079 糾弾
「それでは交渉を呼びかけた私が口火を切らせていただくことにしよう。」
最初に発言したのはレギオン宰相だった。
「此度の帝国と連邦の王国への領土侵犯について、私はその行為自体を非難するつもりはない。」
この宣言に対し、最も大きな反応を示したのは交渉の席に座る者達ではなく、転移枠の向こうにいたエトワールだった。
「レギオン宰相!!?何をおっしゃっていますの!!?」
真っ赤な顔をして抗議するエトワールの声が円卓にまで届いている。
「魔女殿、せっかくだ。エトワール王女殿下をこちらに招いてはどうだね?宰相殿は全権をもってこの席についておられるようだが殿下はその言動に納得がいかないご様子だ。」
「私も構いません。幼くとも王族。参加の資格は十分でしょう。」
ラスタバン議長とバルディアの余裕のある態度はむしろエトワールの神経を逆撫でする結果になった。
「望むところですわ…。」
エトワールは転移枠を通過してこちら側に降り立つ。
そしてレギオン宰相の隣に立ち、ラスタバン議長とバルディアを睨みつける。
「他国を侵略することは明確な悪ですわ!王国では侵略に伴う数々の破壊工作において大勢の犠牲者が出ていますのよ!!」
エトワールはラスタバン議長とバルディアを指して宣言した。
レギオン宰相はその隣で両目を堅く閉じている。
「フフフ。何を言うかと思えば。殿下?他国を侵略するのに犠牲が出るのは当然ではありませんか?」
バルディアは小さく笑いながら返答する。
「そうだね、それに大公殿の計画は可能な限り犠牲を少なく侵略を可能とするように工夫されていた。侵略の規模に対して死者の数は驚く程に少なかったと考えるが?」
ラスタバン議長も言いながら肩をすくめて見せている。
「それでも!!帝国と連邦の侵略行為が非難されるべき悪事であることに変わりはありませんわ!!」
ふぅふぅと荒い息を洩らすエトワール。
「目の前に求める領土がある。だから侵略して手に入れる。これは悪い事ですか?殿下。」
「あ…、あ、当り前ですわ!貴方達に一体どんな権利があって平和に暮らす人々の生活を踏みにじるような行いをっ!!!」
「殿下?お言葉ですが、私達白銀帝国は王国民だけが平和で安定した生活を享受する権利を有する等と言う戯言を許容するつもりはありませんよ?」
あくまで冷静に、バルディアは冷たく言い放つ。
「そうではありませんわ!帝国の民の暮らしが厳しいことは私も聞いております。でも、自分の生活が辛いからと言って他者からの略奪を正当化することは認められませんわ!」
「では自分の生活が苦しくなった原因がその他者さんに略奪されたことが原因であり、それを奪い返そうとする場合はどうでしょう?」
「え…?」
エトワールはバルディアの言葉の意味がよく理解できず、一瞬呆けてしまっていた。
「簡単な事ですよ?我々は現在王国北部を侵略、制圧しておりますが、王国がそれを奪い返そうとする行いは正しいのかとお尋ねしているのです。」
「そ…、それは…。」
「土地を追われ、苦しい生活を強いられていても他者からの略奪は認めない。ならば自国の領土が減ったからと侵略を行うことはお認めに?」
「殿下!!」
エトワールが何かを返答する前にレギオン宰相はそれを制止する。
ガタッ。
音を立ててロッテが立ち上がり、発言する。
「バルディア様、それにラスタバン議長様。交渉役はあくまで宰相閣下と私です。王女殿下に対してはそのあたりでどうか。」
「殿下。後は我々に任せては下さいませんか?」
レギオン宰相もエトワールに退席することを望んでいる。
「くるくる。あたしと一緒に兄ちゃんのところに行くぞ。」
興奮状態にあったエトワールは、隣にやってきたナナが自分の手を握っていたことに気付いていなかった。
