189 執務室
ナナ達は今日も帝都を訪問する。
今回の来訪用に道標を設置した場所は先日リンと初めて会った隠し部屋だ。
ロッテと手を繋いでやってきたナナはさっそく今日の目標を設定した。
「今日の親分は白銀プリンを作ったプリン屋を子分にするぞ。」
「違います。今日の目的は皇帝陛下との謁見です。」
とは言っても、玉座の間で拝謁という形を取ることは難しいとすでに示唆されている。
実際にはこっそり忍び込んで無理矢理会う機会を作る、となる。
部屋を出て少し歩き皇宮の中央辺りに移動すると、昨日と比較して雰囲気の違いが目を引いた。
騎士や使用人が慌ただしく動き回り、どこか物々しい雰囲気が漂っている。
「これはもしかして……。」
セロ達は顔を見合わせる。
「帝国軍の第二次侵攻計画が急遽前倒しになったんですよ。」
その声はラスティーヌのものだった。
傍らには昨日と同様にアヴィリウスの姿もある。
昨日の会話で顔見知りとなったロッテが最初にラスティーヌに応じた。
「こんにちは。ラスティーヌ様は今日も皇宮にいらしてたのですね。」
「ええ、昨晩は話し込んでいたら少々遅い時間になってしまったのでこちらで休ませていただいたんです。」
丁度迎えに来たアヴィリウスと合流したところらしい。
そのまま簡単な挨拶を済ませた両者は早速情報交換を開始した。
「それでラスティーヌ様、先程おっしゃられていた侵攻計画の前倒しというのは?何かあったのですか?」
「実は昨日、大広間でリン殿下がアイギアス殿下に皇位の継承についてのお話をされまして……。」
ラスティーヌは又聞きの内容ではあるが、昨日の大広間で行われた皇族達の会話をロッテに伝えた。
セロもロッテの隣で話を聞きながら真剣な表情で考え込んでいる。
難しい話が始まった事を察知したナナは付近の壁際に座り込んで収納から本を取り出した。
リンに貰った、楽園からの追放というタイトルの本だ。
「あたしこれ、まだ読みかけなんだぞ。」
ナナはそう言って床に本を広げて読み始めた。
「ナナちゃん!?こんな場所で座り込んだら、めっ!」
「はしたないですわ!」
ジルとエトワールはナナを注意している。
「むん?はしたなくしてもあたしは美少女だぞ?」
が、ナナはまったく聞く耳を持たないようだ。
セロとロッテはラスティーヌ達と会話。
ナナ、ジル、エトワール、それとニャンニャン達はナナが広げた本の周りに集まっている。
アランは一人、何をするでもなく皇宮の様子を眺めていた。
「どういうことですの?この聖女ディリータ様は教会を設立したお方だったと思うのですが、帝国で死亡したというのは初耳ですわ。これは史実ですの?」
「聖女様といつも一緒にいる探究者さんは聖女様のお弟子さんなのかな?この人は聖女様がいなくなった後、どうなったの?」
ナナを注意していた筈のジルとエトワールも気が付いたら物語にのめり込んでしまっていた。
「やっぱりあたしは聖女だったみたいだぞ。」
「ニャニャが聖女だから、ウチらは聖猫ニャ!」
「聖猫ニャ?知らニャかったニャ!」
騒ぐナナとミケとクルルに、ジルとエトワールはがっくりと俯いて嘆息する。
「また聖女とか言ってる……。」
「聖猫って何ですの?」
そうこうしているうちに、ロッテ達の話も終わったようだ。
「それでは私達はそろそろ屋敷に戻りますわ。」
「はい。いろいろと教えて下さってありがとうございました。」
情報交換を終え、ラスティーヌ達は去り、セロとロッテは壁際のナナ達の元に戻ってきた。
「親分!床に座り込んじゃったらせっかくのドレスが汚れちゃいます!」
ロッテは早速はしたないナナを抱き上げる。
「こら!ロッテ!親分は聖女だぞ!!」
ナナはじたばたと暴れ、その様子を見たジルとエトワールもどこか気まずそうに立ち上がる。
「みんな夢中になってたみたいだけど、そんなに面白い内容なの?」
セロは赤面しながらドレスの埃を払っているジルとエトワールに声をかけた。
「すみません、一緒に読んでたら続きが気になってしまって……。」
「私としたことが……、帝国の書物も侮れませんわ。」
ジルは床に広げられた本を閉じて拾い上げた。
「楽園からの追放ですね。戦争に敗北し平原を追われたグラシアル帝国の逃亡劇と、白銀帝国の始まりの物語です。」
じだばたしているナナを抱き上げたまま、ロッテは会話に参加する。
「ん?帝国の本なのにロッテは知ってるの?」
セロはロッテの腕の中で暴れるナナを撫でながら聞いてみた。
「お城の書庫に写本がありますので、前に読んだ事があるんです。」
ロッテの父であるウィランはかつて帝国を援助していた。
援助の謝礼の中に楽園からの追放の写本が含まれており、それが大公の城の書庫に収められていたという訳だ。
「はい、ナナちゃん。」
「むん?」
ジルは拾っていた本をナナに渡し、受け取ったナナは大人しくなった。
