027 女海賊
南方諸島から東北東に進むと、大小二つの島を中心とした小規模の群島があった。
無人島と思われていたが、ここには、南海を暴れ回る海賊達のアジトが隠されていた。
大きい島を親島、小さい島を子供島。そう簡単に名付けられ、親島の南端の入り江には多数の海賊船が並んでいた。
この海賊集団は、多数の海賊団が連合を組んで組織として巨大化したもの。
それをまとめ上げているのが、この入り江と、その奥にある遺跡を本拠地とする大海賊ネプト。
海賊連合の名は、フィッシャーマンズ連合と名付けられていた。
遺跡の中の一室にて、ネプトを中心に複数の男達が一堂に会している。それぞれがそれぞれの海賊団をまとめる船長達だ。
親島と子供島の間、親島側にある洞窟を本拠地とする一団、黒海蛇。船長の名はジャック。
子供島の西側の入り江を本拠地とする、フィドル海賊団。船長はフィドル。
親島の北、山岳地帯の崖下から伸びる山道付近に本拠を構える一団。頭目はガルタス。
何らかの会議を行っているかのような光景なのだが、四人の海賊達は誰一人、一言も喋らない。
そして喋らないまま、一人ずつ会議室と思われるその部屋を去っていく。実に奇妙な一幕だった。
連合には他にも、規模の小さいグループもいくつか所属している。
そんな小規模の集団の中に、ちょっと変わった海賊団が存在した。
一度も略奪行為を行ったことがない海賊団。女船長ミューズ率いる一団だ。
ミューズ本人は、シロガミ討伐隊などという名前を付けてはいるが、
他の海賊からは、タダ飯食らい隊と、侮蔑を持って呼ばれていた。
今日もミューズ達はシロガミの姿を求めて航海の最中だった。
「はぁ…、今日もシロガミいないのかなぁ…」
女船長ミューズは見張り台の上で、紫色の髪を風になびかせ、ぼんやりした表情で呟いていた。
年齢は14歳。やんちゃそうな印象を受ける可愛い感じの女の子だった。
肩書は船長なのだが恰好は船員のそれと同様。まともに振れもしない曲刀も一応腰に差している。
「おぉ~い、お嬢!いい加減降りてこねぇのか~?」
見張り台の下から呼んでいるのは副船長のバルサ。年齢は30代半ば。海賊なのに優男。
「じゃあ、バルサが代わりに見張りやって。」
そう言ってするすると見張り台から降りてくるミューズ。
「見張りって言ってもなぁ。仮にシロガミを発見したとして、俺らに何ができるってんだ。」
「そんなことでどうするの!シロガミ討伐こそ、この船の目的なのよ!?」
「俺だってそれが出来るならやりたいさ。でも今の俺らじゃ喰われるだけだろ?」
「バルサは気合いが足りないわ!副船長なんだから気の利いたアイデアとか出しなさい!!」
騒ぎながら二人で船室に戻る。そこにいたのは操舵士のオットーと航海士のエイワス。
オットーは19歳の青年。エイワスは32歳、バルサの友人だ。
「何で持ち場を離れてるの?」
いるはずのない人物を視認して、怪訝な顔をしたミューズが尋ねると、オットーが返答する。
「疲れた。休憩だ。舵はミラが見てる。大丈夫だ。」
「ミラにそんなことわかるわけないでしょ!!」
二人のサボリ魔を無事持ち場に戻したミューズは、ミラと呼ばれた白髪の少女を労っていた。
「大変だったね。どうせおじさん達に脅されたんでしょ?」
そう言ってミューズはミラの頭をなでなでしている。
「あ………ぅ………」
ミラは一生懸命口を動かすが、声が出ていない。どうやら声を出せないようだった。
「無理しなくていいよ。」
ミューズはそう言ってミラに微笑む。
ミラは8歳。一応、この船で役職をもたない唯一の船員だった。仕事は船の清掃。それのみだ。
以上5名が、シロガミ討伐隊のメンバーだった。
2年前、フィッシャーマンズ連合の船団はシロガミに襲われた。
二隻の海賊船が沈められ、海に落ちた者は皆、シロガミの胃袋に収まった。
シロガミ討伐隊のメンバーは皆、その時に大事な者、親しい者を失った。
ミューズは兄を。
オットーは父を。
バルサは友人を。