「あ…。わかりましたわ…。」
落ち着きを取り戻したエトワールはナナに手を引かれ、セロ達のいる長椅子に座る。
「エトワール、冷静になれたみたいだね。よかった。」
「セロ様…。見苦しい姿をお見せしましたわ…。」
セロはエトワールの頭を撫でた。
「見苦しいとか思っていないよ。エトワールはただ一生懸命なだけだ。」
エトワールはポロリと涙を零した。
「あのまま会話を続けていたら、どう答えても何らかの言質を引き出されていただろうから、危なかったね。あとは二人に任せよう。」
「くるくる、あのお姉ちゃんと黒髪のおっちゃんはお喋りレベルがすごく高いんだ。あたしに匹敵するかもしれねえ。」
だから負けて泣いて帰ってきても恥ずかしくないんだぞ?と異様に自己評価の高いナナもエトワールの頭をなでなでしている。
「うぅ…。お喋りレベルって何ですの…。でも迎えに来てくれてありがとうございますわ。」
「あたしは場の雰囲気を読み取ることにかけては定評のある女なんだ。本当はくるくる使えねぇって思ったけどちゃんと黙ってたんだぞ?」
「全然黙ってないじゃありませんのっ!!台無しですわ!台無しですわ!!」
エトワールは泣きながら怒っていた。
「ごめんね、バルディアがきついこと言っちゃって。」
そしてエトワールの前にはいつの間にかワンダー・リンリンが立っていた。
「殿下は間違った教育を受けているみたいだから納得できないかもしれないけど、善悪を語っちゃうと王国は交渉で優位に立つことはできないと思うよ?」
「間違った…?…教育…?…ですの?」
「簡単さっ!王国から発信される情報に王国に都合の悪い内容が含まれる訳がないってことだよっ!」
ワンダー・リンリンの言葉はまるで王国こそが悪であると断じているようにも聞こえる。
「まぁ、そうだね。王国の非道に最も被害を受けているのは帝国だ。善悪の話をお望みであれば、円卓につくのは補償を済ませてからにしてほしいね。」
ラスタバン議長もまた、辛辣な意見を口にする。
「わ…、私達が何をしたと…!」
エトワールは立ち上がろうとするが、セロはそれを押しとどめる。
「エトワール、レギオンさんとロッテを見て。」
円卓に目線を移したエトワールの視界に映ったのは、苦悶の表情を見せるレギオン宰相とロッテ。
「彼らの語る王国の実態はおそらく真実なんだ。だから反論できないでいるんだよ。俺達が知らないだけだったんだ。」
「セロ様…!!」
エトワールはセロの胸に顔をうずめて泣き続ける。
「すみませんが少しだけお時間を下さい。私も帝国の民の一人としてどうしても王国の代表に伝えねばならないことがありますから。」
今度はバルディアが発言した。
「交渉を終えてからと考えていましたが、丁度王国についての話題になっているようですしね。」
「帝国が王国を糾弾することは当然だ。私もその覚悟はしてきたつもりだ。」
レギオン宰相はこうなることを見越していたようだ。
真剣な表情でバルディアに向き合っている。
「レギオン宰相。貴方は先程、非難するつもりはないとおっしゃいましたね?」
レギオン宰相はその言葉に頷く。
「その発言は貴方が今に至っても我々を見下していることの証明であると判断します。つもりも何も、貴方に非難する資格などありませんよ?」
冷たく言い放ったバルディアからは何の感情も感じられない。冷静そのものだ。
「待ってくれ。私の発言が不適切な表現であったことは認める。そして同時にそれを謝罪する。」
レギオン宰相の発言に対しての返答はない。
続けてバルディアはラムドウルの現状の報告を始めた。
「現在ラムドウルには多くの帝国兵と帝国の一般民が滞在しておりますが、彼らはただの一人も王国民を傷つけてなどおりません。」
