190 探究者
「其方がカールレオン大公の娘であると申すか。」
ガルシア皇帝のロッテを見る目は懐疑的だ。
「……!」
それに気付いたロッテは素早く変色の魔道具を解除する。
ロッテの髪が緑から本来の金髪へと変化すると同時に素早く三つ編みを解いた。
「ほう……。確かに。昔、大公に見せられた肖像画のままの姿である。」
「……申し訳ございません。」
ロッテは眼鏡も外し、姿を偽っていた事を謝罪する。
「よい。許す。王国の者が帝都にて姿を偽るのは至極当然であろうよ。」
特に気にした様子もなく、ガルシア皇帝は不敵に笑って見せた。
それと同時に、ロッテの服をぐいぐいと引っ張るナナがいた。
「誰だ、おまえは。ロッテに化けていたのか?」
話に割って入ったナナは元の姿になったロッテを未だに別人と認識していたようだ。
「いえ、そうではなくて……。」
(もう!この大事な時に!親分は後でお説教です!!)
ロッテはセロに視線を送り、その意図を正しく理解したセロがさっとナナを抱き上げて後ろに下がった。
「ナナ、ロッテは元々金髪なんだよ?」
「むん?あたしは赤毛だぞ?赤はすごいんだ。」
「……。」
会話の邪魔にならないようにセロは小声で説明するが、ナナにはうまく伝わっていないようだ。
「で、だ。このような場所にまでやってきたからには儂に何か話したい事でもあるのだろう?申してみるがよい。」
ガルシア皇帝は何もなかったかのようにナナをスルーして話し始めた。
疲れた表情を見せていたロッテは気を引き締める。
「はい。皇帝陛下におかれましては、現在帝都で進められている王国への第二次侵攻計画についてご再考いただければ、と。」
「何?第二次侵攻だと?」
皇帝が侵攻計画について知らないなどということはありえないとロッテは考えていたが、聞き返したガルシア皇帝は嘘をついているようには見えなかった。
「そうです。今も皇宮内では戦の準備に皆が慌ただしく動いております。中にはすでに準備を終え、出立した者達もいるのだとか。」
「……。」
ガルシア皇帝は隣に立つポワレに視線を送る。
そしてそのまま密談を始めた。
「事実でございます。アイギアス殿下主導の元、侵攻計画は進められ、ジノ殿下もそれに協力しておられます。」
「ふむ……。儂はそのような許可を出した覚えはないのだがな。」
「私の元に寄せられた情報によりますと、おそらくは探究者の暗躍があったものかと。」
「何?それは……、本物か?」
「兄ちゃん、どうしたんだ?急に黙って。」
抱き上げられているナナはセロの頬を引っ張る。
「……。」
「此度の侵攻においては、皇太女殿下から皇位継承に関しての宣言がございまして……。」
「何だと?リンめ、勝手な真似を。自身こそが最優であると無能な兄達に理解させようとでも言うつもりか……?」
皇帝とポワレの会話は小声で行われていたが、セロだけはその内容をしっかりと耳にしていた。
ポワレとの密談を終えたガルシア皇帝はロッテに向き直った。
「シャルロッテよ。その侵攻計画を止める事はできぬ。」
「そうおっしゃられるとは思っておりました。」
予想していた回答に、ロッテに落胆の様子はない。
「すでに動き出した後だ。今さら中止にはできぬ。それに、探究者が関わっているとなるとな。」
「……探究者というのは、白銀帝国の物語に登場するあの探究者なのでしょうか?」
「ほう。知っておるのか。勤勉だな。」
聖女と探究者。
それは遥かな過去、白銀帝国の前身であるグラシアル帝国にふらりとやってきた二人。
未知の探求。
そして旅人。
このあたりの地方ではそれなりに有名ないくつかの物語の中に登場する人物の特徴だ。
探究者は複数の物語の中に登場し、その年代もバラバラ。
最初に登場した探究者を教会は聖人と認定しており、それ以降に登場する探究者は聖人の後を追って聖道を歩む求道者であるとした。
王国西部の辺境で読まれているある作品では、ウートガルド大森林の恵みを狙ってやってきた侵略者として描かれている。
王国東部では教会という組織を創設した聖女ディリータの物語に、探究者はその従者として共に各地を旅する姿が。
王国で読まれている探求者の登場する物語はどちらもグランシエル王国の建国以前の遠い過去の話だ。
それに探究者という名称は使われておらず、王国の人間にはそれと知る者はほぼ皆無だった。
「聖女ディリータは王国でも有名な偉人です。ですがその従者がこちらでは探究者と称されている、というのは帝国の書物を読むまで存じ上げませんでした。」
「未知の探求を至上の命題としていた聖女の従者だ。その名を今に伝えられていない従者を探究者と呼称することに違和感はない。」
ガルシア皇帝は立ち上がり、執務室の側面の本棚に向かう。
そして一冊の本を手に取った。
「これは東の連邦で読まれている書物だ。連邦のさらに東、未踏の荒野からやってくる蛮族との戦いの物語だな。」
物語に登場する侵略者である蛮族は、現在でも時折連邦の各地で小規模な戦闘被害を起こしているリガン族のことだ。
時期は百五十年以上前、まだ連邦がいくつもの小国に分かれていた頃の物語。
荒野からやってくるリガン族の襲撃に苦しむ開拓民の為に戦う英雄達の中に黒い猫を連れた治療術士の女性が登場する。
不思議な事に、英雄達の中でこの女性だけが物語中でその名が語られていないが、この女性は未知の探求の為にやってきた旅人であると記されている。