エイワスは部下を。
それぞれをシロガミに喰われ、復讐を誓った者達。
結成は半年前。ミラを連れたミューズがバルサに声をかけ、オットーとエイワスはバルサが連れてきた。
そして、シロガミを捜索する、というよりは討伐する方法を模索するチームが誕生したのだった。
ミューズ達は海都近海まで来ていた。
全員が船室に集まり、作戦会議をしている。
「お嬢、本当に海都へ行く気なのか?海賊だってばれたら…」
「それでも、もうこれしか手段はないわ!」
「ミューズ、もう一度、親父さんに、頼んでみたらどうだ?そっちのが、よくないか?」
ミューズは大海賊ネプトの実の娘である。オットーは危険な橋を渡るよりは、と提案してみたのだった。
「バルサとエイワスは2年前、船団がシロガミに襲われた時にいたんでしょう?そもそも船団の戦力で勝てるの?」
問われた二人は、顔を見合わせて考えるまでもなく返答する。
「無理だ。あの化け物は人間に勝てる相手じゃねぇ。」
「つまり、化け物並みの力を持った奴がいればいいってことでしょ!?」
「お嬢、まさか…」
「そのまさかよ!船団にいないのなら海都で探すしかないわ!それに海都なら王国の強者の情報もあるでしょ!?」
オットー、バルサ、エイワスの三人は思案顔になり、よくわかっていないミラはそわそわしている。
「わかった。お嬢の決意がそこまで固いのなら、俺はもう何も言わねぇ。」
「今の内に小舟を黒に塗装しておこう。深夜に黒い服を着て、それに乗って行け。」
「一般人用の変装服も忘れるなよ?」
ミューズはにっこりと微笑み、
「ありがとう、みんなは一度船団に戻っていいわ。何もなければ一月後にこの海域で待ち合わせ。これでいい?」
そうして深夜、黒ずくめのミューズが海都へ向けて移動を開始した。昨晩のことである。
王立学院、学院長室。
とある報告書を握ったまま、頭を抱えるエストがいた。
「マリアス侯爵の頭をフサフサに育毛!?」
「門衛のアバン隊長を恫喝!?」
はぁ~、と溜息をつくエスト。握っているのは日帰り冒険部活動報告書。
活動場所は海都メルク・リアスとなっている。
「フサフサはナナちゃん。恫喝はセロ君ね…」
報告書の作成はロッテが担当するはずだったが、
「あたしが書く!!副部長だからな!まかせておけ!!」
作成者はナナになっていた。
内容も、完全な絵日記と化している。
土下座する巨漢の絵。白髪ロン毛のファンキーじいちゃんの絵。そして沢山のお魚の絵が描かれている。
文面はこうだ。
もんばんのボスを倒した。でもなかなかいい奴だった。
ロッテの腕をぎゅっとした悪い奴をかわりにつかまえてくれる奴だった。
くるくるのはずかしいところを、あたらしいフヨフヨつかって、かくしてやった。
こうしゃくじいちゃんはハゲ頭だった。フサフサにしてやった。あたしはできる子だ。
じいちゃんのまごはしろがみにやられた。あたしが仕返ししてやるんだ。
コーラを仲間にした。筋肉がたりない。きたえないとダメだ。
おさかなのおさしみ、うまかった。おかわりした。
かいぞくがいなくなったらもっとおさかな食べられる。
あたしが、かいぞくも倒す。
このような文章からでもエストはほぼ正確に内容を読み取っていた。
「マリアス侯爵とアバン隊長にお詫びの手紙を書かないと…」
今後の活動内容の部分も、
活動が活発になっていると情報が入っている海賊を討伐するつもりであろうことを看破するエスト。
「海賊はともかくシロガミっていうのは南海の主って言われてる鮫のことよねぇ…」
そもそも遭遇できるのかしら?そう考えながらも対応を思案する。
「これはもう学生の活動じゃないわ。海賊討伐もシロガミ対策も本来なら国家規模でやるべき事案。」
報告書を握りしめて立ち上がるエスト。
「レギオン宰相に相談しましょう。」
教室では、教科書に載っている王国の過去の偉人のイラストにヒゲを追加しているナナがいた。
「ナナちゃん、昨日の部活どうだった?」
付与術士のエリンだ。