王国が帝国に対して行った非道は民にその責を問わず、為政者にこそその責を問う。
バルディアのその布告を帝国の民は守ってくれているのだという。
「そして今、私の目の前にはその為政者がいます。」
レギオン宰相は言葉を返すことができないでいる。
「宰相殿、謝罪は受け取りますが、全ての帝国民が貴方達を八つ裂きにしてやりたいと考えていること、お忘れ無きようお願いします。」
「セロ様、王国は過去にどのような非道を行ったと言うのでしょう?」
エトワールは泣きはらした眼をセロに向けて問いかける。
「俺も知っておきたい。交渉が終わったら教えて貰おうね。」
こくこくと頷くエトワール。
「あたしは勉強はイヤだぞ、兄ちゃん。」
「駄目だよ、ナナ。大切な事なんだから、ナナも兄ちゃんと一緒に勉強しようね?」
「むぅ。兄ちゃんが一緒ならいいぞ?」
ナナはあっさりと自らの意見を翻していた。
「あら、交渉の邪魔にならないタイミングでよければいくらでも語って差し上げますよ?」
バルディアからはむしろ語りたがっているかのような印象を受ける。
「王女殿下には真実を知ってもらって、素晴らしい為政者へと成長していただきたいですからね。」
エトワールに微笑んで見せたバルディアはレギオン宰相への糾弾を再開した。
「確かに宰相殿はその位を賜ってから日も浅い。ですが前任者の責として逃げるつもりもないご様子。そこはご立派だと思います。」
そして発言の続きをワンダー・リンリンが引き継いだ。
「ねぇ、宰相さんっ!前は軍務大臣さんだったんでしょ?蛮族狩りって聞いたことあるよねっ!?」
「そう。これに関しては間違いなくレギオン宰相殿にもその責任がありますね。」
ラムドウルの城壁を出て少し北上した辺りにある白銀帝国との国境。そしてその国境に建設された監視所を兼ねた壁。
そこを警邏する黒鋼騎士団による国境を侵犯する帝国民の排除。これの通称が蛮族狩り。
レギオン宰相の理解はこのようになっていた。
「白銀帝国の国土が極寒の雪原がその大部分を占める。多くの帝国民が越境を試みては捕らわれ、一定期間の投獄の後に帝国に返還されたと報告を受けている。」
「なるほど。宰相殿の認識については理解しました。ですが疑問に思わなかったのですか?その行為が何故、狩りなどと呼称されているのかと。」
「まさか…、これも偽りなのか…?」
呟いたレギオン宰相に、バルディアは無言の肯定をもって応えた。
「では私から、当時軍務の最高責任者であった宰相殿に伝えられることのなかった真実をお伝えいたしますね。」
まず、越境を試みて捕らえられた帝国民。
その取扱いは、投獄ではなく即時処刑だったそうだ。
「帝国に返還された者など存在しません。死刑を行わないはずの王国においても帝国民は例外だったようですね。」
「処刑された帝国民の遺体は、国境の壁から帝国側の領土に投げ捨てられたんだよっ!」
バルディアの言葉をワンダー・リンリンが補足する。
「そして国境付近は帝国の国土で最も温暖な地域でもあります。宰相殿、どうしてそんな場所に村落どころか民家の一つも存在しないのでしょう?」
「もしや蛮族狩りというのは…。」
レギオン宰相は驚いた表情のままに呟いていた。
国境付近の温暖な地域に小屋を建て、生活を始めた帝国民は帝国領を侵犯してきた王国騎士に惨殺された。
それならばと国境の監視所から目視出来ない程度に距離を取って小屋を建てた者もいた。
しかし結局、狩りと称して獲物を探す王国騎士に発見され、惨殺された。
「国境付近は寒波もそれほどではありませんからね。都市部を離れてでも、と考える者は多かったんです。」
だがそのことごとくが殺された。