「ラスティーヌ様から、皇族の居住区画への裏道を教えて貰えましたので、早速行きましょう。」
(親分のせいで今日は行動開始が遅れていますから、その分急がないと……。)
首尾よく皇帝に会うことが出来たなら、駄目元で侵攻の中止を願い出るつもりのロッテは少し気が急いていた。
一行はラスティーヌが言った裏道へと向かった。
ロッテは教えてもらった通りの道を迷わず進み、さほど時間をかけずにそこに辿り着いた。
「親分ここ、来たことあるぞ?」
到着してみればそこは昨日、クラウンズの片割れであるルージュと邂逅した壁上通路の真下を通る使用人用の通路だった。
今回はルージュがいた壁上通路への扉ではなく、その手前にある階段を下りて壁内通路を行く。
「それにしても、南へ侵攻して最も成果を上げた皇族に皇位を譲るって、リン殿下は何を考えているんでしょうか……。」
「う~ん……、南の領土だけじゃくて、皇位までも餌にするって事は……、」
セロとロッテはラスティーヌから得た情報について相談しながら通路を歩く。
昨日とは違い、何の妨害もなく皇族居住区の裏口となる扉の前まで移動する事ができた。
「ここから先は情報もないから、慎重に行きましょう。」
「そうだね。ジルの探知魔術で皇帝の居場所を特定して、ナナの隠形付与を使って見つからないように進もう。」
「あたしが一番だぞ!」
ドタドタ、パタン。
今後について相談していると扉が閉まる音がした。
どうやらナナはおかまいなしに勝手に中に入ってしまったようだ。
「親分!!!」
ロッテは慌ててナナを追いかけ、皆もそれに続いた。
豪勢に飾られた皇族の住まう領域は静かで、衛兵や使用人の姿も見当たらない。
王城で暮らすエトワールはそんな風景に疑問を抱いたようだ。
「誰もいませんわよ?本当にここに皇帝陛下がいらっしゃいますの?」
早速探知魔術を発動させたジルは頷き、回廊の奥を指差した。
「奥の階段から上の階に登って、最奥の部屋に皇帝陛下がいらっしゃるみたいです。」
ロッテは走り回るナナを捕まえてしっかりと抱き上げる。
(なんか最近、親分が重くなってきた気がします……。)
「ロッテ、親分はこの辺を探検するぞ?」
「駄目です!ここは皇族の方々が居住する区画なんですから!厄介事になるのが目に見えています!」
「親分は聖女だぞ?皇族よりも聖女の方が偉いんだ。親分の事だぞ?」
ナナは読んでいた本の知識からそのように解釈していた。
「もうっ!いいから親分は大人しくして下さいっ!」
一行は階段を登り、最奥の大扉の前までやってきた。
ラスティーヌによればこの向こうは玉座の間となっているそうだ。
「えっと、皇帝陛下は玉座の間ではなく、あちらの別室にいるみたいです。」
ジルは右手脇の扉を指差した。
くいくい。
抱き上げられた状態のナナはロッテのお下げを引っ張り、首を横に振る。
「イヤだ。親分はこっちの大きい扉がいいぞ。こっちに入りたい。」
「皇帝陛下とお話しするのが目的なんですから、こっちです!」
「こらっ!ロッテは子分なんだから親分の言う事を聞け!!」
ロッテはじたばたするナナには構わず右手の扉へと移動する。
右手の扉の中は応接室になっていた。
ここも無人で最近使用されたような形跡はなく、清掃が行き届いていた。
「奥の部屋です。」
ジルは応接室の奥にある扉を指し示す。
先頭に立ったセロは扉をノックした。
「どうぞ。」
女性の声で返答があり、セロはゆっくりと扉を開ける。
そこは皇帝の執務室となっており、部屋の奥には体格の良い壮年の男性が机の上で腕を組んでこちらに鋭い目線を送っている。
そしてその傍らにはどこか見覚えのある妙齢の貴婦人が立っていた。
「あら?貴方達はたしか……。」
目の前の貴婦人、ポワレの事を憶えていたセロは小さく頭を下げた。
「誰だ、おまえは。」
ポワレを完全に忘れているナナはそう言った途端にロッテに口元を押さえられ、以降の発言が出来なくなった。
「皇帝陛下、約束もなく突然の来訪、大変なご無礼をどうかお許し下さい。」
ナナをジルに預けてロッテが前に出る。
面識もない人間がいきなり皇帝の執務室を訪ねるという事は、通常であれば考えられない行為だ。
即座に近衛騎士を呼ばれ、拘束されてもおかしくない。
仮にそうなった場合はセロとアランが荒事も辞さないつもりで対応することになっていた。
「私はウィラン・カールレオンが娘、シャルロッテと申します。」
ロッテは迷わず父の名を出し、自らの正体を明かした。
父ウィランが長期にわたって帝国を支援してきた実績を利用して対話に持ち込む作戦だ。
ポワレが皇帝の耳元で何かを囁いた。
「……。」
元々ポワレに疑念を抱いていたセロは、皇帝の傍らに立ち何かを囁く姿を見てそれを確信し、それとなく周囲を窺う。
白銀帝国皇帝、ガルシア・ヴェイン・グラシアルは値踏みするかのように来訪者を見つめると、楽しそうに笑いながら言った。
「お前達の無礼を許そう。」