「おさかな、うまかった!」
元気に返答するナナ。
「あれ?食べ歩き?冒険する部活じゃなかったっけ?」
「こうしゃくじいちゃんのハゲ頭をフサフサにした!」
「えええ!?こうしゃくってどの人?侯爵様?公爵様?」
「海都のマリアス侯爵ですわ。」
やってきたエトワールが返答する。ジルも一緒にようだ。
「へぇ~、こっちに来てらっしゃるんだね。ってフサフサ!?何やってるのナナちゃん!?」
「私も話を聞いた時はびっくりしちゃったよ。」
ジルも会話に参加する。エトワールは自分の失言に気付いてドキドキしていた。
「次は海賊と鮫を倒すんだぞ?またあたし褒められちまう。」
しかしあっさりとばらしてしまうナナ。
「え?海賊?鮫?」
顔を見合わせてがっくりと頭を下げるジルとエトワール。
どうやって誤魔化そうか。朝から必死に言い訳をする羽目になっていた。
若年部の教室では、セロが鋼鉄魔術を用いて小さな船を作っているところだった。
細かい部品を生成し、磁力で接着しているのだ。
部品と言っても、現状、セロは鉄板と鋼線、それと鉄球しか生成できない。
小さく薄い鉄板をハサミで切断して手曲げ等、形状を加工して製作している。
作ってはバケツに浮かべ、しばらくすると沈没する。
そして沈没した船は魔力の光へと分解していく。
それを繰り返していた。
「やっぱり沈んじゃいますね。」
隣で見ていたロッテが感想を洩らす。
「どうやっても隙間ができて、そこから浸水しちゃうんだよね。単一部品で作るのは今の俺にはできないし。」
「なら今ある船を使うしかないですね。」
「そうなんだけど、操船とかできないしなぁ。さすがに海都の船乗りさんについてきてもらう訳にもいかないし。」
「マリアス侯爵はセロとナナの実力を知ってる風だったぞ?相談してみたらどうだ?」
丁度登校してきたアランだった。
「そうするか。さすがに船に関しては俺らだけじゃ無理だしな。」
「セロさん、2号店のことも忘れちゃ駄目ですよ?」
「あぁ、そうそう。商品とか人とか運んだりしなきゃだよね。といってもナナに頼むだけなのが心苦しいけど。」
とりあえずは準備から。今日もナナには美味しいもの食べさせないと。セロはそんなことを考えていた。
海都、中央広場掲示板前にて、私服に着替えたミューズがわなわなと震えている。
「勇者セロ?筆頭付与術士ナナ?ビフレスト商会?」
呟いた直後にガッツポーズ。
「いるじゃない!奴と戦えるかもしれない強者が!!」
やった。ついに見つけた可能性。彼らと会い、交渉を成功させる。何を対価にしても。
ミューズは絶対の決意を誓い、拳を握る。
そして王都に向かうことを決意し、その方法を考える。
その背後を、日冒部の皆がお喋りしながら通り過ぎていく。
「今日は海にいくよ。砂浜だ。」
「何やるんだ?兄ちゃん。」
「泳ぎの練習さ。俺らは泳げない、と言うか泳いだことがない。海に落ちた時の為に今から慣れておこう。」
「わかった!あたしは泳げる子になるぞ!」
ここでセロは皆に確認する。
「泳げる人は?」
セロとナナ以外の皆が手を上げる。
「俺らだけみたいだな。王都の河で練習しとくべきだったか…」
「兄ちゃん、今からでも遅くねぇ。まずは勝負水着を買いに行こう。強そうなやつ。」
「学院の黒いやつじゃ駄目なの?」
「あれはダメだ。地味だし。砂浜の奴らが着てるみたいな派手で可愛いのがいい。」
話をしながら、一行はどんどんミューズから離れていく。
そしてミューズは素晴らしいアイデアを閃く。
「正門で王都行きの馬車を待ち伏せる!これよ、これ!!」
そして周囲を見渡し、
「正門は…、あそこね!!」
間違えず正門へ続く階段を駆け上がる。
そして息を切らしながら門衛に声をかける。
「はぁ、はぁ、すみません、私、王都の、はぁ、ビフレスト商会へ行きたいんです。」
それは、アバンに何やら指示を受けている門衛だった。
「ビフレスト商会?」
返答したのはアバンだ。
