
フェイスは即答、そして断言した。
「あくまで救済の形にもよるかもしれませんがね。」
「君の考える実現可能な救済の形とはどのようなものなのかな?」
あくまで冷静を装う。
そして私はフェイスに問い返していた。
「それを語る前に一つ聞きます。人類が救済を必要とするまでに弱体化してしまったその原因は何であるとお考えでしょうか?」
私はしばし思考し、その考えを正直に告げた。
「我々の文明は発展しすぎてしまったのではないかな?」
完全に浄化、滅菌されたデルフィナスの生活環境では、人体の免疫機能の衰えを指摘されている。
高度に自動化された設備は、人体から頑強さや運動能力を奪い去ってしまった。
体になんら負荷をかけない暮らしに浸りきった人々は、その内臓機能も低下し、人類は脆弱な種となりはてていた。
「最近では仮想現実に魅せられ、そのまま帰ってこない者も多い。一生を睡眠カプセルの中で過ごすことを自らが望むのだ。」
私は嘆き、失意に首を振る。
「そうですね、私もそう思います。さらに補足すれば、人類が恩恵を得られなくなったことが衰退の始まりであり、その原因は機械文明にあるとも考えています。」
仮にデルフィナスが高度に発達した魔法文明を誇る都であるとしたら、人類の弱体化はあっても恩恵は失われなかったのではないか。
フェイスはそう語った。そして、あくまで仮説ですが。と付け加えた。
機械文明への傾倒は魔力を軽んじ、それが恩恵を失うことに繋がったのだとする考えだ。
「もしこの仮説が真実であるとすれば…。」
私はフェイスの言葉を一語一句聞き逃さぬよう、さらに集中する。
「光の女神は姿を隠したのではなく、我々の側がそれを知覚できなくなっているのかも知れませんね。」
恩恵を宿す人間が激減したことは、光の女神が姿を消したことがその原因ではないか。
光都ではこれまでそのように言われてきたが、フェイスはそれを原因と結果が逆であると推測しているようだ。
「まさか…、そんなことが…。」
考えもしなかった。しかし、否定することもできない。
言われてみれば。フェイスの言葉には、そう思ってしまう部分が多分に含まれていた。
「実は根拠もあるんですよ。」
極々少数だが、現存している恩恵保有者は、光の女神の姿はなくともその加護を感じ取っている、という説がある。
「ご存じの通り、私も恩恵を宿しています。そして私もまた、感じるんです。」
「女神の加護を…。かい?」
「えぇ、デルフィナスの遥かな上空から。何と言いますか、私達を癒そうとするかのような…。うまく言えませんね。」
「しかし上空に何かが観測されたという報告や記録はないはずだが…。」
フェイスはにっこりと笑い、それが分かり切ったことであるかのように返答した。
「機械の眼では知覚できないのかも知れませんね。光の経典に記された楽園、神都パラディウムは。」
もっと早くに、いや、むしろ最初にフェイスとこの話をするべきだった。
私がフェイスと話していたのは虹素の研究に関連することばかり。
最初から、救済の協力を願い出るべきだったのではないか。
私の中に後悔の念が沸き上がる。
「話を戻しましょうか。救済の形でしたね。」
フェイスが語った救済の形は三つ。
【救済案A】
まずは人類を虹化による進化で生命体としての強化を施すこと。
人ではなくなってしまうが存命は可能となる。
このプランであれば即時救済が可能であると思われる。
「これはまぁ、最終手段でしょうね。やはり人のままでの救済がよいでしょうから。」
【救済案B】
人類から文明を奪い去り、種としての再起動を図ること。
こちらのプランでは、人のままでの存命が可能だが、文明という力を失った人々は永い年月を苦しみに耐えることになる。
しかも今のデルフィナスの都民の大部分はそんな生活に耐えることはできない。
「実はこの計画、すでに実行中なんですよね。西方の大山脈の麓周辺にいくつかの集落ができていますよ。」
「は?私の所には何の報告もきていないぞ!!」
私は思わず声を荒げてしまった。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。報告ではありませんが、何年か前に光都の離反者のニュースがあったでしょう?あれですよ。」
「済まない、つい興奮してしまったようだ。」
「たしか導師の元には全員行方不明という結果報告が届いたと思います。」
当時の記憶を漁ると、確かにそんなことがあった。
「どこまでも逃亡する彼らを、追跡部隊も追い続けることはできなかったようですね。」
「そうだったのか…。」
「導師リヴァン、研究もいいですがあまり足元をおろそかにするものではないですよ?」
確かにその通りだ。都市の指導者としてあるまじき失態と言える。
「返す言葉もないよ。フェイス、君の言う通りだ。」
そう言いながらも、私の中にとある疑念が沸き上がる。
(何故この男は離反者達の現状を知っている?そんなことは都市の誰もが知らないはずだ。)
【救済案C】
「これがデルフィナスの今を生きる人々に有効と思われる救済案となります。」
まず、段階的な機械文明からの脱却。
「少なくとも、仮想現実での幻想遊戯は即禁止とすべきです。まずは現実と向き合わねば。」
そして自動設備も少しずつ減らしていき、身体機能の低下を抑制する。
できないことを機械を使ってやるのはいい。ただし、できることは自分の力で。そういった風潮を根付かせること。
「このあたりは政治の領分でしょうから、導師の腕の見せ所ですね。」