「アムドシア要塞を制圧した際に、この殺戮が王国でどのように伝えられているのか。私は騎士団の報告書を検めました。」
バルディアは書類の束を円卓に載せる。
「御覧下さい。宰相殿。」
ワンダー・リンリンが書類をレギオン宰相の前へ運ぶ。
「………。」
レギオン宰相は拳を握りしめ、震えながらも何枚かの書類に目を通した。
【帝国軍の斥侯が壁の近くで不審な行動をとっているのを発見。捕らえて武装解除させた後に開放。】
そして赤いインクで人名が追記されている。これは帝国側の追記だそうだ。
赤字は帝国側の情報と照らし合わせ、個人の特定に至っているということらしい。
「その人は兵ではなく国境近くの森で狩りをしていた狩人です。胴体を複数個所刺突され、首を刎ねられた状態で森に捨てられていました。」
バルディアの手元には蛮族狩りの被害者の一覧がある。
赤字で記された人名から、バルディアは帝国軍の斥侯とされた人物の真実を語った。
【深夜に闇に紛れて国境大門の下に穴を掘り、越境を試みた帝国民を拘束。厳重注意の後、猛省しているようだったので開放とした。】
この報告に対して、バルディアの語る真実は…。
「国境近く、グランシア山脈の麓にあった天然の洞穴で暮らしていた老人です。洞穴の中で暴行を受けたらしく、撲殺されていました。」
【帝国軍の一団が国境近くにて何らかの作戦行動を展開。秘匿された拠点を発見し、これを殲滅。】
「拠点というのは国境監視所から直接視認できない位置にあった集落です。当然、帝国軍などではなく、一般人です。結果は幼子まで含み皆殺し。」
【帝国南部に帝国軍の前線基地の構築を確認。すでに物資の集積も行われている様子。緊急対応として、奇襲による先制攻撃を断行。】
「前線基地というのは帝国最南端の地方小都市になります。国境から早馬で半日ほどの位置にあり、現在は廃墟となっています。住民については語るまでもないでしょう。」
レギオン宰相は書類をめくる手を止めた。
「宰相殿、帝国軍との国境での衝突の報告は受けていると思います。」
それに参加した帝国側の戦力の大部分は義勇兵である。
「かつて王国の侵略によって奪われた故郷に帰りたい。そんな人々も多かったでしょうが、理不尽に家族や友人を狩られた復讐に立ち上がった人々もまた決して少数ではありません。」
結果は返り討ちですから王国に殺された者が増えただけでしたけど。
バルディアはそう言いながら立ち上がり、蛮族狩りの被害者約六千人。その一覧をレギオン宰相に進呈した。
「先に言っておきますが、当然私の言葉が虚言であることを疑われていることと思います。」
だがバルディアはそれを否定することもなく、証拠を示すこともしなかった。
それを時間の無駄であるとして、真実は後日、自分達で勝手に確認すればいい。そう言い放った。
「王国では隷属魔術や隷属魔道具の使用は禁止されており、魔道具の方は王城に保管されていますね?」
「ございますわ。」
バルディアの問いかけには、エトワールが力なく答えていた。
続けてバルディアは黒鋼騎士団の中で蛮族狩りに関わったと思われる人物に、特例措置として隷属魔道具を使用することを提案した。
「そして、真実を語れと命令すればはっきりしますよ。証明はしませんから、疑うのであればご自身で御確認下さい。」
バルディアからの糾弾は、レギオン宰相の予測を大きく上回っていた。
宰相は、蛮族狩りを黙認し王都へ虚偽の報告を行ったランゼルフ侯爵と、自身の不甲斐なさに対する怒りで震えるばかりだった。
これまで厳しい態度で王国を糾弾していたバルディアは、今度はロッテに向き直り、温和な笑みを見せる。
「シャルロッテ様、いえ、カールレオン公爵閣下。逆に貴女には感謝の気持ちしかありません。お父上のことは残念でした。」