「はい、勇者様か、筆頭付与術士様に会いたいんです。どうしても相談したいことがあって。」
理由を話すミューズに、笑顔を返すアバン。
「君は運がいいよ。丁度お二人共、現在海都にいらっしゃるはずだ。」
予想だにしなかった答えに驚愕し、同時に胸を躍らせるミューズ。
「本当ですか!?あっ、あの、滞在先とか分かりますか?」
「さすがにそれは分からないが、マリアス侯爵か、俺の弟が何か知ってるかも知れない。」
ビフレスト商会の2号店出店の相談相手に弟であるコーランを紹介したことを説明するアバン。
「弟の店はここだ。行ってみるといい。」
ミューズに簡単な地図を渡す。
「ありがとうございます!!!」
ミューズは何度もアバンに礼を言い、階段を駆け下りて行った。
その頃、王都では、王城内会議室にて緊急会議が行われていた。
パルムレイク学院長、レギオン宰相、ローグリア伯爵の三人だ。
「学生の部活動で海賊と南海の主を討伐か…」
「しかもそれが可能な戦力を有しているときた。」
「報告書の内容から、彼らはマリアス侯爵にも接触しています。侯爵もこの事を知っているのでしょうか?」
「それは不明だが、問題は我々の対応をどうするか、だ。」
「やめさせないのですか?」
「偉人認定を受けた彼らに命令することはできない。お願いすることはできるがな。」
「私はむしろ、助勢するべきと考えますわ。海賊も放置できませんし、シロガミに関しては間違いなく侯爵は動きます。」
「そうか、彼らは船を持たない。となればマリアス侯爵にそれを相談する可能性は非常に高い。」
「この件に、王国が何もしなかった。そうなるのはよろしくないのではないでしょうか?」
「しかし、今からでは戦力を届けることもできん。転移術の秘匿は彼らとの約束。違えられん。」
「転移が可能なのはここにいる三名のみ。となりますね。」
「よし、我ら皆、海都への転移を頼もう。マリアス侯爵も加えて会議を続ける。」
レギオン宰相は、セロへの通信を行う。
「セロ。私だ。レギオンだ。」
「ん?レギオンさん?珍しいね、どうしたの?」
「私とデュラン、エスト君をそちらに転移してもらえないだろうか?」
「わかった、ナナを寄越すから、待ってて。」
少しして、転移門からナナが顔を出す。
「熊おっちゃん、あたしに何か用か?あたし水着選びで忙しいんだ。」
「すまんな、ナナ。俺らをそっちに送って欲しくてな。」
「ふむ、わかった。この門をそのまま通るといいぞ。」
「おう。ありがとうよ。」
そこは海都の路地裏。
「そんじゃな!あたし水着選びに戻るな!」
ナナは転移を済ませた三人を放置して、水着屋へと戻るため駆けていく。
慌てて三人はそれを追うが、通りに出たところでセロが待っていたので、ほっとして足を止める。
「で、なんかあった?」
そして前に出たエストが、
「なんかあった?じゃありません!大事じゃないですか!?」
「え?何が?」
「海賊討伐もシロガミ討伐も、本来なら国家事業なんです。たしか計画にもあがってましたよね?宰相殿。」
「あぁ、聖壁騎士団と、マリアス侯爵の保有する船団と合同で、となっていたな。」
「なんか駄目だった?国に任せた方がいいってんならやめてもいいけど。」
ここで、レギオン宰相がにやっと笑い、セロに提案する。
「いいや、違う。俺らもやる予定だったんだから一緒にどうだ?って提案だ。要は、俺らもまぜてくれってことだな。」
「なるほど。そりゃわかりやすいや。俺は別にかまわないけど、具体的には?」
「それをこれから、マリアス侯爵も交えて一緒に話し合おうって思って転移を頼んだんだ。」
「わかった、そろそろ皆も水着選びが終わると思うから、一緒に行こう。」
そして、間っている間に、エストがセロに謝罪する。
「ごめんなさい、セロ君。私、何かイヤな言い方だったわね。本当は宰相殿みたいに言いたかったのよ?」
「気にしてないよ、学院長。」
しばらくして、女性陣と荷物持ちのアランが戻ってくる。
「おいセロ!自分だけさっさと逃げるなんて卑怯だぞ!」