「この物語の時点では聖女ディリータはすでに死亡しており、聖女に子はない。治療術士の女は聖女の意思を継いだ誰かだと言われているが、この者が物語の中で探究者を名乗っている。」
「陛下は連邦に現れた探究者を名乗る女性が、帝国史に登場する聖女と関りがあるとお考えなのですか?」
「作中で聖女ディリータの意思と明言するシーンもあるし、未知の探求を至上とするところといい、何かあるとは思っている。」
ガルシア皇帝は続けて別の書物を手に取った。
「これは原本だな。」
白銀帝国において誰もが知っている物語であり、タイトルは楽園からの追放。
リンとの邂逅時、ナナが貰っていた本がそれにあたる。
帝国は、教会の創設者である聖女ディリータが最後を迎えた土地であるとされている。
王国の建国と同時期、北方に敗走したグラシアル帝国最後の皇帝を英雄として描いた物語で、白銀帝国の始まりを描いた物語でもある。
時は乱世の末期、南の大国の大軍勢がグラシアル帝国への侵略を開始したことを聖女ディリータが皇帝に伝えに来るところから始まる。
奮闘するも帝国は敗北。
撤退戦の末に帝国民を守りつつも北へ北へと落ち延びていく。
南の軍勢の追撃は執拗で、さらには極寒の大地の過酷な環境は多くの犠牲者を出した。
皇帝は自ら殿に立って剣を振るい、南の追手を追い払う。
共にあった聖女は傷ついた者達を癒し、帝国の民と共に北へ。
北の寒気に耐えかねた南の軍勢がついに追撃を断念するが、最後の追撃戦の最中に放たれた一矢が聖女の胸に突き刺さる。
聖女の亡骸を抱いた皇帝の慟哭が広大な雪原に響き渡り、消沈して動けなくなった皇帝を叱咤するのは聖女の従者である探究者。
探究者は聖女の亡骸を背負い、さらに北へと帝国民を導く。
辿り着いた先は山に囲まれているおかげか、若干ではあるが寒気も穏やかな場所。
そこにあったのは雪と氷に埋もれた旧文明の都市の残骸。
探究者は都市の入口に聖女の亡骸を横たえる。
やがて亡骸は光の粒となって天へと上り、そのまま廃都へと降り注いだ。
みるみるうちに廃都を覆っていた氷雪は消え去っていく。
「ここに、我らの新たな帝国を建国する。」
こうして廃都は逃げ延びた者達の新たな故郷となり、北の大地に白銀帝国が建国された。
物語の主人公である皇帝は、帝国最後の皇帝としてグラシアル帝国の歴史に幕を下ろした。
新しい帝国で最初の皇帝となり、白銀帝を名乗ったのはその息子だった。
「この物語はここで終わりではない。汝がこれからの物語を綴るのだ。」
主人公である旧帝が白銀帝となった息子にこの言葉を残して没するところが物語の最後となる。
ガルシア皇帝は懐かしむように呟いた。
「皇帝となるものは代々、父である前帝より物語と同様の言葉を聞かされる。儂もそうだったからな。」
英雄たれ。
帝国の歩みを止めるな。
伝説として語られる偉業を成し遂げろ。
今ではそんな意味が込められているのだ。
実の子に重荷を背負わせる伝統なのだが、いつしかそれにふさわしいとされた皇帝だけが白銀帝を名乗るとされていた。
しかし今の帝国の基礎を築き、国家として成り立つまでの復興を成し遂げた初代白銀帝以降、新たな白銀帝は現れていない。
ガルシアも自らの凡庸さを認めており、白銀帝を名乗るような実績も自信もない。
だがそれを歯がゆくも思っている。
だからこそ、自分の後継に才覚を求めた。
恩恵という形でそれを見ることができる世界だからこそそれに拘ったのだ。
「それが儂でなくともいい。儂の後継を真なる白銀帝へと導く者。今の世の聖女と探究者。そんな者が何処かにおらぬかと願ったものだ。」
真なる白銀帝。
それが誰を指すかはこの場にいる人間にはすぐに察することができた。
皇太女として指名された第二皇女リンである。
そしてリンが白銀帝と名乗るにふさわしい偉業とされるのは帝国の宿願である南の地を取り戻すことだ。
「帝国を導く探究者はすでに道を示している。」
この時、ガルシアの脳裏に浮かんでいたのはパールグレーの髪をまとめた才女、バルディアだった。
バルディアはすでに南の国境門を突破し、先の城塞都市ラムドウルを陥落させている。
ガルシアはこれを南への導きと捉えているのだ。
「求むるは白銀帝の傍らに立ち、その覇道を支える聖女の存在か……。」
「むん?聖女はあたしだぞ?」
ガルシアのしんみりとした一言にずいっと前に出て来たナナの言葉が被せられた。
ロッテは素早くナナを捕まえてその口元を押さえる。
「ふむむむっ!?」
「親分は黙ってて下さいっ!」
暴れるナナを一瞥したガルシアは何事もなかったように会話を続ける。
「聖女はおらずとも、飢えと寒さに苦しむ民を救わねばならない。」
そう言ってガルシア皇帝は執務机に戻り、隣に立つポワレを見る。
ポワレは何も言わず、ガルシア皇帝に笑みを返した。
「さて、儂も少々喋り過ぎたようだ。そろそろ休むとしよう。お前達は下がるがよい。」
「貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。」
ロッテは立ち上がり、ナナの手をとって踵を返す。
(なんか探究者の話になった途端に饒舌に喋り出したような気がするけど……。)
セロはそんなことを考えながら、執務室を後にした。