一昨日の出来事である父の死がこうも早く知られていることには驚きはない。
バルディアの隣にいるワンダー・リンリンは当時ロマリアに滞在していたことが分かっているからだ。
しかし、背後の長椅子にいた四人は別の事に驚いていた。
「あん?」
「え?感謝?どういうことですの?」
「くるくるはアホだな。あたしの子分だからに決まっているだろ?」
「ナナ、それはないと思うよ?」
それに答えたのは、これまで沈黙を守っていたラスタバン議長だった。
「公爵領を預かっていたウィラン前大公は王国に内緒で帝国と連邦に食糧や衣類等の物資の支援を行っていたんだよ。」
「!?」
最も大きな反応を示したのはエトワール。
セロとオルガンは平常通りで、ナナはそもそも話を聞いていない。
「ジル、プリンおかわり。ぷりぷりのやつを頼むぞ?」
転移枠の向こうのジルにプリンのおかわりを要求していた。
「父は王国の行いを知り、帝国や連邦の現状を知り、これを放置していては国家間の亀裂は深まるばかりだと口にしていました。」
ロッテも支援については把握している。
公爵領北の国境にも門はあるが黒鋼騎士の監視がある為、海都より海路で支援物資を届けていたそうだ。
「父はそれを小父様にだけは打ち明けていました。」
「そうだったな。俺は協力できないことを歯痒く思っていた。」
項垂れるレギオン宰相の元に、派手な少女がやってくる。
「宰相さん、これあげるよっ!」
ワンダー・リンリンは帝都で発行されている国民向けの掲示物の写しを渡した。
日付から、それがしばらく前のものだということが分かる。
【グランシエル王国、アロウズ外務大臣。七回目となる食糧支援の嘆願を拒否。】
そんな見出しの下に、白銀帝国の過去五年間の凍死者と餓死者の数をグラフにしたものが記載されている。
「その記事は帝国民の怒りの感情を大きく煽りました。」
バルディアは当時を思い出しながら話す。
そしてバールの鞄からいくつかの資料を取り出す。
「宰相殿、この資料もよければ併せてご覧ください。」
バルディアの提供した資料は、いくつかの品目に分けて、過去五年間の王国内で廃棄された食糧の量をグラフ化したものだ。
「食糧の支援を拒否しておきながらこれだけの量が廃棄されている。私はこの資料を公開することができませんでした。」
それは、怒りに我を忘れた餓死者の親族などが南へ走り、蛮族狩りの被害に遭うことを考えての選択だった。
「このような現状で、王国内にありながら大量の支援物資を届けてくれた公爵領を侵略の対象外としております。それは今後も同様です。」
バルディアは改めてロッテに感謝の言葉を伝えた。
「それは連邦も同じくだ。まだ伝えていなかったが、現在連邦軍は公爵領の南部開拓地での休息を終えて王都の南に広がる古戦場に拠点を構えている。」
今度はラスタバン議長が連邦の現状を伝える。
この情報は、王国勢にとっては完全な不意打ちとなった。
交渉を持ち掛けた時には確かに南部開拓地にいた連邦勢力が、その直後に西進して王国南の広大な地域を制圧したということになるのだ。
「議長殿、詳しいことを聞かせて頂けますかな?」
レギオン宰相は、まずは状況の確認をと考え、説明を求めた。
「恩を仇で返す。それを選択しなかっただけだよ。別段珍しいことでもないだろう?」
海都より侵攻した連邦海軍。
そして北部の国境、東側のコーンウォール付近に存在する公爵領へと続くもう一つの大門を抜け、陸路を侵攻した連邦陸軍。
両者の合流地点として南部開拓地は都合の良い場所だった。
「計画の発案者である前大公はそのまま占領しても構わないと仰っていたがね、多くの者がそれを拒否した。無論、私もね。」