「そんな大した荷物じゃないだろ?アラン。というか、ナナに収納してもらえばいいのに。」
はっとした表情になったアランは、荷物を落としそうになるが、なんとか堪える。
それを見たデュランは嘆息しつつ息子に声をかける。
「アラン、力だけじゃ駄目だといつも言っているだろう?」
父、デュランの姿を確認したアランは、
「げっ!親父!なんでここにいるんだ!?」
同様にルーシアも父である宰相の姿に驚いているようだ。
セロは皆に事情を説明し、全員でマリアス侯爵邸へ向かうことになった。
「泳ぎの練習は、打ち合わせの後でやろう。」
ミューズはコーランの店に辿り着いていた。が、店内は無人だった。
店主であるコーランはいまだ王都の本店で打ち合わせ中だ。
研修も兼ねて、ということで、色々なことをアーキンから学んでいるところだったのだ。
ちなみにオルガンはさっさと娼館に行った。
無人の店内に、事情を知らないミューズの声が響く。
「誰もいないじゃないのよ!!!」
目的の人物がこの海都のどこかにいるのは間違いない。しかし手掛かりはもはや侯爵の元にしかない。
少しの間、ミューズは悩む。
「ええい!ばれたらばれたよ!女は度胸!行ってやろうじゃないの!!」
そして道を尋ねながら、マリアス侯爵の元へと向かうミューズ。
土地勘のないミューズは、何度も迷い、その度に道を尋ねる。
「それっぽい屋敷もまったく見当たらないんだけど!もう!なんなのよ!」
広い庭のある一軒家の前を歩きながら一人苛立つ。
もう何度目になるか、自分でもよくわかっていなかったのだが、再度道を尋ねよう。ミューズは辺りを見渡す。
前方に貴族風の大人達と、揃いの服を着た子供達が一緒に歩いているのを視認する。子供達は学生だろうか?
「あれがきっと制服ってやつね。初めて見るけど、なかなか可愛いじゃないの。」
言いながらミューズは一団に近づく。あの娘がいいわ。ミューズが目標としたのはロッテだった。
歳も近そうだし、なんかすんごい美人だけど話しやすそうな感じがする。
「あの!すみません!」
右手を上げて声をかけるミューズ。
「え?あの、私ですか?」
ロッテが返答する。同時にロッテと手を繋いでいたナナは思っていた。
(なんだこいつ?なんで右手を上げてる?変な奴だ!あの右手はロッテが近づいたらチョップする気か!!見切ったぞ!悪者め!!)
「まて!ロッテ!こいつは危険だ!親分の後ろに隠れるんだ!!」
そんなことを言ってみたら、ナナは少し気持ちよくなっていた。
子分を守る親分。あたしってば、なんかかっこいい!そんなことを思っていた。
逆にミューズは、こう考える。
(え!?私が海賊だって見破った!?なんなのこのちんちくりんは!?)
目を細め、低い声でナナに問い返すミューズ。
「なんでわかったの?あんた何者?」
ナナは自慢げに胸を張る。
「フ…。その構え。両斬波だな?ロッテの顔面にチョップして変な顔にする気だな?あたしにはわかる!!」
「は?チョップ?」
(フ…。じゃないわよ!!全然見破ってないじゃないの!!!!)
「ちがうわ!ちょっと道を尋ねようとしただけよ!!」
言ってからミューズは気付いた。
(真実なのになんかすごくウソ臭いセリフになってない!?どうしてこうなった!?)
ロッテはミューズの心を読んだかのように質問する。
「あの…、なんでわかった?とか言ってましたよね?」
ミューズは自分の発言を思い出した。
(ああああああ!!私のバカバカバカバカバカ!!!どうすんのよ!これ!!!)
「き、気のせいじゃないかしら?ウフフフ。」
セロがロッテを庇うように立つ。そしてぼそりとナナに指示する。
「ナナ、鑑定を。」
ミューズ(人間)
レベル 8
恩恵 方角感知
技能
効果
「兄ちゃん、こいつ雑魚。レベル8だ。ロッテ以下。まれにみる雑魚だ。」
ミューズは鑑定された事実よりもその発言に腹をたてる。
(こっ、このちんちくりん!雑魚って2回も言いやがったわね!!?)