ただし、このプランは長期的な救済案だ。
私の存命中には救済は叶わないだろう。
最後に、保有魔力。これの増量が救済には不可欠であるとフェイスは語る。
「先程は恩恵のあるなしで比較しましたが、女神の加護を知覚できるかどうか、これは保有魔力の違いだと考えています。」
「魔力…?そんなものは旧時代の人間でもなければ…。」
「恩恵を保有する者は皆、僅かな魔力も保有しているんです。それが加護を知覚する原因となっているのです。」
私はこれまで考えもしなかった方向からの救済のアプローチに驚き、言葉を返せずにいた。
「この魔力を保有させ、増量する為に虹素を使います。」
「え?何を言っているんだ?人のままでって言ってたじゃないか。化け物に変化させては…。」
「導師リヴァン。浄化虹素を投与するんです。人間に。」
私は浄化虹素の投与は虹素との親和性を高める為に、そう考えていた。
どうやらフェイスの考えは違うようだ。
「説明しましょう、虹素という物質について。私もその起源等は解りませんがその特性について知り得ることを。」
はじめに、魔力とは何なのか。それはエネルギーの一種であるとフェイスは言う。
機械が熱や電気、力の作用で様々な事象を引き起こすのと同様に、旧時代に使用されていた魔術は魔力を用いてそれを成す。
「ちなみに魔力は物質化させることもできます。これも魔術を用いてですがね。」
虹素は魔力に酷似したエネルギーの物質化したものではないか。フェイスはそう考えた。
そして、私の言う虹素との親和性、これを魔力の保有量とみなす。この結論に達したのだろう。
「浄化虹素を投与して魔力を高めることは、女神の加護を得て、将来は人々が恩恵を宿すことと繋がるでしょう。」
機械文明を象徴する力。
それは光都において科学と呼ばれるものだ。
高度に発展した科学が人々を弱体化させる猛毒となってしまっているのだ。
要は科学のおかげで自分でやらなくてもよくなったことが、現在は自分でできなくなったことになってしまったということだ。
「現在の人類は科学によって生かされていると言ってもいいでしょう。ですが自らの力で生存できない種に未来はありません。」
「科学の力もまた人類の力であると考えることもできるが、あくまでそれは外付けの力。そういうことかな?」
「そうなりますね。生命体として退化現象を伴う程の便利さはむしろ堕落の猛毒、と考えて差し支えないかと思います。」
そしてそのような猛毒に侵され、それでもなお猛毒を飲み干し続ける人々を救う方法。
世代交代を経ずとも可能な人体の賦活には失われた魔力の復活が最も劇的に作用するだろう。
簡単に言えばフェイスはそのように考えたのだ。
機械文明からの脱却と言っても、人類にとって毒となる部分のみだ。
光都の人間の大部分は原初の生活には耐えられない。
「何事もやりすぎはよろしくないということですね。適度な科学と適度な魔力。これが私の考える光都民向けの救済案です。」
具体的な方法として提示されたのは政治的アプローチによる機械文明からの段階的脱却と浄化虹素の投与。これだけだ。
「この救済案には時間が必要となるでしょう。いかにして救済を加速するかは今後の課題でしょうね。」
全てを、とはいかないだろうが、このプランによって多くの人々が助かるかもしれない。
三つの救済案を一通り聞き終えた私は、目の前のフェイスという男にただ、感服した。
「やはり君は天才だ。」
これだけを口にする。そして同時に決意する。
(これほどの能力を持った男が、人類を救う救世主となるか、それとも人類を滅ぼす魔王となるのか。確かめねばならない。)
私は覚悟を決めてフェイスに問いかける。
「そんな君は…、一体何者なんだ。」
持ってきた資料を広げる。
過去に存在した、フェイスと完全同一の魔力紋を示した人物達の資料だ。
資料を一瞥したフェイスは、特に慌てる様子もなく嬉しそうに笑う。
「クフフフ。導師リヴァン、それらは全て私ですよ。」
…意味が分からない。
「魔力を軽視する導師が魔力紋を調べるとは驚きですね。やはりあなたこそが真の天才です。」
「よしてくれ。私は今も君への敗北感に打ちのめされているんだから。」
気落ちする私に嬉しそうな顔を見せてフェイスが立ち上がる。
「面白い物をお見せしましょう。」
フェイスはそう言って私を研究室へと案内した。
「研究成果を見せてくれるのかい?」
「そうですね。やはり師に成果を見て貰うのは心躍る瞬間ですからね。」
移動の最中、簡略化された研究資料を渡される。
虹人…浄化虹素の投与を続け、高い魔力保有量を獲得するに至った種族。魔力以外は人間と変わりない。
魔人…長期間に渡って虹素の摂取を停止した虹人が魔人となる。虹人との差異は特に見受けられない。
害人…虹素の汚染を受けた人間。理知を持たぬ怪物であり、その形態や能力は個人差が大きい。レベルは55~65程度。
虹鬼…害人の上位種。知性や能力に大きな個体差がある。保有魔力量で変動すると思われる。高確率で恩恵が発現。レベルは80以上。
私は資料の内容に絶句していた。
研究室の扉の前に辿り着き、そこで私はようやく声を絞り出した。
「フェイス…。人体実験を行ったのか…?」
「人を変革するにあたって人で実験せずしてなんとしますか?」
それに対しフェイスは平然と言い切った。
「動物と戯れている間にも多くの救われるべき者達が物言わぬ屍になっているのですよ?」
フェイスは研究室の扉を開け放った。