その背後では、ヨーゼフ首長がその表情に疑問を浮かべている。
「すみません、伝えていなかったのですが、陸軍の方では進軍中にそのような話し合いがもたれていたのです。」
ベアトリス陸将は小声で連邦軍が西進するに至った理由、その発端となった原因について説明している。
「なるほどな、そうであったか。」
ヨーゼフ首長は納得し、返答を返していた。
「リンリン、お願いできるかしら?」
バルディアの声に、ワンダー・リンリンは微笑みを返す。
「よかったら、これどうぞっ!」
椅子の上に立ち上がったワンダー・リンリンは円卓の中央に黒い布を広げ、カウントを行う。
「ワン!ツー!スリー!!」
ぼっ、と黒布に火がついて、あっという間に燃え上がる。
その炎は周囲に熱を感じさせず、黒布以外にまったく影響を与えない不思議な炎だった。
「むぅん?何だこれ?燃えてるのに熱くないぞ?あたしは伝承者だからこの肉体は炎よりも強かったのか?」
ナナは円卓の上に登って珍しそうに燃える黒布をつんつんとつついている。
「ナナ、会議の邪魔をしたら駄目だよ?」
「違うんだ、兄ちゃん。ちょっとリンリンの芸の正体を暴いてあたしの子分にしてやろうと…。」
セロに抱っこされてナナは後ろの長椅子へ連行されていく。
「手品芸のタネがバレたからって別に子分になったりしないよっ!?バレないけどっ!」
「ジル、プリンおかわり。」
背後の転移枠にプリンのおかわりを再度要求するナナはワンダー・リンリンの反論を聞いていなかった。
やがて燃え尽きた黒布の下には大きな紙が広げられていた。
グランシエル王国とその周辺地域の地図だ。
バルディアはその地図上で、ラムドウル周辺の広い範囲と、そこに隣接するグランシア山脈の一部を線で囲う。
それはほぼ王国北部全域であり、東は公爵領との境界まで。
ランゼルフ侯爵の領土である騎士団領をさらに大きくしたような広大な領域だ。
「宰相殿は領土の返還を求めることでしょうが、そのような下らない提案に我々が首を縦に振ることはないとご存じのはずです。」
「そうだね。そのような腹の探り合いは時間の無駄だ。さっさと交渉を進めるとしようか。」
今度はラスタバン議長が、地図にラインを引いていく。
王都南の平野、その南半分となる古戦場を中心とした一帯だ。
南は海岸まで含み、東は公爵領まで、西は砂漠地帯であるブリーズランドの一部も含む。
こちらもまた、広大な土地である。
「宰相殿、この指定領域の領土割譲は最低ラインであるとお考え下さい。停戦に応じるか、停戦を休戦とするか。それは条件次第です。」
レギオン宰相とロッテはバルディアの言葉に絶句している。
「連邦の要求も同様だと思ってくれたまえ。最低でも領土割譲が受け入れられないのであれば交渉はここまでだ。」
交渉ではない。これは脅迫、恫喝に類するものだ。
レギオン宰相とロッテはそのように考え、まずは宰相が俯き、瞳を閉じた。
対して、ロッテは顔を上げ、バルディアとラスタバン議長を真っ直ぐに見据える。
(交渉はそれぞれが対等な立場でなくば成立しません。)
過去の行いを糾弾されることで、王国は完全に罪人扱いとなっていた。
(まずはこの場を交渉の場に変えることからです!私だって交渉人の一人としてここにいるんですから!)
ロッテはこのまま諦めることをよしとしなかった。
いつのまにか隣に立っていたナナはロッテの手を握る。
「ロッテ、頑張るんだぞ?」
ロッテはナナに力強く頷いた。
(お父様、お母様。私に力を貸して下さい!!)
ロッテの様子に何かを感じ取ったのか、バルディアとラスタバン議長は嬉しそうに微笑んだ。
「よろしい。それでは停戦交渉を開始するとしようか。」
ラスタバン議長は高らかに宣言した。