「私は本気出すとすごいのよ?今なら謝ったら許してあげなくもないわよ?」
皆が声を出せなくなる。実際は呆れているのだが、ミューズは自分にびびっている。そう判断した。しかしナナは動じない。
「兄ちゃん、こいつやっぱり雑魚。知能はくるくる並み。いまだかつてない雑魚だ。」
「一緒にしないで下さいまし!」
怒りに震えるミューズ。そしてそれが爆発する。
「だまらっしゃい!このちんちくりん!!雑魚って4回も言ったわね!?」
ミューズは当初の目的を忘れ、思っていることを口に出していた。
「あたしはちんちくりんじゃない!!レディーだぞ!セクシーだぞ!!」
「はん!!セクシーですって!?笑わせてくれるじゃないの!ぺったんこのくせに!」
ミューズは胸を張る。14歳にしては大きめの胸だった。
ナナは自分の胸をぺたぺたと触る。当然ぺったんこだ。
「うぐぐぐ…」
ナナは悔しそうに唸ると、突然ロッテに背後から飛びつく。そしてロッテの胸を掴む。
「お胸ならロッテのが大きい!あたしの勝ちだ!!」
「きゃあ!何をするんですか!親分!!」
16歳のロッテの胸は、ミューズよりもさらに大きい。
「その娘の胸はあんたのじゃないでしょ!!馬鹿じゃないの!!?」
「あたしは馬鹿じゃない!できる子なんだぞ!」
「なにができるってのよ!!この馬鹿!!」
これまで、褒められてばかりだったナナは罵倒されるのに慣れていなかった。
ナナはセロに抱き着いてセロのお腹に頭をグリグリする。
「兄ちゃん、あいつ、あたしのこと馬鹿って言った。馬鹿って言う方が馬鹿なのに…」
ちょっと泣きそうになっているナナ。
「ねぇ、君。14か15くらいに見えるんだけど、ナナはまだ8歳だよ?もうちょっと言い方とかあるんじゃない?」
優しく言っているが、家族を傷つけられたセロからは結構な威圧が漏れている。
(え!?なんなの!?こいつなにかおかしいわ!冷や汗が止まらないんだけど!!)
「セロさんの目の前でナナさんをいじめるなんて無謀ですわね。とんだお馬鹿さんですわ。」
エトワールのセリフに重要な単語が含まれていたことに気付くミューズ。
(セロ?ナナ?…、まさか…、まさか……。)
「何なんじゃ?騒がしいのぅ。」
そこに、目の前の広い庭から声が聞こえる。白い長髪の老人だ。
「すみません、マリアス侯爵。騒がしくしてしまいましたわ。」
(マリアス侯爵!!?)
「いえいえ、王女殿下。お気になさらず。」
(王女殿下!!?このくるくる頭が!!?)
「マリアス侯爵殿、ご無沙汰しております。」
「おお、レギオン宰相ではないか。本当に久方ぶりじゃ。」
(レギオン宰相!?宰相ってあれよね!?とんでもなく偉い人よね!?)
震えるミューズにエストが軽く脅しをかける。
「セロ君とナナちゃんは王国において偉人認定されています。度を過ぎた暴言はそれだけで罪に問われる場合もありますよ?」
そっとミューズに囁く。
(勇者様…。そして私が散々罵倒したちんちくりんが勇者様の妹で王国筆頭付与術士のナナ…。誰か、嘘だと言って…。)
ここでミューズの意識は途切れた。
「あれ?なんかこいつ泡吹いて気絶してるんだけど?ほら、ナナ。ナナの勝ちだぞ?」
ミューズをチラ見するナナ。セロの言った通りの光景が目に入る。
途端に元気になって、飛び跳ねて喜ぶナナ。
「やった!あたしの勝ちだ!ロッテ、親分がロッテを変な奴から守ったぞ!」
「あ、ありがとうございます。親分。でもいきなり胸を掴んだりしたらダメですよ?」
「あぶねぇ所だったぜ、もう少しでロッテが変な顔になるとこだった。もう、くるくるを身代わりにするしかねぇとこだ。」
「なんでですの!?私も変な顔は嫌ですわ!身代わりならナナさんがやればいいのですわ!」
「あたしはチョップされるよりする方が好きなんだ!爆裂チョップだ!」
マリアス侯爵に騒がしくした、そう詫びたはずのエトワールが、ナナと二人でさらに騒いでいた。
南海、とある海上。ここから北西に進むと、巨大な滝が見える。
滝の周りは黄土色の壁。コーンウォールである。滝は、壁の中程に空いた大きな穴からのものだった。
穴は縦幅が約300メートル。横幅が約700メートルもある巨大なものだ。
その巨大な穴から大量の水が落ちる。壁の正式名称、ノルンの大壁にちなんで、ノルンの大瀑布と呼ばれていた。
この滝の水は廃棄場内部の海水。虹海の海水である。
本来なら、特濃の虹素を含むはずの水なのだが、この滝の水は完全に浄化され、浄化虹素すらも含んでいなかった。
滝の流れ落ちる壁の大穴。その中に設置された巨大な海門は、外から視認することはできない。
この海門こそが、浄化虹素すら遮断し、完全な浄水を外に排出する施設だった。
海門は、壁の内側と外側にそれぞれ設置されていて、廃棄場側を内門、外側を外門と呼称されていた。
門自体が巨大な魔道具。その効果は転移。認証付与も追加されていて、虹素のみを転移させる仕組みだ。
転移先は門の製作者にしかわからない。その製作者は光の女神。壁と同じく神造の海門である。
海門は壁の穴に沿った形で門枠があり、金属製の門壁が下方に据えられていてこの扉が上昇、下降する構造になっている。
通常は内門は閉門、外門は開門の状態になっている。内門の上から流れ出る海水が大瀑布となっているのだ。
開いたままのはずの外門が、現在は閉じている。閉じた両門の間にじわじわと海水が溜まっていく。
今度は内門が開く。海水の流れ込む量が増し、両門の間がどんどん海水で満たされていく。
海門内の、高い位置にある通路に、白衣を着た仮面、ヴォロスがいた。
「準備は整いましたね。」
そんな呟きを洩らし、廃棄場側を眺める。
程なくして、魔女が空中に浮いたまま、内門を通りヴォロスの元へやってくる。
「釣れたわ。暴蛸よ。レベルは83。
「蛸の上位種ですか。なかなかの釣果ですね、魔女殿。」
魔女を追うように内門を通り抜ける巨大な白い蛸。
通常の蛸を全長70メートル近い巨体にして、頭を小さくしてその分足を太く長くしたような体躯。
小さくなった頭はそのほとんどが胃袋で、ただひたすら食べることに特化した蛸である。
足の根元に大きな口があるが、足に無数に存在する吸盤にも口があり、どこからでも捕食が可能な虹獣だ。
「撒き餌を落とすわ。門の開閉をお願いね、ヴォロス。」
「お任せください、魔女殿。」
ヴォロスは通路を壁の中へと続く通路を移動し、姿を消す。
そして収納の魔術で、海門内に次々と大量の肉を投下する魔女。
暴蛸は夢中で肉を捕食している。
そんな蛸の体表面の虹色の輝きが消えていく。大壁に付与されている浄化の効果だ。
魔女はゆっくりと外門へと蛸を誘導する。
まず内門が閉じる。そしてその後、外門が開く。
やがて蛸は大瀑布を落下し、南海へと解き放たれるのだった。
そしてヴォロスが戻り、魔女と合流する。
「このまま南海で簒奪者の動向を監視しようかと思うのですが、魔女殿もお付き合い願えませんか?」
「えぇ、面白い見世物を鑑賞できそうだし、私も行くわ。」
「南海で、面白い噂が流れているようなのですよ。」
「噂?」
「全長30メートルの巨大鮫、シロガミです。これが暴れているようなのです。」
「それって…」
「はい、私が十数年前に南海の鮫に行った虹化実験。音沙汰がないので当時は失敗かと思っていたのですけどね。」
魔女はフードの下で微笑する。ヴォロスはそれに呼応するかのごとく発言する。
「シロガミはおそらく、音鮫の上位種、轟鮫です。噂によれば、これが実に奇妙な動きを見せている。」
「そうなの?」
「何か、興味深いことが起こってそうですから、気になってしまって。」
「フフフ。それは私も気になるわ。」
二人はそのまま、南海へと向かうのだった。